映画「神は見返りを求める」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!
日常のささやかな悩みをさらけ出しながら、人の情けや見返りの問題を真正面から描いた作品である。ムロツヨシ演じる田母神と、岸井ゆきの扮するゆりちゃんのやり取りは、最初は微笑ましくも軽妙な掛け合いにあふれているが、その関係が崩れ始めると一気に泥沼と化す。ここでは、まるで人間の欲望が吹き出したお祭り騒ぎのような騒動が次々に起こるのが見どころだ。
ときに笑い、ときに呆れながら、彼らのエゴが激突する過程をたっぷり味わえる点が何とも刺激的である。本稿では、そんな奇妙な魅力を放つ物語の核心をじっくり掘り下げ、本編の主要な場面から感じた熱量を遠慮なく語っていく。軽やかに見えて底知れぬ闇を抱える登場人物たちが巻き起こす珍騒動は、実に心に残るし、観終わったあとに改めて考えさせられること請け合いだ。
SNS全盛の今だからこそ、他人同士が互いを「神」と崇めたり、あるいはライバル視し始めたりする過程には妙なリアリティがある。仲が良いときは笑いあっていられるが、いったん歯車が狂うと途端に生々しい対立へと転じていく様子が衝撃的だ。まさに現代人の欲望がさらけ出された一作であり、最後まで目が離せない。
映画「神は見返りを求める」の個人的評価
評価:★★★★☆
映画「神は見返りを求める」の感想・レビュー(ネタバレあり)
本作では、田母神という善良な男と、動画投稿で一発逆転を狙うゆりちゃんが運命的に出会うところからすべてが始まる。最初は、田母神が「なんとか彼女を手助けしてあげたい」といった純粋な想いで動いているように見えるが、そこにはほのかな下心や承認欲求が混ざっているのではないか…と勘繰ってしまう場面もある。もっとも、表面上は彼の献身的な行動が前面に出るので、序盤の田母神はかなり好感度が高い存在に映るのだ。
一方のゆりちゃんは、いかにも今どきの若者っぽい軽快さをまといつつ、その実力やセンスがどこまで本物かは不明なままスタートを切る。安易に炎上しそうな題材を取り上げたり、勢い任せで突飛な行動に打って出たりと、手探り状態のまま試行錯誤している様子が見える。しかし、そんな姿こそが田母神の心をくすぐるのか、「俺が応援してやらなきゃ」という奇妙な保護者意識を刺激し、彼らの関係性に妙な相乗効果をもたらしているように思われる。
この二人、最初はお互いを尊重しているようでも、内心では「自分のほうが優位に立ちたい」という意地がうっすら透けている節がある。ゆりちゃんが田母神を「神」と呼ぶたびに、まるで猫をあやすような調子で甘やかしているようにも思えるし、田母神は田母神で「神と呼ばれているんだから、自分こそが正義だ」と心のどこかで浮かれているようにも映る。そんな微妙なパワーバランスが保たれているうちはまだ平和で、二人で協力し合って動画を撮影しているシーンなどは和気あいあいとしている。
ところが、ゆりちゃんの活動が徐々に注目を集め始めると、田母神が積み上げてきた“裏方の努力”はあっさりと忘れられていく。表舞台に出たほうが目立ちやすいのは当然だが、誰も田母神の働きに触れてくれない現状に、彼の心中は穏やかではいられない。挙げ句の果てに、生食用の扱いが危うい肉を取り上げたせいで店舗が閉店に追い込まれたり、田母神の負担がいつの間にか激増したりと、まさに負の連鎖が始まってしまうのだ。
そもそもゆりちゃんにとって、田母神がいてくれること自体が一種のセーフティーネットであり、心理的にも経済的にも依存している部分が大きかったように見える。しかし、いざ彼女が人気を博し始めると、まるで恩を忘れたかのような振る舞いを見せるのだから、田母神のほうも「やっぱり見返りは欲しい」と思っても責められないだろう。二人の関係がギクシャクし始めてからは、見ているこちらとしても、いつ爆発するか分からない不穏さにハラハラしてしまう。
