映画「ゆとりですがなにか インターナショナル」公式サイト

映画「ゆとりですがなにか インターナショナル」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

まずは、かつてTVドラマとして人気を集めた「ゆとりですがなにか」を知っているかどうかで、この映画の見え方はだいぶ変わると感じた。とはいえ、本作は初見でも十分楽しめるほど内容がパワーアップしており、勢いあふれるキャスト陣の化学反応が見どころだ。30代半ばになり、それぞれの人生に苦戦する主人公たちが今どきの国際感覚と騒動を巻き起こす姿は、なかなか刺激的で笑いどころ満載。社会問題を斬新に取り上げつつ、まるで友人の失敗談を聞いているような親しみやすさがある。だが、笑いの裏に潜む人生の苦みも忘れず、観客にしっかりと考えさせる箇所が巧妙だ。日本酒や働き方改革などを交えたエピソードがテンポよく展開し、終盤には意外なオチも用意されている。

本記事ではそんな本作に対する率直な感想を惜しみなく語っていく。キャラクター同士の掛け合いも軽快で、途中から思わぬ方向に転がっていくストーリー展開にはつい引き込まれてしまう。特に岡田将生や松坂桃李、柳楽優弥らメインキャストのアンサンブルは絶妙で、ドラマ版ファンならではの懐かしさと新鮮さが同居した仕上がりだ。

映画「ゆとりですがなにか インターナショナル」の個人的評価

評価:★★★☆☆

映画「ゆとりですがなにか インターナショナル」の感想・レビュー(ネタバレあり)

本作は、もともと日本テレビ系列で放送されていたドラマ「ゆとりですがなにか」の劇場版として製作された経緯がある。ドラマ版が描いていたのは、世間から「ゆとり世代」として見られてきた主人公たちが、社会の荒波に揉まれつつ自分らしい道を探す姿だ。その延長線上である本作でも、彼らは相変わらず迷走しているように見えるが、実は中身がしっかり成長している部分もあり、そこを見つける楽しさが醍醐味である。

最初に驚かされるのは、冒頭から繰り広げられるやり取りのスピード感である。配信という新時代のメディアを駆使して、登場人物たちのドタバタを余すところなく映し出す演出が印象的だ。特に岡田将生が演じる坂間正和が、夫婦仲や家業で苦しむ姿は笑いどころが多い一方、いざ深刻な局面に立つと本音がポロリと漏れてしまう。そのギャップが妙にリアルで共感を誘うのである。

さらに、松坂桃李が演じる山路一豊は童貞キャラをこじらせ、妄想の世界で自分を正当化するあたりがシリーズおなじみの持ち味だ。今回もまたあり得ないような行動に走るが、それでもなんだか憎めない。普段は優等生ぶっているくせに、いざというときには突拍子もない言動を取ってしまうあたりが、松坂の演技力と相まって絶妙なコメディアンぶりを発揮している。教育現場が多様化し、海外からの子どもたちや性に関する価値観が急速に変わる時代背景も踏まえ、一人の教師として戸惑う姿は、笑いだけでなくどこか考えさせられる面がある。

柳楽優弥の道上まりぶは、中国で事業を起こしたものの失敗して帰国したという設定。相変わらず何をしでかすか分からないマイペースさを維持しているが、今回は動画配信を利用して思わぬ騒動を引き起こす点が新しい。仲間であり友人でもある坂間の家の様子を、勝手に配信コンテンツにしてしまう行動にはさすがに面食らった。だが、こうしたやり過ぎ感こそが本作ならではの盛り上がりポイントであり、キャラクター性がぶれそうでぶれない絶妙なバランスが面白い。

ドラマ版を観ていない人でも楽しめるように配慮されているのは確かだが、やはりドラマ版を通してキャラクターの背景を知っている方が、より深く味わえるだろう。坂間の実家である酒屋の経営難をどう立て直すか、正和と茜の夫婦関係がどこまでいくのか、山路はいつ卒業できるのか(童貞を)、まりぶはどうやってお金を稼ぐのか、といったそれぞれの“定番”ネタに加え、本作ならではの国際色豊かなエピソードがふんだんに盛り込まれている。

例えば、韓国人女性チェ・シネが登場し、言葉の壁や文化の違いによる衝突が起きる。シネを演じる木南晴夏の多言語でのやり取りは迫力があり、同時に彼女の境遇を知ると胸にズシンと響くものがある。セクハラや差別的な扱いを受けた過去を語るシーンは、コミカルな空気を一転させ、思わず考え込んでしまう強烈さがあった。クドカン作品特有の騒がしさの中に、不意に社会問題や差別意識を投げかけるテイストがあることで、ただの笑い話に終わらない深みを生んでいる。

