映画「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!
本作はアメコミ映画の枠を超える大興奮の大作である一方、既存シリーズへの愛やキャスト同士の化学反応など、いろいろとツッコミどころが満載でもある。毎度おなじみの“クモ男”がまさかの展開で予想外のドラマを繰り広げるため、古参ファンほど驚きが大きいかもしれない。もっとも、その衝撃的展開ゆえに「初見では呑み込めない」と嘆く声も聞こえてきそうだ。
とはいえ、メインストーリーだけでも十分に刺激的であり、いわゆる“お祭り感”に満ちたシーンが盛りだくさん。ヒーロー映画としての王道を行く熱いバトルや、まさかの助っ人参戦で生まれる豪華競演など、想像の限界を超えたアクロバットが次々に押し寄せる。本稿では、そんな要素を激辛目線でチェックしつつ、あえて隙を探ってみる。
好きな人にはたまらない作品だが、あまりにサービス精神旺盛な分、やや詰め込みすぎと感じる向きもあるだろう。甘口ではなくあえて辛口トーク全開で語っていくので、未見の人は覚悟して読んでほしい。
映画「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」の個人的評価
評価: ★★☆☆☆
映画「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」の感想・レビュー(ネタバレあり)
本作は、近年のヒーロー映画ブームをさらに加速させるMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)のシリーズに属しながら、ソニー・ピクチャーズが権利を持つスパイダーマン単独作という複雑な状況下で生まれた。しかし、その背景を知らなくても「とにかくスパイダーマンが大変!」というメインの騒動に乗っかるだけでも十分楽しめる……はずなのだが、実はその“楽しさ”にとどまらず、「なんでこんなことになってるの?」と突っ込みたくなる要素が大量に詰め込まれている。あまりに詰め込みすぎて一度に理解するのが大変かもしれないが、それも含めて“激辛”にチェックしてみよう。
まず、本作最大の目玉は別シリーズの勢力大集合だろう。サム・ライミ版とマーク・ウェブ版の歴代ヴィランが登場し、そこにMCU版のドクター・ストレンジまで参戦してしまうあたり、まさに“おなかいっぱい”状態。しかしお祭り要素が強い半面、バトルやカメオ的シーンが乱舞しすぎて一つひとつの深堀りが足りないようにも見える。特にヴィランが複数人勢揃いする展開はファン大歓喜なのだが、彼らの心情を丁寧に描く余地はあまりなく、“ほんの短いシーンで片付けられてしまう”感が否めない。とはいえ、待ち焦がれていた顔ぶれがスクリーンに登場するだけでも感動的ではあるので、そこに突っ込みを入れるのは少々野暮だろうか。
次に、本作のピーター・パーカー(トム・ホランド版)だが、「高校生ヒーロー」の要素が従来作品よりも際立つシリーズとして始まったことを考えると、いまだに妙に子どもっぽい行動が多い。ドクター・ストレンジの大魔術にちょっかいを出して大混乱を招くあたりは、まさにティーンらしい“おっちょこちょい”だ。しかもその代償はメイおばさんの死という最悪の結果を生み、ピーターの責任感が重くのしかかる。あまりに悲劇的で思わず絶句するが、これがいわゆる「ベンおじさんの死に相当する大転機」として機能しているのが興味深い。MCU版スパイダーマンは、前2シリーズのようにベンおじさんを描かなかった分、その大切なモチーフが形を変えて降りかかるわけだ。
そして本作を語るうえで外せない“衝撃シーン”は、歴代ピーター・パーカーの登場である。トビー・マグワイア版、アンドリュー・ガーフィールド版、そしてトム・ホランド版という“三代目”が同じ画面で肩を並べる姿は、スパイダーマン史上最大のサプライズといってもいいだろう。なんといっても、シリーズごとに性格や佇まいが違うピーター同士が対面し、互いに励まし合う光景はレアすぎる。しかもここでテンションが盛り上がりすぎて、バトルのクライマックスがやや雑になっていないかと疑問も湧くが、これだけ豪華ならそこを深く考えるのも野暮かもしれない。むしろ一緒にウェブを飛ばし合う絵面だけで興奮度マックスだ。
