結論:主人公は最高、物語は荷物の積みすぎ(評価★★★☆☆)
スーパーマンという人物を気に入れるかどうかが、そのまま満足度になる映画です。見て損はありません。ただし「アメコミ映画の新しい傑作」を期待するなら、脚本の散らかり方に肩透かしを食らいます。向いているのは、肩肘張らないヒーロー像を見たい人と、DCユニバース(DCU)の出発点を押さえたい人。向いていないのは、一本の筋がまっすぐ貫く映画を求める人です。
採点の内訳
- 脚本:★★★☆☆ 要素が多く、終盤の収拾が忙しい
- 人物:★★★★☆ 主人公の価値観が物語の軸になっている
- 独創性:★★★☆☆ 設定は奇抜だが、構図は定番の対決
- 狙いの達成度:★★★★☆ 監督の言う「前向きさ」は形になっている
- 間口の広さ:★★★☆☆ 単独で見られるが、情報量は多い
5項目の平均は3.4で、四捨五入して総合は★3つです。加点も減点もしていません。優れた点(人物の軸)と弱い点(詰め込み)が、ちょうど打ち消し合う作品だと見ています。
作品情報
- 日本公開:2025年7月11日(米国と同日公開)
- 監督・脚本:ジェームズ・ガン
- 主な出演:デヴィッド・コレンスウェット、レイチェル・ブロズナハン、ニコラス・ホルト、エディ・ガテギ
- 上映時間:129分
- 興行収入:全世界で約6億1870万ドル(英語版Wikipediaの記載)、日本では10.3億円(日本語版Wikipediaの記載)
- 主な受賞:クリティクス・チョイス・スーパー・アワードで、スーパーヒーロー映画賞とスーパーヒーロー映画男優賞(デヴィッド・コレンスウェット)
見る前に知っておきたいこと
- DCユニバース(DCU)の第1作で、第1章「ゴッズ・アンド・モンスターズ」の最初の映画。『マン・オブ・スティール』とは別の、新しく始まったシリーズ
- 2026年10月30日に日本で公開される『クレイフェイス』も同じDCUの作品(日本語版Wikipediaでは第3作とされ、前作は『スーパーガール』)。本作はその第1作にあたる。『クレイフェイス』の中身は公開前のため、ここでは書かない
- 物語はスーパーマンが地球に来て3年がたった時点から始まり、地球到着の経緯は描かれない。クラークとロイスはすでに出会い、ルーサーとの対立も始まっている
- 製作費は、報道上の総額3億6380万ドルに対し、ガン監督は異議を唱えており、税制優遇などを引いた正味は2億2500万ドルとされる
- 次作として『Superman: Man of Tomorrow』が2027年の公開予定とされている
最小限のあらすじ
スーパーマンは、隣国への侵攻を止めようとするボラビアの大統領に手を引くよう警告します。ところがその後、「ボラビアのハンマー」と呼ばれる存在に敗れ、愛犬クリプトとともに南極の孤独の要塞へ逃げ込みます。一方、大富豪レックス・ルーサーはスーパーマンを社会的にも追い詰めようと動き出します。主人公の目的は、世論と策略の両方に挟まれながら、街と人々を守り抜くことです。
※ここから結末に触れます。
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実の両親の「メッセージ」が生む、価値観の対立
この脚本でいちばん感心するのは、クライマックスの前に主人公の「出自」の問題を置いたことです。要塞のロボットが再生する実の両親のメッセージは、道中の破損で前半しか聞けません。ルーサーは要塞に侵入してこれを修復し、後半を公開します。その中身は、地球を征服して多くの妻を迎え、クリプトン人を復興させよ、という指示でした。
ここで世論が一気にスーパーマンへ背を向けます。敵が殴り合いで追い詰めるのではなく、「お前の生まれはこういうものだ」と突きつけて社会的な足場を崩す。ヒーロー映画の敵の手口としては、筋が通っています。しかも後半の公開という伏線は、前半しか聞けないという序盤の設定できちんと仕込まれています。この種まきと回収は、本作の脚本で最も手際のいい部分だと私は見ます。
「選択が本質を決める」という答えの出し方
この対立への答えは、養父ジョナサン・ケントが出します。生みの親のメッセージではなく、本人の選択と行動が人を決める、という趣旨です。説教で終わらせず、主人公自身が出頭という選択をしたあとに置かれているのが効いています。主人公は先にロイスへ愛を告白し、自ら政府に出頭する。つまり答えを聞く前から、すでにそう生きていたことになります。人物の行動が主題を先取りしているので、台詞が理屈の補足として働くのです。
ジェームズ・ガン監督は、スーパーマンを「ハグしてあげたくなる」ような人間味と優しさのある人物として描きたかったと語っています(英語版・日本語版Wikipediaの記載)。副題の「Legacy(遺産)」を削ったのも、映画が過去ではなく前を向く内容だからだと説明しています。出自に縛られず選択で生きる主人公という構造は、この狙いと噛み合っています。狙いの達成度を高く付けた理由はここです。
批評家はどう見たか:世間の評価と私の見方
英語版Wikipediaによれば、Rotten Tomatoesの批評家支持率は83%(505人)、Metacriticは100点中68点、観客調査のCinemaScoreは「A−」です。IGNは10点中8点で「楽しく心のこもった一作」と評し、NPRのグレン・ウェルドンは、スーパーマンの人間性に深く触れていると評価しました。ニューヨーク・タイムズのアリッサ・ウィルキンソンは、風変わりだが魅力的な作品として『アイアンマン』(2008年)に重ねています。
