映画「マイ・ブロークン・マリコ」公式サイト

映画「マイ・ブロークン・マリコ」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

本作は永野芽郁が主演を務める、親友の死をきっかけに行動を起こす女性の物語である。とにかく衝撃的な展開とエモーショナルな演技の連続で、気がつけばスクリーンに引き込まれていた。タイトルにある“ブロークン”の言葉通り、主人公たちの欠けた部分がむき出しになり、そこに痛みと希望が同居するのが妙にクセになる。

想定外のハプニングや破天荒な行動の数々にドギマギさせられるかと思いきや、ふとした瞬間に涙が出そうになるほどの切なさが襲ってくる。苦しくもどこか愛おしい彼女たちの姿を見ていると、自分の中の大切な何かを突かれてしまい、胸の奥がぞわぞわしてくるので要注意だ。

短い上映時間でありながら、濃密なストーリーがギュッと凝縮されているため、感情移入せずに観るのは至難の業。さあ、そんな劇中で描かれる友情、暴力、そして救済の物語の核心に迫っていこう。これを読めば、作品の魅力をより深く味わえること間違いなしだ。
ちなみに意外にもテンポが軽快で、笑える場面も散りばめられているから侮れない。気付けば笑っていたかと思えば、次の瞬間には主人公の苦悩に胸が締め付けられるという展開の連続。観終わってからしばらくは、この作品の余韻から抜け出せなくなるかもしれない。

映画「マイ・ブロークン・マリコ」の個人的評価

評価:★★★☆☆

映画「マイ・ブロークン・マリコ」の感想・レビュー(ネタバレあり)

本編の魅力を語るうえでまず押さえておきたいのは、主人公シイノとマリコが織りなす歪んだ友情関係である。ふと耳にすると「親友同士で支え合うハートフルな物語」かと思いきや、実際には暴力と悲しみが絡み合いながらも、お互いにしかわからない結び付きがあるのがポイントだ。マリコは幼い頃から父親からの理不尽な虐待に苦しみ、さらに恋人運も最悪という負のループに陥っていた。一方、そんなマリコを見守るシイノも、決して“救いのヒーロー”というわけではない。口は悪いし直情的で、たまに無茶をするあたりが妙に人間くさいのだが、それでもマリコを放っておけない人情深さを持ち合わせている。

序盤で提示されるマリコの突然の死は、物語全体に重たい影を落とす。しかし、そのインパクトが強烈だからこそ、シイノが起こす行動の一つひとつに説得力が加わるのが面白い。親友の死を悼むだけならまだしも、彼女は思い立ったが最後、マリコの遺骨を奪還すべく単身で突撃するという荒業を繰り出す。その姿はやや物騒ながらも、「そこまでしてでもマリコを救いたい」という必死さをビシビシと感じさせる。実際、力でどうにかなる話ではないはずなのに、シイノは熱量だけで突き進んでしまう。この無鉄砲さは観ていてハラハラさせられるが、同時に「こんな友人がいたら、どれだけ心強いだろう」とほろりとしてしまうので侮れない。

また本編では、シイノがブラック企業に勤めていることもさらりと描かれる。上司は社員を駒扱いし、シイノがいくら血反吐を吐こうと見向きもしない。だが、そんな悲惨な状況下で彼女のモチベーションを支えているのがマリコの存在であると考えると、その共依存ぶりがより浮き彫りになるのだ。マリコにとってはシイノが唯一の居場所であり、シイノにとってもマリコを守らねばという使命感めいたものが生きる糧だったのかもしれない。

しかし、その思いの強さゆえに、二人の関係は健全と言い切れない面もある。実際、回想シーンではマリコがリストカットを匂わせるような行動を取る場面があり、シイノが半ば呆れながらも全力で止めにかかっている様子が描かれるのだ。「どっちもどっち」と言ってしまえば身もふたもないが、孤独を抱える人々がぶつかり合いながらも一緒に生き延びようとする姿には妙に引き込まれる。そこには品行方正な“友情”の定義では説明できない、痛々しくも本能的なつながりがあって、観る者の心をざわつかせるのである。

