映画「最後まで行く」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!
どうにも運が悪い刑事がたった数日でとんでもない窮地に立たされる姿は、ある意味ホラーでありつつ妙に可笑しさもある。気づけばヤクザや監察官に振りまわされ、さらに身内からも睨まれまくる。こんなに詰み重なるか?と思うほど追い詰められる展開は、哀れなのにどこかほほえましい。だが内容は決して甘くない。命をかけた攻防が繰り広げられる様は、観る者を嫌でも引き込む。
本稿では、その過程や演技、さらには日韓リメイク特有の違いや作品の魅力に迫りつつ、辛口に語り倒していく。岡田准一や綾野剛の迫真の演技から広末涼子や柄本明、磯村勇斗に至るまで、誰もが一筋縄ではいかないキャラクターを見事に表現している点も見どころだ。果たして物語の行き着く先に光はあるのか、それとも地獄の底まで転げ落ちるのか。笑っていいのか震え上がるべきか迷う瞬間も多いが、今回はその全貌を容赦なく掘り下げようと思う。
映画「最後まで行く」の個人的評価
評価: ★★★☆☆
映画「最後まで行く」の感想・レビュー(ネタバレあり)
まず最初に声を大にして言いたいのは、主人公の工藤(岡田准一)の“引きの悪さ”がとにかく凄まじいことである。通常、人はそこまで不運が重なるものだろうか、というレベルでトラブルが湧いてくる。母の危篤で慌てている最中に裏金問題が浮上し、検問に捕まり、さらには目の前に飛び出してきた男(磯村勇斗扮する尾田)をうっかり轢いてしまう。しかも後から知ることになるが、その尾田こそ警察組織を揺るがすほどの“鍵”を握っていた人物なのだから恐ろしい。
工藤の立場は「なんちゃって悪徳警官」というより、ズブズブに染まりつつあるが抜け切れない男という印象だ。飲酒運転はするし、ヤクザの仙葉組から小遣いをもらった過去もある。だが本人いわく、それほど悪気があったわけでもない。ただし、そんなグレーな行動がついにバレて、すべて工藤一人に責任をかぶせられそうになる。このあたりから既に風雲急を告げる雰囲気で、「もうどうにでもなれ」とやさぐれても仕方ないのだが、彼にはまだ家族がいる。ほぼ離婚寸前とはいえ、妻の美沙子(広末涼子)と愛娘だけは守らなくてはならない。その一心が工藤をあらぬ方向へ突き動かす。
ここまででもう面倒事だらけだが、さらに検問でトランクの中を怪しむ警官(交通課の梶)がしつこい。その場では監察課の矢崎(綾野剛)が割って入って一応助けてくれたかに見えるが、あろうことか、こいつこそが工藤を地獄へと追い詰める元凶なのである。どうやら矢崎は何者かに逃げられ、隠し金庫の鍵を奪われてピンチらしい。その“何者”こそ轢かれた尾田というわけで、死体を始末しようとする工藤を執拗に追いかけはじめるのだ。
工藤が取った行動は、映画史でもなかなか稀に見る荒技である。なんと母の棺桶に尾田の遺体を詰め、火葬場で一緒に焼いてしまおうというのだ。普通なら「さすがに頭おかしいのでは?」と言いたくなるが、工藤にとっては切羽詰まった末の苦肉の策。しかもこのとき、火葬を担当する方や警備員が現れるタイミングがよりによって絶妙すぎる。天井裏を通気ダクトで這いまわり、母の眠る棺に他人の遺体を無理やり押し込むシーンは、笑っていいのか恐ろしがるべきか迷うところだ。しかしながら、このドタバタ感が作品全体の醍醐味を底上げしており、滑稽さとシリアスさの絶妙なバランスを生み出している。
