映画「月」公式サイト

映画「月」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

本作は、実際に起きた悲しい事件をモチーフにしており、その題材だけでも相当な衝撃がある。それゆえ「どんな気持ちになるか分からない」「観終わった後に引きずりそうだ」と不安を抱く人もいるだろう。しかしながら、ふたを開けてみれば役者の存在感や監督の演出がすさまじいほど尖っていて、気を抜けば心を持っていかれそうになる作品である。これがただの暗い映画かと思いきや、そこには鋭い視点や何とも言えないやり取りが巧みに散りばめられており、思わず笑みがこぼれる場面も用意されているのが恐ろしいところだ。もちろん、テーマがテーマだけに観客を突き放す冷徹さもあるのだが、「生きるとは何なのか」「この社会の本質はどこにあるのか」などを強烈に突きつけてくるのだから、自然と目が離せなくなる。

映画を楽しむ余裕と同時に、なんとも言えないザワザワ感が終始つきまとう。しかしそのザワザワこそ、本作を深く心に刻み込む原動力になるのではないかと感じた次第である。かくいう自分も鑑賞後はしばらくぼう然としながら、つい笑い話で誤魔化したくなるほどにいろいろ考えさせられた。これを「辛口」どころか「激辛」と呼ばずして何と呼ぶか。そう言いたくなる魅力が詰まった作品だと思う。

映画「月」の個人的評価

評価: ★★★☆☆

映画「月」の感想・レビュー(ネタバレあり)

本作は、辺見庸による同名小説を「舟を編む」で知られる石井裕也監督が映画化したものだが、その背景を知るといきなりハードルが上がる。元になったのは、2016年に起こった障がい者施設での殺傷事件という重い現実であり、正直いって「観るのがしんどいのでは」と身構える人も多いはずである。だが、そうした不安を吹き飛ばすかのごとく、本編は強い衝撃とともに意外なほど脚本と役者陣のエネルギーに満ちている。とにかく、宮沢りえが演じる元作家・堂島洋子の存在感が強烈で、一見静かにたたずむ彼女の内面が、じわじわと画面越しに押し寄せてくるように感じられるのだ。

洋子はかつて華々しい受賞歴を持つものの、現在はスランプと言って差し支えない状況にある。夫(オダギリジョー)との仲は表面的にこそ保たれているように見えるが、実際はふたりで共有する深い痛みをずっと抱えている。いわゆる「夫婦の会話が上滑りしてしまう」状態だ。とはいえ、一歩引いて見ると、たとえば夫婦の小さなやり取りには、妙にコミカルな空気が流れる瞬間が散見される。観客としては、それがどうにも捨てきれない温かさを匂わせる要素になっているのだが、その裏には大きな悲しみが伏在していると分かるからこそ複雑な気持ちになる。

そこに登場するのが、重度障がい者施設で働く仲間たちである。二階堂ふみ演じる作家志望の陽子、そして磯村勇斗が演じる青年・さとくん。それぞれが抱える葛藤は重層的でありながら、日常的で親しみやすい場面もある。しかし、ふたを開ければこの施設はかなり過酷な環境で、明らかに入所者をいたぶるような職員がいたり、ひどい扱いを見て見ぬふりする職場の空気が蔓延していたりする。今でこそ障がい者差別の是非が公に論じられる機会が増えているが、本作ではそれを「まざまざと突きつけられる」形で描いている。このリアルさが苦しい。

それでも前半の洋子は、そこまで強い反発や怒りを表には出さず、むしろ迷いながらも折り合いをつけようとしているように見える。しかし、さとくんのほうは最初こそ前向きで優しそうに映るものの、次第に「正義感」がいびつな方向へ加速していくのがぞっとするところだ。彼は重度障がい者たちへの施設職員の暴言や暴力に憤る一方、「生きる価値とは何か」「生産性とは何か」という問いに、ある種の優生思想を交えながら真っ正面から突き進んでしまう。この流れが本編後半で一気に頂点へ達するときの衝撃は、たとえ結末を知っていても凍りつくほどである。