また、働き方改革やテレワークといった現代のキーワードが登場するのも大きな特徴だ。主人公たちはもはや「ゆとり世代」と揶揄される年頃を過ぎ、次の世代とも向き合わなくてはいけない立場にいる。山岸役の仲野太賀が見せるZ世代的な感覚との衝突や協調も描かれ、世代間の価値観のギャップを笑いつつ考えさせられる展開だ。坂間はノンアルコール日本酒で打って出ようとするが、それが果たしてうまくいくのか。味の問題どころか、そもそも日本酒がノンアルでも成立するのかという突っ込みはもちろん、時代に合わせて伝統をどうアップデートするかというテーマにも直面している。

一方で、本作にはやり過ぎ感があるとの意見もあるようだ。確かにネタの盛り込み具合は相当なもので、グローバル化、多様性、LGBTQ、リモート会議、セクハラ、ジェンダー問題に夫婦間トラブル、教育現場の葛藤…と、次から次へと風呂敷が広げられる。山路の妄想シーンもエスカレートしており、さすがにリアリティが薄いと感じる場面もあるかもしれない。ただ、そこはキャラクター喜劇として割り切った方が素直に楽しめるだろう。リアル路線というよりは、あくまでも「これはクドカン流の大騒ぎ劇」と認識しておいた方がいい。

登場人物たちが口々にこぼす不満や本音は、今を生きる私たちのリアルを切り取っている。会社を辞めて家業を継いだはいいがうまくいかない。恋愛経験がなく、自分の殻を破れない。海外に飛び出したが失敗して帰国し、居場所を見失っている。どこかで見聞きしたような悩みが次々と登場し、それを重苦しく描かずに、軽妙なやり取りで乗り越えてしまうあたりが本作の魅力だろう。ただし、時折ツッコミどころも多いので、「そこはそんな簡単に解決するのか?」と疑問に思うこともあるが、それも含めてキャラクターたちの勢いに乗せられてしまう。

安藤サクラが演じる茜の存在感は特筆に値する。夫の正和に対して愛情がないわけではないが、日々の生活に疲れ、苛立ち、思い悩む様子がリアルに伝わる。育児や夫婦生活のすれ違い、働きたい気持ちと家庭の両立など、現代社会で多くの女性がぶつかる壁をバシッと突きつけてくる。だが彼女は後ろ向きではなく、時に大胆な行動を取るからこそ魅力的だ。安藤サクラの熱演が、茜というキャラクターに説得力を与えていると思う。

さらに仲野太賀が演じる山岸は、ドラマ版からの続投キャラながら大いにパワーアップしている印象だ。若さゆえの図々しさで周囲を振り回す姿は相変わらずだが、どこか抜け目なく世渡り上手な面が笑いを誘う。それがかえって「ゆとり」より下の世代はこうなのかと、世間の声を代弁しているようにも感じる。時に坂間や山路、まりぶたちを小馬鹿にする態度を取りつつも、実は自分自身の居場所を探してもがいている姿に共感する部分もあるかもしれない。

クライマックスに向けて、本作はさらに騒がしく盛り上がっていく。正和が記憶を失うほど酔ってしまい、不倫を疑われたり、山路が小学校で骨折して入院したり、まりぶが勝手に坂間家の様子を配信して大炎上しかけたりと、トラブルが雪だるま式に膨れ上がる。しかしクドカン節の妙というべきか、その収束の仕方が意外とあっさりしていながらも笑いと感動を呼ぶのだ。各々が大事なものに気付き、再スタートを切る姿は、前向きなメッセージとして心に残る。

ドラマ版からずっと見てきたファンにとっては、登場人物たちが何年も経てなお同じような失敗を繰り返している点に苦笑するかもしれない。だがそれは、現実の私たちもそうそう劇的には変われないという証左でもある。特に「ゆとり世代」と呼ばれた彼らが、次の時代に適応しようともがく姿には、同世代だけでなく幅広い世代が重ね合わせるものがあるのではないだろうか。人はそんなに簡単に変われないけれど、気付けば少しだけ前に進んでいる。そんなポジティブな空気を漂わせるのが、本作の大きな特徴だと感じた。

映像面でいえば、ノンアルコール日本酒のPRや遠隔でのやり取り、国際会議のシーンなどで、コロナ禍以降の世界をそれとなく描写しているのが興味深い。単なるギャグ要素にとどまらず、社会がこれだけ変わってしまっても、人間の根っこの部分は変わらないのだというメッセージが伝わってくる。日本酒の新商品開発をめぐる攻防は、海外市場を意識してのグローバル戦略も絡み、なかなかリアルだ。

エンドロールでは、さらにおまけ映像的に各キャラの日常が垣間見える。まりぶが撮ったと思しき隠し撮り映像が混じっていたり、キャスト同士のアドリブっぽい絡みがあったりと、本編後も最後まで楽しませてくれる構成だ。こうした遊び心満載の作りが、クドカン映画らしさを存分に発揮しているといえる。

