映画「シン・ウルトラマン」公式サイト

映画「シン・ウルトラマン」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

本作は、あの国民的ヒーローとして長く親しまれてきた作品を、現代の視点で大きくリブートした一本である。公開当時から様々な話題を呼び、旧来ファンのみならず新規の観客をも巻き込んだ盛り上がりを見せた。その背景には、往年の特撮イメージを残しつつも、斬新なアプローチが光っている点が挙げられる。だが、一方で「思ったよりあっさりした仕上がり」との声も存在し、人によって評価がかなり割れるようにも感じられた。

本記事では、本編のポイントを踏まえながら、個人的な視点で鋭く(ときに軽妙なノリも交えつつ)率直な感想を述べていきたい。子どもの頃に特撮を観て胸を熱くした人はもちろん、未体験の方でも楽しめるかどうかを検証しながら、物語の核心や登場キャラクターの魅力を探ってみる。細部にわたるネタバレを含むため、未見の方は注意して読み進めてほしい。ここから先は、一歩踏み込んだ“本気の”レビューとなるゆえ、心の準備をお忘れなく。

映画「シン・ウルトラマン」の個人的評価

評価: ★★★☆☆

映画「シン・ウルトラマン」の感想・レビュー(ネタバレあり)

本作品は、1960年代のテレビシリーズを下敷きにしながら、現代社会で巨大ヒーローや怪獣が出現したらどうなるのかを再検証するような試みが感じられる。ただし、あの硬派な雰囲気を目指した過去の関連作とは少し異なり、軽快なテンポで物語を駆け抜けていくのが特色だ。

まず印象的なのは、導入部で連発される禍威獣たちの存在感である。オープニングにおいて、「ウルトラQ」の怪獣を想起させる生物がリズム良く登場し、わずかな時間で近年の怪獣災害史を一気におさらいする。従来作品を観ていた者には懐かしさが募るし、初めて触れる観客でも「この世界には昔から何度も巨大生物が姿を現し、人類は対策に追われてきたんだな」と自然に把握できる構成になっている。

次いで、本編では本映画独自の禍特対(かとくたい)という組織が描かれる。ここには実力派俳優がそろい踏みし、困難に立ち向かう。メインキャラクターである神永新二は、一見すると静かだが内面に何かを抱えているタイプ。そんな彼が、謎の銀色巨人と深くつながっていると分かっていく展開は、旧来ファンなら当然想定内でもあり、新規の観客にとっては“あの人がヒーローだったのか!”というサプライズになるだろう。

ネロンガやガボラといった禍威獣との戦闘シーンは、原典を踏まえながらも大幅にアップデートされている。映像技術が進化したことで、透明化や放射性物質を取り込む禍威獣の姿が生々しく表現されているのだが、ノスタルジーを感じさせる演出もしっかり残されているため、今風の怪獣映画としての壮大さと懐かしさが同居しているのが特徴だ。

そして、突如として登場する外星人が物語の転機をもたらす。ザラブやメフィラスといった面々は、単なる“宇宙人が攻めてくる”という図式にとどまらず、国家間の駆け引きや地球人への誘導を仕掛けたりする。特にザラブの策略は、政府を巻き込みつつ人類同士を争わせる危険なもの。視聴者も含め、「いったい誰が味方で誰が敵なのか」という緊張を強いられる点は、現代的な政治スリラーのテイストが取り入れられているようにも見える。

物語中盤、にせウルトラマンが街を破壊し、人々が恐怖に陥る場面はかなり衝撃的だ。従来のヒーロー像を裏返したような映像で、「もしヒーローが偽物だったら?」という不安をダイレクトに突きつけてくる。この辺りは、過去のシリーズを踏襲しながらも、現在の映像ならではの迫力とスピード感があり、その演出意図は十分に伝わってくる。

にせウルトラマンの正体であるザラブが倒された後、さらに大きな存在として姿を現すのがメフィラスである。彼は単に侵略を目的とするわけでもなく、人類の手で自らを巨大化する技術を管理させ、人類を外星人にとって“利用価値がある存在”へと変えていく構想を持っている。ここには、「地球の運命は実はあらゆる外星人の争奪対象になっているのではないか」という不気味さが潜んでおり、ヒーロー映画らしいわかりやすい対立ではなく、静かな交渉戦を思わせるところが見どころだ。

本作品は後半になるほど対話や政治的駆け引きが増え、実際のところウルトラマン=神永が登場するシーンは思ったより多くはない。しかし、そのぶん一度巨大化して光の巨人となった際のインパクトは絶大だ。スペシウム光線をはじめとするおなじみの必殺技や、新たなビジュアルで繰り出される蹴りや投げ技は、懐かしくも迫力があり、スクリーン映えする。カラータイマーが無くなったことで活動時間の制限はどうなるのかと思いきや、体色の変化でエネルギー切れを表すアイデアなど、オリジナル要素との対比が巧みに組み込まれているのも印象深い。

