映画「怪物の木こり」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!
本作は、亀梨和也が冷酷非情なサイコパスの弁護士を演じるという話題性から大きな注目を集めている。連続猟奇殺人のターゲットになる主人公が逆に襲いかかる展開は、一筋縄ではいかない“殺人鬼vs殺人鬼”の図式を思わせ、刺激を求める者にはなかなか魅力的な題材である。もっとも、いざ観てみると「サイコパス同士の死闘」というよりは、自分に埋め込まれた脳チップが壊れかけて人間らしさを取り戻していく主人公の揺れ動きが主軸となっており、見た目の過激さに比べると精神的な苦悩やドラマ性が重視されているように感じた。
とはいえ、連続殺人の手口は血なまぐさく、斧で頭を割られ脳を持ち去る描写があるなど、ホラー寄りの作風であることは確かだ。監督は刺激的な作品づくりに定評のある三池崇史だけに、突飛なビジュアルや容赦のない展開に加え、不思議とクセになる一種のインパクトを備えている。主演・亀梨和也の怪演をはじめ、映美役の吉岡里帆やプロファイラー役の菜々緒など、人気キャスト陣の豪華さにも目を引かれる。果たして、あの斧を振りかざす仮面の正体は何者なのか。サイコパスが人間らしさを取り戻すとはいかなる意味なのか。観賞後には、少々ざわつく余韻が残ること必至である。
映画「怪物の木こり」の個人的評価
評価:★★☆☆☆
映画「怪物の木こり」の感想・レビュー(ネタバレあり)
本編は“サイコパスの弁護士”という強烈な個性を持つ二宮彰(亀梨和也)が、何者かに命を狙われるところから幕を開ける。弁護士とはいっても、実は自分の利益のためなら平気で相手を殺してしまうような冷血ぶりを発揮してきた人物であり、冒頭で「怪物のお面」をかぶった連続殺人鬼に斧で襲われた瞬間すら、ほとんど恐怖心を抱いていないのがポイントだ。普通であれば阿鼻叫喚の大事件なのに、彼にとっては“どうやって反撃しようか”を冷静に考える対象でしかない。
しかも、彼の傍らには染谷将太演じる脳神経外科医・杉谷九朗という仲間がいる。こちらも同類のサイコパスで、手術室の裏で人体実験同然の行為を行っているという異常性をさらりと見せつけるのだから恐ろしい。二宮と杉谷という悪のコンビが繰り広げるやりとりには、一種の不気味さを感じざるを得ない。
しかし、本編の肝はそこから先だ。二宮が“怪物マスク”の殺人鬼に頭を割られかけた際の衝撃で、脳に埋め込まれたチップが故障し始める。実は二宮は、幼少時に強制的に脳チップを埋め込まれた被害者という過去を持っていた。チップの働きによって、善悪を考慮する心が押さえつけられ、残虐行為に躊躇のないサイコパスとして生きてきたわけである。ところが故障によって、サイコパス特有の冷淡さが徐々に薄れ始め、彼の中に“良心”や“罪悪感”が芽生えてくる過程が本作の最大の見どころといってよい。
この流れは、血生臭いホラーやスリラーを期待していた観客にとってやや意外かもしれない。何しろ、前半は凶暴な殺人者でしかない主人公が、「なぜあんなに人間味のない行動を取ってきたのか」という理由にスポットを当てられ、次第に弱さや哀しさをにじませるようになっていくからだ。亀梨和也の演技は、この“自我の変化”を繊細に表現しているように見えた。実際、前半と後半ではまるで別人のようである。
一方、連続殺人鬼として暗躍する「怪物マスク」の正体は、前評判でも示唆されている通り、同じく幼少期にチップを埋め込まれた被害者の一人・剣持(中村獅童)である。かつて彼もサイコパスとして数々の悪事を働いてきたが、何らかの拍子にチップが壊れ、自分の行いに対する罪の意識に苛まれるようになる。その苦悩のあまり、同じくチップを埋め込まれたサイコパスたちを“社会の災い”として排除しようと連続殺人に走ったという設定である。
この“サイコパスがサイコパスを殺す”構図はやや突飛に感じられるが、そこには一抹の哀愁が漂う。剣持が抱える後悔と贖罪の念は凄まじく、「どうして普通の心を持つ人間に戻らなかったんだ」と自分を責めながら、過去に自分と同じ道を歩んでしまった連中を片っ端から抹殺しているわけだ。血生臭い行為でしか罪を償えない彼の姿は、観客に重たいテーマを突きつける。
そして剣持が、次のターゲットとして二宮を狙う理由にも納得できる部分はある。二宮はサイコパスとして確かに酷い殺人を犯してきた。特に婚約者・映美(吉岡里帆)の父親を資産目的で突き落とし、彼女を利用するような外道の行為は目に余るものがあった。しかし、皮肉にも二宮はチップの故障によって人の心を取り戻し始めてしまう。かつて犯した罪にどう折り合いをつけるのかといった倫理的な葛藤が濃厚に描かれ、いかにも三池作品らしいダークな人間ドラマが展開されるのだ。
サイコパスのまま殺人鬼と対決するのか、それとも人間性を取り戻して新たな道を模索するのか。二宮の迷いは、本作における最大のドラマでもある。ここが単なるバイオレンス映画にとどまらない理由であり、ただのホラーを好む層からすると「もう少しド派手にやってほしかった」という欲も出るかもしれない。だが、サイコパスといっても生まれつきではなく、人体実験の末に作られた被害者という設定だけに、同情の余地が生まれてしまうあたりがこの映画のひねりどころだ。
