結論:怪人映画の皮をかぶった、東宝特撮屈指の悲恋(評価★★★★☆)

91分で終わる、見るべき一本です。タイトルと設定だけなら安い怪人ものに聞こえますが、実際に組まれているのは「愛する人のために罪を重ねる男」と「その罪を受け止めてしまう女」の悲恋です。怪獣が街を壊す映画を期待すると肩透かしを食らいます。逆に、特撮映画の枠で人間のドラマをどこまで描けるかに関心がある人には、60年以上前の作品とは思えない手応えがあります。星を1つ引いたのは、警察側の描き方と、ガス化の能力の「ルール」の曖昧さが、悲恋の強度に追いついていないからです。

採点の内訳

  • 脚本:★★★★☆ 犯行の動機と結末が一本の線で結ばれる
  • 人物:★★★★☆ 水野と藤千代の関係に二重の読みが残る
  • 独創性:★★★★☆ 怪人を「恋する犯罪者」に置いた発想
  • 狙いの達成度:★★★★☆ 心中劇という狙いは結末で形になる
  • 間口の広さ:★★★☆☆ シリーズ知識は不要だが、古さは覚悟

作品情報

  • 日本公開:1960年12月11日(東宝)
  • 監督:本多猪四郎 特技監督:円谷英二
  • 脚本:木村武 音楽:宮内國郎 製作:田中友幸
  • 主な出演:三橋達也、八千草薫、土屋嘉男、佐多契子、伊藤久哉
  • 上映時間:91分(カラー、東宝スコープ)
  • 2009年のキネマ旬報の批評家投票「日本映画200選」で65位(英語版Wikipediaの記載)

見る前に知っておきたいこと

  • 東宝の「変身人間シリーズ」の第3作で、前作は『電送人間』。ただし物語はつながっておらず、前作を見ていなくても困りません
  • 監督は『ゴジラ』(1954年)と同じ本多猪四郎、特撮を手がけたのも同じ円谷英二です。怪獣の暴れる映画ではなく、人間を中心に据えた作りなので、そのつもりで臨むのが前提です。映画『ゴジラ』1954 感想・考察と見比べると、同じ監督の振れ幅が分かります
  • 前半は特撮がほとんどない捜査劇で、ガス化の映像が本格的に出てくるのは中盤以降です。序盤で特撮を期待して見始めると退屈に感じやすい構成です
  • ジョン・メレディス・ルーカスの小説『ガス人間』に着想を得たとされますが、原作者のクレジットは出ません(日本語版Wikipedia)。小説の映画化として構えなくて大丈夫です
  • 米国では大幅に編集された英語版が公開され、最後の場面も日本版と違うと英語版Wikipediaにあります。ここで扱うのは日本公開版です

最小限のあらすじ

1960年夏、東京の銀行で強盗殺人が起き、逃走した犯人の車が崖から転落するが、車内に犯人の姿はない。捜査にあたる岡本警部補は、没落した日本舞踊の家元・春日藤千代に出会う。事件が重なるたびに、藤千代の周囲に金の気配が漂い始める。やがて「水野」と名乗る男が現れ、自分が犯人だと告げて、人間がガスになるという常識外れの手段を警察の目の前で見せる。

※ここから結末に触れます。

『ガス人間第一号』の結末の意味は?悲恋として組まれた脚本の強さ

犯行の動機が「発表会の金」に一本化されている

この映画の脚本で最も優れているのは、能力を得た男の動機を最初から最後まで一つに絞っている点です。水野は宇宙飛行士を生み出すための佐野博士の人体実験に失敗してガス化の能力を得た男で、水野の強盗はすべて、恋人の藤千代が発表会を開き、家元としての評価を取り戻すための資金作りでした。世界征服も復讐も出てきません。力を手にした人間が、最初に思いつくのが「好きな人の願いを叶えること」というのは、怪人ものとしては相当に地味で、そこが効いています。

この一本化が、結末の悲劇の土台です。犯行が藤千代のためだと分かっているから、警察が水野を追い詰めるほどに、観客は犯罪者の側に感情を寄せざるを得なくなる。悪役として設計された人物に、同情の通り道を最初から作っておく。作り手の視点で言えば、これは終盤に効く「前払いの仕込み」です。

警察の「作戦」が悲劇のレールを敷く

三幕構成で見ると、第二幕の山場は、水野が刑事たちの前で金庫室から自分の身体をガス化して脱出してみせる場面です。そこから先、物語は「水野をどう止めるか」の一点に向かいます。藤千代が説得しても水野は能力への全能感から聞き入れず、警察は発表会の大ホールに架空の可燃性ガスを満たして爆発で抹殺する作戦に出る。

ここで脚本は巧妙です。作戦は、藤千代と老鼓師を先に退避させてから実行する段取りでした。しかし二人は退避を拒み、スイッチは押される。つまり警察の作戦は「ふつうに成功すれば誰も得をしない」形で組まれています。水野は事前に配電盤を壊していて作戦は失敗しますが、この失敗によって、結末を決めるのは警察でも水野でもなく、藤千代の選択になります。

ライターの点火は「心中」か「殺害」か

演舞を終えた藤千代は、ホールに残っていた水野と抱き合い、隠していたライターで点火します。ガスに包まれたホールは爆発し、ガス人間は水野の姿に戻って、藤千代の着物の欠片を握ったまま焼死します。