さらに、周囲に集まる人物たちもクセが強い。ゆりちゃんを持ち上げるYouTuber仲間は、バズることを最優先にしているようで、ときには危険な企画にも手を染める。いかにも“イケてる”ように見せかけて、実は中身のないはしゃぎっぷりを披露するあたりも、一種のうさんくささを漂わせている。見るからに派手な格好をして、仲間同士で騒ぎ立てる様子は賑やかだが、ちょっと距離を置いて眺めると「これって楽しいのか?」と首をかしげたくもなるシーンが多い。
その一方で、田母神の同僚たちや借金を抱えた知人など、現実的な問題を抱えた人物も登場する。彼らの存在は、作り物のように見えるYouTubeの世界との差を際立たせ、「ネットでの成功とは何か?」「人を巻き込みながらの勝利に正義はあるのか?」といった問いを浮かび上がらせる。特に、田母神が抱える借金問題は切実で、ゆりちゃんに対して多少なりとも金銭的支援を望むのは人間として自然な欲求だと感じさせる。ところが、ゆりちゃん側はあくまでも“自分の力”でのし上がったという意識を振りかざし、容易には財布のひもを緩めない。ここで両者の対立が決定的になるわけだ。
二人が衝突を繰り返すうち、いつしかネット上でもお互いを攻撃し合う動画を出すようになる展開は、ある意味で現代の人間模様を象徴しているともいえそうだ。匿名の視聴者は煽るだけ煽って楽しみ、当人たちは感情のままに醜い言葉を投げ合う。目立った者が勝ちという価値観が強い世界では、一度炎上してしまえばそれすらネタにしてアクセス数を稼ぐことができるから恐ろしい。とはいえ、田母神とゆりちゃんは本来、一緒に面白い企画を考えて奮闘していた仲間でもあったはずなのだ。
本作は、そんな二人の確執が激化する過程を徹底的にえぐり出しつつ、その実情が見えない部分をあえて観客に想像させる。たとえば、ゆりちゃんは果たして本当に冷酷無比な人間なのか、それとも人気が出たことで周囲に利用されているだけなのか。田母神はただの被害者なのか、あるいは「こんなにやってやったのだから」という見返り意識が根底にあったのか。登場人物たちの本音が錯綜しているため、誰か一人を悪者に仕立て上げることはできない。そこがまた妙にリアルで、観る者をグラグラ揺さぶる仕掛けになっている。
ムロツヨシの演じる田母神は、いつもニコニコしているようで、実は大切にしていたものを失っていく孤独を滲ませる瞬間が心をえぐる。純朴そうに見えても、ちょっとずつ疲弊し、時には追い詰められ、挙げ句の果てにはネットの匿名性にすがって攻撃的になるという姿が生々しい。彼の優しさは本物なのに、世間の荒波に揉まれるうちにどこかが歪んでしまったのだろう。そんな悲哀を感じ取ると、ただ笑い飛ばせない切なさがこみ上げる。
一方、岸井ゆきのが演じるゆりちゃんは、初登場時の素朴さからは想像できないほど、華やかな顔つきに変化していく。人気者になってからのふてぶてしさは見事で、まるで自分を王様か何かと錯覚しているのではないかと思うほどだ。それでも、彼女のまなざしにはどこか不安げな要素も見え隠れし、“成功”という看板を維持するために無理をしているようにも映る。そのあたりの繊細な表情を、岸井ゆきのが実に巧みに演じているのが興味深い。
また、周囲の人間関係も混沌としていて、若葉竜也や吉村界人といったキャスト陣が織りなす空気感はなかなか強烈だ。田母神とゆりちゃんがもめ始めると、彼らは火に油を注ぐような役割を果たし、ことをさらに面倒な方向へ導く。それぞれが言いたいことだけを言い散らかして、他人の事情などお構いなしといった具合であるが、その軽薄さや自己中心的な言動が逆に笑える部分もある。もっとも、当人たちは必死でやっているのだろうが、外から見れば滑稽な騒動なのだ。
