映画「トラペジウム」公式サイト

映画「トラペジウム」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

まさかのアニメーションで描かれるアイドルの世界がこんなにも骨太だとは、最初は夢にも思わなかった。表面上はキラキラした芸能界のように見えるのだが、その裏側には人間関係の摩擦や自己実現の難しさなどがぎっしり詰め込まれており、なかなか一筋縄ではいかない物語になっていると感じた。

まず、一番目を引いたのは主人公である東ゆうのキャラクターだ。努力家かつストイックで、周囲の人を巻き込むのが得意な一方、自分の理想を優先するあまり強引さが目立ち、その性格が仲間たちとの軋轢を生み出すのが興味深い。いわゆる「アイドルらしさ」への強いこだわりが裏目に出る瞬間が多く、ピンク色の照明と華やかな衣装の世界に、実は痛々しくもリアルな人間ドラマが蠢いているのだなと実感した。

また、東西南北(仮)として組むことになる少女たちにも注目してほしい。まるでバラバラの価値観を持つ彼女たちは、それぞれ“ふつうの学生”から抜け出すきっかけを探しているかのように見えた。しかし、その動機は決して単純ではなく、誰しもが「自分の大切なものとアイドル活動を天秤にかけてどう折り合いをつけるか」というテーマに直面することになる。そこに恋愛の話題がぶつかってくるあたりは、まさに現実のアイドル業界を彷彿とさせる。

さらに、本編では東ゆうたちが高校生としてボランティア活動やロボット研究会などに関わるエピソードも盛り込まれている。最初は「どうして高校アニメでアイドルをやろうとしてるのに、ロボットが出てくるんだ?」と戸惑ったが、見終わるときには「なるほど、この流れが彼女たちの絆や衝突を際立たせるための大事な仕掛けだったのか」と腑に落ちる構成になっている。

本作は可愛らしさ一辺倒の学園アイドル作品とは少し毛色が違う。美しい映像と軽快な音楽に彩られながらも、実際は主人公たちの心情が鋭く浮き彫りになる群像劇だ。鑑賞後、なんとも言えない余韻が残るのは、人間同士がぶつかり合って成長するリアルさがあるからだと思う。

これから本編の詳しい内容に踏み込んでいくが、派手で煌びやかなアイドルストーリーを期待していると、意外な苦さが垣間見えるかもしれない。そうした“にがみ”をどう咀嚼するかで本作の見方は大きく変わる。では、以下からさらに詳細を語っていこう。

映画「トラペジウム」の個人的評価

評価: ★★★☆☆

映画「トラペジウム」の感想・レビュー(ネタバレあり)

ここから先は、がっつりと核心に迫る話をしていく。作品の結末やキャラクターの秘密に踏み込むため、観賞前の方はご注意いただきたい。とはいえ、本作は詳細を知っていてもその演出やキャラクターの細やかな感情表現にこそ魅力があるので、ネタバレしても充分に楽しめるはずだ。

さて、まず中心に据えたいのは主人公・東ゆうのキャラクターだ。彼女は幼いころからアイドルに強い憧れを抱き、あらゆるオーディションを受けては落選してきた。その結果、どうにかして「自分がアイドルとして輝く方法はないか」を考え抜き、最終的に編み出したのが「城州の東西南北から選りすぐりの可愛い女の子を集めて、学園祭やテレビ露出を皮切りにアイドルデビューまで持ち込む」という独自の計画である。

この行動力と発想力はお見事だが、一方で強烈に自分本位であるのも事実。東ゆうは「アイドルはみんなにとって最高の夢に決まってる」とばかりに信じ切っており、「この人は可愛いから絶対アイドルになりたいはず」という思い込みで突っ走る。実際、初期の段階で本人に「アイドル興味ないけど」と言われても、彼女の脳内では「いや、きっとやれば楽しいと思う!」と断定してしまう。ここに仲間たちとの後々の衝突の火種が見え隠れしているわけだ。

しかし、彼女の強引さだけが強調されているわけではない。たとえば、友人の苦しみに気づいていないようで、どこかで「どうしたらわかってもらえるだろう?」とも悩んでいる。まだ高校生という若さゆえの視野の狭さと、純粋なエネルギーが同居した絶妙なキャラクター像が立ち上がっているところが面白いところだ。

