映画「耳をすませば」公式サイト

映画「耳をすませば」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

青春の淡い香りと、ジブリらしい温かみのある映像美が融合した本作は、一見ほのぼの系のロマンスストーリーに見えて、実は自分の才能や将来に向き合う“激辛”要素もたっぷり詰まっている作品である。主人公の月島雫が書物に囲まれた生活を送りつつ、ある日図書カードで見つけた謎の同級生・天沢聖司との出会いから物語は急展開。ネコの男爵“バロン”に導かれるようにして、彼女が小説を書く決意を固めていく過程は、見ているこちらも気づけば一緒にドキドキしてしまう。そんなうぶな恋愛模様だけでなく、雫が抱える「自分には何ができるのか?」という自問自答には、どこか身につまされるものがある。本作を観ると、誰しもが「昔はこんな悩みを抱えていたなあ…」とノスタルジックな気分になること必至である。

とはいえ、そこはスタジオジブリ。舞台となる多摩丘陵の風景はまばゆいほどに美しく、古時計やアンティークショップといった小物たちが、その世界観に深みと幻想的な彩りを与えている。さらに挿入歌として印象的に登場する「カントリー・ロード」が、どことなく郷愁を誘うのもずるい演出だ。本記事では、そんな映画「耳をすませば」の激辛(?)な感想・レビューを存分に語りつくそうと思う。懐かしさで胸がキュンとなるもよし、当時は気づかなかった深いテーマに今あらためて唸るもよし。さっそく、学生時代のほろ苦い思い出をもう一度呼び起こしていきたい。

映画「耳をすませば」の個人的評価

評価: ★★★★★

映画「耳をすませば」の感想・レビュー(ネタバレあり)

ここから先は、映画「耳をすませば」の感想・レビューをネタバレ満載でぶちまけていくので、まだ本作を見ていない方はご注意いただきたい。とはいえ、ネタバレと言っても物語の要所要所は既に有名であるし、ジブリ作品はストーリーを知っていても味わい尽くせる要素が多いので、むしろ「知ったうえで観るほうが楽しいのでは?」と思う部分もある。というわけで、遠慮なく筆を進めていこう。

まず、本作の冒頭からして雫の読書ライフがいかに充実しているかが描かれている。図書館カードに同じ名前が続いていることに気づいたり、カントリー・ロードの歌詞を自作で翻訳したりと、アクティブなのかインドアなのか不思議な魅力があるキャラクターだ。彼女は勉強はそっちのけでも読書への情熱は尋常じゃないし、夢中になってしまうと周囲が見えなくなるタイプなのが微笑ましい。

そして、そんな雫の前に突如現れる運命の(?)相手・天沢聖司。この少年がまた妙にクールで、しかもバイオリン作りを目指してイタリア留学を考えているなど、なかなかハイレベルな夢を持っている。中学生なのに将来の道筋が具体的に定まっている彼を見ると、「俺が中学生のときは部活終わったら即家でゲームしてたな…」と自分を振り返って軽く落ち込んでしまう。

しかし、雫だって負けてはいない。聖司の後押しもあって、“小説家を目指す”という新たな道を探し始めるのだ。しかも、一度決めたら突っ走るタイプの彼女は、まとまった時間をバンバン費やし、食事もそこそこに物語を書き上げようと奮闘する。まるで修行僧のような集中力で原稿用紙に向かう姿には、若さゆえの勢いと情熱がほとばしっており、観ていて「こんな青春もあったよね」と胸が熱くなる。

ここで注目したいのが、本作に何度も登場する“バロン”と呼ばれる猫の人形である。アンティークショップを営む地球屋のおじいさんこと西司朗が所有する秘蔵品だが、その佇まいがやたらとキザである。まるで「僕はただの置物ではないのだよ」と言わんばかりの風貌で、金の単眼鏡まで持っているのだから恐れ入る。ジブリ作品は猫と相性がいいのか、「魔女の宅急便」のジジや「猫の恩返し」のバロンも含めて、猫キャラには独特の存在感があるのが面白いところだ。

