映画「かぐや姫の物語」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!
じつはこの作品、スタジオジブリ作品のなかでもひときわ異彩を放つ存在である。もともとの竹取物語を下敷きにしながらも、独特の手描きタッチによるビジュアルと、生々しくも儚い人間模様がとにかく胸にしみるのだ。一見、おとぎ話の定番と侮るなかれ。笑える場面もあれば、突然どん底まで感情を揺さぶられるような悲壮なシーンもあり、観終わった頃にはなぜか心にポッカリ穴が空いたような、それでいて温かい充足感もあるという不思議な作品である。
とはいえ、内容をざっくり「竹から生まれた女の子が月に帰る話」でまとめてしまうと、あまりに奥行きのある物語を語りつくせない。かぐや姫の自由奔放な幼少期や、都に出てからの窮屈な“姫様ライフ”、そして5人の求婚者たちとの問答無用のドタバタ劇と、各エピソードに笑いと涙のジェットコースターが詰まっているのだ。今回はそんな「かぐや姫の物語」の魅力やツッコミどころを、ネタバレを含めて徹底的に解剖してみたい。
観ていない方はご注意あれ!激辛ながらも愛をもったコメントを交えつつ、作品の核心部分にも切り込んでいくので、ハンカチのご用意をお忘れなく。
映画「かぐや姫の物語」の個人的評価
評価:★★★★☆
映画「かぐや姫の物語」の感想・レビュー(ネタバレあり)
まずは物語の大筋を振り返っておこう。竹取の翁が光る竹の中から発見した小さな女の子が瞬く間に成長し、やがて絶世の美女として世間の注目を集める。しかしその正体は月の世界から来た姫であり、最終的には月へ帰らなければならない運命にある――という展開は、誰しも一度は耳にしたことがあるだろう。だが本作の見どころは、何といってもその過程を描く演出力だ。かぐや姫が幼少期に山里を駆け回る無邪気な様子から、都へ連れて行かれて“姫”としての生き方を強いられるもどかしさまで、手描きアニメーションの淡いタッチと相まって、これほど生々しい感情描写を見せてくれる作品はなかなかない。
序盤はほのぼのとしていて、山や野で自然と触れ合いながら子どもたちと一緒に大声で笑っている姿に、こちらまで気持ちがほぐれる。ところが、翁が都へ行くことを決めたあたりから空気が一変する。かぐや姫は一気に窮屈な宮廷生活へと押し込められ、自由に走り回ることもままならなくなる。「この世はなんて不自由なんだ!」と叫びたくなる展開が次々と押し寄せるのだが、それがまた見どころでもある。彼女はあくまで“竹から生まれた不思議な子”であるがゆえに、世間体や格式を押し付けられる人間社会になじめない。その葛藤と苦悩が、笑えるくらいリアルに描かれている。
さらに、5人の貴公子たちが次々と求婚してくるくだりは、まるでコントでも見ているかのようだ。皆がそれぞれ珍妙な宝物を探しに行くのだが、まったく見当違いなものを持ち帰ったり、そもそも探しに行かなかったりと、意外なまでに情けない男性陣の姿に苦笑が止まらない。とはいえ、それをただのギャグとして笑っていられないのは、当時の社会が女性を“手に入れるべき宝”のように扱っていたという歴史的背景を思い起こさせるからだ。かぐや姫自身は自分を自由に生きたいだけなのに、周囲の男たちは彼女を手に入れようと躍起になる。そのギャップがシリアスでありながら、滑稽さもはらんでいるという絶妙なバランスが見事だ。
物語が進むにつれ、かぐや姫には月へ帰る運命があることが明かされる。ここからが本作のクライマックスともいえる。地上の生活に嫌気が差しているはずなのに、いざ別れが迫ると「行きたくない、ここにいたい!」と泣き叫ぶかぐや姫の姿は、まさに人間のわがままとしか言いようがないが、それゆえに胸を打つ。人間界では苦しいことも多いが、その分、喜びや愛情だってある。月の世界にはそんな喜怒哀楽がなく、ただ平穏無事なだけだとわかれば、そりゃあ多少のトラブルがあっても“生きる”ほうがいいと感じるだろう。そう考えると、悲しい結末が見えているにもかかわらず、最後の最後までかぐや姫と一緒に「どうにかならないのか…!」と思ってしまうのである。