さらに物語が進むにつれ、シイノはマリコの遺骨を抱えて“海へと行く”という大きな決断をする。その過程で出会う風変わりな人々や、思わず笑いが込み上げてしまうようなハプニングが差し挟まれる一方で、ふとした瞬間にマリコの存在がシイノの背中を押しているのがわかる。遺骨という極めて重いアイテムを携帯しつつ、バスや電車を乗り継いで知らない土地を目指す様子は、一歩間違えれば完全に狂気の沙汰だ。だが、その行動力の源泉には「今度こそマリコを守り抜く」というシイノの執念が見え隠れするので、意外と応援したくなってしまうから不思議である。

また、旅先でのアクシデントやちょっとした出会いによって、シイノは自分自身を省みることにもなる。マリコのためだと突っ走ってきたが、本当は自分がマリコを必要としていたのではないか――そんな葛藤が見え隠れするのだ。彼女の頭の中には、過去に交わした会話や手紙の思い出が絶えずこびりついており、ときに幻覚のようなかたちでマリコが姿を現すシーンもある。これがまた切なさを増幅させる。思い出ってのは美化されがちだが、本編ではマリコが見せてきた脆さや、歪んだ愛情表現の数々も生々しく追体験させるため、一方的な「美談」にならないのが秀逸である。

特に印象的なのは、シイノがマリコと過ごしたあらゆるシーンで感じる「罪悪感」である。生前にもっと何かできたのではないか、なぜあの時手を差し伸べられなかったのか――そうした後悔がシイノを突き動かしているからこそ、遺骨を奪い取るという過激な行為にも至ったのだろう。とはいえ、そうした罪の意識自体が実はシイノの自尊心を保つための“自己救済”であるようにも見える。マリコを救うことで自分が救われたい、それが本音ではないかと勘ぐりたくなるほど、二人の関係はもつれ合っている。

だからこそ、本作の後半ではシイノ自身がどこまで自分と向き合い、マリコとの過去を清算できるのかが最大の見どころとなる。海を目指すロードムービー風の展開は、一種の“巡礼”にも似た雰囲気を漂わせていて、旅の終着点にどんな結末が待ち受けているのか、観客としては気が気でなくなる。死んでしまったマリコとどう決別し、あるいはどう抱きしめて生きていくのか。その答えを導き出すプロセスが、本作最大のクライマックスであり、最も胸を揺さぶられる瞬間である。

演出面でも注目ポイントが多い。例えば回想シーンの挿入タイミングが絶妙で、シイノとマリコの過去が断片的に浮かび上がるたび、観ているこちらも「彼女たちにとって何がいちばん辛かったのか」を知ることになる。そこには泣きたくなるような出来事や、笑い飛ばしたくなるような珍事件が混在していて、二人がただの“悲惨な被害者とその味方”で終わらないところに深みを感じるのだ。また、マリコを虐げてきた父親や恋人たちの存在感が薄っぺらにならないように描かれているのもポイントである。暴力を振るう彼らは確かに許せない連中なのだが、その影響を真正面から受け止めたマリコが、どれだけ人生を狂わされてきたかがひしひしと伝わるのだ。

さらに、シイノのやんちゃで真っ直ぐなキャラクター性を際立たせるために、周囲の人々がどこか常識的で、しかし心優しい人物として配置されているのも印象的である。マリコの家族関係があれだけ荒れているのに対し、再婚相手の女性は驚くほど気さくで思いやりがあるように描かれたり、ひょんなことから出会う通りすがりの男性がシイノに必要な助けを差し伸べたりと、絶妙なバランスで物語が進む。そのたびにシイノは「こんなはずじゃなかったのに」と戸惑いつつも、どこかホッとさせられているように見えるのだ。

一方で、ロードムービー的な要素はやはり感動だけでなくトラブルも呼び寄せる。長距離移動の途中で財布をすられたり、夜行バスで眠れずイライラしたり、はたまた崖っぷちで思わぬ事件に巻き込まれたりと、さながら波瀾万丈な小旅行である。だが、そのどれもがシイノの想いとリンクし、マリコへの未練や愛情を一層強めるきっかけになっているから面白い。観客としては「もう勘弁してやってくれ」と言いたくなるトラブル続きだが、そうした困難を乗り越えるたび、シイノがマリコと共有してきた日々の重さをしみじみと感じるのである。言わば、“あの頃”を取り戻すためのトラブル祭りなのだ。