ところが世の中そう簡単にはいかない。火葬が完了するまでにさらなる邪魔が入るのだ。同僚の久我山(駿河太郎)は工藤の不審な行動に気づいて問い詰め、ついには真実を知るに至る。だが意外なことに久我山は「娘を救うためなら仕方ない」と協力を申し出てくれる。ここに少しばかり「まだ人間らしい絆が残っている」とほっとするのだが、当然このままうまく進むわけもなく、矢崎がそこに割って入る。監察官の矢崎は上司の植松本部長の娘との結婚を控えたエリートコースまっしぐらのようでいて、実態はかなり病的な野心家だった。金庫の鍵を握る尾田をどうにか回収しないと自分の将来が崩れる。だからこそ、工藤を利用しようと躍起になるわけだ。
矢崎にはもう一つ暗い背景がある。父親同然の植松本部長に虐げられ、同時に莫大な裏金の管理を任されていたにもかかわらず、その金庫を開くために必要な自身の指紋情報まで偽スタッフに盗まれてしまう。追い詰められて暴走し、本部長を殴り殺すというショッキングな展開を見せる。ここが綾野剛の恐怖演技の見どころであり、怒りや悲しみ、やり場のない悔しさが渦を巻いて暴発する様子は目を覆いたくなるほどだ。「ああ、もうこの人に理屈は通じない」と観客が理解する瞬間でもある。
さて、そんな矢崎に娘を人質に取られた工藤は、時間内に尾田の死体を用意しろと脅される。尾田の死体には爆弾を仕込むという狂気のカウンター攻撃をもって、娘を救い出そうと決死の行動に出るわけだが、爆発オチで「これで勝った!」と一瞬すっきりした表情を見せる工藤に対し、「いやいや、綾野剛演じる矢崎がそんなあっさり終わるわけがないだろう」と全観客がツッコミを入れたことだろう。案の定、矢崎はそこから不死鳥のごとく蘇る。ここまでくると怪談の幽霊ばりに執着が強い。正直、矢崎のしつこさと弾力性は恐怖を通り越してギャグに近いものがあるが、それがまた本作の魅力でもある。
そして、ようやく辿り着いた善明寺の金庫には、想像を絶する額の札束が山積みにされていた。それを目にした工藤の心境は、地獄から天国へ上昇したかに思える。が、ここでも事態は一筋縄ではいかない。じつは本当の黒幕はヤクザの仙葉組長(柄本明)であり、この組織こそが一番美味しいところをかっさらう算段だったのだ。序盤でちらりと示唆された「砂漠のトカゲ」の話は、まさに工藤や矢崎の生き様を示唆している。熱い砂に足を焦がしながら、抜け出す術も覚悟もないまま、同じ場所でただ必死に耐える。そこから出る方法はあるにはあるが、とんでもないリスクや代償が伴う。その鍵となるのが莫大な金。工藤はそれに手を伸ばしそうになるが、最後の最後で思い留まる。ところが、すでに遅い。矢崎が血みどろの状態で出現し、二人は壮絶なアクションを繰り広げることになる。
この最終バトルシーンは息もつかせぬ大乱闘で、札束が舞い落ちる中、銃撃に肉弾戦にと映画的カタルシス満載だ。そうこうしているうちに「やっと勝てた…」かと思えば、今度は仙葉に背後を突かれる。まさにトカゲがワンチャン逃げ出そうとしたところを捕獲されるように、最後まで見事に踊らされている。スタンガンで気絶させられた工藤が目覚めた頃には、新年の朝陽が差し込んでいた。金庫の金はすべて奪われ、娘や妻のもとへ帰るしかないのだが、わずかな希望にすがるかのように電話をかける工藤の姿には、少しだけ人間らしい温かみも感じられる。ただし、その“ほっとした”一瞬をぶち壊すのが矢崎だ。まるでホラー映画のラストシーンかというほど不気味な笑みを浮かべ、車で後ろから体当たりしてくる。この“もう終わってくれよ”感がたまらなく絶望的かつ滑稽だ。
結局、物語の大筋としては「砂漠のトカゲは最後まで砂の上をのたうち回る」という形で幕を引く。ラストで明確に誰が生き延びたか、どうなったかをはっきり示さないのは、それ自体がこの作品の“苦い後味”なのだろう。二人の男がどこまでも傷つけ合い、転がり続ける。そうやって地獄の果てまで行くのか、いや、あるいは人生をやり直すきっかけを掴むのか。答えは出ないまま、エンドロールが流れていくのである。
