映画「もっと超越した所へ。」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!
前田敦子が主演を務めることで話題沸騰の作品であり、劇作家の根本宗子が描く舞台の映画化という点でも注目されている。タイトルからして何やら壮大な予感がするが、実際に観てみると恋愛模様を激烈かつコミカルに描きながら、現代社会の空気感もしっかりと捉えている。イマドキの男女が抱える問題や葛藤がぎゅっと詰め込まれた物語であり、特に個性的なダメ男たちのキャラクターは見応え十分だ。
ここでは、その魅力と衝撃的な展開について率直に語っていきたい。ネタバレ要素を含むため、未鑑賞の方はご留意を。もっとも、観終わった後に「自分の恋愛観が揺さぶられた」と感じる人も少なくないはずだ。気になる続きは以下にまとめていこうと思う。
映画「もっと超越した所へ。」の個人的評価
評価: ★★★☆☆
映画「もっと超越した所へ。」の感想・レビュー(ネタバレあり)
映画「もっと超越した所へ。」は、一見すると「恋愛に疲れた女性たちがダメ男に振り回されるコメディ」と思わせながら、その実、恋愛の本質や自己肯定感の揺らぎを真正面から描いた意欲作である。主人公たちの恋の行方を追ううちに、自分自身の恋愛観までえぐられてしまうような感覚を覚える人も多いだろう。とにかく登場人物の“痛々しさ”が鮮烈で、最初は笑って見ていられるが、だんだんと胸がザワザワしはじめるあたりがこの作品の真骨頂でもある。
物語の中心にいるのは、それぞれに問題を抱える女性4人だ。彼女たちは過去のトラウマや願望を引きずりながら、どこか頼りない男性たちと同棲したり、情熱的に付き合ったりと、いわゆる「報われない恋」を選び続けている。しかし単に男性陣がダメなのかというと、じつは女性側にも同じだけの弱さや依存心があることが丁寧に描かれる。突拍子もない展開が続くのに、どこか「わかる、そういう失敗しがちだよね」と共感してしまうリアルさがあるのが興味深い。
まず目を引くのは、登場人物たちの会話のテンポと、そこに滲む本音だ。自分の弱点をごまかすために相手を責め立てたり、逆に相手に縋りつくあまりに理不尽な言い訳をしたりと、とにかく人間の本音が凝縮されている。しかも舞台がコロナ禍に設定されているため、衛生観念や経済事情、オンライン配信など、現代特有のトラブルが次々と襲いかかる。働かないヒモ男を支えたり、ゲイなのに女性との同居を続けたりという極端な状況設定は、いかにも演劇的ではあるが、その分インパクトが強い。
しかしながら、この作品の核心は「結局のところ、人はなぜダメな相手を選んでしまうのか」という問いにあると感じた。外野から見れば「別れればいいじゃん」と思うところで、なぜ彼女たちは踏みとどまり、あるいは再び同じ相手を選び直すのか。そこには自分を肯定する材料がほしい、他人に認められたい、人を見捨てるほど冷酷にはなれないなど、人間の弱さと優しさがせめぎ合っている。やがて物語は、恋愛の先にあるかもしれない“ちょっとした達観”のような境地を提示してくる。
とりわけ注目したいのは、物語後半で女性たちが自らの選択を振り返るシーンだ。それぞれが「こんな男はもう嫌だ!」と突き放しながら、しかし「ここで手放したら次はないのでは」という恐怖や、「世の中の男なんて似たり寄ったり」という諦めにも似た思考も抱えている。そして最終的には、“どこで妥協するか”というテーマに行き着くのである。この妥協という言葉が否定的に使われることも多いが、本作ではそこに妙な肯定感が盛り込まれているのがユニークなところだ。
要するに、“ダメ男だとわかっていても一緒にいたい”という状態を、自分の中でいかに整理するかという問題である。ヒモ男でも、ゲイでも、小心者でもいい。ただ、お米を運ぶくらいは手伝ってほしい。そこにとりあえず幸せを見出すのもアリなのではないか――そんな割り切り方が、むしろ現代の恋愛をリアルに映し出していると感じた。いわゆる「理想的な相手」なんて世の中にそうそういないし、相手の嫌な部分をどう受け流すかが長続きのコツだと説いているようでもある。