やがてクライマックスが近づくと、シイノは“マリコと最後に交わす対話”のような瞬間を迎える。実際にはマリコはもうこの世にいないわけだが、思い出や罪悪感、そしてわずかな幸福のイメージが混ざり合うことで、まるでそこにマリコが現れたかのようなリアリティが生じる。シイノがその声にどう応え、どんな行動を起こすのかによって、この物語の意味が決定づけられると言っても過言ではない。まさに、観る側も息をのんで見守るしかない場面だ。

そして、シイノがどんな結末を迎えるかはぜひ本編で確かめてもらいたいが、少なくとも一筋縄ではいかない形での“救い”が用意されている点は強調しておきたい。決して都合のいいハッピーエンドにはならないが、かといって全てが無慈悲に終わるわけでもない。あの衝撃的な始まり方からは想像もつかないような、奇妙な解放感を得られるのだ。シイノが繰り広げる破天荒な大冒険と、マリコとの回想が見事に融合し、最終的には「自分はこれからどう生きるのか」というメッセージを投げかけてくる。

劇中、何度も描かれるシイノとマリコの過去の日常シーンには、ささやかな幸せと悪夢のような痛みが同居している。それがリアルであり、一筋縄ではいかない絆の深さを物語っているのだ。観終わったあと、「自分だったらどうしただろう」と考え込んでしまう観客も多いだろう。マリコのような生い立ちを持つ人に対して、シイノのような寄り添い方が本当に救いになっていたのか。あるいは逆に、もっとほかの道はなかったのか。答えはそう簡単に見つからないが、その迷いこそがこの作品の根底にあるテーマだと感じる。

登場人物たちはいずれも傷を抱えているが、それでも前に進もうとする姿は、泥臭くも力強い。暴力と絶望に満ちたエピソードの数々を挟みながらも、ときおり見せる笑顔や軽妙なやり取りが救いとなり、観客としては不思議と最後まで目が離せなくなる。特に、シイノが突っ走るときの勢いは爽快感すらある。常識的に考えれば引き返すべき場面であっても、「やるなら徹底的にやってやる」という彼女のガッツにほだされてしまうのだ。その裏には、決してカタチだけでは終わらないマリコへの想いがあると知るからこそ、なおさら応援したくなる。

また、女優陣の演技力も特筆すべきだ。シイノ役の俳優は普段のイメージを覆すほどの荒々しさと繊細さを行き来し、マリコを演じる俳優は決して大袈裟にならない方法で“壊れかけ”の危うさを体現している。二人が見せるちょっとした仕草や表情の変化にぐっと胸を締め付けられ、画面を通してこちらの感情が乱高下するのがわかる。もしかすると演出の妙なのかもしれないが、どちらにせよ非常に生々しく、まるでそこに本物の人間が生きているかのようなリアルさを感じる。

この映画は“友情”という言葉ではまとめきれない濃厚なドラマに満ちている。人は大切な誰かを本当に助けられるのか、助ける側と助けられる側が同時に負う傷はどれほど深いのか。その問いを重く突きつける一方で、生きること自体の切なさや愛おしさをしっかり見せてくれる。暴力や虐待の描写は決して軽いものではないが、その奥には「それでも生きる」「それでも誰かを想う」という熱量が確かに存在しているのだ。

ラストに近づくにつれ、シイノが心の底で抱えていた思いがどんどん浮き彫りになっていく。生前のマリコが発していたSOSをきちんと拾えていたのか、本当はもっと早く気づいてあげるべきだったのではないか――そんな疑問は、作品を観る我々にも突き刺さるだろう。そして結末を見届けたあと、タイトルの“ブロークン”が意味するものが単なる“壊れ”だけでなく、“そこから生まれる再生”をも孕んでいると気づかされる。

もちろん、人によってはその再生や救いがあまりに厳しく痛々しいものに映るかもしれない。だが、本作が提示しているのは「失ったものを取り戻すために、命がけでぶつかる」という強烈なメッセージでもある。シイノの行為は一歩間違えれば無謀の極みだが、彼女が抱くマリコへの想いは紛れもなく本物だ。その熱さと不器用さに、観ているこちらも身を焼かれるような感覚を覚える。

もし誰かの痛みに真正面から向き合うのが怖いと感じる人がいるならば、この物語は重すぎるかもしれない。しかし、その痛みと向き合った先にある光も確かに示されているので、むしろ勇気づけられる観客も多いはずだ。一筋縄ではいかない物語だからこそ、その分だけ人間の深みや生々しさが堪能できるのである。観終わったあと、気づけば自分もシイノやマリコの一部を抱えながら、前に進もうとしているかもしれない。そんな不思議な力を持った作品だと断言できる。

