映画「手紙」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!
本作は東野圭吾の原作をもとに、家族の絆や社会の厳しさ、そして人間関係の機微を描いた社会派ドラマである。もっとも、「社会派」と聞くと眉間にシワを寄せがちな方もいるかもしれない。だが本作は決してお堅い説教作品ではなく、むしろ“兄弟の絆”と“周囲の偏見”という極端なテーマを巧みに絡めた、ある意味でエモーショナルな人間ドラマに仕上がっているのが特徴だ。
タイトルが示すとおり「手紙」が物語の大きな鍵となり、二人の兄弟が交わす手紙によって罪と赦しが描かれていくさまは、予想以上に心を揺さぶられる。とはいえ、一部では「すっかり涙腺を崩壊させられた」という声もあれば、「え、どこに感動要素があるの?」といった真逆の評価も飛び交う問題作でもある。
そんな波紋を呼ぶ映画「手紙」を、ツッコミどころや共感ポイントを交えつつ激辛で語り倒していきたいと思う。
映画「手紙」の個人的評価
評価: ★★★☆☆
映画「手紙」の感想・レビュー(ネタバレあり)
ここからは物語の核心にズバッと切り込んでいくので、未見の方はご注意いただきたい。兄が犯した殺人事件によって、弟は想像以上に重い十字架を背負わされる。しかも当の兄は「弟を大学に行かせるために盗みに入ったら、誤って殺してしまった」というまさかの展開である。この設定だけを聞くと、「いや、奨学金とかバイトとかいろいろあるでしょうが!」と誰もがツッコみたくなるし、実際その通りだ。だが本作はあくまで“兄弟愛を拗らせた結果”として起こる悲劇、そしてその後の差別や偏見がいかに本人や家族を苦しめるかを描きたいわけである。
物語の主役は、弟・武島直貴。兄の犯した犯罪とは一切関わりがないはずなのに、「殺人犯の弟」という肩書を一方的に背負わされ、社会から冷遇されていく姿には思わず同情を禁じ得ない。学校や就職、恋愛、結婚――そのどれもが「兄の影」を避けて通れず、きちんと向き合っても差別される構造がある。この理不尽さには観ている側もイライラさせられるのだが、それこそが本作の狙いでもあるだろう。
しかし、直貴がまるで「不当な扱いをされて当然」という扱いを受ける場面が多いのも事実だ。どこまでいっても「兄貴のせいで俺の人生大混乱」という一言に尽きるわけだが、世の中はそんな甘いものじゃないというリアルさを突きつけてくる。特に物語の中盤から登場する会社の会長が言う「差別は当然なんだ」というセリフは、ある意味では本作最大の問題提起といえよう。“差別はいけない”と綺麗事を言うのは簡単だが、周囲からすれば「犯罪に近い人間を遠ざけたい」という心理もまた自然なものだ、というわけだ。ここに関しては、人によって「その通りだ」と納得するか、「やはり不当な差別だ」と憤慨するかが真っ二つに割れる。だからこそ、この映画は観る人を選ぶともいえるのだ。
実は筆者は初見時、この会長のセリフにカチンと来たクチである。被害者や遺族ならともかく、弟には罪はないじゃないか。家族だから同罪扱いなんておかしい、というのが第一印象だった。だが二度三度と観るうちに、「加害者が引き起こした行為は家族含め、周囲をも巻き込む」という事実を受け止めざるを得なくなったのも事実だ。とくに被害者遺族の視点で考えると、謝罪や反省だけでは済まされない苦しみや怒りがある。映画の終盤、被害者遺族の男性が「もう終わりにしよう」と言い放つシーンが出てくるが、そこに至るまでの彼らの苦悩や葛藤を思うと、あまりに深いものがある。
とはいえ、展開的には「そんなに早く許してくれるの!?」と驚く向きもあるだろう。実際には遺族が加害者の兄弟を容易に許すなんて、よほどのことがない限り難しいはずだ。ここはストーリー展開上の“映画的なご都合主義”を感じなくもないが、本作としてはそこがポイントではなく、“手紙”というツールを介して加害者側と被害者側が少しずつ歩み寄る可能性を提示したかったのだろう。
