映画「大河への道」公式サイト

映画「大河への道」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

本作は、日本地図を完成させた偉人・伊能忠敬をめぐる物語でありながら、一筋縄ではいかない展開が見どころだ。歴史ドラマかと思いきや現代劇が挟まったり、コメディタッチかと思えば胸に迫る場面もあったりと、観客の意表を突く構成になっている。さらに、中井貴一をはじめとする出演者たちが全員“二役”を演じるという点も話題性たっぷりである。

最初は「地域活性のために、どうにか大河ドラマで取り上げてもらおう」という“お役所仕事”風のスタートながら、観るうちに登場人物の情熱やこだわりがひしひしと伝わり、いつしか画面に引き込まれていく。実は伊能忠敬本人が地図を完成させていなかった、という歴史の裏にあるドラマも意外性が高く、そこから浮かび上がる登場人物の奮闘ぶりが痛快でもある。

笑いと涙、そしてちょっとばかりのほろ苦さも詰め込まれた一皿のような、なかなか刺激的な作品といえそうだ。

映画「大河への道」の個人的評価

評価: ★★★☆☆

映画「大河への道」の感想・レビュー(ネタバレあり)

正直なところ、最初に「大河への道」を観ると聞いたときは、“伊能忠敬が日本各地をくまなく測量するだけの史実モノなのか?”と思ったのだが、それはまったくの早とちりであった。何しろ、オープニングから現代を舞台にした千葉県香取市役所の職員が登場し、「地域の観光振興策として伊能忠敬を大河ドラマに推そう」という騒動に巻き込まれるのだから、肩透かしを食らったような感覚になる。けれども、この肩透かしが絶妙で、観客が「何だこれは?」と面食らったところへ、出演者の巧みな掛け合いや意外なストーリーの展開が続々と押し寄せてくる展開が秀逸だ。

まず注目したいのは、中井貴一が演じる池本保治と、高橋景保(かげやす)の二役である。役所の総務課主任という、どちらかといえば平凡かつ堅実な男が、うっかり口走ったアイデアをきっかけに「伊能忠敬の大河ドラマ化プロジェクト」の責任者になってしまう。池本は「こんな大ごとになるとは思わなかった」という戸惑いを隠しきれず、局面によっては自ら混乱しつつも奮闘を繰り返す。かたや江戸時代パートでは、天文方として幕府の後ろ盾もある高橋景保が、伊能忠敬の“死”を隠しつつ日本地図を仕上げようとする測量隊の面々とぶつかり合い、その真剣な思いに飲み込まれていく。現代の池本と江戸の高橋、どちらも同じ俳優が演じているとは思えないほど雰囲気が異なり、思わず感嘆した。

さらに、松山ケンイチ扮する木下と又吉(またきち)も対照的なキャラクターだ。木下は役所の後輩でありながら、まるで人ごとのように池本の背中を押しては、無邪気ともいえる突拍子もない疑問を投げかける。これはこれで池本を引き立てるスパイスになっているのだが、江戸パートでは又吉が天文方の助手として、測量隊との接点を担う立ち位置だ。どちらも少し“抜けている”ようで、重要なきっかけを作る人物という点が共通しているのがおもしろい。

一方、北川景子の現代パートは観光課の小林永美、江戸パートは伊能忠敬の元妻エイを演じているが、この二役の差異が見ごたえたっぷりだ。小林はバリバリ働くキャリア・ウーマン風でありながら、市役所の仕事に対してどこか冷めた視点を持っている人物。エイは逆に、飄々としつつも強かな計算で男たちを煙に巻く“策士”的な女性だ。前者が軽妙でそっけない態度を見せるのに対し、後者は大胆に立ち回るあたり、北川景子が一気に芝居の幅を広げたような印象がある。とはいえ、どちらも芯が通った存在感を放つキャラであり、まるで同じ女優が演じているとは思えないほど雰囲気が違うのがすごい。

ストーリーとしては、大きく現代パートと江戸パートに二分される。現代パートは「伊能忠敬の功績をPRし、経済効果を狙おう」と息巻く千葉県知事の鶴の一声で、主人公・池本が大御所脚本家の加藤浩造に依頼をかけに行くところから始まる。言うまでもなく、そんなに簡単に話が進むわけがない。加藤は20年近く脚本を執筆していない“隠居”状態で、しかもなかなか頑固。池本が毎日のように訪問しても相手にしてくれないという障壁からして、いかにも苦労が絶えない展開を予想させる。