最後に強調しておきたいのは、この作品が「悲しみ」だけでなく「連帯」をしっかり描き切っているという点だ。シイノにとってマリコは唯一無二の存在だったが、物語を進める中で彼女は自分を思いやってくれる人々とも出会う。それは決して派手な演出やセリフではなく、ごくさりげない優しさや共感のかたちだ。そうした断片が積み重なることで、シイノはマリコの遺骨とともに“新たな一歩”を踏み出す勇気を手に入れる。観る者もまた、「自分の周りにはそんな存在がいるだろうか」「自分は誰かにとってそういう存在だろうか」と問いかけたくなる。だからこそ、苦い余韻を残しつつも、不思議な希望を抱かせる仕上がりになっているのだ。まさに心に突き刺さり、じわりと染み込む一本だと言えよう。

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映画「マイ・ブロークン・マリコ」はこんな人にオススメ!

本作は暗いテーマを扱いながらも、見終わったあとにどこか温もりを感じる不思議な作品である。だからこそ、以下のような人々にとっては特に刺さるのではないかと思う。

まず、“友情”と呼ばれるものに対して微妙な思いを抱いている人。周囲から見ればおかしな関係でも、当人同士にしかわからない絆があることを信じたい人には、この映画は格好の題材である。常識的な助け方ではなくても、大切な相手をどうにかして救おうとする姿は痛々しくも心に響く。

また、親子関係や恋人関係など、身近な場所に深い傷を抱えている人にもぜひ体験してほしい。暴力や抑圧から逃れられず、それでも誰かとつながりたいという思いを持つキャラクターたちの姿に、きっと何かしらの共感や発見を得られるはずだ。さらに、ロードムービー的な開放感が好きな人にも合っている。一見シリアスな内容と思いきや、旅の過程で描かれるちょっとした出会いや出来事に癒やされる場面もあり、絶望一色で終わらないのがありがたい。

そして何より、“本当に大切な人を失ったとき、人はどこまで行動できるのか”という問いが胸を打つ。似たような後悔を抱えている人、あるいは「もしあのとき助けてあげられたら」と思った経験のある人にとっては、シイノの奮闘がまるで自分のことのように感じられるだろう。対岸の火事として切り離すのではなく、自分の人生にも起こりうるリアルな問題として突きつけられるのだ。

とにかく“人間同士がぶつかり合いながらも一緒に生きていく”というテーマに興味があるなら、迷わず観る価値がある。傷ついた過去を抱えたままでも手を取り合おうとする彼らの姿は、不器用ながらも美しく、思わず自分の人生を重ねて考えてしまうはずだ。観終わったあと、一人で静かに浸るもよし、誰かと語り合って互いの傷や思いを共有するもよし。いずれにしても、濃厚な余韻を味わうこと請け合いだ。

もし今まさに生きづらさや後悔を抱えているなら、この映画のメッセージが心を支える糸になるかもしれない。そんな期待を抱かせる不思議な力を秘めた一本である。

まとめ

まとめとして振り返ると、この映画は“人が人をどこまで救えるのか”という問いと同時に、“自分をどれだけ許せるか”というテーマもはらんでいるように感じる。シイノはマリコの死をきっかけに、思いもしなかった冒険を繰り広げることになるが、その根底には後悔や苛立ち、自分自身への情けなさが渦巻いている。それでも彼女は前に進む道を選び、マリコへの想いを胸に何とか立ち直ろうとするのだ。

だからこそ、本作が描く物語は決して重苦しいだけではなく、“再生”や“小さな希望”といった要素がしっかり盛り込まれている。観終われば、きっと誰しもが「もう一度頑張ってみようか」と思えるはずだ。人間の脆さと強さを同時に描き切っているからこそ、苦い後味を残しつつも前向きなエネルギーを与えてくれる。興味をそそられたなら、一度その世界に飛び込んでみるといい。きっと、意外と深くて沁みる体験が待っているはずだ。

自分が誰かを本当に救えたかどうか、その答えはいつもあやふやである。しかし、シイノが見せるように「とにかく行動する」という無茶が、救いの糸口になる場合もあるのだ。マリコへの想いと向き合うことで、シイノは不器用ながらも一歩を踏み出す。その姿に人は共感し、ささやかな勇気をもらうのではないだろうか。