本作が面白いのは、刑務所で服役している兄から届く手紙が、弟の人生を狂わせる一方で、同時に兄弟の絆をかろうじてつなぎ留める役割も果たしている点だ。直貴にとって兄からの手紙は、差別され続ける苦しい現実を一層突きつける“地獄の手紙”でもあるが、一方で「弟を気遣う兄の想い」がにじむ手紙でもある。これを「いや、兄の自己満足だろ」と冷ややかに見るか、「兄も本当に弟を思っているんだなあ」と温かく受け止めるかで、観る人の感想は真逆に振れる。「なにがいちごだよ!」と直貴が叫ぶシーンは、まさにそんな兄弟間のズレを象徴しているといえるだろう。本人(兄)は軽い回想でほっこりしているが、弟にしてみれば「そんな他愛ない思い出を送られても、俺がどれだけ苦しんでるか分かってないだろ!」とツッコまずにいられないわけである。そこにあるほろ苦さと切なさが、本作の魅力でもあり、苦い現実を突きつける要素でもある。
さらに映画「手紙」は、直貴が“お笑い芸人”を目指すという少々奇抜な設定を持ってくる。これに対しても「別に大学行かなくても芸人になれるでしょ!」「兄貴が体を張って学費を調達してまで行かせた先が芸人?」といった突っ込みは絶えない。実際、その通りだし、ちょっと強引なストーリー構成と感じる方もいるはずだ。しかし、そこにこそ東野圭吾作品の皮肉やメッセージが込められていると見ることもできる。結局「兄は弟により良い未来を与えたかったが、その思いがすれ違った末に取り返しのつかない悲劇を生んだ」という、人間ドラマ的な悲しさが生々しいからだ。
そして個人的に見逃せないのは、直貴を支える女性・由美子の存在である。映画版では沢尻エリカが好演しており、主人公にとってはもはや“天使か何か?”と思うほど献身的だ。彼女は兄からの手紙に返事を出したり、会社の会長に直談判の手紙を書いたりと、周囲がドン引きするほど積極的に直貴の人生をサポートしていく。あそこまでやってくれるのは、正直「都合良すぎ」と言われても仕方ない部分があるが、逆にそれくらいしないと“社会の冷たい壁”に真っ向から立ち向かえないのだろうという説得力もある。とりわけ「私ら親子三人、胸張って道の真ん中歩くんや!」というセリフは、何度見てもグッとくる。周囲がどんなに差別や偏見で攻撃してこようが、自分たちに恥じるものは何もない――そう言い切る彼女の強さは、この映画が多くの人を号泣させる理由のひとつでもある。
ただし、差別や偏見を突きつける映画とはいえ、すべてが悲壮感一色というわけでもない。直貴が漫才のステージで滑り散らかす(?)シーンには、逆に「うお、もうちょっと練習しようよ!」と突っ込みたくなるようなコミカルさもある。そもそも兄の一件がなくても、彼が芸人として成功できるのかは疑問だ。そんな人間くさい不器用さが逆に愛おしく、観客としては「まあ、がんばれよ…」と肩を叩きたくなる。映画全体を通じて暗く沈んだムードが漂ってはいるが、こういった“コメディタッチのエッセンス”も垣間見えることで、本作が単なる重苦しい道徳映画になっていないのは評価ポイントだと思う。
終盤、直貴はさまざまな苦しみを抱えながら、被害者遺族と対峙する。それによって改めて「兄の罪」を背負いながら生きていかなければならない運命を自覚し、兄もまた“手紙”を通じて自分の罪がどれほど周囲を傷つけているかを知る。この「刑務所ライブ」の場面は、本作きってのクライマックスだ。弟が漫才という形で兄の前に立ち、懺悔とエールを同時に送り込むような演出は、賛否はあれどかなりパワフルである。笑いの裏側に潜むしんみりした空気が「手紙」という映画の全体像をよく象徴しているのだ。
結果として、本作は決して「観たらスカッとする」「誰もが号泣する感動作!」という単純な映画ではない。むしろ、差別や偏見のリアルさ、そして罪を犯した者が背負う業の深さを突きつけられ、観終わったあとに複雑な気持ちが渦巻く作品である。観る人によっては「なぜそこに感動できるのか分からない」という否定的なリアクションになる場合もあれば、「ここまで踏み込んで描いてくれたからこそ感涙した」という肯定派の意見もある。両者が真っ向から衝突するほどのテーマを持っていることは、ある意味で映画としての大きな価値でもあるだろう。
まとめると、映画「手紙」は“重くて暗い内容ながらも、どこか人間味あふれる作品”といった印象を受ける。一言で言うと「現実の厳しさと温かさの両面が詰まった作品」だ。人間は間違いを犯すし、その影響は本人だけでなく周囲を巻き込む。家族だからこそ逃れられない絆もあれば、家族であるがゆえに社会から差別を受ける理不尽さもある。これを“ものすごく悲しい話”と見るか、“それでも人間には前を向く力がある、という話”と見るかで、あなたの人生観がちょっと見えてくるかもしれない。そういう意味では、ただのエンタメ映画にとどまらず、観る人に何かしらの問いを突きつける一作といえるだろう。