本作は勢いがある分、詰め込み過ぎに感じる部分もあるのは事実だ。しかし、その雑多なところがむしろ魅力であり、「ゆとり」という言葉がすでに古びてしまったこの時代において、あえて彼らの姿をアップデートすることで、今の社会を映し出す鏡となっているようにも思える。ドラマ版を観ていない人でも、グローバル化や働き方の変化といったテーマは身近に感じるはずなので、ある意味ハードルは低い。だが、もしできるならドラマ版もチェックしてから観た方が、より深い楽しみを得られることは間違いない。

実力派の俳優たちが舞台を所狭しと暴れ回り、それでいて要所要所でしんみりさせる。本作を観終わったあとには、「ゆとり世代」とは何だったのか、自分はどの世代に属しているのかといったこともどうでもよくなってしまうほどに、世代論を超えた人間ドラマとして楽しめるだろう。以上が、自分なりに本作をじっくり堪能したうえで抱いた感想である。久々にドラマ版を見直したくなるし、もし続編があるならば、その時はどんな騒動が巻き起こるのか期待してしまう。今を生きる私たちに必要なのは、肩の力を抜いて自分らしく進む姿を肯定してくれる作品かもしれない。まさにそんな一本だと感じた次第だ。

本編で特に印象に残ったのは、各キャラクターがそれぞれの苦悩を抱えながらも、最終的には「まあ、なんとかなるだろう」という妙な楽観性に落ち着いている点である。これはドラマ版から変わらぬ持ち味でもあるが、劇場版においてはその度合いが一段と増している気がする。夫婦関係も仕事も、方向性を見失いがちでも、いつの間にか元通りという展開は、一歩間違えばご都合主義に見える。だが、本作の場合はキャラクターたちの積み重ねがあるからこそ説得力が生まれ、「ああ、こいつらならこうなるかも」と自然に受け止められるのだ。

また、教育の現場で山路が奮闘する描写は、今の日本の学校が抱える問題点をコメディタッチで浮き彫りにしている。転校生とのコミュニケーション、性教育における多様性の扱い、新人教師の育成など、あれもこれも詰め込んだかのようなカオスぶりだが、その混乱ぶりがかえってリアルに感じられる瞬間がある。実際、世の中の問題は一つずつ順番に発生してくれるわけではなく、一気に押し寄せてくるものだ。そこにどう対処するかは、人それぞれの価値観や能力に左右される。山路の空回り具合は極端ながらも、私たちが日常で体験する戸惑いをデフォルメしたようにも見える。

とはいえ、あまりに詰め込み過ぎた結果、一部の観客には「どこをメインに見ればいいのか分からない」という混乱が生じるかもしれない。メインとなる3人のストーリーだけでも十分に盛り上がりそうなところに、他のキャラクターのエピソードが次々と差し込まれ、話があちこちへ飛ぶからだ。だが、そこが本作の個性ともいえる。どの登場人物にも見せ場が用意され、それぞれの葛藤や成長がきちんと描かれるため、総合的に見ればバラバラなようでいて最終的にはひとつの物語として収束している。むしろ、そこまで盛り込むことで、現代社会の複雑さを浮き彫りにしているのだと感じられる。

演出面では、舞台となる東京の街並みや坂間の酒屋の雰囲気が丁寧に描かれている。昔ながらの商店街の風情と、国際化やリモートワークが当たり前になった最新の風潮とが入り混じる風景は、まさに移り変わりの真っ只中にある日本の姿を象徴しているようだ。そこに韓国や中国からの人々が加わることで、「ああ、こんな時代になったんだな」とリアルに実感させてくれる。海外進出や多言語対応がテーマとしてはやや強引に感じられるシーンもあるが、それでも実際に起きている現象だけに、見終わった後で妙な説得力が残る。

物語の終盤、登場人物たちは各自の問題に一応の決着をつける。しかし、その結末は必ずしもハッピーエンド一辺倒ではなく、「ここからまだまだ続きがあるのだろう」と思わせる余韻がある。実際の人生にも終わりのゴールはなく、問題は次々と形を変えて現れる。その連続の中で少しずつ学び、成長する姿を、作品のキャラたちはコメディタッチで体現しているのだと感じる。下手に大団円で締めるよりも、観客の想像力を刺激する終わり方になっているのが好印象だった。

結局のところ、本作に詰め込まれた数々のテーマは、どれも一夜にして解決できるものではない。しかし、コメディに乗せて描くことで、身構えずに笑いながら考えるきっかけを与えてくれる点にこそ意義がある。世代論や国際化、夫婦間の問題、仕事の悩み……どれも現代人が多かれ少なかれ直面する課題だが、本作の主人公たちは真剣に悩みながらもどこか余裕を失わない。そこに「まあ、これでいいんじゃないか」と思わせる力がある。もし深刻に考え込みすぎて疲れているなら、この作品を観て肩の荷を下ろすのも悪くない。

