映画「死刑にいたる病」公式サイト

映画「死刑にいたる病」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

この作品は、いわゆる連続殺人事件を軸に据えながら、どこか人間の心の闇をえぐり出すような刺激的な要素を盛り込んでいるのが特徴である。阿部サダヲが演じる犯人役の男は、パン屋の店主という一見のどかな顔を見せながら、ひとたびベールを剥いだときに垣間見える狂気が相当に鮮烈だ。劇中では若手俳優陣が多く登場し、一人ひとりがじわじわと追い詰められていく様子がリアルに描かれているため、「こんな罠にはまったらどうなるのか」という妙な緊張感を常に抱えさせられる。

さらに、当初は素朴で優しげに見えた登場人物が、物語後半にはまるで豹変するかのように恐ろしい行動を取るシーンもあり、その振り幅が見どころの一つである。観客が「なぜこんなことを?」と問いただしたくなる展開も少なくなく、先読みしようにもいい意味で裏切られてしまう。同時に、あまりに現実離れした要素も多いので、肩の力を抜いて観ればエンタメとして楽しめる面もある。

本編の冒頭からラストシーンまで、痛々しさと驚きに満ちているのが本作の魅力といえよう。こんなにスリリングな映画を撮るとはさすがだと思わされるし、役者陣の体当たりの演技にも唸らされる。ちょっとばかりキツい描写もあるが、これこそが“激辛”という表現にふさわしい映画体験である。

映画「死刑にいたる病」の個人的評価

評価: ★★★☆☆

映画「死刑にいたる病」の感想・レビュー(ネタバレあり)

阿部サダヲが演じる連続殺人犯・榛村大和の存在感が、とにかく強烈である。表向きは穏やかなパン屋の店主で、年若い客に対しても愛想がいい。ところが、そこから一転して20名以上にも及ぶ凄惨な事件を引き起こしたという設定が、おぞましさを際立たせている。しかも、ただ無軌道に暴れ回る怪物かというとそうでもなく、特定のターゲットを洗脳するように操っていく知能犯的な面もあるため、怖さの質がひと味違うのだ。

劇中で描かれる手口は、段階を踏んで相手の心をこじ開けていくものになっている。気づいたときには逃げ場がないという締め付け方は、被害者の青年少女だけでなく、観ているこちらの精神までも追いつめてくる感覚がある。なかでも、パン屋に足繁く通う常連をあえて選ぶ行為が示すように、距離を縮めたうえでの支配や依存を誘発するのがポイントであろう。それだけに、阿部サダヲ演じる榛村は、“うっかり信用してしまいそうな明るい人柄”を表面に漂わせているところが厄介だ。いたずらに声を荒らげず、しかし言葉巧みに人間の内面を崩していく様が、人を嗤う悪魔のようでもある。

そして、本編の肝ともいえるのが、大学生の雅也(岡田健史/現・水上恒司)が受け取る一通の手紙である。死刑囚である榛村から届いたその手紙をきっかけに、雅也は事件について調べることになり、やがて多くの秘密を知っていく。その過程では、かつて榛村が運営していたパン屋に通っていた中学生時代の記憶や、実家の家族関係、さらには母と榛村との因縁めいたつながりなどが徐々に明らかになる。自分がどのように生まれ、どうしてこんな大学生活を送るはめになったのか。雅也の過去がひもとかれていくにつれ、彼が抱えるコンプレックスや憤りが浮かび上がってくる。ちょっと過激に言えば、彼の中にも榛村と似通った凶暴性の芽が潜んでいた可能性を否定できないのである。

いわゆる“親子”かもしれない疑いに加え、榛村が「これは自分の犯行ではない」と主張する事件の真相を追ううちに、雅也は見事に翻弄されていく。一体どこまでが真実で、どこからが偽りなのか。榛村の発言には、こちらを煙に巻くトリックがそこかしこに仕込まれているのだが、実際のところ彼の言葉を聞いているうちに「もしかしたら冤罪かも?」と思ってしまうような説得力がある。観客もまた雅也と一緒に「本当に違うのでは?」と疑心暗鬼にさせられるだろう。榛村の一部の“優しいふり”が、のど元にするどく突きつけられる狂気を余計に鮮明にする。

また、本編の終盤にかけて登場する別の人物たちも、榛村の影響を強く受けた存在として登場する。幼い頃に刃物で傷つけ合う“遊び”を強要された男性や、元の生活を壊されて今なお精神的な苦しみを引きずる女性など、いずれも普通の暮らしを送っていたかもしれないのに榛村の策略に巻き込まれ人生を歪められている。その事実は、事件の被害者が単純に殺されただけではないことを示している。つまり、生き残ったとしても癒えないトラウマを抱える人々を生み出した点で、この犯人の罪深さは計り知れないわけだ。

とりわけ怖いのが、この犯人がただ衝動的に人を襲うだけではなく、“計画的に長期的な苦痛を与える”ことに執着しているように見えるところである。逃した獲物を後になって再び追い詰め、周囲をも巻き添えにする形でじわじわと追いつめるやり方は、残酷極まりない。自白するかと思いきや「あの事件だけは僕じゃないんだ」と言い張ることで死刑の確定を遅らせ、さらに捜査する人間や世間を撹乱させる。その悪趣味ともいえる手管は、まさしく“生殺与奪を楽しんでいる”の一言に尽きる。

