映画「ブラック・ショーマン」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!
東野圭吾、福山雅治、有村架純。
この三つの名前が並んだ時点で、本作は単なる映画ではなく、一種の「事件」だったと言えるだろう。
製作陣が「超豪華タッグ」と謳い、「2025年最強最高のミステリーエンターテインメント」と銘打ったこの作品は、公開前から成功が約束された巨大プロジェクトだった。
これだけの布陣を揃えて、駄作が生まれるはずがない。
誰もがそう信じて疑わなかったはずだ。
だが、劇場を後にして心に残ったのは、華麗なショーを見せられた高揚感と、同時に訪れる奇妙な空虚感だった。
本作は、観客という名のターゲットに対し、完璧なイリュージョンを仕掛けてくる。
しかし、その眩い光の裏側を覗き込んだ時、我々は何を見ることになるのか。
これから、そのすべてを白日の下に晒していこう。
映画「ブラック・ショーマン」の個人的評価
評価: ★★★☆☆
映画「ブラック・ショーマン」の感想・レビュー(ネタバレあり)
この映画の評価は、真っ二つに割れる。
「ショー」として見るか、「ミステリー」として見るか。
それによって、本作は傑作にも駄作にもなり得るのだ。
まず、「ショー」としての側面は、ほぼ完璧と言っていい。
主役である元マジシャン、神尾武史を演じる福山雅治の存在感は圧倒的だ。
そもそもこの役は、福山自身が「ダークな湯川を演じたい」と望んだことから生まれたキャラクターだという。
まさに彼のために作られた役であり、そのハマり具合は尋常ではない。
皮肉屋で人を食ったような態度、それでいて姪を思う優しさが垣間見える。
この「新時代のダークヒーロー」像は、福山雅治というスターの魅力を最大限に引き出している。
そして、その叔父に振り回される姪・神尾真世を演じる有村架純。
彼女の安定感は、この映画の屋台骨だ。
突飛な行動を繰り返す武史という風変わりな探偵役に対して、地に足のついた相棒として機能し、観客の視点を代弁してくれる。
彼女の誠実な演技があるからこそ、武史のキャラクターがただの嫌な奴で終わらず、物語全体が締まるのだ。
監督は『コンフィデンスマンJP』シリーズの田中亮。
その手腕は本作でも遺憾なく発揮されている。
テンポの良い展開、スタイリッシュな映像、そして息をのむほど美しいロケーション。
特に、事件の舞台となる「名もなき町」として撮影された岐阜県や愛知県の紅葉の風景は、殺人事件という陰惨なテーマとの対比で、鮮烈な印象を残す。
福山自身が手掛けたテーマソング「幻界」も、ミステリアスで華やかな雰囲気を完璧に演出している。
ここまで聞けば、なぜ評価が星3つなのかと疑問に思うだろう。
問題は、この完璧な「ショー」の土台となっている「ミステリー」の部分にある。
ここからが、この映画が抱える致命的な欠陥だ。
まず、福山雅治の存在感が強すぎることが、皮肉にも作品の枷となっている。
多くの観客が指摘するように、どうしても『ガリレオ』の湯川学の影がちらつくのだ。
制作側もそれを意識してか、科学の代わりに「マジック」を謎解きの道具に据えた。
しかし、これが裏目に出ている。
湯川の用いる科学が、どんなに突飛でも一応の論理的説得力を持っていたのに対し、武史のマジックは「手癖の悪さ」や心理誘導といった、ご都合主義に見えかねないものばかり。
結果として、謎解きのプロセスに知的な興奮が乏しく、どこか安っぽく感じられてしまう。
さらに深刻なのは、ミステリーの根幹を揺るがす二つの問題点だ。
一つは、犯人があまりにも分かりやすすぎること。
物語の中盤で登場する同級生たちの中で、人気漫画家・釘宮克樹を演じるのが成田凌だと分かった瞬間、多くのミステリー好きは犯人を確信したはずだ。
これほど重要な役を、無名の俳優ではなく彼のような実力派が演じている。
その時点で、物語の結末がある程度見えてしまうのは、構成上の大きな欠点と言わざるを得ない。
そして、最大の罪は、犯行の動機があまりにも薄っぺらいことだ。
大人気漫画『幻脳ラビリンス』が、実は亡くなった親友のアイデアだった。
その事実を恩師である英一が同窓会で「美談」として発表しようとしたため、口を封じるために殺害に至った。
…これだけである。
自らの成功が他人の功績だったと知られる恐怖は理解できる。
しかし、それが長年慕ってきた恩師を殺害する理由として、果たして十分な説得力を持つだろうか。
劇中で真世が犯人に向かって叫ぶ「そんなことで父を殺したの?」という台詞は、まさに観客全員の心の声を代弁している。
この動機の弱さが、物語のクライマックスから感動や衝撃を奪い去り、すべてを陳腐なものに変えてしまっているのだ。
結果として、本作は「劇場映画」というよりは「豪華な2時間サスペンスドラマ」という印象に落ち着いてしまう。
ショーは一流。しかし、その演目であるミステリーは三流。
これが私の結論だ。
映画「ブラック・ショーマン」はこんな人にオススメ!
では、この映画は一体どんな人が観るべきなのだろうか。
まず、福山雅治と有村架純のファンは、迷わず劇場へ行くべきだ。
二人の魅力はスクリーン上で炸裂しており、その掛け合いを見ているだけでも十分に楽しめる。
特に福山雅治の新たなダークヒーロー像は、ファンならずとも一見の価値があるだろう。
また、重厚なミステリーではなく、気軽に楽しめるエンターテインメント作品を求めている人にも向いている。
美しい映像とスタイリッシュな演出、テンポの良い展開は、難しいことを考えずに観るには最適だ。
『コンフィデンスマンJP』のような作風が好きなら、きっと満足できるはずだ。
逆に、本作を避けるべきなのは、東野圭吾作品の熱心な読者、特に『容疑者Xの献身』のような、人間の業や深い心理描写を求める人たちだ。
本作には、心を抉るような人間ドラマや、根底から覆されるような驚愕のトリックは存在しない。
そして、本格的なミステリーを愛好する人々にも、本作は物足りなく感じるだろう。
前述の通り、犯人の予測が容易で、動機にも説得力がないため、謎解きの醍醐味を味わうことは難しい。
例えるなら、本作は超一流のマジシャンが披露する、ごく簡単なカード当てのようなものだ。
その手さばきや見せ方は見事だが、トリック自体に驚きはない。
ショーマンのパフォーマンスを楽しみたいか、それともトリックの謎に唸りたいか。
どちらを求めるかで、この映画の価値は決まる。
まとめ
映画『ブラック・ショーマン』は、見事なまでに計算され尽くした興行的な「イリュージョン」だ。
東野圭吾というブランド、福山雅治と有村架純という絶大なスターパワー、そして華麗な映像美。
これら全てを巧みに組み合わせ、観客を魅了する。
「ショー」としては、文句のつけようがない。
しかし、その華やかなカーテンの裏側にある「ミステリー」という物語の核は、驚くほどに空虚だ。
予測可能な展開と、共感を呼ばない動機。
ミステリーとして最も重要な要素が、ことごとく欠落している。
観ている間は間違いなく楽しい。
だが、見終わった後に何も心に残らない。
それはまるで、鮮やかではあるが、すぐに消えてしまう手品の後味のようだ。
最高の素材を使いながら、なぜか物足りなさが残る。
そんな贅沢な一品だった。