クライマックスでは、光の星の一員であるゾーフィが「地球を消滅させる」と宣告し、最終兵器ゼットンを引き連れてくる展開が待っている。往年のシリーズ最終回と似たような構図をとりながらも、本作品では人類が自ら導き出した計算式と手段で危機を乗り越えようとするのがポイントだ。ここに込められたメッセージは、単にヒーローが救ってくれるという図式に安住させず、「人間自身が歩むべき道を切り開くべきだ」という意識を感じさせる。

ただし、人によっては「もう少しヒーローらしさを前面に出してほしかった」「あのデザインをもっと長尺で見たかった」と思うかもしれない。実際、戦闘シーンは多いわけではなく、ドラマ部分が比較的駆け足ぎみに積み上げられていく印象もある。そこを濃密だと評価するか、物足りないと感じるかは観る人次第だろう。

また、本作品はコミカルなやりとりや軽妙な言葉回しが所々に散りばめられている一方で、ほんの少しだけ異性間の距離の詰め方に強引さを感じるシーンもある。例えば浅見が突如巨大化させられてしまう場面では意外性があって面白いものの、彼女と神永の個人的な距離感がいつの間にか急接近しているようにも見え、唐突さを覚える部分があった。もっと丁寧に描けば、登場人物たちの絆に対してさらに感情移入できただろう。

いずれにせよ、本作品は誕生から半世紀以上愛され続けるヒーローを再定義し、現代の映像表現に落とし込むとどうなるかを真剣に追究した姿勢が見える。かつてのシリーズにあったロマンや壮大さを、ビジュアル的にもストーリー的にもアップデートしつつ描いている点は大きな見どころだ。「巨大ヒーロー」と聞いて身構える人にも意外と入りやすい内容で、一方で往年のファンには小ネタがたっぷり仕込まれている。この両面をきっちり両立させたことは素直に評価したい。

本映画は大いなる挑戦の成果であり、「古典特撮の精神を今なお継承しつつ、令和の世に放つ」という気迫が伝わってくる一作だ。期待値が高すぎて拍子抜けした部分や、新規層が置いてけぼりを食いそうな設定の突っ込み具合などは多少あるにせよ、完成度と挑戦精神のバランスはまずまず優れていると感じる。往年の名作のパロディに終わらず、ちゃんと“新しい物語”として成立しているところが好印象である。

映像面の見せ場としては、ゼットン戦における光の粒子表現や、ウルトラマンがブラックホール級のトリックを狙うくだりは、いかにも現代風で壮大。ラスト近くでゾーフィが提示する選択肢は、これまでのウルトラシリーズにも通じる“宇宙から来た高次存在と人類の違い”を再度問いかけているように映る。そこに神永=ウルトラマンがどう応えるのかを見届けることこそ、本作の真骨頂といえるだろう。

そして終幕後、一歩引いて改めて思い返すと、やはり最大の魅力は“銀色の巨人”としての神々しさと、その裏で必死に策を巡らす人間たちの姿にあると感じた。いかに巨大な存在が出現しても、最終的には人間自身の手で問題を解決しようとする集団がいてこそ、ドラマとして成立する。禍特対のメンバーが自ら知恵をしぼり、科学を駆使して活路を見いだす流れは、まさに王道の特撮活劇らしさの体現だ。

旧来ファンならば、「あの怪獣は元ネタのこういうアレンジか」「あのBGMは昔のシリーズの○○曲だな」といった発見が至るところにあり、観れば観るほどに味わい深い。一方、新規ファンは巨大生物や異星の存在と向き合う地球人の苦闘を通じて、シンプルにSF映画として楽しめる余地がある。テーマの根底にあるのは“他者を受け入れること”や“人間としての尊厳”のように思えるが、それを説教臭くなく、エンタメ要素に落とし込んでいる点も好ましい。

そうはいっても、人によってはザラブやメフィラスら外星人との対話パートが長く感じられるかもしれない。もっと単純に怪獣バトルを堪能したかった、と思う向きには多少の物足りなさが残る。それでも、こうした交渉と戦闘が複合的に絡むストーリーの方が、今の時代には合っているのかもしれない。本作は“巨大ヒーローが怪獣を倒して万事解決”という一言では済まない展開を提示しつつ、人々の思いを丁寧にすくい上げているように感じた。

