映画「バスカヴィル家の犬 シャーロック劇場版」公式アカウント

映画「バスカヴィル家の犬 シャーロック劇場版」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

謎解き要素と人間ドラマが見事に交錯する一本でありながら、あえて言わせてもらうと“スカッとしない”部分も多く、観終わった直後には何とも言えない苦味が残る作品だと感じた。ディーン・フジオカ演じる誉獅子雄のクールかつ鋭い推理は魅力的だし、岩田剛典が演じる相棒の若宮潤一も共感しやすい立場で物語を牽引している。だからこそ、綺麗事では終わらない一族の愛憎模様がより強烈に突き刺さってくるわけだ。

探偵ものの爽快な謎解きだけを求める人にとっては、やや意表を突かれる展開かもしれない。蓮壁家の闇と復讐の構図が、いっそ救いのないほどに重く、そして最後の結末まで後味の苦さを引きずる。しっかりと心の準備をしてから鑑賞しないと、その毒気にやられてしまうかもしれないが、それこそがこの映画の大きな魅力とも言えるだろう。

映画「バスカヴィル家の犬 シャーロック劇場版」の個人的評価

評価: ★★★☆☆

映画「バスカヴィル家の犬 シャーロック劇場版」の感想・レビュー(ネタバレあり)

本作は“魔犬の呪い”というオカルト要素をはらみつつ、実際は人間の欲望と復讐心が絡まり合う重厚なサスペンスだ。ここで繰り広げられるドラマは、単なる名探偵ショーでは終わらない。誰しもが“真実”を抱えながら、それぞれの正義を貫こうともがいているからだ。

まず、ディーン・フジオカ扮する誉獅子雄と、岩田剛典扮する若宮潤一の“探偵と相棒”ぶりはドラマシリーズ同様に際立っている。誉獅子雄は理屈と論理を武器に淡々と事件を解きほぐすが、どこか人情味に欠ける面もある。若宮潤一は彼の強烈な個性に振り回されつつ、常識的な視点で読み解こうとする。この凸凹が生む掛け合いに魅了されるファンは多いだろう。ただ、本編ではこのバディの活躍以上に、蓮壁家に潜む闇の深さが圧倒的な印象を残す。

瀬戸内海に浮かぶ霞島に住む大富豪・蓮壁家に起こった“誘拐事件”と当主の急死。これが物語の発端だ。一見すると不気味な洋館や“魔犬”の噂など、伝説じみた要素がまぶされているが、実際の犯罪トリックは現実に根ざしたもの。古典的な“化かし”ではなく、ドローンを用いた怪奇演出など、今どきの技術が組み込まれている点も見どころと言える。

しかしながら、この作品の核心は“家族とは何か”という問いに集約されている。蓮壁家が抱える因縁は、過去の誘拐事件に端を発する。そして、その闇に巻き込まれたのが大富豪一家と、別の家族である冨楽夫妻だ。娘を失った冨楽夫妻は長年の苦しみを抱え、真実が見えた途端に復讐の手を動かし始める。一方、蓮壁家の側には、誘拐された“紅”がいた。もともと蓮壁家の血を受け継がない“紅”がどんな待遇で育てられたのか、その冷え切った背景が明かされるほど、単なるミステリー以上の哀しさが募っていく。

紅は、自分が蓮壁家で冷遇される理由を知った瞬間、逆に強い怒りと復讐心に燃え上がったのだろう。それまで真実を知らなかったがゆえに、自分の存在意義や家族の冷たさをずっと疑問に思っていたはずだ。そこへ現れた実の両親(冨楽夫妻)が「やっと見つけた」と手を差し伸べたことで、復讐計画に一気に火がついたのは想像に難くない。誘拐劇を“演出”し、大富豪をじわじわと追い詰め、最後は狂犬病という現代においては珍しい病まで使いこなす。悪質な犯罪であることに変わりはないが、やり切れない背景を思うと一方的に批判しきれないところがある。

ただ、紅や冨楽夫妻だけが本当に悪だったかと言うと、もっと複雑だ。そもそもの原因は20年前の蓮壁家による誘拐。冨楽夫妻の娘が蓮壁家に連れ去られた瞬間から、すべてが歪んでしまった。この踏みにじられた家族の思いこそが、復讐の源流なのだ。さらに蓮壁家でも、使用人の馬場が誘拐を知りながら見逃した過去があり、当主の千鶴男と妻の依羅は“紅”を自分の子と認めない態度を貫き通していた。一度でも愛情を注いでいれば、こんな結末にはならなかったかもしれないが、それすらできなかったのが蓮壁家の業の深さだろう。

物語の後半、連鎖的に起こる死によって、蓮壁家は壊滅的な状況に陥る。紅による“復讐計画”は順調かと思いきや、使用人の馬場が依羅を手にかけ、自ら命を絶つ。馬場の遺書には、誘拐の全貌や紅に対して抱いていた思いが書かれていた。馬場は蓮壁家に仕えていた立場として罪の意識を抱え続け、最後に紅を守ろうとしたのかもしれない。一方で紅は、自分をないがしろにした蓮壁家を消し去り、実の両親と再スタートを切るはずだった。しかし、ラストでは冨楽夫妻と紅が土砂崩れにのみ込まれるという結末を迎えてしまう。若宮が「警察を呼んでいれば助かったかもしれない」という後悔を吐露する場面は重苦しく、誉は「これで苦しまずに済むのかもしれない」とつぶやく。人道的に考えれば死を肯定する理由はないが、この作品世界においては、それがいっそ救いでもあるかのように描かれているのだ。