本作の大きな魅力は、人間が抱える「いい格好したい気持ち」と「他人を見下したい気持ち」のどちらも包み隠さず見せている点だと思う。たとえば、ゆりちゃんが危ない企画で注目を集める姿を見れば、よくこんなことに手を出すなと呆れる半面、派手に成功している彼女に嫉妬する気持ちも湧いてくる。田母神にしても、「自分が支えてやっている」という優越感をこっそり味わっていたのに、それをばっさり否定されたら当然ショックを受ける。そうやって一度こじれると、もう泥試合に突入せざるを得ないのが悲しいところだ。
ちなみに、物語は終盤に向かうほど殺伐とした展開になり、二人が憎み合うのか和解するのかさえ分からなくなる。感情的にはどろどろでありながら、その様子を外側から見るとおかしさを感じるシーンも多い。まるで壮大な痴話げんかを配信しているようなもので、ここまでこじれたら当人同士で解決するのは至難の業だろう。こうしたドタバタは笑いどころでありながら、笑っていいのか戸惑うほどの追いつめられ感が漂っている点が独特である。
終盤では、ゆりちゃんが自らの身を危険にさらすような撮影に挑んだことで、これまでの成功が一瞬にして崩れ去る衝撃的な出来事が起こる。彼女が派手なパフォーマンスをしようとした背景には、「もっと注目されたい」「さらに上へ行きたい」という欲が見え隠れするが、無理を通せば道理が引っ込むわけではない。結果的に大事故へと発展してしまうあたりは、まさに本作のテーマでもある“人間の欲望はどこまで行っても満たされない”という部分を強烈に示唆しているように思える。
その騒動の後、田母神は何とかゆりちゃんを救おうとするが、そこに至るまでの流れには彼の暗い執着や歪んだ愛情がにじみ出ている。裏切られたという怒りと、それでも放っておけないという優しさがごちゃ混ぜになり、彼自身もどう振る舞えばいいのか分からないのだろう。その複雑な感情が映し出されるシーンは、観ている側に切なさと苦笑をもたらす。仲間でもあり恋人でもあり、同時に敵対者でもあるという、不安定な絆の行方には最後まで目が離せない。
また、本作は単なる泥仕合で終わらず、社会的な視点でも興味深いテーマを浮かび上がらせる。すなわち、ネットの世界では、誰もが自由に発信できる代わりに、いつでも過剰なほどの監視や中傷の的になり得るということだ。ゆりちゃんが大けがを負った直後も、心配する人よりも先に「ネタにしよう」とする連中が集まってくる構図には空恐ろしさを覚える。そして、田母神もまた、そこから逃れられないまま、深いトラブルに巻き込まれていく。
ここで問われるのは、本当に「見返りなどいらない」という無償の愛が存在するのか、それとも人は必ず損得を考えてしまう生き物なのか、という点でもあるように思う。田母神とゆりちゃんの関係は、お互いが本音をぶつけ合うほどに傷を深める結果となったが、それでも最後に残ったものは一体何だったのか。観終わった後、その問いをあれこれ考えずにはいられない。
個人的には、この作品はエンターテインメントの皮をかぶった人間ドラマだと感じた。ふざけ合いながらも人の本質を暴くような攻防や、ネットに翻弄される登場人物たちの姿は面白おかしく映るかもしれないが、奥底には誰しも持っている「承認欲求」と「嫉妬」の闇が渦巻いている。何かを始めるときに「協力してもらうって大事だよな」と思う反面、「でも結局は自分でやるしかないんだよな」と妙に納得してしまうような、苦くも鋭いリアリティに満ちた物語である。
最終的に、この映画が提示するものは、人と人が手を携えようとするときのもろさと滑稽さ、そして不可逆的な亀裂が生まれてからの泥沼ぶりだ。登場人物たちが繰り広げる対立の行方には、思わず目を覆いたくなるほど痛々しい瞬間もあるが、その一方で心のどこかで「こんな形の愛情もあるのかもしれない」と思わせるような場面もある。そこにあるのは善悪や正解不正解ではなく、ただ人間の業がむき出しになった結果なのだろう。そうしたごた混ぜの感情を、一種のエンターテインメントとして見せつけてくれるのが、本作の怖いところであり、同時に魅力でもある。
映画「神は見返りを求める」はこんな人にオススメ!