さらに言えば、“手紙”というツールを通じてこそ生まれるドラマ性が本作の大きな魅力だ。いまやメールやSNSが主流の時代に、なぜ手紙という古風な方法が響くのか? 兄弟や被害者遺族の心をつなぐものが文字という手段であるからこそ、遠回りだけれども確かに相手の心を打てるのかもしれない。そのやりとりを「逆に残酷だ」と感じるか、「奇跡を生むかもしれない道具だ」と感じるかもまた、観る人次第である。
もちろん、「ちょっと説教臭い」と感じる箇所があるのは否定できないし、作中での行動原理にツッコミどころが多々あるのも事実だ。だが、それも含めて“人間って愚かだけど、どこか愛おしい存在だよな”という気持ちにさせてくれるのが、この映画の不思議な魅力ではないだろうか。終盤のシーンで小田和正の楽曲が流れるあたりは、涙を誘うための演出と分かっていても、やはりうるっと来るものがある。こういう点も「手紙」という作品が長らく語り継がれる理由のひとつだろう。
要するに映画「手紙」は、“見終わった後に人と語り合いたくなる映画”である。兄の犯した罪と弟の人生、そして社会が突きつける差別や偏見。その過酷さは決して軽く語れるものではないが、同時に「それでも生きていくしかないんだ」という希望も微かに感じられる。こんな作品、そうそうあるものではない。観終わってショックを受ける人も多いかもしれないが、心に残る映画を求めるなら一度は観る価値があるだろう。良くも悪くも、あなたの感想はきっと「手紙」の物語と同じくらい重みを持つはずである。
映画「手紙」はこんな人にオススメ!
映画「手紙」は、そのテーマの重さから「気軽に観る映画じゃないな…」と敬遠されがちだが、実は以下のような方にはうってつけだと思う。まずは“社会の矛盾や不条理を真正面から見つめたい人”だ。「世の中には理不尽がいっぱいだけど、逃げずにそれを認めたうえで自分はどう生きるか考えたい」という真面目タイプにとって、本作は考えさせられる材料が盛りだくさんである。兄弟愛の在り方や家族の責任、犯罪加害者の家族が背負う十字架などがリアルに描かれているので、頭をガツンと殴られたような衝撃を受けるだろう。
また、“涙活”をしたい人にもオススメである。「もう最近カラカラで全然泣いてない」という人は、まず兄弟が交わす手紙のシーンや、被害者遺族との対峙シーンで涙腺にトドメを刺される可能性大だ。泣きたくなくても思わずホロリときてしまう演出が散りばめられているので、気づいたらティッシュの山ができるかもしれない。
一方で、“単純なハッピーエンドじゃ満足できない”という屈折した嗜好を持つ方にもぴったりだ。本作は、いわゆる大団円という感じではなく、社会の厳しさや差別の根深さをあえて突きつけてくる。だからこそ観終わった後に「いや、これは納得いかない!」とか「でもこのキャラの気持ちは分かる」とか、いろんな議論が巻き起こる。この手の“モヤモヤを楽しみたい”という方には最高のエンタメといえるだろう。
最後に、“手紙”というアイテムに思い入れがある人にもオススメしたい。直接会えない相手に、自分の思いを一文字ずつ書き綴る行為には、不思議なほどのドラマ性とロマンが詰まっている。ネット時代だからこそ、手紙というアナログなツールにこそ力があるのかもしれない。そんな魅力を再確認できるのも、本作の大きなポイントといえるだろう。
まとめ
映画「手紙」は、兄が弟を思うがゆえに犯してしまった罪が、弟の人生をどれほど狂わせるかを痛烈に描いた作品である。加害者本人だけでなく、家族が社会からどう見られるかをリアルにえぐり出すので、ハンカチ片手に観ることをオススメする。
ただし、泣けるだけの感動巨編かといえば、そうとも言い切れない。差別と偏見は当然のように存在するし、周囲は決してすぐに許してくれない。そこにイライラしたり、納得できなかったりしながらも、最後にはどこかホッとする瞬間が用意されているのが妙である。まさに人生と同じように、苦さと温かさが同居しているのだ。もしあなたが「生きるのって不条理だけど、それでも前を向きたい」と思っているなら、映画「手紙」は大いに刺さるはずだ。
観終わった後でこみ上げてくるものは、人によっては涙かもしれないし、あるいは言葉にならない重みかもしれない。ぜひあなた自身の目で、その結末を確かめてほしい。