映画「おいしくて泣くとき」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!
家族のあたたかさと、初恋の切なさが混ざり合った本作は、公開前から話題沸騰だったように思う。とにかく泣けると噂されていたので、最初は覚悟を決めて劇場に足を運んだ。結果として、自分が甘かったと痛感した。想像以上に涙腺が緩みっぱなしだったので、ハンカチはもちろん、タオルでも足りないほどである。長尾謙杜が主演という点も注目だが、演技は初々しさと切なさが絶妙で、観客の心にじんわりと入り込んでくる。
とはいえ、ただの感動ものでは終わらないのが面白いところだ。人間関係の葛藤や家庭環境からくる問題、さらには30年後の物語へと飛び込んでいくことで、甘さだけでなく苦さもしっかり味わえる仕上がりになっている。特に、父親のボランティア活動に対する周囲の冷たい視線や、記憶喪失というショッキングな展開が、物語をガラリと変える。そんな大胆な脚色に賛否はあるかもしれないが、少なくとも飽きる暇はない。
いじめや虐待といったヘビーなテーマも含まれているが、その中には確かに優しさや絆が存在する。それが描かれるからこそ、人間の強さと弱さが際立ち、一層胸を打つ。さあ、ここから先は遠慮なく核心に迫っていくので、ネタバレを回避したい人は要注意である。
映画「おいしくて泣くとき」の個人的評価
評価:★★★★☆
映画「おいしくて泣くとき」の感想・レビュー(ネタバレあり)
本作を観終えてまず思ったのは、「泣かせにくる要素をこれでもかと詰め込んでいる」ということだ。主人公の心也は幼いころに母を亡くし、父の善行のせいで学校でいじめを受けている。いじめの理由が「父親がボランティアで食事を提供しているから偽善者の息子扱いされる」というのは理不尽きわまりないが、現実の学校でも大なり小なりある話だと考えると妙にリアルである。実際、家に居場所のない夕花との出会いも、そんな心也が“ひま部”なるものを結成したことから始まる。
この“ひま部”は、何か特別な活動をするわけではない。お互いにとって唯一気を遣わない時間を共有できる場、いわゆる傷のなめ合い空間と言ってしまえばそれまでだが、不器用な思春期同士がそこで距離を縮める様子は心地よい甘酸っぱさがある。
しかし、ここで終わらないのが本作の真骨頂だ。夕花の家は義父の暴力により荒れ果てていて、ある日大きな事件が起きてしまう。原作小説を読んだ人なら「そんな話あったっけ?」と驚くかもしれない。そう、映画は原作をベースに大きく脚色している。特に夕花の記憶喪失エピソードは映画独自の展開だ。額を強打して記憶を失うというドラマチックな出来事が、二人の物語を一旦強制終了へと導き、観客の涙腺をさらに揺さぶる。
原作ファンの中には、この改変を「極端すぎる」と感じた人もいるだろう。確かに、ささやかなすれ違いから静かに別れていく原作と比べると、映画版は大仰なシーンが多い。警官に引き離される駅のホームの場面や、夕花が記憶を失うくだりなど、突っ込みどころは満載である。「本当にそんな強制連行あるのか?」とか、「ちょっと頭をぶつけたくらいで記憶が飛ぶのか?」とか、細かいことを言い出すとキリがない。しかし、そうした大胆さは映画的な盛り上がりを狙ったものでもあるし、結果として後半の涙ポイントを加速させているのも事実である。
それにしても、本作の魅力は“泣ける”だけでは終わらない。子ども食堂という社会問題にも踏み込んでいるのが特徴だ。貧困や家庭崩壊は遠い世界の話ではなく、誰かが手を差し伸べなければどんどん孤立してしまう。心也の父は自ら行動を起こし、子どもに食事を提供する場を作り続けてきた。そこに対して周囲の一部は「偽善」だと揶揄するが、本当にそんなに簡単に割り切れる話ではない。実際、夕花はそのボランティアによって一時的に救われてもいるし、心也自身も「父のやり方に納得できない」という気持ちを抱えながらも、その優しさに救われる瞬間がある。
さらに、時が経って30年後の大人の世界へ飛ぶ。そこで描かれるのは、一度は離ればなれになった二人の行く末だ。心也は自身のカフェで食事を提供する側になっており、少しだけクールさを増したディーン・フジオカが登場することで「同一人物だよな?」と頭をフル回転させる人もいるかもしれない。原作ではここをうまくミステリアスに隠しているところが肝だったが、映画だとさすがにカットの切り替えやキャストの違いでバレバレになっている。それでもドラマチックに再会の瞬間を迎えられるよう、ラストに向けてじっくりと感情を積み重ねていく。
記憶が混乱してしまった夕花が最後にどんな決断を下すのか、その場面でまた涙が止まらなくなる。劇中に登場するバター醤油焼きうどんは一見地味だが、この味が二人をつなぐキーポイントになるのだから恐れ入る。嘘みたいにシンプルな料理が過去の記憶を呼び起こし、一瞬で青春時代へと引き戻してくれる。その演出はベタと言われればベタかもしれないが、観る側の心は否応なく揺さぶられるのだ。