次に、そんな東ゆうの「東西南北計画」に巻き込まれる形で集められた三人について触れよう。

大河くるみ(通称:西)
天才ロボット研究家の女子高専生。ロボコンで優勝するほどの実力者で、見た目も「萌え袖が可愛い」と評判になるほど整っている。しかし、ファンが増えれば増えるほど「なんだか自分のペースを乱されそうで嫌だ」と思うタイプだ。周囲に無自覚に影響を与えることを面倒くさいと感じる、ある種の独立独歩の精神を持っている。

基本的に「自分が好きなことを追求したい」という気持ちが強いので、アイドル活動みたいに自分のイメージを外向けに売り込む世界は肌に合わない。最初は東ゆうの計画にやや流されつつも、途中から「本当にこれ、私はやりたいわけじゃないんだけど……」と限界を感じ始める。彼女が事務所で限界を訴える場面は、本作の分岐点としてかなり印象的だ。

華鳥蘭子(通称:南)
元気で好奇心旺盛なお嬢様。ロードマップや計画などよりは「流れでなんとかなるでしょ」という楽観主義者に見えるが、実際は人の機微に敏感で、くるみの挙動をいち早く察知してフォローを入れたりもする。アイドル業界が楽しいかどうかは置いておいて、「新しい経験をしたい」「人の役に立つならやってみたい」という旺盛な冒険心が行動を支えている。

作中では、アイドル活動を経て「やりたいことを見つけた」と語るが、それは必ずしもアイドルを極めることではない。むしろ、「これを通じて広い世界を見てみたら、自分の活かし方は他にあるかもしれない」と考えるタイプで、実は東ゆうの理想にはそこまで深く共感していないところがおもしろい。「そもそもアイドルって何が楽しいんだろう?」と本音を言うシーンもあり、東ゆうをぐさりと突き刺す。

亀井美嘉(通称:北)
東ゆうの小学生時代の同級生。以前は地味で暗いイメージの少女だったが、高校に入ってからは華やかな見た目に変貌している。人助けが好きでボランティアサークルにも所属している。一方で、実は東ゆうの一番のファンを自称するほど彼女を慕っていた。

しかし、美嘉は「恋愛も大事」「身近な人との繋がりこそが大切」という価値観を持つ子で、アイドルが世間的に求められる「異性と距離を置く」姿勢やファンとのコミュニケーションを最優先する生活にはなかなか適応できない。その結果、彼氏バレ事件が起きてしまい、事務所も騒動になり、東ゆうからは「彼氏なんかいるなら友達にならなきゃよかった」とまで言われ、深く傷つく。

この三人のキャラは、どれも「アイドルに向かない」という特徴をはっきり持っている。だからこそ東ゆうの空回りが際立ち、「なんでわかってくれないんだろう」という東ゆうの苛立ちが止まらない。ここが本作における最大のドラマの源泉だといえる。

◆ アイディア勝負でのし上がる「東西南北(仮)」

劇中では、東ゆうの必死の算段により、この4人が文化祭やテレビ出演を重ねて徐々に注目を集めていく流れが描かれる。学内ではちょっとした有名人になったり、小さいながらコーナーをもらって歌って踊ったり。いきなりビッグステージに立つわけではないが、一歩ずつ階段を登っていくところは、いわゆる“アイドル成り上がりストーリー”の王道感がある。

最初はみんな「なんとなく面白そう」とか「東ゆうに押し切られて仕方なく」とか、動機は軽い。しかし、回を重ねるごとに露出が増えファンがついてくると、自分の中の葛藤もどんどん増してくる。嬉しい反面、重圧もある。しかも、アイドルらしいポジティブな姿を求められるので、疲れが溜まっても弱音を吐きにくい。

こうした閉塞感が限界に達したのが、くるみの涙の場面だ。あれほど静かで超然としていたくるみが大声で「もう嫌だ!」と叫ぶシーンは、視聴者側の感情を一気に揺さぶる。まさかの大爆発で、メンバー全体が大混乱する。

◆ 修復不可能? 壊れたグループと東ゆうの暴走

くるみの絶叫に始まり、蘭子や美嘉も「そもそもアイドルってそんなに面白いか?」「近くにいる人を笑顔にできないのに、何がアイドル?」という本音をぶつける。東ゆうは頭の中で「アイドル=全員が憧れる尊い存在」と思い込んでいただけに、ここで大きく心が折れかける。