この場面の解釈は、作り手の間でも割れています。日本語版Wikipediaによれば、水野を演じた土屋嘉男は水野が藤千代を愛していたと解釈し、本多猪四郎は藤千代は情にほだされただけで、男女の愛情には至っていなかったと解釈しました。英語版Wikipediaによれば、本多はこの物語を、近松門左衛門の伝統を引く現代の心中劇と捉えていたとされます。

私は、ライターを握る藤千代の動きは、愛情の成就というより「責任の取り方」だと読みます。自分のために人を殺し続けた男を、止められなかった。止められる唯一の方法は、自分も一緒に消えることだった。愛情が片側にしかなくても、心中は成立してしまう。その冷たさが、この結末を単なる純愛の美談にしない部分です。

特撮は「隠す」ことで成立している

特撮の仕組みも、見る前に知っておく価値があります。日本語版Wikipediaによれば、空気を抜いてしぼませるゴム人形を使っています。土屋の顔と体から作ったゴム人形に衣裳を着せ、内側にドライアイスを仕込み、足元のぬるま湯の入ったタライに沈める仕掛けで、そこに光学合成の青白いガスを重ねました。会場火災はミニチュアで撮影されています。

英語版Wikipediaによれば、円谷の班は大きなミニチュアではなく、ドライアイスの煙や光学処理といった小ぶりな手法を組み合わせました。大怪獣の見せ場で勝負する円谷の仕事とは別の方向の工夫で、「何でも見せない」ことが、人間ドラマを優先したこの映画の設計と合っています。

評価と私の見方のずれ:なぜカルト的な支持を得たのか

英語版Wikipediaによれば、日本の批評家から高い評価を受けたのは、特撮映画としては異例でした。米国と欧州では興行的にも成功し、のちにカルト的な人気を得たとされます。同記事は、1960年の日本の空気(安保闘争や炭鉱ストライキ、帝銀事件を連想させる銀行強盗)が脚本に反映されたとも書いています。

私は、その読みを半分だけ受け取ります。社会背景が脚本の下敷きにあるのは確かでも、劇中の水野は、体制への怒りを語る人物としては描かれず、あくまで一人の女性のために動く男です。社会派の寓話として読むより、個人の悲恋が時代の空気の中で歪んでいく物語として読んだほうが、結末の説得力が出ます。

『ガス人間第一号』はつまらない?ひどいと言われる理由と欠点

能力のルールが曖昧で、緊張感が一定しない

最大の欠点は、ガス化の「ルール」が場面ごとに伸び縮みして見えることです。水野は銃弾をすり抜け、牢の格子を抜け、人を窒息させます。それ自体は魅力ですが、どの条件で効くのか、弱点はあるのか、が積み上がらない。だから警察の「ガスで爆破する」という対抗策が、論理の勝利というより「ここまで来たらそれしかない」という流れに見えてしまいます。架空のガスに頼る点も、解決の説得力を弱めています。

警察側のドラマが薄い

岡本警部補、記者の甲野京子、田宮博士など、水野と藤千代の外側にいる人物は、物語の進行役にとどまります。特に、藤千代の逮捕のきっかけになった1万円札の番号の一致から、真犯人を名乗る水野の自首へ、という流れは、事件の謎解きとしては鮮やかですが、そこで岡本たちが何を考え、どう動くかは薄いままです。悲恋が主役なのは構わないにしても、追う側が情報を整理する役でしかないので、終盤の「水野を殺すしかない」という判断に、重みが足りません。

前半の捜査劇が長く、ガス人間の登場が遅い

日本語版Wikipediaによれば、前半には特撮がほとんど使われていません。連続強盗と密室の金庫室の謎を、通常の捜査劇として追う構成です。当時のミステリー的な手触りとして機能しますが、「ガス人間」という題名から期待する見せ場を待つ観客にとっては、中だるみに感じられるはずです。物語の中心が水野と藤千代の関係にあると分かった今となっては、前半をもう少し絞れたのではないか、というのが私の見方です。

説明で語りすぎる水野の背景

水野がガス人間になった経緯は、佐野博士の人体実験の失敗という一言で片づけられます。能力の由来を語ること自体は必要でも、水野が藤千代に惹かれる理由は、犯行の動機の割に、劇中で積み上がっていません。観客は「彼女のためなら何でもする男」という前提を最初から飲み込むことになります。ここが、心中劇としての説得力の最後の一押しを欠く箇所です。

この映画を見るべき人・見なくていい人

  • 見るべき人:本多猪四郎・円谷英二の作品を、怪獣以外の側面から知りたい人。特撮映画の古典として、人間ドラマの比重が高い作品を探している人
  • 見るべき人:結末の「選択」を、誰の意思として読むかを自分で考えたい人。見終わった後に、土屋と本多の解釈のどちらに近いかを議論したくなります
  • 見なくていい人:ガス人間の能力や特撮アクションの連続を期待する人。派手な見せ場より、静かな悲劇が中心です
  • 見なくていい人:能力のルールや警察の作戦の論理に厳密さを求める人。ここは、先に挙げた欠点の通りです