さて、肝心の物語の核心部分は、雫の小説完成と、聖司の留学挑戦である。雫が必死で書いた小説を地球屋のじいさんや聖司に読んでもらうシーンは、手に汗を握るほどドキドキする。なんせ、まさに“自分の作品”を評価される瞬間なので、言ってみれば彼女にとっては人生初の大勝負。相手にどんな感想を持たれるかで、その後の自信の有無が大きく変わるわけだ。このシーンは、視聴者にも「自分は周囲に評価される何かを持っているのか?」と問いかけてくるようで、胸にグサリと刺さる。

ただ、本作が優れているのは、雫が小説を書いた目的が「聖司に追いつきたい」という動機だけでなく、自分の中に眠る可能性を確かめたいという強い欲求にある点である。中学時代の一瞬を切り取った青春モノながら、そこに大人顔負けの“自己探求”が描かれている。ここはジブリ作品の奥深さの一つであり、ただの学園ラブストーリーにとどまらない大きな魅力だと感じる。

雫が原稿を仕上げたあと、じいさんが彼女にかける言葉には、人生経験豊富な大人の優しさがにじみ出ている。「まだまだ荒削りだが、原石にはしっかり輝きがある」みたいなニュアンスを伝えるのだが、この瞬間、雫は自分の才能が未完成であることを痛感しつつも、「確かに磨けば光るんだ」と新たなやる気を得る。青春期の主人公が大人からこういう評価を受ける展開は王道でありながら、観ているこちらまで励まされる気持ちになるから不思議だ。

そして、物語終盤では聖司がサプライズで帰国し、朝焼けを見ながら雫にプロポーズめいた告白をする。ここで「中学生がそこまでしちゃう!?」とツッコミたくなるが、当人たちが真剣ならば周囲が口を挟む余地はない。むしろこのシーンは、ジブリ作品の中でも特にピュアで美しい瞬間として語り継がれているように思う。筆者自身も初めて観たときは、「これが若さか…」とニヤニヤが止まらなかったのを覚えている。

全体を通して、本作の醍醐味は「耳をすませば 聖司と雫の恋愛が微笑ましい」「耳をすませば 感想を語りたくなる作品ナンバーワン」と言えるほどに、登場人物たちの青春ストーリーに没頭できる点だろう。恋愛だけでなく、それぞれが将来や夢に向き合う姿からも目が離せない。ジブリが持つファンタジックな要素は、バロンの存在や街並みの情景美において存分に生かされている。

さらに忘れてはならないのが、テーマソングの「カントリー・ロード」である。作中では雫が独自に訳詞をつけた「コンクリート・ロード」なる歌詞が登場し、これがまた思春期らしい斬新さでなかなか笑わせてくれる。曲の持つノスタルジックな響きが、物語の舞台である東京の郊外や多摩丘陵の風景と意外にもマッチしており、一種独特な郷愁感をかき立てる。

また、作中で雫が感じる周囲とのギャップや劣等感は、現代の我々にも十分通じるものがある。SNSが普及して「みんなが眩しく見える」時代だからこそ、雫の「あの人には才能があるのに、自分には何もない…」という悩みはよりリアルに響くのではないだろうか。そんなときこそ、本作を観て「みんなそれぞれ未完成だけど、磨けば必ず光る原石なんだ」というメッセージを思い出したい。

なお、本作はスタジオジブリの中では宮崎駿監督ではなく、近藤喜文監督がメガホンを取っている点でも注目すべきだ。宮崎駿監督が製作や脚本などで深く関わっているものの、細部の演出には近藤監督の独自性が光っている。キャラクターの挙動や風景の描き方に、どこか写実的で繊細なニュアンスが感じられるからだ。こういった部分を意識して再見すると、改めて新鮮な気持ちで楽しめるだろう。