結局のところ、この映画の評価を決めるのは、鑑賞者が“ウルトラマン”という存在に何を求めているか次第でもある。子どもの頃に胸を踊らせた、怪獣相手のスカッとする戦いを求めるか、それとも未知の生命体との対話を含めたSF要素を味わいたいか。いずれにしても、本作は大胆なアレンジを施しつつも、しっかりと“あのヒーロー”をスクリーンに甦らせ、最終的に大きなカタルシスを与えてくれる。そこは揺るぎない魅力だ。

ラストのウルトラマンとゾーフィのやり取りには、シリーズ伝統のテーマが再び顔をのぞかせる。すなわち「人間と一体化したヒーローは、最後にどう道を選ぶのか」という問いだ。本作では、人間の命を守りたいという強い意志がウルトラマンを突き動かし、その先で重大な決断を下す。これは原典ファンにとってはグッとくるし、初見の人にも分かりやすいドラマ性があると言えよう。

以上のように、本作品には特撮ファンを狂喜させるオマージュや、深く考えるほど味わいが出る設定が多々盛り込まれている。一方、密度が高い分、駆け足感のあるプロット運びで突き進むため、何も予備知識がないと「どこをどう楽しめばいいのか」が少々分かりづらいかもしれない。とはいえ、その取捨選択も含めて“今”のウルトラマンを映し出しているのだろう。

総合的に見ると、本映画は“激辛”と銘打ちながらも、ファンなら見逃せないポイントが山ほどあるし、SFやヒーロー映画に興味を持つ人なら十分にエネルギッシュな時間を楽しめる作品だと感じた。シリーズの歴史と現代性がせめぎ合いながら作られたからこそ、賛否は分かれるかもしれない。しかし、それこそが新たな挑戦の証であり、本作品の最大の魅力でもある。興味があるなら、自分の目と耳で確かめてほしい。

映画「シン・ウルトラマン」はこんな人にオススメ!

本映画を強く勧めたいのは、まず「特撮を懐かしむ層」だ。子どもの頃に怪獣や巨大ヒーローにワクワクしながらテレビ画面にかじりついていた人であれば、間違いなく見どころ満載といえる。あの番組の名場面をオマージュしているような部分や、昔とは違う画づくりでありながらも意外に原典を大切にしている空気感など、「なるほど、ここはこうきたか」という楽しみ方ができるだろう。

一方、普段はあまり特撮に触れない人にも、この映画は魅力的だと感じる。というのも、国家レベルの緊急事態や外星人との外交など、社会派の視点を織り交ぜたドラマが展開するからだ。怪獣が街を襲うスリルに加えて、政府や禍特対が頭を悩ませる場面も多く、単なる「巨大ヒーローVS怪獣」という図式を超えた深みがある。特撮を知らなくても、SFやパニック映画、あるいは政治劇のような味わいを一度に楽しめるのだ。

さらに「ちょっと変わった視点でヒーローものを味わいたい」という人にもおすすめである。本作では、にせウルトラマンやメフィラスといった存在が、単純に地球を脅かすだけではなく、心理戦や交渉術を駆使してくる。いわゆる勧善懲悪一辺倒のヒーロー映画ではなく、人間側も外星人側も様々な意図を持って行動し、それが複雑に絡み合う。最後まで誰が味方で誰が裏をかいているのか分からないスリルを味わいながら、ウルトラマンが勝利を手にするためのプロセスを見守るのは、なかなかスリリングだ。

結局は、特撮ファンはもちろん、SF的なテーマや政治・社会ネタが好きな人、そしてヒーローものをちょっと変化球で楽しみたい人など、幅広い層にアピールしうる作品だといえる。特撮や巨大ヒーローの世界に少しでも興味があれば、ぜひ一度は体験してみてほしい。

まとめ

本記事では、新時代に甦った銀色の巨人が活躍する作品について、ネタバレを交えつつざっと振り返ってきた。映像表現の進化は当然として、怪獣や外星人の扱い方にも「新しさと懐かしさ」が同居しているのが特徴で、往年のファンならニヤリとする場面も多い。とはいえ、本作品の評価が両極端に分かれるのも無理はないだろう。巨大ヒーローに求めるものが人によって異なり、斬新なアレンジが好評にもなれば「もう少し王道でいてほしかった」という声にもなるからだ。

それでも、半世紀以上にわたり愛されてきたシリーズをここまで鮮やかに再解釈し、現代の映画としてまとめ上げた姿勢は称賛に値する。人類が置かれた状況に対して「ヒーローに頼るだけでいいのか」と問いかける姿は、今の世相にも通じるテーマと感じるし、大人が観ても噛み応えのある一本である。少しでも興味を持ったのなら、真っ向から向き合い、どんな感想が自分の中に生まれるのかを確かめてみるのがいいだろう。