その一方で、この作品は決して「我慢すれば幸せになれる」とは言っていない。むしろ「自分の中のラインを明確にしておき、それを超えたら容赦なくサヨナラすべき」という強さも描いているのだ。女性たちは何度も傷つくが、最終的には壁を壊して(まさに実際に!)自分の世界を拡張していく。舞台的な演出が映像の中に溶け込むラストは圧巻であり、単なる恋愛映画の枠を超えたエネルギーを放つ。そこが本作最大の見どころだろう。
登場する男性キャストも、観る人によっては「このタイプは絶対に無理」「こっちならまだ付き合えそう」などと比較しながら楽しめるかもしれない。菊池風磨が演じる自己中ストリーマーの存在感や、三浦貴大のどこかイラッとするプライドの高さ、千葉雄大の一筋縄ではいかないゲイキャラクターなど、それぞれの個性が爆発している。その中でもやはり、前田敦子の演じる等身大の女性像は大きな魅力で、彼女の悩む姿に共感する観客も多いはずだ。
さらに言えば、作品全体を彩るコミカルなやりとりは、観客を飽きさせないだけでなく、時に鋭いメッセージを投げかける。たとえばコロナをめぐる価値観の違いは、いまや恋愛トラブルの代表例となっているが、そこも遠慮なくネタにしてしまう大胆さは痛快である。ステイホーム期間中に一気に進んだ同棲や、反対に破局してしまったカップルなど、誰もがどこかで耳にした話を、デフォルメしつつもリアルに見せてくれる。
映画「もっと超越した所へ。」は、笑いながらも恋愛の深いところに踏み込んでいく不思議な魅力を持つ。恋人や友人とワイワイ観ても楽しいし、一人で鑑賞して「自分も似たようなことやらかしたかも…」と内省するのもいいだろう。いずれにせよ、観終わった後には「あれ、この映画って意外と人生論じゃないか?」と考えさせられるはずだ。恋愛の理想と現実をシビアに見つめながらも、最後にはほんのりした希望を残してくれる。それがこの作品の真髄であると思う。
映画は序盤からお米を巡る描写が象徴的であり、そこに注目すると登場人物たちの生活スタイルや本音がうかがえる。スーパーで2kgの米を買うか5kgの米を買うかで迷う前田敦子演じるヒロインの姿などは、単純な買い物の場面ながら“これ以上は背負いきれないのでは”という内面の不安も暗示しているようだ。実際、その後の展開で、彼女は怠惰なヒモ男を支えきれずに苦悩することになる。ちょっとした生活感を通じて、キャラクターの深層を浮き彫りにする演出が巧みで、物語に引き込まれる要因の一つである。
また、恋愛関係における主導権争いや、ジェンダー観の微妙な差異も巧みに織り込まれている。男性キャラが“自分を尊重してほしい”という欲望を爆発させる一方で、女性キャラは“同等でいたい”と願っている。お互いが「こんなはずじゃなかった」と思いながらも、別れる決断を下すまでに時間がかかる様子は、身近な友人関係を見ているかのようだ。結果として、同棲生活や恋愛のゴタゴタは長引き、別れるに別れられない微妙な空気が続く。そこがまさに現代的でリアルであり、観客が「あるある」とうなずきたくなるポイントでもある。
加えて、コロナ禍によって生まれた価値観の相違が恋愛をさらに面倒にしている点は時代を反映している。手洗いやマスクの扱いひとつでトラブルになったり、オンライン会議を軽視する態度が相手を苛立たせたりと、“ウイルス”そのものだけでなく、“ウイルスをめぐる価値観”が争いの火種になっている。現実世界でも「この人、意外と感染対策に無頓着なんだな」と引いてしまうことがあるが、それが恋人同士ならなおさら大きな問題に発展する。この作品は、そのあたりの違和感を辛辣に描きながら、登場人物たちの本性も炙り出していく。
さらに特筆すべきは、ラスト近くで仕掛けられる“舞台演劇的”な大転換である。まるでステージセットが動くかのごとく、隣り合う部屋との壁が崩壊し、4人の女性が一堂に会する場面は圧巻だ。映画という媒体にもかかわらず、演出が舞台のように大胆に組み込まれ、そこから一気にクライマックスへとなだれ込む展開には驚かされた。女性たちが声を掛け合いながら、これまでの鬱屈や不満を一気に吐き出し、同時に彼女たちを縛っていた“過去の失敗”すらも乗り越えようとする姿は、ある種のカタルシスすら感じさせる。