そうした榛村の思惑にハマってしまった雅也は、道端で肩がぶつかった相手を衝動的に暴行してしまう一幕さえあり、「自分の中にこんな攻撃性があったのか」と動揺する。しかも、その直後に再会する元同級生の女性まで、妙に挑発的な雰囲気で雅也に接近してくるものだから、さらに混乱は加速する。本来なら心を通わせる喜びに満たされるシーンですら、「これも榛村に仕組まれた罠なのでは?」という疑念がぬぐえない。観ている方まで「まさかこのキャラも裏があるのか」と勘繰ってしまうのだ。

物語のラストに近づくにつれて、監督はこれでもかというほど不穏な暗示を重ねていく。死刑囚が拘置所にいる状態でさえ、なお他者を操ろうとする執念は恐るべきものがある。周囲の人間も、いつの間にか榛村の思想に取り込まれているのではないか。結末に至るまで「これは一体どこまで広がっているのか」と疑心暗鬼を誘うように脚本が作られているため、最後の最後まで目が離せない。

そんな底知れぬ恐怖だけでなく、「いやさすがにこんな都合よく人が洗脳されるわけないだろう」と思えるオーバーな展開も含まれているので、ある種の娯楽性も感じられるだろう。あまり深刻に考えすぎると消耗が激しいが、割り切って「究極の悪意」をエンタメとして捉えれば、終始ヒリヒリとした独特の緊迫感を味わえる。

俳優陣の熱演がまた素晴らしい。阿部サダヲは当然ながら唯一無二の怪演を見せつけており、ときに優しく見える演技との落差が痛烈である。対する岡田健史(現・水上恒司)は、抑えたセリフまわしの陰にある少年性と不穏な感情を巧みに行き来させる表現が印象的で、観る者に不安を与えつつ同情心も引き出してくる。その結果、物語がぐいぐいと深みを増していくのだ。

映像面でも、拘置所の面会シーンや山中の殺害現場など、ポイントとなる場面での撮り方にこだわりが感じられる。ガラス越しの面会室でのやりとりは緊張感が倍増し、閑散とした山の光景は得体の知れぬ恐怖を増幅させる。監督はあくまで「フィクションだからこそ振り切って描ける」と割り切っているようで、痛みの描写も相当に強めである。正直、体の弱い方や血の苦手な方には厳しい部分もあると思うが、この激しさこそが作品に強いインパクトを与えているのは間違いない。

そして何より、終盤に見せるひと捻りが後を引く。全てが片付いたかと思いきや、なおも誰かが榛村の呪縛にとらわれているかのような幕引きで終わるため、「まだ物語は終わっていなかったのかもしれない」と冷や汗が流れる。その余韻は、ある意味で本編を観終わったあとに読後感のようなざわつきを残す。観客は「こいつは本当に死刑になって終わりなのか?」と怪しみつつ、どこか現実社会に潜み続ける悪意の種に思いを馳せることになるのだ。

刺激的でありながら一筋縄ではいかない作品だといえる。殺人犯の動機や経歴を丹念に追うミステリーとしても面白いし、人の弱みにつけこんで搾取する卑劣さを極限まで描いた社会派ドラマとしても捉えられる。鑑賞後には「あのシーンにはこんな狙いがあったのか」などと語り合いたくなる部分が多いので、気の合う仲間と感想をシェアすると盛り上がるだろう。目を背けたくなる残酷描写が苦手でない方なら、体験しておいて損はない一本である。

映画「死刑にいたる病」はこんな人にオススメ!

まず、血なまぐさい表現や陰湿な精神攻撃といった重たい要素に抵抗がない人に推したい。いわゆるスリラー系やサスペンス系の刺激を求める人には十分すぎるほど刺さる内容である。特に「人間の裏の顔」や「洗脳」「マインドコントロール」に興味がある人にはたまらないはずだ。序盤から中盤にかけての謎解き要素も豊富なので、動機や犯人の手口を推理しながら楽しめる作品を探している人にも向いている。

また、役者同士の演技合戦を観察するのが好きな方にも強く勧めたい。阿部サダヲの奇怪な演技だけでなく、主人公を演じる俳優の心の移ろいが妙にリアルで、「こんな状況に巻き込まれたら自分はどうするだろうか」と感情移入してしまうのだ。そこには単なるホラー映画を超えた人間ドラマの要素が凝縮されており、台詞回しや表情の変化に注目すると深く味わえる。

さらに、多少荒唐無稽な展開でも勢いよく楽しめる人ならば、この作品の“ご都合主義”っぽい部分も気にしないだろう。むしろ、その非現実さが怖さを増幅させる効果にもなっているので、一種の悪夢を覗き込む感覚で鑑賞すると面白い。とにかく、暗い題材だけど謎を解き明かしていくスリルや、役者陣の壮絶なぶつかり合いを堪能できるタイプの人には是非手に取ってほしい作品である。

まとめ

ここまで振り返ってみると、映画「死刑にいたる病」は連続殺人の真相を追うミステリー要素と、深いトラウマを抱える被害者たちの姿を通じて描かれる心理サスペンス要素のどちらも楽しめるのが大きな魅力だといえる。

何より、阿部サダヲの凄まじい存在感は映像ならではの迫力であり、その邪悪さに引き込まれつつも「やめてくれ」と叫びたくなる恐怖心が湧き上がってくる。  また、ストーリー後半に用意された数々の仕掛けは、一度観ただけでは理解しきれない部分もあるかもしれない。だからこそ、二度三度と鑑賞して裏テーマを探るのも面白いだろう。

観るたびに「ここにも伏線が」というような発見があるし、登場人物の言動の裏側を読み解けば、さらに恐怖が深まること請け合いだ。苦手な人には重すぎる題材ではあるが、強烈な映画体験を欲しているなら、観る価値は大いにあると断言できる。