だが池本は、この加藤をどうにか振り向かせるため、「伊能忠敬記念館」への案内や実際の測量体験など、あらゆる手段を講じる。そこから加藤のなかでひそかに興味が湧き上がってくるが、同時に驚きの事実が判明する。「伊能忠敬自身は、日本地図を完成させていない」という歴史上の事実である。ここで物語は一気に江戸時代へと飛び、伊能忠敬の死後3年間の“隠ぺい工作”が繰り広げられるさまを、同じ俳優陣が二役で演じるという仕組みになるのだ。

江戸パートは、コメディ調だった現代パートから打って変わって非常にシリアスだ。もっとも、登場人物たちの掛け合いには随所に軽妙さがあるが、肝心のミッションが命を懸けた地図づくりなので、観ている側も自然と手に汗を握る。何しろ、幕府から潤沢な資金を受け取っていた忠敬が死んでしまえば、公的援助は絶たれ、地図づくりは未完となる運命にある。そこで測量隊は「忠敬がまだ生きている」と偽り、天文方の高橋景保を巻き込み、あの手この手で地図を仕上げようとするのだ。もし露見すれば打ち首という、まさに背水の陣である。

ここで注目したいのが、測量や地図づくりの描写が意外とリアルな点だ。方位磁石や歩測によって距離を出し、三角関数を駆使して正確な海岸線を割り出していく苦労が伝わってくる。さらには、綿貫善右衛門や修武格之進といった隊員たちの情熱がひしひしと感じられ、地味ながら熱量の高い作業風景が展開する。地図を何枚もつなぎ合わせてひとつの巨大な「大日本沿海輿地全図」を完成させるところは、“学術映画”のような側面も帯びていて、非常に魅力的だった。

そして、物語の最大の山場は、完成した地図を将軍・徳川家斉に献上するシーンだろう。佐伯や神田といった勘定方が、3年もの間自分たちを欺いてきた測量隊を断罪しようとする緊迫の場面で、高橋景保は「ここに伊能忠敬がおります」と、あの履き古した草鞋を取り出す。その直前、敷き詰められた214枚にも及ぶ精巧な地図に圧倒された家斉が「この美しさを見よ」と感動するくだりは、見ているこちらまで背筋が伸びるような迫力があった。あの瞬間、彼らの3年間にわたる努力が完全に報われたといっていいだろう。幕府を欺いた事実は重いが、その偉業を目の当たりにした将軍が彼らの罪をとがめない場面は、歴史のロマンと人間ドラマが融合した名シーンだと思う。

再び現代パートに戻ると、「やっぱり伊能忠敬は大河ドラマの主人公にならないかもしれない」という結論に至りそうな流れで、池本は最後の決断をする。「だったら自分が脚本を書くから、加藤先生の弟子にしてほしい」という熱意をぶつけるのだ。これは、池本自身も最初は地域振興策の一環という程度の動機だったのに、伊能忠敬とその測量隊の覚悟や情熱を知るなかで、本気になってしまったという変化を物語っている。地図の完成を見届けられなかった忠敬本人の思いを背負って、いわば“現代版の伊能隊”として、大河ドラマ実現に挑もうという意思がほほえましい。

本作は、中井貴一や松山ケンイチのみならず、平田満、岸井ゆきの、西村まさ彦、草刈正雄、橋爪功といったベテランから実力派までがずらりと顔を揃えているため、それぞれの二役も含めて飽きさせない。特に、平田満が現代パートでは市役所職員の和田、江戸パートでは測量隊員の綿貫善右衛門を演じているが、どちらも“地味だけど粘り強い実直さ”がにじみ出ていて、作品に厚みを加えている。また、西村まさ彦の蕎麦屋の客・山神三太郎と、勘定方の手下・神田三郎の対比も味わい深い。どちらも存在感がある名脇役ぶりを発揮しており、クスリとさせられた。

結局のところ、「大河への道」は大河ドラマ誘致にまつわるお役所コメディでありつつ、実際の歴史の裏側に隠された人々の情熱を描く歴史ドラマでもある。二つの時代が絶妙にリンクしながら展開することで、「伊能忠敬は完成できなかった地図を、周囲の仲間たちが引き継いで完成させた」というロマンをしっかり受け止められるのだ。重厚な歴史ものが好きな人も、現代コメディが好きな人も楽しめる構成であり、あらゆる層にアピールする懐の深さがあると感じた。

