映画「八日目の蝉」公式サイト

映画「八日目の蝉」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

本作は日本アカデミー賞で多くの賞を受賞したことでも話題となったが、正直なところ「そんなに良いのか?」と半信半疑で鑑賞したのが始まりである。結果として、予想以上に心がざわついてしまい、観終わった後はしばらくぼんやりしてしまった。だが、その“ぼんやり”にはある種の感動と“誘拐”という犯罪への複雑な感情が入り混じっていたのも確かだ。どうにもこうにも言葉にならない、このやるせない気持ちをどう整理したらいいのか…。そんな人間の心の奥底を引きずり出し、容赦なく振り回す作品だということだけは断言できる。

本記事では、映画「八日目の蝉」の魅力を激辛テイストでザクザク斬り込んでいくので、細かなネタバレを含む点はご承知おきいただきたい。筆者自身がハラハラした場面や、思わず「おいおい、それは無茶だろ…」とツッコミたくなるキャラクターの言動など、疑問や苦み、そしてほろりと泣かされた場面を盛大にしゃべり倒す所存である。では早速、深淵なる“誘拐劇”に切り込んでみようではないか。

映画「八日目の蝉」の個人的評価

評価: ★★★★☆

映画「八日目の蝉」の感想・レビュー(ネタバレあり)

まず、映画「八日目の蝉」感想を一言で表すならば、「犯罪なのに母性が止まらない」という、不思議な二面性に尽きる。誘拐犯であるはずの永作博美演じる希和子が、誘拐された娘(=井上真央演じる恵理菜、幼少期は“薫”として育てられた)に対して、どうにもこうにも抑えられない母性を注ぎ続けるのだ。これを観客としては「それはアカンやろ…」と非難しつつも、なぜか応援めいた気持ちさえ起こってくるから厄介である。

物語の導入は、希和子が不倫相手・丈博(田中哲司)との子を中絶し、不妊になってしまうところから始まる。気が滅入るが、この不幸が彼女の暴走を加速させてしまう最大の動機だ。しかも中絶だけではなく、愛する男が結局は妻を捨てないとなれば精神的に追い詰められるのも想像に難くない。そこで生まれたばかりの“恵理菜”を(半ば衝動的に)誘拐してしまうわけだが、その瞬間に希和子が感じていたのは、罪悪感よりも「やっと自分の子を抱けた」という母親としての喜び。これはあらゆる面でアウトなんだけれども、なぜか彼女の視点をずっと観ていると、「こんなに一生懸命に子どもを育てているんだから、捕まるな!」とハラハラしてしまう自分がいるから恐ろしい。映画「八日目の蝉 レビュー」としては、ここが最大の見どころと言っていい。

そしてこの作品で大きなカギを握るのが、“エンジェルホーム”という新興宗教団体である。希和子が誘拐犯として全国指名手配されながらも、幼い恵理菜(=薫)とともにひっそりと身を寄せるのがこの宗教施設。なんだかオウム事件以降の日本人のトラウマをくすぐるような雰囲気が漂っているが、そこには“小さな子どもを神の子として育てる”という宗教観があったらしい。誘拐犯なのに収容して大丈夫かよ、と突っ込みたくなるが、エンジェルホーム自体も世間から見れば相当怪しい場所なので、警察に見つかりにくかったのだろう。結果として、希和子と薫はそこで数年暮らすことになり、宗教団体としての怪しさはあれど、子どもと母のささやかな生活は成り立っていく。

しかし時代は「地下鉄サリン事件」直後。新興宗教団体への世間の目は一気に厳しさを増し、「こりゃエンジェルホームもヤバいんじゃないか」という気配が漂ってくる。希和子は警察の捜査が及ぶ前に、宗教施設を脱出することにするのだが、そのときに手を差し伸べてくれたのが、同じ施設にいた女性(小池栄子演じる安藤千草の母親)だ。その実家がある小豆島へ向かえば、観光地ながらも離島ゆえに人目を避けられるだろうという算段。この小豆島編がまた、映画のなかで最も美しいシーンを彩る場所になっているから侮れない。瀬戸内の穏やかな海や島の情景、そして希和子と薫のごく普通の親子のような平和な日常が、まるで夏休みの思い出アルバムかというほどにキラキラと描かれるのだ。

ここで厄介なのが、観ている自分がさらに「このまま捕まらずに一生暮らしてくれ!」と願ってしまうことである。犯罪である以上、そんなハッピーエンドが許されないのは重々承知だが、あまりに微笑ましく見えてしまうのだ。この小豆島での幸福な親子生活がどれだけ眩しいかは、ラストで二人がついに引き離されるシーンの衝撃を倍増させる。その別れの場面で、希和子は思わず「まだご飯を食べていないんです…」と警察に向けて叫ぶ。普通の親子なら当たり前の心配事を最後の最後に口走る希和子の“母親ぶり”に、観客は「ああ、やっぱり彼女は誘拐犯でありながら母なんだ」と痛感させられ、なんとも言えない切なさで胸を締め付けられるのだ。