クライマックスにかけての洋子とさとくんの対峙は、まさに本作の核心と言える場面だ。さとくんが叫ぶように吐き出す「不要な存在をこの世から排除すれば、みんなが幸せになれる」という考えは、現代では明らかに否定されるべきものである。しかし、不幸にも歴史上はそうした思想が実行されてきた事実があり、それを否定できない社会の闇がある。ここで宮沢りえ演じる洋子は「私は認めない」と強く言うのだが、同時に自分自身が抱える中絶の葛藤や、亡くなった子どもの存在が重くのしかかり、言い返せない苦しさに苛まれる。この矛盾は観る側も突きつけられ、「俺たちはどこまで本気で命を平等と考えているのか」と居たたまれない気持ちになるのだ。

さらに本作では、異なる立場のキャラクターたちがそれぞれリアルな苦悩を浮き彫りにしてくれる。陽子は才能を評価されないコンプレックスを抱え、施設という閉じた空間でうまく立ち回れない。洋子の夫は、自分こそ評価されたいと願っているくせに成果が伴わず、妻との悲しみを共有しきれないまま過ごしている。入所者たちは一見するとこちらの言葉を受けとめていないように見えるが、「それは本当に意思疎通がないのか?」という問いかけが何度も突き返される。人の命を“有用か無用か”の線引きで裁いていいのかという、生々しいテーマがずっと漂うのだ。

そうした重苦しいテーマにもかかわらず、役者たちの生々しいやり取りの中には人間的な機微や妙に軽妙な瞬間が仕込まれていて、それがより現実味を強めているように思う。「真面目なシーンなのに、なぜか笑いたくなる」かといって単なるおふざけとは程遠いという、ある意味で怖いバランスだ。監督は意図的にそうしたシーンを散りばめているようで、観客を一瞬油断させたところでまたドスンと深刻な場面へ落とし込む。心を振り回されるとはこのことだと痛感させられる構成であり、気づけば深みにはまっている。

映像面でも随所に工夫が凝らされている。森の奥深くの施設という閉ざされた空間は、自然の美しさと、そこに取り残されたような隔絶感を同時に感じさせる。光の差し方ひとつで冷酷にも温かくも見えるし、一室に隔離されるかのように眠り続ける入所者の姿は、もしかしたら“正常”とされる私たちが持つ内面の暗部を映し出しているのかもしれない。このあたりの視覚的演出は、目の肥えた映画ファンでも思わず唸るところではないかと感じた。

そして、もうひとつ特筆すべきはキャスト陣の演技力だ。宮沢りえの静かでありながら凄絶な迫力、二階堂ふみの少し危うい雰囲気、オダギリジョーの妙に抜けたようでどこか狂気じみた瞳、磯村勇斗の純粋さゆえに狂っていく過程。このバランスが絶妙で、それぞれが誰一人欠けても成立しないという印象を受ける。キャラクター同士のぶつかり合いが、ダイレクトに観客の心を揺さぶってくるのだ。特に磯村勇斗が演じる青年が終盤で見せる姿は、もはやホラー映画のような恐怖を感じさせるほどで、よくここまで振り切った演技ができるなと舌を巻いた。

終幕にかけて、作品は「何のために生きるのか」という問いを突きつけてくる。さとくんのような極論はもちろん認められないが、彼の主張が完全に根拠のないものだと切り捨てられない事実もある。言葉を交わすことができない人々、苦しみを抱える人々を前に、社会はどう向き合うのか。悲しみを背負った洋子にとって、その問いは自分の人生そのものを賭けた格闘でもある。果たして彼女は何を選び、どこに答えを見いだすのか。本作はそれを丁寧に描きながらも決してエンターテインメント性を失っていないのが強みだ。血も涙もないような現実の描写の合間に、なんとも言えない温かみが滲む場面があるからこそ、観客は最後まで目をそらさずにいられるのではないかと思う。