そして、その先にあるのが「妥協」という要となる概念だ。ここで言う妥協とは、“もういいや”と投げやりになることではなく、“完璧じゃないけど愛せる部分があるならそれで良しとしよう”という前向きな諦めである。もっとも、男性側がダメすぎて「そこまでして一緒にいる必要ある?」と突っ込みたくなる部分も多々あるのだが、キャラクターたちはそこに居心地の良さを見出しているらしい。視聴者としては「共感しづらい」と思いつつも、「まあ他人の恋愛ってそんなものかもしれない」と納得させられてしまう力がある。
一方で、こうした“ダメ男との付き合い方”を肯定する流れに違和感を持つ人もいるだろう。実際、劇中で女性たちは何度も涙を流し、恋人の身勝手さに振り回されている。しかし、だからこそ本作が伝えたいのは、「幸せの形は人それぞれ」という当たり前のようでいて見落とされがちな事実ではないかと感じる。世間の一般論や理想像だけを追い求めていると、かえって本当の幸せを見失う。少しズレた相手でも、自分にとって大切な部分だけ押さえていれば意外と居心地が良い場合もあるのだ。
この点で興味深いのは、ダメ男側もまた女性たちを心底から愛しているという描写が見え隠れすることだ。本人たちが認めるかは別として、彼らにとって女性たちは“いなくては困る存在”であり、決して都合の良いATMや母親代わりとだけ見ているわけでもない。もちろん、それで全部許されるわけではないが、観客としては「単にクズなだけじゃなく、本当に好きなんだな…」と妙な感慨を抱く。ここに共依存の危うさが垣間見え、同時に「誰かを心から好きになるとはどういうことなのか」という根源的な問いにも繋がっていく。
また、個人的には本作が“女性同士の連帯”を強く打ち出している点にも好感を抱いた。最初は全く別々の人生を歩んでいるように見えた彼女たちが、最終的にお互いを認め合い、励まし合う流れは胸が熱くなる。恋愛を通じて傷つくのは自分一人だけではないし、恥やプライドをかなぐり捨てて手を取り合えば、新しい景色が見えてくる。そういった連帯感は、実生活でも大きな助けになるはずだ。現に彼女たちは、バカバカしいほど振り回された時間を決して無駄とせず、そこから学びを得る強さを見せてくれる。
長々と語ってきたが、結局のところ、この作品を観ると「恋愛って難しいけど、そんなに悪いものでもない」と思えてくる。うまくいかない相手ばかり選んでしまう自分を変えたい人や、恋愛そのものに疲れてしまった人にこそ、本作は思いのほか刺さるだろう。そして観終わったあと、「自分のダメな部分すらも受け止めてくれる相手がいるなら、それは一つの奇跡かもしれない」と感じるかもしれない。ほんの少しだけ、自分や相手を許す気持ちが芽生える――それこそが、本作が提示する“もっと超越した所”なのだ。
演出面では、監督の山岸聖太が原作の舞台劇を映像へと巧みに落とし込んでいる点も見逃せない。舞台らしいセリフ回しや空間の使い方がそのまま活かされつつ、カメラワークや編集によって映画としての疾走感も両立させている。特に登場人物同士の言い争いが激化するシーンでは、まるで舞台の上で役者が声を張り合っているかのような迫力が感じられ、息詰まる空気感が観客にダイレクトに伝わってくる。そこに加わる細やかな生活描写や小道具の使い方も秀逸で、舞台と映画のいいとこ取りをしたような新鮮さがあるといえよう。原作ファンも映画から初めて入る人も、それぞれ別の角度で楽しめるように作られているのが嬉しいところである。
さらに、音楽の使い方やシーン転換のテンポも独特で、感情の起伏をより鮮明に映し出す効果を生んでいる。劇伴が突然盛り上がったかと思えば、次の瞬間には静寂が訪れ、登場人物たちの生々しい言葉が強調される。そのコントラストが視聴体験を刺激し、クライマックスへ向けた盛り上がりに拍車をかける仕掛けになっていると感じた。総合的に見れば、恋愛ドラマの域を超えて、現代を生きる私たち自身の迷いや本音をえぐり出す作品と言えるだろう。観終わったあとは、どこか爽快感すら覚えつつ、自分の恋愛観を少しだけアップデートしたくなる。そういう意味でも、多くの人に強く推せる一作である。
結果として、映画「もっと超越した所へ。」は、タイトルどおり観る者を予想外の境地へ連れ出す力を秘めている。痛烈な人間関係に目を覆いつつも、最後には不思議と暖かい気持ちになれるのが魅力だ。もし今、恋愛に行き詰まりを感じているならば、この作品を通じて新たな気づきが得られるかもしれない。
映画「もっと超越した所へ。」はこんな人にオススメ!