また興味深いのは、本作が単なる“お祭り”にとどまらず「ヴィランを倒さずに助けようとする」点だ。ピーターが試行錯誤して彼らに救済のチャンスを与えるプロットは、過去作の悲劇を補完するようにも見える。とはいえ、ヴィランたちを治療するという流れは少々ご都合主義的に映る部分もあり、感傷的なファンにとっては「元に戻して本当に良かったのか?」と考えさせられる可能性もある。とはいえ、“倒して終わり”ではない物語が提示されるのは、ヒーロー像のアップデートとして興味深い。目の前にいる敵でさえ救いたいという純粋な気持ちが、ピーターの大きな成長を象徴しているともいえるだろう。
ところが、その善意がメイおばさんの死を招いてしまうのだから皮肉な話である。しかもメイおばさんは決定的な瞬間にあの有名なセリフを放つ。「大いなる力には大いなる責任が伴う」という、まさにスパイダーマンの原点となる一言だ。しかし同時に、ここまで散々苦しめられておいても戦わずして治療を選んだピーターの強情さは、結果として悲劇を引き起こす。優しさが裏目に出るという苦さこそが、“激辛視点”で見ると本作ならではのえぐみである。
さらに、クライマックスでは「全ての人にピーターの存在を忘れさせる」という魔術が発動する。トム・ホランド演じるピーターは、結局は自分だけが全てを抱える道を選び、周りからの支えを断ち切ってしまう。MCU版として大活躍しつつも、最終的には原点回帰を迎える形だ。超ハイテクスーツを捨て、手縫いのコスチュームで再出発する姿には胸が締めつけられるが、これこそヒーローとしての覚悟の証なのだろう。何かとハジけていた本作の余韻としては意外なほど寂しさが募るが、そこにこそMCU版ピーターが“本物”のスパイダーマンとして再誕した意味がある。
いっぽう、ドクター・ストレンジはシリーズの“何でも屋”として活躍しながら、ここでも厄介事を背負わされて気の毒な立場だ。彼が唱えた呪文が発端で物語がこんな騒ぎになったのに、最終的には忘却魔法まで使わされる羽目になる。とはいえ、「あんな複雑な術式ならそもそもピーターを外に出してから集中しろよ」と思わないでもない。これぞ激辛視点で見つけるツッコミポイントであり、ストレンジの“優秀だけど迂闊”というキャラがあまりに顕著。まあ、そのおかげで本作のとんでもない多元宇宙騒ぎが実現したわけだから、彼もある意味で“共犯者”なのだろう。
本編の要所要所で描かれるアクションは相変わらず見応えありで、スパイダーマンならではの縦横無尽な動きがしっかり生きている。序盤ではピーターの正体バレをめぐって街中が大混乱になり、民衆からの反応やメディア報道まで描写が入るため、下手な社会派ドラマよりもリアルだ。しかしその騒ぎを解決するためにドクター・ストレンジを訪ねる流れには、どこか荒っぽさを感じてしまう。MITの合否に関して泣きつくピーターや、その相談を受け入れたストレンジの軽率ぶりなど、盛り上げるための脚本とはいえツッコミ所が途絶えない。とはいえ、そんな理屈っぽい疑問すら吹き飛ばす勢いを持つのが本作の最大の長所かもしれない。
ヴィラン陣営もまた見せ場が多く、グリーン・ゴブリンやドクター・オクトパスの圧倒的な存在感には目を見張る。特にグリーン・ゴブリンはサイコスリラーじみた狂気を振りまきながら、ピーターの大事な人を奪う憎むべき存在として描かれる。しかし、その一方で“救えるかもしれない”弱さを抱えた人間としての面も表現されるため、敵か味方か、あるいはそれ以上にどう向き合うべきかが問われる構造だ。彼らを元に戻すという発想は、一見すると熱血ドラマっぽいが、実際にはかなりの賭けでもある。ピーターは「あらゆる命を救いたい」と純粋に願って行動するが、その痛ましい代償がラストに重くのしかかる。
本作を観終わって振り返ると、MCU版ピーターの3部作はある種の“成長譚”だったようにも思える。『ホームカミング』でヒーローとしての第一歩を踏み出し、『ファー・フロム・ホーム』でアイアンマン不在の世界に立ち向かい、そして本作で“ひとり立ち”へ至った。あくまでスパイダーマンは街の隣人として存在し、決して巨大組織の象徴ではないという原点回帰がここにある。シリーズ通してみると、まるで長い思春期を抜けて“真の大人”になるまでを描いた物語のようだ。