さらに、美嘉の彼氏騒動まで畳みかけるように問題が噴出し、東西南北(仮)はあっけなく崩壊。メンバーたちは事務所を離れ、東ゆう自身も追い詰められて退所する。アイドルとして華やかにデビューするはずが、一気に闇に沈んでしまう展開は痛烈だ。

このあたりが本作の特徴で、「ああ、甘くないんだな」とはっきりわかる。よくあるアイドルアニメなら、ここから気合いで仲直りして再起を誓うのが定番だが、本作ではかなり現実的にバラバラになってしまう。自然消滅もあり得る流れだ。

とはいえ、しばらくしてから東ゆうは自分の過ちを自覚し始める。実は「みんなにとって自分と同じくらいアイドルが大切とは限らない」し、「無理やり誘っておいて相手の気持ちをまったく考えていなかった」ことをじわじわ思い知るのだ。

そんなとき、地味に支えになったのがボランティア先の人々や、文化祭で会った義足の少女など、東ゆうがアイドル計画中に築いてきた縁だ。自分では当時あまり意識していなかったけれど、実は人に希望を与えたり、笑顔にしていた瞬間も確かにあった。それを思い出すことで、彼女は「アイドルを諦めきれない」気持ちを再燃させる。

◆ 再会と仲間の本音

その後、古い校舎のベンチで偶然にも再び4人が顔を合わせる。実はそれぞれ、あの時の活動を「悪いことばかりではなかった」と思い始めていた。くるみは「友達っていうものを知ったからこそ、ちょっと寂しい部分もあった」と言い、蘭子は「アイドルを経て、やりたいことを見つけられた」と語り、美嘉は「自分の大好きな人との絆を再認識したし、東ちゃんに会えたのは嬉しかった」と本音をこぼす。

だからといって「もう一回アイドル続けよう!」とはならない。くるみも蘭子も美嘉も、それぞれ目指したい道が別々にある。しかし、「友達ではいたい」という共通点はあるため、お互いを励まし合う形で落ち着く。ここがいわゆる王道の「再結成」には行かないところが、本作ならではの展開だ。

東ゆうはというと、「アイドルという道を捨てられない」自分を正直に打ち明ける。それを聞いた3人は、ようやく「まあ、それが東ちゃんらしいよね」と納得してくれる。このときの「ちょっと呆れながらも背中を押す」空気感が、一番リアルな友情を感じさせてくれて印象に残る。

◆ その後のメンバーたちと「トラペジウム」の真意

物語のエピローグでは数年後が描かれ、それぞれが望む道を歩んでいることがわかる。美嘉は結婚して子どもがいるし、蘭子は海外を飛び回って社会活動をやっている。くるみは就職し、研究分野で腕を振るっているらしい。そして、東ゆうだけがアイドルとして成功し、テレビにも出まくりのスターになっているようだ。

4人は久しぶりに写真家となった真司の個展で顔を合わせ、当時の写真「トラペジウム」を見て懐かしむ。タイトルである「トラペジウム」とは台形、あるいは天体用語で“四つの星”を指す言葉だそうだ。

つまり、この作品そのものが「東西南北の4人が、それぞれの場所できちんと光り輝く星になる物語」だったということ。アイドルとしての成功が「星になること」だという先入観があったが、実はそうではなく、彼女たちそれぞれが自分の生き方を見つけて輝けばいい。その選択肢のひとつとして“アイドル”があり、東ゆうにはそれがぴったりだった。

◆ 作品が伝えてくれるもの

本作を観終わったあと、「結局、アイドルって何なの?」という問いが頭に浮かぶかもしれない。あるいは「なぜ東ゆうはここまでアイドルにこだわったのか?」と疑問に思う人もいるだろう。

それに対して、作中で示された答えは「人間は、何かに情熱を注ぐときに光る。その形がアイドルでもいいし、別の道でもいい」というもの。東ゆうにとっては幼少期に触れたテレビの映像が忘れられず、そこに人生のすべてを賭けたいほどの憧れを抱いた。周りにはそう思えない人も当然いるが、だからこそズレが生まれ、衝突が起こる。それを乗り越えた先に、それぞれが好きな場所でしっかり根を張って輝く姿が描かれる。それが「トラペジウム」に込められたメッセージなのだろう。