ところで、映画「八日目の蝉 」感想は、“奪われた娘”の恵理菜サイドにも焦点があてられる。成長した恵理菜(井上真央)は、大学生でありながら両親との関係がぎくしゃくし、自分の出生と誘拐の過去をまざまざと思い知らされる存在。自分が本当に愛されたことはあるのか、両親との“本当の”家族愛はどこにあるのか――。とにかく自分の居場所を見出せず、不倫相手(劇団ひとりが演じる男)と付き合っているあたりが、どこか破滅的だ。劇中で不倫相手の子を妊娠し、彼から「おろしてほしい」と言われたとき、彼女は「ああ、自分の父親と同じか…」とぽろっと呟く。これが地味に効いてくる。恵理菜は何も分からないようでいて、ちゃんと過去と現在の自分を重ね合わせているのだ。

さらにもう一人、大人の恵理菜(薫)にとって重要な人物が安藤千草(小池栄子)である。実は幼少期のエンジェルホームで共に過ごした“友達”であり、現在は記者として過去の誘拐事件を取材すべく恵理菜に近づいていた。この千草もまた家庭の事情やエンジェルホームでの体験によって、男性恐怖症ともいうべき繊細な面を抱えており、二人は“訳アリ女子コンビ”として惹かれ合う。千草が傍にいてくれたことで、恵理菜は自分の過去に向き合う勇気を持てたわけで、彼女の存在がなければ、恵理菜は自分のルーツを受け入れることなく破滅の道を進んでいたかもしれない。

さて、物語終盤で恵理菜は実家に戻り、両親(=本来の父母)と激しくぶつかる。ここが名シーンでもあり、「あんたらがいなければ私の人生は平和だったのに」的な呪いの言葉を投げかける姿は、客観的に見ればかなり切ない。しかし同時に、母親は母親で「どうしたら本当の娘に好かれるの?」という本音が爆発する。その苛立ちと絶望に、観る側も言葉を失うだろう。何しろ自分の娘は誘拐犯を“母”と慕い、自分を受け入れないまま育ってしまったのだ。そんな苦しみを抱えながらも、両親は何とか娘に目を向けてもらおうとして空回りを続け、結果として再び彼女を傷つけてしまう悪循環。誰が悪いとも言い切れないが、結局は不倫した父が元凶じゃないか…と突っ込みたくなるのが正直なところだ。

映画「八日目の蝉のレビューをすると、やはり最も強く心に残るのは希和子が逮捕されるまでの逃避行と、最後の別れのシーンである。小豆島の祭りで撮られた写真が新聞に載ってしまい、ついに二人に破局の時が訪れるあの流れは、観ているこちらも「来るべきものが来たか…」と覚悟してしまうが、それでも「何とか逃げ切れないか」と願ってしまうのだから不思議だ。映画という世界の中で、われわれ観客は違法行為に共感してしまう。これがフィクションの魔力というものなのだろう。

逮捕の場面で希和子は覚悟を決めている。薫が先に船着き場へと走って行く後ろ姿を見つめ、「お母さん、もう走れないよ…」と涙ながらに呟くシーンは必見だ。盗まれた子と誘拐犯ではあるけれど、まさに“親子”の情景なのだ。だからこそ、一度は引き裂かれたこの親子の絆が、恵理菜(=薫)が大人になって思い出すとき、どう受け止められるのかが本作のもう一つのテーマ。大人になった恵理菜が小豆島を訪れることで、自分と希和子の足跡を追い、その愛情を再認識する。母と娘の関係とは一体何なのか、血がつながることだけが母子の絆ではないのではないか――そんな問いを突きつけられ、観る側も頭の中をぐるぐる回り出すこと必至だ。

一方で、本作は重たいテーマとはいえ意外に観やすい。なぜなら瀬戸内海の美しい風景や、幼い薫と希和子の温かい日常描写が、息苦しさを和らげてくれるからだ。筆者は勝手に「夏休みの親子もの映画かな?」と油断していたが、終盤はきっちり胸を締め付けられた。ただの親子モノに収まらず、誘拐という大きな罪を背負いながらも“純粋に子を愛したかった女”の切実な姿が真っ向から描かれているのだ。