本作はマルチバースのおかげで楽しみ要素が膨れ上がっており、既存の映画シリーズファンにはとびきりのご褒美といってもいい。しかし、サービス旺盛ゆえにストーリー展開はバタバタしがちで、「ちょっと駆け足じゃないか?」と感じる場面もある。テンポの速さに乗れれば楽しいが、冷静に見ればツッコミが盛りだくさんだ。だが、そういった細部の荒さを補って余りあるほど、キャラクター同士の絡みは魅力にあふれている。どのピーターも愛おしく、それぞれが抱えるドラマの掘り下げこそ少なめでも、顔を合わせて語り合うだけで大いに盛り上がる。
最後の忘却魔法によってトム・ホランド版ピーターは孤独を背負い、誰からも認知されないヒーローへと戻ってしまう。学生生活や仲間との青春が一旦リセットされるわけで、これほど切ない結末はなかなかない。しかし同時に、そこから再出発する姿には“原点の香り”が漂う。ゴテゴテした高性能スーツを脱ぎ捨て、手作り衣装で街を守る姿には「これぞスパイダーマン」という味があるではないか。重い悲しみを抱えた分だけ、これからの彼はより強く、より優しく、そして少しだけ苦みを帯びたヒーローになるはずだ。
総合的に見ると、激辛な部分も散見される。脚本に雑なところがあったり、登場人物の行動が強引だったり、ヴィランが多すぎてやや扱いきれない感じもある。だが、この作品はあくまでも“多元宇宙大集合”という壮大なイベントがメインディッシュ。こういうお祭りに理詰めを持ち込むのは野暮と言われても仕方ないかもしれない。大勢のスパイダーファンにとっては、この出会いそのものが尊いのだ。もし不満や疑問を抱えたとしても、彼らがスクリーンに集結するだけで大満足、という人も多かろう。むしろあのエンディングの寂しさこそが、次の物語への期待を燃やすスパイスになっているのではないだろうか。
映画「スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム」はこんな人にオススメ!
まず過去のスパイダーマンシリーズを一通り観ている人には、間違いなく刺さる内容だ。なにしろ、見慣れたあの顔が次々と現れて意外な形で再登場するため、「そう来たか!」と興奮するだろう。特にトビー・マグワイア版やアンドリュー・ガーフィールド版をリアルタイムで観た世代は、懐かしさと衝撃が同時に押し寄せてくるはずだ。これまでの作品を全部復習する時間があるなら、事前に再視聴しておけば喜びも倍増すると思われる。
一方、MCU版のライトな雰囲気が好きな人にもおすすめだ。本作はコミカルな掛け合いが多く、テンポも良いので、深刻になりすぎずに楽しめる。ただし、結末は意外に重く、主人公の心情変化がこれまでになくシリアスに描かれる。思春期ヒーローの葛藤を見守ってきたファンにとっては、かなり大きな節目を感じるだろう。
また、ヒーロー映画の“お祭り的”要素を存分に味わいたい人にぴったりでもある。バトルシーンやド派手な合体攻撃など、盛り上がりどころを詰め込んだスペシャルパッケージのような仕上がりだからだ。もしかすると、ストーリーの細部よりもアクション重視でワイワイ楽しみたい層にとって最高の一本かもしれない。そういう意味で、真面目なヒーロー映画よりお祭り騒ぎを味わいたい人に向いているだろう。
ただし、スパイダーマンというキャラにあまり思い入れがない人だと、「なんでこんなにみんな熱狂してるの?」と戸惑う可能性もある。やはりシリーズに対する愛着がある程度ないと、最大の面白さを実感しづらい部分があるかもしれない。それでも派手なアクションや多彩なキャラクターのぶつかり合いを眺めるだけでも楽しい要素は多いので、アメコミ映画初心者でも気軽に挑戦してみてほしい。
まとめ
本作は、長年にわたり積み重ねられてきたスパイダーマンの歴史を一挙に掘り起こし、ファンに驚きを提供する一大クロスオーバーのような趣がある。ヴィランたちの競演やピーター同士の共闘など、まさに“こんなの見たかった!”という場面のオンパレードで、観客を熱狂させる仕掛けが満載だ。その一方、物語が飛躍しすぎて若干の強引さを感じる場面もあり、細かいロジックを気にする人には気になる部分があるかもしれない。
とはいえ、シリーズを愛する者にとっては夢のような時間を味わえるはずだ。脚本の荒さも吹き飛ばす勢いでキャラクターが入り乱れ、途中で笑ってしまうほどの豪華さを見せつける。ラストシーンで主人公が迎える過酷な運命は、同時に“原点への回帰”とも言える意味深い展開で、もしかすると今後の方向性を大きく広げる布石なのかもしれない。盛り上がりと切なさが同居した本作を通じ、改めて“隣人ヒーロー”の底力を実感できるだろう。