アイドルの華やかなライトの裏側には、地道な努力や痛み、不条理な制約が数多くある。本作はそのリアルを丁寧に映し出し、「それでも自分に合っていると信じるなら進めばいいし、そうじゃなければ別の輝き方がある」という潔い結論を提示している。いわゆるキラキラお祭り騒ぎでは終わらず、だからこそ余韻の大きい物語になっているのだと思う。

◆ よくある疑問や賛否両論について

「恋愛禁止ルールはやっぱり理不尽?」
本作では、実際に恋愛していた美嘉が事務所にやんわり咎められたり、東ゆうから激昂されたりしている。これはリアルのアイドル事情を投影していると思われるが、「いやいや、プライベートぐらい自由にさせろ!」という意見も当然ある。作品中でもそれはしっかり描かれていて、最終的に美嘉はアイドルを離れる道を選ぶ。「そこまでしてアイドルを続けるのか?」と問われると、真面目な話、万人に推奨できる働き方ではない。

「主人公がキツすぎて共感しづらい?」
東ゆうは理想を押しつけがちで、最初はやや共感を得にくいかもしれない。しかし、後半の挫折を経ての心情変化を見ていくと、ただの独善キャラではなく、「信じていた夢がどうにも共有できず苦しむ少女」としての痛々しさが浮き彫りになる。ラストで仲間たちから「それでこそ東ちゃん」と思われる背景には、彼女のまっすぐさも含めた魅力が確かにあったからだ。

「タイトルはなぜ『トラペジウム』?」
本編でも語られているが、「トラペジウム」とはオリオン大星雲の中心部にある四重星の総称で、不規則かつ輝きを放つ四つの星を指す。これは東西南北(仮)の4人を象徴すると同時に、「それぞれ違う方向を向きながらも同じ空のもとで光る存在」のメタファーになっている。台形のように辺が平行でない形状=一見バラバラなのに不思議と集まって光る関係性が、彼女たちに重ねられているわけだ。

◆ まとめると:アイドルという形にとらわれない輝き

一言でいえば「アイドルを描いているようで、実は“人間が輝く”とは何かを描くアニメ映画」だ。

各キャラクターが持っている夢や優先順位はまちまちで、それでも一瞬同じグループとして活動してみたら、そこから学ぶことが山ほどあった。最終的に全員がその活動を継続するわけではないが、あの日々がなければ気づけなかった自分の道がある。たとえば、蘭子は世界を見て歩く活動に本腰を入れ、くるみは研究に没頭し、美嘉は愛する人との人生を大事にし、東ゆうはアイドルそのものに賭け続ける。

どの進路を選んだとしても、自分が本当にやりたいことをやるならば人はきっと光る。そう思わせてくれるのが「トラペジウム」という作品の核心だと感じた。

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映画「トラペジウム」はこんな人にオススメ!

「自分の個性を大事にしたい人」や「好きなことをとことん突き詰めたい人」には、非常に刺さる要素が多い作品だと思う。と同時に、夢を持っている人だけでなく、一度その夢が破れそうになった経験のある人にも共感ポイントが多々あると感じる。

まず、アイドルと聞くと「華やかでキラキラな世界」「若い女の子のサクセスストーリー」といったイメージが先行しがちだが、本作はそのイメージに真正面から切り込む一方で、否定もしきらない。アイドルに本気で取り組む主人公・東ゆうの姿勢は端から見ると強引かもしれないが、あれほどの熱量を注げるものを見つけられるということ自体が、ある意味では才能だ。だからこそ最初は「なんだこいつ」と思っても、終盤には「ここまで突き抜けるなら応援したい」と思わされる人も多いのではないか。

同時に、「アイドルになりたいわけじゃないけど、自分の得意なことややりたいことを形にしたい」というタイプにも参考になる部分がある。たとえば、ロボット研究をしながらアイドル活動に巻き込まれた大河くるみは、賛否両論ある態度を取って周囲を困惑させるが、「自分の大事なものを守るためなら変わりたくない」という主張の筋は通っている。好きなことを続けるためのプライドと、周りの人間関係との折り合い――こういうジレンマは、社会に出ても必ず遭遇するものだ。