映画「もっと超越した所へ。」はこんな人にオススメ!
まず、何度も似たような恋愛を繰り返してしまう人にこそ刺さるだろう。同じ失敗を繰り返すたびに「もう次こそは理想の相手を見つけたい」と思いながら、なぜかまたダメ男やダメ女に引っかかる……そんな経験のある人には、登場人物たちの姿が他人事には思えないはずだ。さらに、恋愛において譲れないポイントがある一方で、自分のわがままや未熟さも痛感している人にとっては、劇中で描かれる妥協と割り切りの哲学が妙にリアルに響くかもしれない。
また、男女関係だけでなく、人間関係全般において相手をどこまで受け入れるかに悩んでいる人にも向いている。身勝手な相手を支えるなんて絶対に嫌だと思いつつも、結局は寂しさや依存心に負けてしまう場面があるなら、この作品の世界観は大いに共感を呼ぶだろう。さらに、コロナ禍という特殊な時代背景も生々しく反映されているので、息苦しい閉塞感のなかで必死にもがく人間の姿を見て「自分だけじゃないんだな」と思える効果もある。結局、人は誰もが弱い存在であり、欠点を抱えたまま生きている。そこを受け止められるかどうかが、恋愛でも人付き合いでも大切なのだと、この作品はさりげなく教えてくれる。
それから、自分の価値観と世間の常識が微妙に噛み合わないと感じる人にも向いている。本作には「これって世の中の正解とは違うかもしれないけれど、自分たちにとっては最善の選択なんだ」という開き直りがある。それを見ていると、自分の生き方や恋愛観が周囲の基準とズレていても、必ずしも不幸だとは限らないと思えてくるはずだ。加えて、根本宗子の舞台作品らしい疾走感と演出の妙も味わえるため、刺激的なエンターテインメントを求める人にもおすすめである。笑いながらも胸にぐさりと刺さるセリフの数々は、一種のカウンセリングのような効果をもたらしてくれるかもしれない。
まとめ
映画「もっと超越した所へ。」は、恋愛の苦さや甘さだけでなく、人がどこまで本音をさらけ出し、どこで割り切るのかという際どい駆け引きを鮮明に描いている作品だ。観ていて「そこまで振り回されなくても…」と思う場面も多いが、当人にとっては切実であり、第三者にはうかがい知れない事情もあるのだと気づかされる。その過程で、自分の中の曖昧な境界線がはっきりしてくるかもしれない。
結局、恋愛も人生も、人に自慢できる形ばかりが幸せとは限らない。多少の不格好を受け入れてでも一緒にいたいと思えるかどうかが鍵なのだろう。そんな現実をユニークに、しかし真摯に示してくれるのが本作の魅力だ。カラッと笑える瞬間もあれば、胸に刺さる現実もある。すべてひっくるめて前向きに見せてくれるからこそ、観終わったあとに「まあ、なんとかなるか」と思えるのだ。
恋愛で迷ったときや、自分の選択に自信が持てなくなったとき、この映画の展開を思い出すと少しだけ気が楽になるかもしれない。ダメ男やダメ女と呼ばれる人たちにも、彼らなりの理由や思いがある。そして、それを受け入れた上でどう行動するかは自分次第だ。誰かと一緒にお米を運ぶだけの関係だって、立派な絆になり得る。そう思わせてくれる、貴重な作品である。