そうした意味で、「ゆとりですがなにか インターナショナル」はドラマ版を愛したファンのみならず、新規の観客にも広く開かれた作品だといえる。登場人物の関係性を知らなくても、現代社会に生きる誰しもが抱く「なんだかなあ」という気持ちを代弁してくれるからだ。もちろん、ドラマ版を観ていれば「こいつら全然変わってないな」とニヤリとできるし、新しい要素が追加されているので懐かしさと新鮮さが同居する不思議な感覚を味わえるだろう。どちらの立場でも楽しめる点は、本作の大きな強みではないか。

以上のように、本作はドタバタ感を楽しみつつ、現代社会の抱える問題をサラリと示唆する作品となっている。細かいところに目をやればツッコミどころも多いし、真面目に考えればするりと納得できない部分もあるが、そもそも堅苦しいお説教をするための映画ではない。キャストたちの振り切った演技が生む熱量と、脚本の遊び心が真骨頂であり、その混沌の中から見えてくるメッセージこそが魅力だ。ゆとり世代もZ世代も、それ以前の世代も、気軽に楽しめる一本としておすすめしたい。結局は笑って、ちょっと自分の人生に向き合い直すきっかけになれば、それで十分なのではないだろうか。

映画「ゆとりですがなにか インターナショナル」はこんな人にオススメ!

本作は、気楽に笑いつつも自分の立ち位置や生き方を見直したい人に向いていると思う。特に、毎日の仕事や家事で手一杯になり、どこか心に引っかかるモヤモヤを抱えている人にはピッタリだ。なぜなら登場人物たちが踏んだり蹴ったりの状態に陥っても、どこか楽しそうに振る舞い、最終的に「まあ、こんなもんでしょ」と落ち着く様子に救われる感覚があるからだ。社会に適応しきれない自分を責めてしまう瞬間がある人や、グローバルな時代の流れに乗れないと焦る人も、彼らの姿を見れば「意外となんとかなるじゃん」と心が軽くなるかもしれない。

また、ドラマ版を観ている人は言うまでもなく、観ていない人でも「自分もどこかの世代に当てはめられて悩んだことがある」という共感ポイントは多いはずだ。結婚や出産、キャリアチェンジ、国際的な交流など、多くの人がぶつかる人生の節目や変化が次々と取り上げられるからこそ、感情移入しやすい。もし肩肘張らずにゆるく観られる映画を探しているなら、本作は笑いとちょっぴりの人生のヒントを同時にくれる作品としておすすめできる。ちょっと肩の力を抜いて、ありのままの自分や周囲の人々を受け止めたいと思っている人こそ、観終わったあとに妙な元気がわいてくるだろう。

特に、世代間の価値観の食い違いに悩まされている人や、自分が「ゆとり」や「さとり」などとレッテルを貼られて嫌な思いをしたことがある人にとっては、作中で描かれる迷走ぶりが思わず他人事とは思えないだろう。海外とのやり取りや新しい働き方に不安を抱えている場合でも、本作のキャラクターたちが見せる行動力や図太さは、ある意味で参考になる部分があるかもしれない。「そんな無茶な」と思いつつも、結果として新たな道を切り開いてしまう展開には、不思議と胸が弾むものがある。とにかく元気がほしい、笑いたい、ついでにちょっとだけ自分のあり方も考えたい――そんなニーズを満たしてくれる一本である。

まとめ

本作は、ドラマ版を踏襲しつつも時代に合わせてスケールアップした、騒がしくも共感度の高い作品である。世代を超えた衝突や国際化、働き方の変化など、盛り込み方は相当なものだが、キャスト陣のパワーと絶妙な掛け合いのおかげで最後まで飽きさせない。いろいろと問題は山積みでも、「なんとかなる」と言わんばかりの空気感が貫かれているため、観終わるころには心が軽くなるから不思議だ。笑いに潜む社会風刺や家族愛、友情もしっかりと描かれ、肩の力を抜いて観られる上に、振り返れば人生のヒントがちらほら落ちている。まさに、今の時代を生きる人にとって、忙しない毎日にちょっとした息抜きと前向きな気持ちを与えてくれる貴重な一本ではないだろうか。

ドラマ版への思い入れがある人も、新規で本作を手に取った人も、登場人物たちの底抜けの行動力や多少の無謀さに元気をもらえるだろう。真面目に生きるだけでは報われない日常に、ちょっとした刺激や笑いをもたらすのがこの作品の醍醐味だ。時にはバカバカしいと感じる場面があったとしても、そこにこそ隠された人間らしさや優しさに気づくと、一気に世界が愛おしく思えてくるのである。