結論:好感度を捨てた主人公を最後まで描き切った、癖の強い一本(評価★★★★☆)
見るべきです。ただし「アイドルを目指す少女たちの爽やかな青春もの」を期待する人には、最初の30分で違和感が出る映画です。主人公の東ゆうは、夢のために他人を「集める」ことから動き出す人物で、気持ちよく応援できる主人公ではありません。その居心地の悪さを、作り手が意図して物語の中心に据えている。そこを面白がれるかどうかで、この映画の価値は決まります。
誰にとって劇薬か。努力と友情で報われる成長物語を求める人には、苦い映画です。逆に、アイドルという題材を「憧れ」ではなく「自意識」の側から見たい人、主人公を好きになれなくても物語を追える人には、94分でよくまとまった一本です。脚本には粗もありますが、人物の描き方が評価を押し上げました。
採点の内訳
- 脚本:★★★☆☆ 前半の積み上げは強いが終盤は丸い
- 人物:★★★★☆ 共感させない主人公を貫いた
- 独創性:★★★★☆ 「アイドル」を自意識の物語にした
- 狙いの達成度:★★★★☆ 架空のアイドルという狙いが生きた
- 間口の広さ:★★★★☆ 予備知識なしで見られる94分
5項目の平均は3.8で、四捨五入して★4つです。動かしてはいません。
作品情報
- 日本公開:2024年5月10日(全国203館)
- 監督:篠原正寛(初監督作品)
- 脚本:柿原優子
- 主な声の出演:結川あさき(東ゆう)、羊宮妃那(大河くるみ)、上田麗奈(華鳥蘭子)、相川遥花(亀井美嘉)
- 上映時間:94分
- 原作:高山一実の小説『トラペジウム』(KADOKAWA)
- 制作:CloverWorks、配給:アニプレックス
- 主な受賞:第26回富川国際アニメーション映画祭で特別賞
見る前に知っておきたいこと
- 原作は乃木坂46の元メンバー、高山一実による小説。映画は原作を読んでいなくても追える作りです
- 上映時間は94分。短めなので、見始めてから「長い」と感じる心配は小さい作品です
- 主人公の行動に好き嫌いが出る映画です。「主人公が嫌い」と感じた時点で脱落するかどうかが、最初の関門になります
- 関連作品:2026年11月27日に日本で公開予定の『タコピーの原罪 -ありがとう、また明日-』は、Webアニメ版で久世しずかの声を上田麗奈が担当しています(日本語版 Wikipedia による)。本作で華鳥蘭子を演じる上田麗奈の出演作として、新作の前に見ておく入口になります。新作の出演者は、公開に近づいてからの公式発表で確かめてください
最小限のあらすじ
城州東高校に通う東ゆうは、アイドルになりたい高校生です。彼女は、北・西・南にある別々の高校から美少女を一人ずつ集めて、自分でアイドルグループを作ろうと計画します。
目的は、その4人でデビューし、アイドルとして成功することです。
『トラペジウム』感想|評価できる点を構造で解剖する
「集める」ところから始まる物語の設計
この映画の骨組みは単純です。ゆうが3人を一人ずつ仲間にし、4人で活動し、デビューし、壊れ、再び集まる。三幕に直すと、第一幕が3人の勧誘、第二幕前半が4人の活動とデビュー、第二幕後半が崩壊、第三幕が再生と8年後です。
うまいのは、第一幕を「友情の始まり」としてだけ見せない点です。ゆうは蘭子と親しくなり、くるみにはロボット研究会の工藤真司の協力を得て近づき、美嘉は小学校時代の同級生だったところから引き入れます。どの勧誘も、友達になる過程であると同時に、グループの頭数をそろえる作業でもある。観客は、感動的な出会いを見せられながら、同時にその裏の目的も見せられます。この二重の読みができる構造が、後半の崩壊を単なる事故に見せず、積み上げた結果として納得させます。
主人公に共感させない勇気(人物の動機の通り方)