ただし、この映画を安易に薦めるのは憚られる部分もある。やはり観る人によっては、あまりにテーマが過激すぎて途中で胸が苦しくなるかもしれない。自分自身の人生や、身近な人との関係性を思い浮かべてしまえば、なおさらきついと感じるだろう。そういう痛さや重みが遠慮なく襲ってくる映画であり、「どんな犠牲を払っても心をえぐる名作を観たい」と覚悟している人向きとも言える。それでも最後には救いの光が見えるのか、はたまた深い闇のまま終わるのかはぜひ劇場で確かめてほしい。結局のところ、この問いは誰かが代わりに答えてくれるものではなく、自分の問題として抱え込むしかないのだ。そこに本作の独特な凄みがあると感じた。

映画「月」は非常に挑戦的であり、かつ何度も思考を揺さぶられる作品である。悲しみを抱えた人たちがどうしようもなく迷い苦しむ様を見届けながら、「それでも人間は生きるのだ」と言わんばかりのメッセージが突き刺さってくる。正直、気軽に楽しめる娯楽作とは程遠い。だが、こんなにも観客に深く突き刺さり、忘れられないインパクトを与えてくれる邦画はめったにないと思う。ある意味、「観るのに覚悟がいる」という個性が本作の大きな魅力だと断言したい。激情と苦悩が入り混じった2時間超を自分の感覚で受け止めることで、人間の根源的な部分が浮き彫りになるからだ。たとえ鑑賞後、重い気持ちを引きずるとしても、きっとあなたの中で大きな種が植え付けられるはずである。

映画「月」はこんな人にオススメ!

まず、社会問題や人権問題に強い関心を持ち、「普段あまり直視できない現実でも、あえて踏み込んで考えたい」というタイプの人には大いに刺さるだろう。たとえば、人間の価値をどこで測るのかという切実なテーマは、本作を通してじっくりと掘り下げることができる。根源的な問いを突きつけられると「考えるのがしんどい」と尻込みする人もいるが、むしろそうした息苦しさに真正面から向き合いたい人には打ってつけの作品だ。

また、演技や映像表現にうるさい映画ファンにもオススメしたい。宮沢りえやオダギリジョー、二階堂ふみ、磯村勇斗という実力派が集結しており、誰一人として軽い演技をしていない。特に磯村勇斗の役どころは危うさと純粋さが奇妙に交錯していて、彼の俳優としての新境地が見えると言っても過言ではない。映像的にも、自然の静謐さと施設の閉塞感が対比され、光と闇が同居するような不思議な空気感に満ちている。いわゆる「美しい映画」や「分かりやすく心温まる映画」ばかりでは物足りない、もっと刺激的で骨太なものを求めるなら本作は間違いなく候補に挙がるだろう。

そして、ちょっと厳しいことを言うと「自分は絶対に優生思想なんて持っていないし、差別とか理解できない」と思っている人にも見てほしい。こうした考えが本当に自分の外側だけの話なのか、観ているうちに無自覚の思い込みがほじくり返される可能性がある。そこで多少の痛みを伴っても、鑑賞後に何かしらの視野が広がるなら、それは十分に価値があることだと思う。本作は辛辣な問いを投げかけてはくるが、じつは観客が自分の信念を見つめ直す機会を与えてくれる懐の深い一本だと言える。

まとめ

本作は、観終わったあとも強烈な余韻が身体にしみつく作品である。根底に横たわるのは社会の理不尽さや、人間の弱さ、そしてそれを変えられないまま日々をやり過ごすしかない現実だ。しかし、そのなかにこそ人間らしさや救いを見いだすことができると本作は示唆しているように思う。

劇中の登場人物たちは、みな程度の差こそあれ葛藤や苦悩を抱え、それでもなお生きようともがく。その姿が痛々しくもあり、同時にどうしようもなく愛おしい。どこまで救われるかは観る人次第だが、一度しかない人生をどう捉えるかを考えるヒントが詰め込まれていることは間違いないだろう。苦い現実を直視する勇気があるならば、ぜひ挑戦してみてほしい。きっと心の深いところで何かが変わるきっかけになるはずである。