大人になってから気づく、あの頃に交わした「約束」の重み。本来なら、ままごとのように終わるはずだった初恋が、一人ひとりの人生にここまで大きな影響を与えるとは想像しがたい。だからこそ、本作の後半にこそ価値がある。原作を大きく改変したことへの賛否は正直大きいが、映画としてのエンターテインメントを優先した結果、派手で泣ける物語が完成したと考えればアリだろう。
とはいえ、もう少し描き込んでほしかった部分もある。夕花が30年の間にどのような人生を送ってきたのかが簡略化されていて、なぜあのタイミングで心也の前に姿を現すのかなど、細かい疑問は残る。そのあたりは監督や脚本家が「映画の尺に収めるために大胆に切り捨てた」と説明されそうだが、原作ファンとしてはどうしても惜しい気がするところだ。
また、警察や記憶喪失といった要素を突っ込んでいくとリアリティが低いと言われても仕方がないが、これはもう映画だと思って割り切った方がいい。むしろ「いかにもドラマチックな事件」のおかげで泣ける度合いがぐんと上がるなら、それはそれで幸せなことではないか。
一番心に残ったのは「たとえ傷ついても、人は自分の大事なものを守るために行動できる」というメッセージである。夕花が苦しい日々を乗り越えた背景には、心也の優しい言葉と支えがあったし、心也自身も父からの愛情を受け取り続ける中で成長している。そうした“優しさの連鎖”こそ、本作の醍醐味だろう。
俳優陣の演技も見どころである。長尾謙杜の持つ素朴な表情と、ディーン・フジオカの落ち着いた雰囲気がうまく繋がっており、同じ心也を演じているのに違和感が少ないのはすごい。當真あみの翳りを帯びた表情も秀逸で、特に義父に追い詰められるシーンの切なさは見逃せない。そして何より、父親役の安田顕が醸し出す温かさにはホッとさせられる。こういうキャラクターがいると、物語のピリピリ感が和らぐのでありがたい。
あれこれツッコミどころも多いものの、やはり最後には泣かされてしまう魔力がある。結局、細部のリアリティよりも、人と人とのつながりや絆に焦点を当てた作品だと割り切れば納得できるはずだ。観終わったあとに感じる喪失感と、じんわりとした温かさが同居していて、しばらく頭から離れない。それこそが本作の魅力と言えるだろう。
特に、原作では曖昧なかたちで描かれていた「桜の木」や「四葉のクローバー」といった象徴的なモチーフは、映画版ではだいぶ削ぎ落とされている。そこを惜しむ声も多いが、その代わりに子ども食堂の描写がしっかり盛り込まれ、物語の社会的背景を補強している。これがいいか悪いかは好みが分かれるが、個人的には映画のテーマがよりわかりやすくなったと感じている。
最後に総括すると、本作は「勢いで泣きたい人」や「心の整理をつけたい人」にとってうってつけの作品だと思う。無理にリアルさを求めず、大きく振り切ったドラマ表現こそが本作の魅力であり、評価すべきポイントでもある。やや強引な展開に物申したい部分もあるが、だからこそ多くの観客を巻き込むパワーを持っているのではないか。涙を誘うシーンが豊富に詰まっているので、気分をリフレッシュさせたい時にもおすすめである。
映画「おいしくて泣くとき」はこんな人にオススメ!
まず、ピュアな恋愛ドラマを愛する人には刺さるはずである。心也と夕花が織りなす儚い夏の思い出は、恋愛映画の王道をしっかり押さえている。それでいて、親子の絆や子ども食堂といった社会性も描かれているので、一つの恋愛模様だけでは物足りない人にも満足感を与えてくれるだろう。
さらに、家族愛に弱い人は間違いなく泣かされる。とりわけ父親の行動にはグッとくるものがあるし、そこに学生たちのいじめ問題や貧困問題が重なることで、物語に厚みが増している。そして何より、別離と再会のドラマチックな仕掛けがあるので、「少し強引でもいいからとにかく泣きたい」というタイプの人にもってこいだ。
それから、料理や食べ物を通じた心の交流に弱い人も楽しめると思う。子ども食堂のシーンや、バター醤油焼きうどんが象徴的に使われる場面は、観終わったあとに「自分も何か温かいものを食べたい」と思わせてくれる。忙しい日常を少しだけ忘れ、優しさや愛情が詰まった映像世界に浸るには最適な作品なのではないか。
まとめ
たとえ強引な脚色があったとしても、その力技を含めて「おいしくて泣くとき」は魅力的である。涙を誘う仕掛けが次々と押し寄せるが、安易に終わるわけではなく、じわじわと感情をあふれさせるシーンが多いからこそ、観終わったあとに深い余韻が残るのだ。
ラストシーンでは、長年会えなかった二人の想いが一つの料理によって引き寄せられるという、ちょっと奇跡じみた展開に胸を打たれる。現実離れしているかもしれないが、そんな奇跡が起こってもいいと思わせるほど、心也と夕花のドラマには説得力と純粋さがある。本作を観た後は、一杯のスープでも味わいながら静かに余韻をかみしめたいものである。