一方で評価は割れました。後述のとおり、否定側の主な論点は「詰め込みすぎ」と終盤です。私の採点は★3つで、肯定側の評価より少し辛いのですが、理由ははっきりしています。人物の軸は称賛に値しても、その軸を支える筋の運びが、周辺要素の多さで何度も止まるからです。
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詰め込みすぎ問題:要素の数が物語の推進力を食う
否定的な批評の中心は、要素の多さです。ガーディアン紙のピーター・ブラッドショーは「無意味で雑然とした背景設定」を批判して5点中2点、フォーブスのエリック・ケインは、キャストが膨大で筋が詰め込まれ、テンポも悪いとして同じく5点中2点を付けています(英語版Wikipediaの記載)。
あらすじを追うだけでも、確かに要素は多い。怪獣、ポケット・ユニバース、ジャスティス・ギャング(ミスター・テリフィックらの仲間)、メタモルフォ、ウルトラマン、エンジニア、クリプトの救出、ジミー・オルセンとイヴの動き。これだけの数が、129分に入っています。私が問題だと考えるのは数そのものではなく、それぞれが主題とどうつながるかが弱い要素があることです。
たとえば怪獣は、ルーサーが街に放つ陽動として登場します。ジャスティス・ギャングとの共闘のあと、ミスター・テリフィックがこれを殺害し、その直後に両親のメッセージが公開される、という流れです。この殺害は、生け捕りを望んだスーパーマンの方針とのズレを示す場面として読めます。しかし怪獣そのものの意味は、その後ほとんど回収されません。「陽動」と「方針のズレの提示」を兼ねさせているため、どちらも浅くなっています。
終盤の収拾:裂け目、救出、暴露が連続する
第三幕は、ポケット・ユニバースでの拘束から始まります。メタモルフォは息子を人質に取られ、片腕をクリプトナイトに変えられてスーパーマンを無力化する。ルーサーがファンのマリク・アリを殺害するのを見て、メタモルフォは寝返る。ロイスとミスター・テリフィックが救出に向かう。ルーサーはポータルを不安定なまま開いてメトロポリスに裂け目を作る。スーパーマンはエンジニアを倒し、ウルトラマンをクリプトの助けでブラックホールへ飛ばし、ミスター・テリフィックが裂け目を閉じる。最後にルーサーの動機が語られ、ロイスとジミーが陰謀を暴く。
この間、解決すべき課題が「拘束」「世論」「裂け目」「ウルトラマン」「陰謀の暴露」と五つ並びます。しかも、スーパーマン自身の選択によって解決される問題は多くありません。裂け目はミスター・テリフィックが閉じ、陰謀はロイスとジミーが暴く。仲間が働くのは世界観の広がりとしては楽しいのですが、主人公が選択で道を切り開くという主題から見ると、決着の担い手が分散しています。エンパイア誌のソフィー・ブッチャーが、色彩や宇宙的な発想を評価しつつも終盤はCGIの混乱に沈むとして5点中2点を付けたのは、この点を突いたものだと私は読みます。
ルーサーの動機:明かされるのが遅く、小さい
ルーサーは、スーパーマンが公の称賛を受けることへの嫉妬から、隣国への侵攻を演出したと明かします。動機そのものは、人物像としては筋が通っています。問題はタイミングです。これが明かされるのはほぼ終盤で、それまでの計画(怪獣、メッセージの公開、ポケット・ユニバース)の規模に比べて、動機が個人的な感情に収まるため、落差が大きい。
悪役の動機が小さいこと自体は欠点ではありません。むしろ、世界を揺るがす計画の根が個人の嫉妬にあるという構図は、皮肉として面白い。ただ、その皮肉を効かせるなら、もっと早い段階で嫉妬の気配を積んでおくべきでした。あらすじを追う限り、動機は最後に説明として置かれており、ここは脚本の弱さに数えます。
政治的な読みと宣伝:中身との距離
公開前から、ガン監督が「スーパーマンはアメリカの物語」と語った発言が議論を呼び、「Superwoke」と呼ぶ論者も現れました。ガン監督はこれに、映画は「優しさ」についてのものだと応じています。また、架空の国ボラビアとジャンハンプールの戦争を、現実の紛争の寓意と読む批評もありますが、ガン監督は脚本が現実の戦争より前に書かれ、寓意を意図したものではないと述べています(英語版Wikipediaの記載)。
私はここでは、どちらの読みにも与しません。ただ、作品の作りとして指摘できることがあります。侵攻を止めた主人公が、その行為の倫理を問われる場面は、ロイスとのやり取りとして置かれています。この問いは、主人公がなぜ介入したのかという動機の掘り下げにつながる強い種でした。しかし後半、この問いは「ルーサーの陰謀だった」という答えに吸収され、主人公の介入が正しかったのかという問題は深まらないまま終わります。問いを立てながら、敵の策略で片づけてしまう。ここは、勿体ない構成です。
この映画を見るべき人・見なくていい人
- 見るべき人:人間味のあるヒーロー像が好きな人。DCUの第1作として、シリーズの入口を押さえたい人。出自ではなく選択で生きる主人公、という主題に関心がある人
- 見なくていい人:一本の筋が最後までまっすぐ進む脚本を求める人。ヒーローの倫理を、結論まで掘り下げてほしい人
- 『クレイフェイス』の前に:同じDCUの第1作として見ておく価値はあります。ただし、『クレイフェイス』の内容は公開前で確かめられないため、見ておかないと分からないかどうかまでは言えません。シリーズの出発点を知りたいかどうかで決めてください
評価は★3つ。主人公の軸は一級品で、荷物の多さがそれを濁らせる。そういう映画です。