個人的には、“実は伊能忠敬は途中で亡くなっていた”という事実を知ってからの後半がとても見応えがあった。しかも、史実では渋すぎる題材になりそうなところを、時代劇の中に軽快な駆け引きを散りばめることでエンタメ性をしっかり保っている点が好印象だ。中井貴一が演じる高橋景保は、最初は伊能隊の執念を理解しなかったが、徐々に巻き込まれながらも心を動かされていく。そこに北川景子演じるエイの策が追い打ちをかけることで、男たちが否応なく足を止められない状況へ追い込まれる。結果、必死になって全員で協力するしかない流れが生まれ、その危うさと切実さが作品の緊張感を格段に上げていた。

終盤、江戸城での「幕府に対する大博打」の場面は、何度見ても手に汗握る。普通に考えれば、将軍を騙したなどという話は即刻厳罰だろうに、最終的に家斉が地図を見て「伊能はここにおる」と言わんばかりの、すべてを許すような態度を取るところが胸に迫る。伊能忠敬は地図を完成させられなかったが、後に残された者たちが思いをつなぎ、そしてその結果を将軍が理解を示してくれた、というカタルシスは大きい。まさに“想いは受け継がれる”というテーマが凝縮されているように感じた。

このように「大河への道」は、一見軽妙ながら骨太な内容が詰まっている一本だ。史実の裏話を知る面白さがありながら、歴史に疎い人でも楽しめるドラマ性が整っている。さらに、役者たちの二役芝居を探る楽しみ方もあるため、2度3度と繰り返し鑑賞したくなる。決して地図づくりの話だけでは終わらない、人間ドラマとロマンをしっかり堪能できる作品だと断言しておきたい。

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映画「大河への道」はこんな人にオススメ!

まず、歴史好きかどうかを問わず「ちょっと変わった時代劇が観たい」という人には文句なしに推したい。普通なら伊能忠敬本人が活躍するドラマになるところを、あえて死後のエピソードにスポットを当てるという着眼点が新鮮である。さらに、現代パートと江戸パートが入り混じる構成は「時代劇は苦手」という層も巻き込めるだけのエンタメ性がある。歴史の薀蓄に縛られずに楽しめるので、“肩ひじ張らずに観られる時代もの”を求めている方にも合っているだろう。

次に、主演を務める中井貴一の味わい深い演技を堪能したい方にもおすすめである。現代パートでは調子がいいように見えながら空回りする役人、江戸パートでは厳かな天文方という正反対なキャラクターを演じ分ける様子は圧巻だ。一方で、松山ケンイチや北川景子といった共演陣も二役に挑戦しており、どちらの役にも違った魅力が詰まっている。そうした意味で「俳優陣の“振り幅”を観察するのが好き」という映画ファンにも打ってつけである。

また、“お役所コメディ”のような作品や軽妙な会話劇を楽しみたい人にもぴったりだ。千葉県香取市役所で繰り広げられるエピソードには、地方行政ならではのリアルな苦労が盛り込まれつつ、コミカルに描写されているので笑いどころが多い。そこから一転して時代劇に突入する際のギャップも魅力であり、テンポよく話が進むため退屈さを感じさせない。

要するに「史実を題材にした映画」「豪華キャストの二役芝居」「一筋縄ではいかない構成」を堪能したい人は、ぜひ観る価値があると思う。幅広い層にアピールできる作品だと断言したい。

まとめ

「大河への道」は、一度は“あの偉人を大河ドラマに”という企画から始まったはずが、気づけば歴史の知られざるエピソードを熱く描く作品へと変貌を遂げている。それにもかかわらず、全編を通して軽快な演出が貫かれているため、硬すぎる歴史ものにならずに最後まで飽きずに観られるのが魅力だ。脚本家が20年書かなかった理由から始まり、伊能忠敬の死を隠して測量を続けた人々の物語へつながる展開は意外性に富んでいる。しかも、現代と江戸で役者が二役を演じる構成によって、ドラマの奥行きも増しているのがポイントである。

とはいえ、単なる奇抜さだけでなく、“日本地図を作る”という地道な努力が、どれほど大きな成果につながるのかを実感させられる点は大きい。「大切なのは一歩を踏み出すことだ」と強く訴えかけてくるようにも感じられた。地域振興や行政の取り組みをコミカルに描きつつ、最終的には「人生何事も遅すぎることはない」と背中を押してくれる作品だろう。鑑賞後には、自分も新しい一歩を踏み出してみようという気持ちにさせられる一本だ。