本作は泥沼スリラーとコメディ的要素を同居させた不思議な快作といえる。日韓リメイクで比較してみると、遺体の処理方法や悪役の構成など微妙にアレンジが効いており、日本らしい火葬文化をどう利用するかが見どころだ。さらに、矢崎のキャラクターがかなり独自色を出しており、綾野剛の“オカシミ漂う怖さ”を堪能できる。あっさり終わってくれない不死身ぶりも、インパクト抜群。岡田准一は、こうしたハードなアクションに定評がある一方、表情芝居で追い詰められていく雰囲気をしっかり出していて見応えがある。
キャスト陣の相乗効果もあってか、ストーリーのテンポは非常に良い。ハプニングが起こりまくるのに、不自然さが少なく、「この世界ではこういうもの」と納得させる説得力がある。何より、矢崎のような存在がいれば、たとえ泥沼でもまだ先がありそうだと感じるから恐ろしい。最後まで見終わった後に「ああ、俺ならどうするんだろうな」とうなだれそうになる作品である。
もし「非現実的すぎる!」と突っ込む人がいたら、そこはむしろ本作の醍醐味と受け止めるべきだろう。ド派手なぶつかり合いと息つく暇もない展開こそ、この映画の魅力。「一日でもいいから、こんなトラブル全部まとめて勘弁してくれ」と願わずにいられない工藤の運命を見届けることが、意外なカタルシスにつながるのだ。
映画「最後まで行く」はこんな人にオススメ!
まず、スリリングな展開を求める人にはばっちりである。冒頭からいきなり事件に巻き込まれ、休む暇なくトラブルが転がり込むため、テンポ重視の物語が好きな方には持ってこいだろう。さらにシリアスなはずが、なぜか吹き出しそうになるようなシーンが多々あり、「これって笑っていいのか?」と戸惑う雰囲気を楽しめる人にはかなり刺さると思われる。
次に、岡田准一や綾野剛が好きな人は必見だ。2人が実に多彩な表情を見せながら、アクションでもぶつかり合う。どこか正反対のようで共通点も多いキャラクター同士が、血反吐を吐くようなやり取りを延々繰り広げる姿は見応えがある。カッコよさと小悪党っぽさが混在する絶妙なキャラクター像に注目するだけでも楽しめるはずだ。
また、日韓リメイクの違いを比べるのが好きな人にもおすすめだ。オリジナルでは土葬文化や家族構成など、韓国ならではの設定が多かったが、それを日本版ならではの火葬文化やヤクザとの関係などに置き換えている。そのアレンジがなるほどと思える部分もあるし、比較して楽しむことで作品への理解が深まる。
一方で、心が弱っているときやハッピーな気分を求めるときには注意した方がいいかもしれない。とにかく不運が畳みかけてくるし、容赦のない暴力描写や気分を重くする要素もある。コメディ要素で軽減はされているものの、全体に流れるダークな空気は決して甘くない。観終わったあとに「なんだこれ、凄かったな…」と唸りたい人や、刺激を欲している人にはぜひともオススメである。
まとめ
結局、この映画は「人間、悪運に取り憑かれるとどこまで追い込まれるのか?」という疑問を全力で突きつけてくる。主人公の工藤は家族を守りたくて行動しているはずなのに、どんどん沼にはまり、気づけばギリギリの綱渡り。監察官の矢崎は矢崎で、自分の出世とプライドが絡んだせいか完全に狂気へ突入してしまう。周囲の思惑も絡み合い、とうとう誰が味方で誰が敵か判然としない混沌の世界が出来上がる。
それでも本作を最後まで観た時、不思議とひとつの達成感があるのは、むしろどこまで行っても救いがなさそうなドラマに目を離せなくなる快感があるからだ。結末がバシッと締まらなくても、それこそが“砂漠のトカゲ”が示す人生の苦味なのだろう。散々振り回されて終わるのに、どこかクセになりそうな一作である。