映像表現に目を向けても、一般的なジブリ作品とはひと味違う魅力がある。筆で描いたような線と淡い色彩が特徴的で、まるで日本画や絵巻物が動き出したかのようだ。豪華絢爛な宮廷生活という要素がありつつも、そこに余計な装飾をせず、むしろシンプルに描き込んでいるのが良い。背景が薄墨でざっくりと描かれるシーンは“未完成の絵”にも見えるが、それがかえって想像力をかき立てるし、かぐや姫の内面がむき出しになる感覚がある。また、感情が爆発する場面では筆致が荒々しくなるなど、映像と気持ちがシンクロしているのが何ともアートっぽいのだ。
声優陣の配役も「かぐや姫の物語」の大きな魅力だ。かぐや姫役の朝倉あき氏の透明感ある声は、純真無垢な彼女にぴったりであるし、翁役の地井武男さんが見せる温かくも切ない演技にはハンカチが手放せない。オールスターのような豪華キャストでありながら、それが作品の邪魔をしない自然な演技に集約されているのは、さすが高畑勲監督の巧みな演出力といえよう。音楽に関しても、和の要素が強く盛り込まれ、郷愁を誘うメロディが物語の切なさをさらに盛り上げてくれる。特にクライマックスでかかる曲は、涙をこらえるこちらのダムを破壊する威力があるので要注意だ。
ストーリー面に戻れば、求婚者たちとのやりとりは本当にコミカルだが、一方で「人間のエゴ」を如実に表したエピソードでもある。姫を自分の所有物にしようと必死になる男性陣の姿は、昔の話とはいえ現代社会にも通じる皮肉が盛り込まれている。女性の幸せを本人の意志そっちのけで決めつける行為や、体裁だけを整えようとする見栄や権威主義など、どこかデジャヴを感じる要素が多いのだ。それを笑い飛ばしつつ、実は笑っていられないテーマが潜んでいるからこそ、本作はただの子ども向けアニメでは終わらない。
クライマックスの月へ帰るシーンは、切なさの極みである。地上には悲喜こもごものドラマが存在し、それを経てこそ味わえる“生きる実感”がある。しかし、月の使者たちはそんなものは必要としない。淡々とした態度でかぐや姫を迎えに来る姿には一種の不気味さすら感じる。記憶を消す羽衣をかぶせられ、かぐや姫の地上での思い出が奪われていく瞬間は、多くの観客が「いや、やめてくれ!」と思わず画面に向かって叫びたくなるほどだ。ところが、それこそが物語の核でもある。限りある時をどう生きるか、そして失われるものへの愛惜をどう受け止めるか――竹取物語が古くから人々の心をつかんできたのは、そうした普遍的なテーマを孕んでいるからにほかならない。
高畑勲監督の演出は、そこにさらに“人間臭さ”を加えている。かぐや姫は決して完璧な存在ではなく、ときにはわがままを言い、衝動的に行動し、時々は都の生活にも心惹かれたりする。だがそうした矛盾や葛藤こそが人間の本質ではないかと思わされる。人は自由を求めながらも、華やかな世界に憧れ、そこに息苦しさを感じてもなかなか抜け出せない。そんな複雑な感情が手描きの淡い線とともに画面に溶け込み、観終わったあとには何とも言えない切なさと余韻が残るのだ。
とはいえ本作、暗いだけの悲劇ではない。コミカルなシーンも多く、翁が「かぐやを幸せにしたい」と空回りするさまや、求婚者たちがそろって珍事件を巻き起こす様は十分に笑える。笑わせつつ泣かせる、笑ったあとに考えさせる、という緩急の付け方が実に巧みで、観ているうちにあっという間に時間が過ぎてしまうのだ。竹取物語をそのままなぞるのではなく、ギャグやアレンジを交えつつも骨子はしっかり押さえており、古典に対するリスペクトが感じられるのも好印象である。
結局のところ、「かぐや姫の物語」は人生そのものを映し出している作品だといえる。生まれた瞬間から終わりが約束されている人生は、どこか儚く、しかしだからこそ美しい。かぐや姫が最終的に月に戻らなければならない運命も、すべての人に訪れる“終わり”を象徴しているのではないか。その間にどれだけ笑い、泣き、愛し、憎しみ、そして何を得るかというのは、一人ひとりの自由である。にもかかわらず、多くの束縛や社会的プレッシャーが人を翻弄していく。そんな現実をビジュアル的にもストーリー的にも見事に表現しているのが本作のすごさだ。
最後のシーンで羽衣をかけられ、記憶を失ってしまうかぐや姫を見ていると、「ああ、こうして人は大切なものを失ってしまうのか」と切なくなる一方、「それでも人間として生きた証はきっと消えはしない」という希望も感じる。実際にかぐや姫は地上を振り返り、迷いや思いを残している様子が見て取れるからだ。あの小さな仕草や目線ひとつで、ここまで深いドラマを作り出せるのがスタジオジブリ、そして高畑監督の凄みである。