終盤、二宮と剣持が東間事件の残滓が残る洋館で対峙するシーンは、本作におけるクライマックスとして迫力がある。燃え上がる炎の中で互いに斧やナイフを振るい合い、どちらも容赦のない攻撃を繰り出すが、共通するのはサイコパスとして歩んできた自分の人生をどこで断ち切るかという命題だ。剣持は悲劇的な結末を受け入れ、二宮はなんとか生き延びる。だが、そこで終わらないのがこの作品の苦いところ。
結果的にチップが壊れかけていた二宮は、過去に犯してきた罪を思い知る羽目になる。なかでも映美の父を殺した事実は到底許されるものではなく、彼女を深く傷つけていたことが最後の最後で明らかになる。新しい生き方を始めようとした矢先に、二宮は映美から復讐に近い行為を受ける展開が待ち受けている。まさに「自業自得」「因果応報」とも言える締めくくりであり、観客の胸にはある種のやりきれなさが残るだろう。
本作の魅力は、この後味の苦さにあると感じた。誰が善で誰が悪なのか、そもそも善悪の概念はチップが故障するかどうかで大きく変わってしまう。作中では、東間翠という医師が子どもを誘拐して脳チップを埋め込むという衝撃の行為に及んだ過去が明かされるが、そこにこそ「人を怪物に変えるのは、もしかしたら社会や科学技術そのものではないか」という示唆が込められている気がする。サイコパスになった主人公たちは、その意味では“生ける被害者”でもあるのだ。
亀梨和也の演技は一見クールでスマートだが、後半になると細かい表情の揺れで葛藤を表現しており、特に映美や剣持と相対するシーンでの微妙な目線が印象的だった。中村獅童は言わずもがな、アクの強いキャラクターを演じる名手だけに、仮面を外してからの悲哀と執念を兼ね備えた姿が恐ろしくもあり切なくもある。吉岡里帆演じる映美は、二宮に惹かれながらも最後に突き放さずにはいられない人物として強いインパクトを残す。そこにはラブストーリー的な甘さはほぼなく、むしろ冷たい現実が突きつけられる。
監督・三池崇史らしい過激な演出はもちろん健在だが、ただのスプラッタやド派手アクションに終始するのではなく、彼らの“歪んだ感情”を際立たせる方向に重きが置かれているように感じる。結果として、グロテスクさのある場面と人間ドラマが混ざり合い、不穏な雰囲気を最後まで維持しているのが見どころだ。
総じて、鮮烈なイメージを期待している人にはアピールする要素が多いが、いわゆる王道の勧善懲悪ものや気持ちのいいカタルシスを望む人には向かないかもしれない。二宮が迎えるラストは痛烈だが、そこに確かな皮肉や悲しみが漂っている点で“心に棘が刺さる”作品といえよう。特に「サイコパスとは何か」「人間らしさとは何か」という問いが好きな人にとっては、十分楽しめる要素が散りばめられているのではないだろうか。
映画「怪物の木こり」はこんな人にオススメ!
この作品は、ただ残酷なだけのサスペンスやホラーではなく、“意図して人を狂わせる研究”が行われていたという不気味なテーマを含んでいる。したがって、血塗れの恐怖を楽しみたい者以上に、「ゾッとするような設定」や「社会や人間の暗部」をえぐり出す作風が好みの者にこそ向いていると感じた。
主人公を含め善人が少ないため、登場人物に感情移入できるかどうかは人を選ぶ部分もある。だが、むしろ“冷淡な人間たち”がどう転がるのかを観察する感覚を楽しめる人なら、そのブラックな魅力に浸れるのではないか。加えて、亀梨和也のクールなイメージが好きな人や、三池崇史監督のダークかつクセの強い演出に惹かれる人にもお薦めだ。
また、本作は人の道徳や倫理をガラガラと崩すようなシーンが多い反面、「そもそも道徳や愛情は人間にとってなんのためにあるのか」という哲学的な問いを思わず考えさせられる。一筋縄でいく娯楽映画に飽きてしまい、問題提起や内面の葛藤が盛り込まれた作品を求めている者には、じっくり浸って考える余地があるだろう。血なまぐさい場面が苦手でなければ、“ちょっとダークな刺激”を堪能できる一作だ。
まとめ
「怪物の木こり」は、連続殺人鬼が活躍する猟奇譚というだけでなく、サイコパスとして生きてきた主人公がふと人間の心を取り戻すことで生まれる悲劇を深く描いている点が特筆に値する。血塗れの手口や仮面姿の殺人犯といったホラー要素も満載だが、実はもっと根源的な問題を突きつけてくるのが面白いところだ。
物語の結末では、主人公が過去の罪と向き合い、許されざる行為の報いを受けるような展開が待ち受ける。いわゆる勧善懲悪の明快さはなく、暗く陰鬱な結末にモヤモヤを抱える人も多いかもしれない。しかし、それこそが本作の醍醐味であり、サイコスリラーの新たな境地を提示しているともいえる。もし、普通の刑事ドラマでは物足りないとか、道徳の通じない世界にどっぷり浸りたいと感じるのであれば、一度チャレンジしてみる価値はあるだろう。