人物の面では、ゆうの動機がずっと一貫しています。彼女はアイドルになるという目的に向かって、ボランティアや文化祭への参加、観光ガイドのボランティアまで、使える機会をすべて使う。だから、途中で優しい顔を見せても、動機が揺れたようには見えません。
この描き方は、映画評でも注目されています。日本語版 Wikipedia によると、くれい響は本作を「サイコパスなヒロイン」の活動記録と評し、星4つを付けています。一方、Anime News Network のKen Iikura-Grossは、古典的な悲劇の構造を評価しつつ、ゆうに感情移入しにくい点を指摘しました。私はこの二つを対立する評価とは読みません。感情移入しにくいことは欠点ではなく、設計の結果です。観客が感情移入できないからこそ、崩壊の場面で、ゆうだけでなく周りの3人の痛みも等しく見える。主人公を好きにさせない選択は、物語を一人称の自己陶酔から救っています。
架空のアイドルであることの意味(作り手の狙い)
作り手の狙いは、制作面から確かめられます。日本語版 Wikipedia によると、原作者の高山一実は、劇中のアイドルがすべて架空であることに意味があると考え、実写ではなくアニメ化を選んだと語っています。実在のアイドルを使えば、観客は既存のイメージを持ち込みます。架空にすれば、グループは物語の中だけで意味を持つ存在になる。
この狙いは、藤津亮太の評とも重なります。Wikipedia に書かれた内容によると、藤津は、アイドルやファンが「不在の中心」として描かれていると指摘し、本作のテーゼを「アイドルとは自意識である」と分析しました。ファンの顔が前に出ないのは、そのためだと読めます。画面の中心にいるのは、アイドルそのものではなく、アイドルになりたい自分を見つめるゆうです。私はこれを、題材の選び方が主題と噛み合った例として、本作でいちばん強い部分だと見ます。
評価が割れた理由:世間の高評価と私の見方
世間の評価は、総じて高いと言えます。中森明夫は、アイドル文化の勝利と評価しました。タニグチリウイチは、2024年のアニメ映画の最大の収穫として1位に選んでいます(いずれも日本語版 Wikipedia による)。私の評価は★4つで、これらの絶賛とは少し距離があります。理由は次の節で書く脚本の終盤にあります。題材の読みと主人公の造形は満点に近い。しかし物語の締めくくりが、そこまで積み上げた苦さを少し丸めてしまう。そのぶんを引いた評価です。
なお、東西南北から一人ずつ集めるという設定は、地理的な発想として分かりやすく、予備知識がなくても飲み込めます。冒頭で設定を説明し終えているので、間口は広いと採点しました。
※ここから結末に触れます。
『トラペジウム』結末の意味を読む
崩壊の流れを整理します。人気が出るほど、くるみは次第に疲れていき、美嘉の交際相手がSNSに流出したことでグループの空気も悪くなる。2曲目の歌詞も間に合わない。そして、くるみが事務所で暴れ、3人が退所し、ゆうも後を追って退所します。
ここで大事なのは、ゆうが「追って」退所することです。彼女の夢は、グループがあってこそ成り立つものでした。その後、母や観光ガイドのリーダーに励まされたゆうは、過去と向き合い、美嘉に謝罪します。そこで、小学生時代の自分が美嘉にとってヒーローだったことを知る。4人は公園に集まり、ゆうが募り、3人が書いていた歌詞で、未完のまま幻になっていた曲「方位自身」を完成させて和解し、ゆうはアイドルを目指し続けると宣言します。
結末の意味を、私はこう読みます。ゆうは変わったのではなく、自分の動機の置き場所が変わった。最初は「集める」ための友情だったものが、一度壊れたあとに、友情として回収し直される。8年後、アイドルとして成功したゆうが3人と再会し、真司の写真の個展を訪れる場面で、最後に飾られているのは、真司が文化祭で撮影した4人の写真「トラペジウム」です。映画と同じ題名を持つこの一枚が、成功した後ではなく、4人がまだ何者でもなかった時間の記録として置かれる。成功の絵ではなく、出発点の絵で終わる。この選び方は、映画全体の主題である自意識の物語に、きれいに収まっています。