総じて、映画「耳をすませば レビュー」を語るときには、「青春×夢×自己発見」という3大要素がうまい具合に調理された良質な作品だと言いたい。甘酸っぱい恋と夢への一途な想い、そして大人になる一歩手前の葛藤が詰まっている。そりゃあ観たあとに心がポカポカするはずだ。今回の激辛(?)レビューという触れ込みだったが、実際には辛口要素よりも甘口エッセンスが勝ってしまったかもしれない。しかし、それだけ本作には観客をホッとさせてくれる魔力があるのだろう。

もしあなたが青春のモヤモヤを思い出したり、夢に向かって走っていたあの頃の自分に再会したいのなら、ぜひ一度「耳をすませば」を観てほしい。きっと最後には、雫の物語のように「よし、自分も何かに挑戦してみよう」と思えるはずである。もちろん、その後バロンに助言をもらったり、天沢聖司のようなイケメンが突然降ってくる保証はないが、せめて心だけでも青春時代にリバーストリップしてみるのも悪くないのではないだろうか。

映画「耳をすませば」はこんな人にオススメ!

映画「耳をすませば」は、甘酸っぱい恋愛ストーリーに浸りたい人はもちろん、なんとなく日常にマンネリを感じている人や、「自分には一体何ができるのか?」と悩んでいる人にもオススメである。まず、雫が「これじゃダメだ」と奮起して小説を書く姿は、自分も何かに打ち込まなきゃという気分にさせてくれる。自分探し真っ最中の人にとっては、なかなか刺激的なドラマを味わえるはずだ。

また、恋愛ものといっても、ベタベタなイチャイチャシーンがずっと続くわけではなく、主人公が内向的に苦悩する描写もしっかり描かれるので、そちらの方向が苦手な人でも安心して観られる。むしろ、「本音をぶつけ合うことの難しさ」「自分を高め合える相手がいるありがたさ」といった普遍的なテーマがリアルで、恋愛経験の有無に関わらず共感できるポイントが多い。

さらに、ジブリ特有の細やかな背景描写や心地よいBGMも見逃せない。秋から冬にかけての街の空気感や、多摩丘陵の景色が醸し出す郊外の雰囲気は、見ているだけでなんとも言えない郷愁に浸れる。疲れたときや気分転換がしたいときにこそ、本作の優しい映像世界に身を任せてみるのが一興だ。

要するに、本作は「昔は夢があったのに、今は何をやっているんだろう?」と思う社会人にも「ちょっと憧れる職業を見つけては挫折しちゃう」学生にもオススメだと言える。もちろん、ただの恋愛アニメを期待していると、意外と人生観に突き刺さるメッセージが多めなのでご注意を。気軽に観ようと思ったら、気がつけばじんわり涙ぐんでいるかもしれないが、それがまたこの作品の魔力なのである。

まとめ

本記事では、映画「耳をすませば」の感想・レビューを激辛(?)と銘打ちながらも、やはり作品の魅力が強すぎてほとんど“甘口褒めちぎり”状態になってしまった。とはいえ、それも本作が多くのファンに愛されてきた証拠だろう。青春を描きつつも、自己発見や才能の磨き方といった普遍的テーマがしっかり込められているため、何度観ても新たな発見がある。

実際のところ、聖司と雫が中学生ながら結婚を意識するシーンなどは、「ちょっと突っ走りすぎじゃない?」とツッコミたくなる部分もある。しかし、そこにこそ若さの輝きや行動力が詰まっていて、鑑賞後には「自分もあの頃に戻りたい…」とぼんやり思ってしまう。特に「もう一度だけ全力で夢を追いかけてみたい」という想いが頭をもたげてくるのだから、本作の威力は侮れない。

結局のところ、本作は“耳をすませば 感想”や“耳をすませば レビュー”といったキーワードで多くの人が検索するだけの価値がある名作だと言える。爽やかな絵柄と音楽にほっこりしながらも、いつの間にか自分の人生の在り方を省みてしまう。このギャップが本作の一番の魅力ではないだろうか。