激辛レビューというには若干ベタ褒めに近くなってしまったが、それだけ「かぐや姫の物語」には語りたくなる魅力が詰まっているのだ。もちろん、人によっては筆書き風の作画が合わなかったり、テンポの独特さに戸惑ったりするかもしれない。だが、それも含めて“新しいジブリ体験”を楽しめる作品だと断言できる。とにかく、かぐや姫の心の動きに寄り添いながら観れば、ラストシーンでは容赦なく感情を揺さぶられること間違いなしだ。ここまで古典の世界を深く、そして現代的に描き出したアニメは、ちょっとやそっとではお目にかかれないだろう。
観るたびに新しい発見があるのも本作の強みである。「このとき、かぐや姫は本当はどう思っていたのか?」と想像すればするほど、いくらでも考察が広がる。求婚者たちのエピソードの真意や、翁の愛情の空回り具合、さらには“月の世界”の淡白さが象徴するもの――すべてを丁寧に追いかけるうちに、気づけば人生の機微について考え込んでいる自分に気付くだろう。まるで落語を聴いたあとにじわじわと笑いがこみ上げるように、あとから効いてくるのが「かぐや姫の物語」の真の魔力かもしれない。
結論として、高畑勲監督が遺したこの作品は、古典から現代まで“人が生きる”ということの喜怒哀楽を鮮やかに描き切ったアニメーションの金字塔だと思う。正直、もう少しハッピーエンドでもいいんじゃないかと思わなくもないが、そうしたら竹取物語の魅力が大幅に損なわれるのも確か。悲しさと美しさは表裏一体であり、その儚さこそが本作の核なのである。激辛と銘打ちながら、結局は「観るべき価値が十分ある名作!」と声を張り上げたくなる。人生の切なさを感じたい人、ジブリの新たな境地を味わいたい人は、ぜひ一度この映画を体験してみてほしい。
映画「かぐや姫の物語」はこんな人にオススメ!
古典を題材にしたアニメと聞くと「眠そう」と敬遠する向きもあるかもしれないが、「かぐや姫の物語」はそんな先入観を覆す内容になっている。淡い色彩で描かれる筆書き風の絵は目に優しいし、ストーリーには笑える場面と切なくなる場面が絶妙に混在しているため、最後まで飽きることなく観られるのだ。もともと竹取物語を知っている人なら「こういう解釈があったのか!」と驚くし、あまり詳しくない人でも純粋にドラマとして楽しめる。要するに、幅広い視聴者に刺さる可能性大なのである。
特にジブリ作品が好きな人や、高畑勲監督の他作品を観て「もっといろいろ追いかけたい!」という人には見逃せない一本だろう。通常のジブリ作品と比べても表現が際立ってアーティスティックで、どこか挑戦的な空気も漂っているのが面白い。さらに、社会のルールや常識に押しつぶされそうな窮屈さを感じている人にもオススメだ。かぐや姫が都の生活で味わう閉塞感は、現代の我々が抱えるストレスともリンクする部分が大きく、「ああ、わかるわかる」と共感せずにはいられないからだ。笑って泣いて、そして最後に切なさと温かさを同時に感じたい人は、ぜひ「かぐや姫の物語」を観てその魅力を体感してほしい。
まとめ
「かぐや姫の物語」は、よく知られた竹取物語をベースにしながら、スタジオジブリらしい繊細な筆致と巧みなストーリーテリングで“古典×現代”の魅力を最大限に引き出した作品である。かぐや姫が見せる天真爛漫な笑顔や、都に出てからの葛藤、そして月へ帰る運命に対する悲痛な叫びまで、あらゆる感情がスクリーンを通してこちらの胸にグサグサ突き刺さる。コミカルなシーンも豊富に盛り込まれているため、ただの鬱アニメかと思いきや、気づけば笑いながらも涙を流してしまうという絶妙なバランスが素晴らしい。
高畑勲監督の遺作ともなった本作には、人生の喜怒哀楽や人間のわがまま、そして“それでも生きることの尊さ”がぎゅっと詰め込まれている。筆書き風の独特なアニメーションも相まって、他のジブリ映画とは一線を画す芸術性がある。激辛コメントを入れるはずが、最終的には「やっぱり名作だよね」と言わざるを得ない。そのくらいのインパクトと奥深さを持った作品なので、ぜひハンカチを手に取ってじっくり向き合ってほしいと思う。