『トラペジウム』ひどい?忖度なしの欠点と賛否の理由
終盤が丸く収まりすぎる(脚本の弱点)
最大の欠点は、崩壊から和解までの速さです。The Japan Times のMatt Schleyは、静寂を使った演出を称賛する一方で、一部の演技や結末が丸く収まりすぎていると批判しています(日本語版 Wikipedia による)。私もこの結末の指摘に同意します。
三幕で見ると、第二幕後半の崩壊は、くるみの疲弊、美嘉の交際相手の流出、歌詞が間に合わない、という複数の問題が重なって起こります。ところが第三幕では、ゆうが励まされ、美嘉に謝り、公園で歌詞を完成させる、という流れで一気に解決へ向かう。問題が複数あったのに、解決の手順は「ゆうの内省」と「歌」に集約されます。くるみが事務所で暴れるほど追い詰められた理由と、その後の彼女自身の整理は、筋の運びの上では十分に掘り下げられたようには読めません。ゆうの視点で和解が進むぶん、他の3人の側の折り合いが薄く見えます。
ゆうに感情移入しにくい(賛否が分かれる点)
先に長所として書いた「共感させない主人公」は、そのまま賛否の原因にもなります。ゆうは、友達になる過程にも目的を持ち込む人物です。観客によっては、物語の前半を見ながら「この人を応援していいのか」と迷い続けることになる。迷いが物語の推進力になる人もいれば、見続ける動機を失う人もいるでしょう。
私はここを、欠点と長所の両面として見ます。ただし、回収の仕方には注文があります。ゆうが「小学生時代に自分がヒーローだった」と知る場面は、彼女の行動を許す方向に作用します。許しを与える装置として、過去の出来事が都合よく差し込まれたように感じる人は出るでしょう。計画の動機そのものの掘り下げではなく、周囲の評価で救う。その構造は、ご都合主義と言われても仕方がない部分です。
脇の3人の描き込みの差
くるみには真司との関係とロボコンでの準優勝、美嘉には小学校時代の同級生という過去と整形の話があります。一方、蘭子について、筋の上で目立つのは、ゆうが最初に親しくなる相手であることくらいです。上田麗奈が演じる蘭子は、グループの一員としては欠かせないはずなのに、物語上の独自の山場が見えにくい。
94分で4人を描くのは、そもそも難しい条件です。それでも、蘭子の物語を持たないまま和解に入るため、「4人が和解した」という結末の説得力は、3人に比べて薄くなります。ここは尺の制約として理解しつつも、欠点として挙げておきます。
宣伝と中身のズレ
題材がアイドルである以上、観客は華やかなステージや成功の物語を想像します。しかし実際の中心は、成功する過程ではなく、成功を求める人の自意識です。このズレを「裏切り」と受け取る人がいるのは自然で、「ひどい」という検索が出る原因もここにあると私は見ています。裏切りではなく、題材の選び方に関する設計の話だと理解してから見ると、印象は大きく変わります。
この映画を見るべき人・見なくていい人
- 見るべき人:アイドルを「憧れ」ではなく「自意識」の面から描いた作品が見たい人。好感度の低い主人公でも、物語の構造を読み解く楽しみがある人
- 見るべき人:上田麗奈の出演作を、新作『タコピーの原罪 -ありがとう、また明日-』(2026年11月27日公開予定)の前に押さえておきたい人
- 見なくていい人:努力が報われるまっすぐな青春ものだけを求める人。主人公が好きになれないとき、途中で見るのをやめたくなる人
- 見なくていい人:和解の過程に、全員分の丁寧な心情描写を求める人