スカッとした勧善懲悪を期待していると、本作はかえって後味が悪いかもしれない。実力派の俳優陣が演じる多面的な感情がぶつかり合い、誰もが“被害者であり加害者”という矛盾を抱えているからだ。冨楽夫妻からすれば、蓮壁家に娘を奪われてなければこんな復讐に走ることはなかっただろう。紅も、“もし最初から真実が分かっていれば”と憎むことすらなかったかもしれない。馬場のように、たとえ後悔を抱えていても弱さから逃れられなかった人間もいる。どの立場に共感するかで、感想はガラリと変わりそうだ。

ディーン・フジオカ演じる誉獅子雄は、最後まで第三者的なスタンスを貫きながらも、どこか人間味を隠せない様子が見て取れる。いわゆる“超然とした名探偵”に見えて、実は誰よりも人の痛みに敏感なのかもしれない。岩田剛典の若宮潤一は視聴者目線で事件の真相を追い、時には怒りや悲しみを率直に表現する。だからこそ、彼の「どうしてこんなむごい話になってしまったんだ」という感情が、観客の心に素直に届く。

こうしたキャラクター同士の絡みが秀逸な一方で、“魔犬”自体は古典的伝説のはずが、意外にも現代テクノロジーを駆使した犯行の一端に過ぎない。つまり、最初から最後まで“呪い”などではなく、人間の意志で仕組まれたものだ。これが物語にリアリティを与えると同時に、より深い絶望を呼び込んでいるように思う。仮に超自然的な呪いだったら、全てを“未知の力”として処理できる。でも実際にはどこまでも人間臭い計画殺人であり、悲しい過去に裏打ちされた人間たちの一大行動劇なのだ。

以上を踏まえると、本作の魅力は“推理”と“人間ドラマ”のバランスにある。探偵ものとしてのロジックの緻密さを期待する人にも満足度は高いし、悲劇的な家族の絆に惹かれる人にも刺さる。ただし、結末が決して明るくないゆえに、観る側の好みによっては賛否が分かれそうだ。いずれにせよ、名優たちが演じる重厚なドラマと、容赦ない結末はインパクト抜群。ディーン・フジオカが放つシャープな演技や、岩田剛典が体現する人間味が、あくまで“人生の残酷さ”をクールに浮き彫りにしていると言える。

しかも、終幕後にもう一度振り返ると、“あの家族たちはどこまで救われる道があったのか”と色々考えてしまう。純粋に自業自得と言える部分もあれば、もっとほかの選択肢があったのではないかと思わせる展開も混在している。正解がないからこそ、観る人の感情を大きく揺さぶるのだろう。甘いハッピーエンドを望むなら、避けたくなるタイプの作品かもしれないが、その分、強烈に記憶へと焼き付くのは確かだ。

映画「バスカヴィル家の犬 シャーロック劇場版」はこんな人にオススメ!

すっきりとわかりやすい推理劇よりも、人間同士の愛憎が交錯する濃厚な物語を楽しみたい人に向いていると感じる。例えば、ただ単に“名探偵が謎を解きました、めでたしめでたし”という筋よりも、“誰もが後戻りできない事情を抱えている”という展開に引き込まれるタイプならば、刺さるはずだ。さらに、ディーン・フジオカと岩田剛典のタッグを楽しみたい人や、舞台となる離島の雰囲気を味わいたい人にもおすすめしたい。美しい瀬戸内海の風景と不穏な洋館のギャップが印象的で、“明るさと陰鬱さ”が同居する独特の世界観が漂う。

加えて、原作の「シャーロック・ホームズ」を知っている人であっても、新しい視点での再解釈を見たいなら満足できるだろう。“魔犬”の設定が現代的にアレンジされており、クラシカルな怪奇譚で終わらないところに本作の新鮮味があるからだ。アーサー・コナン・ドイルの原作をなぞるだけではなく、日本独自の家族観や地理的特徴を盛り込んでいる点も見どころと言える。

ライトな気分で観る作品というよりは、しっかり腰を据えて集中したい映画だ。重厚な人間模様や復讐劇に興味がある人、ディーン・フジオカら豪華キャストの熱演を存分に堪能したい人には向いている。また、ドラマ版の『シャーロック』を観ていた人は、馴染みのキャラクターがスクリーンでどう動くのかも楽しみの一つ。事件の動機やトリックに潜む切なさを受け止められるなら、本作は十分見る価値があるだろう。

まとめ

蓋を開けてみれば、家族愛や復讐が複雑に絡み合う重苦しい物語だったのが、映画「バスカヴィル家の犬 シャーロック劇場版」だ。名探偵の華麗な推理に拍手を送りつつ、その背後で泣き叫ぶ人間たちの声が頭にこびりつく。正義と悪がはっきり区別されるような単純構造ではないからこそ、観終わったあとに心を乱される人も多いだろう。

だが、その余韻こそが本作の価値でもある。美しい瀬戸内海と、どこか陰を漂わせる重厚な邸宅のコントラストが象徴するように、“穏やかさ”と“殺伐さ”は紙一重で成り立つ。誰もが後悔や罪悪感を抱えていて、それぞれが必死になって生きていた結果が悲劇を招いてしまった。このどうしようもなさを受け止める覚悟がある人には、強く印象に残る作品になるだろう。