また、「友達や仲間と一緒に何かを作り上げたい人」にも刺さるだろう。本作では、東西南北(仮)というアイドルユニットが結成されては崩壊していくまでが克明に描かれる。最初は勢いで仲良くなったけれど、実際に目指しているゴールが違うからこそ摩擦が生まれる。その体験を通じて逆に「自分の本当の進む道」がよりはっきり見えてくるという構図は、部活やサークル、あるいは仕事のチームプロジェクトなど、集団活動において誰もが一度は経験するのではないだろうか。共通のゴールがないまま突き進むと、やっぱりどこかで衝突が起きるものだ。

そして、恋愛を大切にしている人――とりわけ「どんなに大事な夢でも、好きな人との時間を犠牲にする気にはなれない」と思っている人には、美嘉のエピソードが刺さるかもしれない。アイドルを続けていくにはどうしても制約が多くなるが、それが幸せの絶対条件とは限らない。そもそも恋愛を捨ててまでアイドルを続けることに喜びを見いだせないなら、別のやり方で人生を輝かせればいい。作中でも美嘉は自分の気持ちに正直になり、最終的には別の形で幸せを掴んでいる。こうした描写を見て「そうだよな、人生は一つだけじゃないよな」と安心する人もいるはずだ。

最後に、「アイドルの裏側を想像したい人」や「表面的な華やかさだけじゃない作品が好きな人」にも向いている。表に出る笑顔やパフォーマンスの裏には、考え方の違いや押し付けられる理想像との戦いが待っている。そのリアリティは、観る者に独特の“にがみ”と深みを与えてくれる。この苦みこそが本作の肝と言えるだろう。

まとめると、何かを頑張る人、挫折を経験した人、仲間と一緒に夢を追う人、夢より恋愛を優先する人、そしてアイドルに興味がある人――さまざまな立場の人が、どこかしらに自分を重ねて楽しめる。一見「アイドルアニメの範疇に収まるのかな?」と思いきや、視聴してみると意外に深いテーマを扱っており、人生観に刺激を与えてくれる作品だと感じた。

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まとめ

アイドルという題材を通じて、人間が本当に輝く瞬間とは何かを問う作品。それが「トラペジウム」という映画の肝だと改めて思う。表向きは「キラキラの学園アイドルデビュー物語」のように見えるが、その実態は仲間同士の価値観の衝突や、夢と現実の距離を埋められないもどかしさで満ちている。

主人公・東ゆうは、アイドルに対する思いが強すぎるため周りが見えなくなりがちだ。しかし、それによっていったんはメンバーが分裂し、アイドル活動が頓挫するものの、彼女自身も大きく成長する。そもそも、東西南北(仮)の4人はそれぞれ自分の道を見つけて別々の進路を歩むことになり、最終的には「あのとき一緒にやっていたことが無駄じゃなかった」と、互いの存在を認め合う段階に至る。これは「同じ夢を共有しなくても、一度は力を合わせたことが意味を持つ」というメッセージに通じる。

また、絶対に仲直りや再結成をしないあたりが、アイドルアニメとしては異色だ。通常の王道路線ならもう一度舞台に立って大成功、というパターンを想像しがちだが、本作はあくまで「自分の信じる道が一番輝ける場所だ」という着地点を提示している。だからこそ、東ゆうだけがプロのアイドルとして大成しても、ほかの3人はまったく後悔していないし、むしろそれぞれの生き方を楽しんでいる。作品の最後に再会して見せる表情が、互いを肯定する大人の笑顔になっている点が印象的だ。

「人間って、何かに本気でぶつかったときにこそ光る」という思想は、アニメの華やかな作画や音楽とも絶妙にマッチしており、ラストでは「トラペジウム」と名づけられた写真を通じて視聴者にしっかり伝わってくる。そこには、台形のように平行にならない四辺が四人のずれた歩幅を示唆しながらも、一緒に撮った瞬間の輝きが詰まっている。たとえ4人が同じゴールを目指さなくても、どこかで互いを理解し、支え合うことができる。そんなメッセージが滲み出ているのだ。

見終わってから振り返ると、アイドルを語るようで実は「人間讃歌」に近い。視聴者によって感じ方は異なるだろうが、「こんな風に不器用でも衝突しても、最終的に自分の道を認め合える仲間がいればいいな」と温かい気持ちになれる。大きく盛り上がるライブシーンや派手なコンサート演出こそ少なめだが、そのぶん深く濃厚なドラマが詰まった一本だ。