本作は、人間関係の裏表や承認欲求がもたらす混乱を描いているため、「人の本音や欲望がむき出しになる瞬間を見たい」「多少のドロドロ展開でも構わないから、インパクトのあるドラマを楽しみたい」という人に向いていると思う。また、SNSや動画投稿の世界に興味があるなら、ネット上での光と闇が如実に表現される内容に刺激を受けるはずだ。誰かを応援しようと手を差し伸べたはずが、いつの間にか嫉妬や葛藤に巻き込まれてしまうという展開は、決して他人事とはいえないリアリティがある。
さらに、「人に好かれるために何をするべきか」「成功を手にすると人はどう変わってしまうのか」というテーマを考えたい人にとっても、本作は興味深い題材となるだろう。自分の行動が相手にとって本当にプラスなのか、それとも押しつけになっているのかを省みるきっかけにもなるからだ。とにかく一筋縄ではいかない物語だけに、観終わったあとは仲間同士で感想をぶつけ合うと新たな発見があるかもしれない。やや毒気の強いエピソードが多いが、心の奥に潜む本音と向き合うつもりで挑めば、十分に見応えのある作品だと思う。
逆に、あまりにもシビアな人間関係は見たくないという人には、やや刺激が強いかもしれない。しかし、裏を返せばそれだけ生々しい感情のぶつかり合いが詰まっているということでもある。バラ色の幸せばかりを求めるよりも、失敗や挫折から何かを学び取りたいというタイプの人にとっては、むしろうってつけだ。実際、田母神とゆりちゃんの軋轢は極端に見えて、どこか共感を誘う部分もある。だからこそ、この映画を観れば、人の弱さや欲望をまざまざと見せつけられつつ、明日はもう少し誠実に生きてみようと思えるのではないだろうか。
とりわけ、他人を助けることの難しさや、見返りを求める心理が生む悲劇に興味がある人なら、必ず何かしら感じ取るものがあるはずだ。観終わった後のモヤモヤを共有すれば、意外なほど深い対話につながる可能性もあるだろう。
まとめ
本作は、見えないところで渦巻く嫉妬と、互いを利用したい気持ちがぶつかり合う物語である。実際にこんな争いに巻き込まれたらごめんこうむりたいが、その危うさこそがエンターテインメントとしては目を離せない要素になっている。
ムロツヨシや岸井ゆきのをはじめとする実力派の演技合戦によって、嫌でも感情移入させられるのが恐ろしいところだ。結局のところ、人は誰もが自分を大事に思う一方で、誰かに寄り添いたいと願う生き物でもある。だからこそ、この映画で描かれる衝突や裏切りを「どうしてそこまで?」と笑いつつも、その底にある哀しみに胸を締めつけられるのだ。見た目の派手さに惑わされず、そこに隠された真実をしっかりと掴み取るつもりで観れば、きっと強烈な余韻を残してくれるだろう。
作品を通じて浮き彫りになるのは、成功と失敗のはざまで揺れ動く人々の弱さと滑稽さだ。何かを得ると同時に何かを失う。その不条理が、笑いたくなるほど鮮烈に提示されるからこそ、ただの悲劇に終わらないのが面白い。ラストまで見届けたとき、あなたは田母神とゆりちゃんのどちらに共感を覚えるだろうか。人間の素顔を垣間見る貴重な機会として、ぜひ一度は体験してほしい一本である。