ところでタイトルの「八日目の蝉」とはよく言ったもので、“7日しか生きられない”と言われる蝉が8日目を迎える場合、周りの仲間はもう死んでいて孤独だろうか、それとも他の蝉が見られなかった景色を見られる幸運の持ち主なのだろうか――という比喩が込められている。これは希和子や恵理菜の境遇そのものでもある。“普通”や“常識”から外れた人生を歩む苦しみと、そこに見出す一筋の光。大抵の人は辛いだけだと思いがちだが、彼らには“誰も知らない景色”を見たという幸せが一瞬あった。そこに気づいたとき、犯罪と分かっていても同情せずにはいられないのである。

総じて、映画「八日目の蝉」感想としては、「誰が悪いとかじゃなく、全員が不幸になりすぎだろ!」と嘆きたい気持ちもあるが、同時に母性の美しさや、家族とは何かを深く考えさせられる稀有な作品だ。永作博美はもちろん、井上真央の壊れそうな青年期の演技、小池栄子が演じる独特なキャラまで、一人一人の役どころが見事にハマっているのも魅力。派手なアクションや壮大なCGはないが、静かな筆致でズシンと心をえぐってくる問題作である。

犯罪を肯定する気は微塵もないが、“本当の母性”とはこうも苦しく、切なく、時に美しいのかと驚かされる。誘拐犯に説得力を持たせるなんて、一歩間違えば大失敗な脚本になりそうなのに、本作はむしろ観客の心を強烈に掴んで離さない。最後まで鑑賞すると、自然と涙が出つつも「もし自分が同じ境遇なら、どうしただろう…」と想像せざるを得ない。一度観始めたらラストまで一気に持っていかれるパワーがあり、見終わった後はしばらく余韻を引きずること必至だ。

結論としては、ヒューマンドラマの最高峰と呼ぶにふさわしいクオリティ。感動だけでなく、苦さややるせなさもどっさり味わえるので、ぜひ心を空っぽにして(あるいは覚悟を決めて)挑んでいただきたい。

映画「八日目の蝉」はこんな人にオススメ!

映画「八日目の蝉」のレビューとして、いったいどんな人にこの作品を勧めるのか。あえて激辛で言うならば、「今、絶賛人生に迷走中のあなた!」に観てほしい。なぜなら、本作は複雑な家庭環境や不倫、誘拐というドス黒いテーマを持ちながらも、人間が生きるうえで何を大切にしているかを浮き彫りにしてくれる。愛することの尊さと危うさ、そして“それでも生き抜いていくしかない”というメッセージが根底にあるからだ。

特に、「家族とは何か?」「血のつながりとは本当に重要なのか?」と悩んでいる人にはドンピシャで刺さるはず。誘拐なんて絶対に許されないが、そこまでしてでも得たかった“我が子”への愛は、一般的な家族関係を築いているはずの人々にどこか影を落とす。逆説的に言えば、「普通って何だ?」と問い直すきっかけを与えてくれるわけだ。

また、映画「八日目の蝉」は女性の人生観に強烈に訴えかけるが、男性にもぜひ観てもらいたい。なぜなら、男の都合(不倫、裏切り)が引き金で、こんなに多くの人が傷つくのだということをありありと突きつけられるからである。自分は“まあ大丈夫だろう”と思っているそこのあなたこそ、本作を観て肝に銘じるべきだ。誘惑に弱い男性、あるいは過去にちょっと“やらかした”経験がある人は、ヘタなホラー映画よりも身につまされるかもしれない。

さらに、ヒューマンドラマ好きはもちろん、社会派サスペンスにも興味がある人、親子ものに弱い人には総じてオススメだ。重厚なストーリーのなかにも、ほんの一瞬光るユーモアや温かなシーンがあるからこそ、最後まで息切れせずに観られるはず。人生の苦みを経験しつつも、そこにかすかな希望を求める人がいたなら、ぜひ本作でそのヒントを見つけてほしい。

まとめ

映画「八日目の蝉」は、不倫・誘拐・新興宗教と、いかにもヘビーそうな題材を網羅しながら、実は“母と子の愛”を極限まで描き抜いたヒューマンドラマである。一歩間違えば“胸くそ”と片づけられそうなストーリーなのに、気づけば観客は誘拐犯の母性に深く感情移入し、その逮捕の瞬間に切なさの涙を流してしまう。しかもそこだけで終わらず、成長した娘の視点が物語をさらに奥深くへと導く。

映画「八日目の蝉」感想をざっくり言えば、「罪と愛、どちらが先に生まれたのか?」という命題に迫るような作品だ。人はこんなにも矛盾した行動をとり、それでもなお誰かを愛さずにはいられないのかと痛感させられる。観た後には何とも言えない余韻が残るが、これこそが良作映画の証拠だろう。複雑な人間模様が好きな人、母性と犯罪の境界線に興味がある人は、ぜひ手に取って観てほしい。最後にはきっと、自分自身の“愛の形”を振り返ることになるはずだ。