映画「キリエのうた」公式サイト

映画「キリエのうた」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

本作は、アイナ・ジ・エンドの圧倒的な歌声を全面に押し出しながら、監督・岩井俊二と音楽・小林武史という豪華タッグによる“音楽映画”として公開され、大いに話題を集めている。とはいえ甘い青春ロマンスだけを予想していると痛い目を見る。震災や社会とのすれ違い、生きづらさといった苦味成分がこれでもかというほど投入され、見終わった後に何ともいえない衝撃を受けること必至だ。

3時間の長尺と聞くと「そんなに長いなら途中で集中力が切れそうだ」と構えてしまう人もいるかもしれないが、意外にも物語はテンポよく進み、主人公が声を失った理由や周囲の人間模様が少しずつ明らかになる構成が巧みで最後まで目が離せない。今回はその全貌を“激辛”視点でぶった斬りつつ、作品の奥底に潜む熱いメッセージを深掘りしていく。

映画「キリエのうた」の個人的評価

評価:★★★☆☆

映画「キリエのうた」の感想・レビュー(ネタバレあり)

本作の主人公は、路上ミュージシャンとして日々ギターを抱えながら歌を歌う女性“キリエ”だ。ただし、彼女はなぜか普段の会話でうまく声を出すことができない。歌うときだけ力強い声が響きわたり、観客の耳を惹きつける。まず、この設定に対して「説明不足では?」というモヤモヤが序盤から押し寄せる。だが、物語が進むにつれ、震災で喪ったものや家族の行方不明、そして社会制度の壁といった壮絶な過去が明かされていき、「なるほど」と腑に落ちる瞬間がやってくるのだ。

監督が岩井俊二と聞けば、幻想的な映像や音楽を印象的に使った作品を思い浮かべる人は多いだろう。確かに本作にも独特の詩情があふれ、どこか儚い雰囲気が画面全体を包み込んでいる。しかしながら、かつての「スワロウテイル」や「リリイ・シュシュのすべて」をイメージして観ると、その重たさや切なさのベクトルがやや違うと感じるかもしれない。今作では“震災”という揺るぎない現実が軸にあり、その影に翻弄される登場人物が丁寧かつ生々しく描かれているからだ。

3時間の長さに潜む落とし穴

まず最初に気になるのは上映時間である。約3時間というボリュームは人によっては「長い!」と敬遠しかねない数字だが、意外にも観ていてそこまで苦痛にはならない。むしろ、断片的に提示されるキリエの過去や、周囲の人々の事情をつなぎ合わせていく展開はパズルを解くような魅力がある。最初のうちは「なぜこの人は彼女に執着するのか」「なぜ主人公は住所不定のまま歌い続けるのか」という疑問が湧き上がるが、それらが一定のリズムで解き明かされるため、退屈する隙を与えないのだ。

ただし、長丁場ゆえの弊害もある。クライマックス付近に差し掛かる頃には、いくつかのサイドストーリーがやや散漫に感じられ、「もう少しまとめてもよかったのでは?」と思う部分が出てくる。特に、キリエを取り巻く友人や知人が多彩ゆえ、全員の背景が細かく掘り下げられるわけではない。その結果、さまざまな事情がうっすらと描かれるわりに大団円を迎えずフェードアウトしてしまうキャラクターもおり、そちらに感情移入し始めた観客にとっては欲求不満かもしれない。

震災がもたらす“喪失”と“すれ違い”

本作で大きな意味を持つのが東日本大震災である。キリエが声を失った根源には、家族が被災して離ればなれになった経験や、その後に受けた理不尽ともいえる社会制度の対応が深く関係している。このエピソードは決して軽々しく扱われるわけではなく、「震災という大きな悲劇の中、どうにもできない状況で大切な存在を失うこと」の残酷さが静かに、しかし痛烈に胸に響く。劇中では津波被害が直接的に描かれるシーンもあり、見る者は当時の記憶やニュース映像などを思い起こすだろう。そこに、岩井俊二流の痛々しくも美しい演出が重なることで、不条理な現実をより体感的に突きつけられる。

一方で、震災のエピソードを盛り込みながらも、単なる“痛ましい過去のトラウマ”で終わらないところが本作の巧みな点だ。キリエは音楽を頼りにフラフラと都会をさまよい、時には仲間とともに路上フェスを立ち上げたりする。だが、その試みは警察の介入や行政のルールによってあっけなく潰されてしまう。ここで描かれるのは、「誰かとつながりたい」「自由に歌いたい」という素朴な欲求が、社会的な壁によって阻まれる切なさだ。震災孤児として居場所を失ったキリエは、何度も周囲に引き離されながらも、自分だけの世界を作り上げようともがいている。その姿はやや突拍子もない行動にも映るが、「歌が生きる糧」になっているのだと感じさせる必死さがある。

不可解な登場人物たちの魅力と痛み

本作ではキリエだけでなく、多くの人物が“行き詰まり”を抱えている。たとえば、行方不明のフィアンセを探す青年は、被災した恋人に対して強い自責の念を抱え、いつまでも前に進めない。小学校教師の女性は“正しいことをしたい”と願いながら、子どもの保護や制度の限界に思い悩む。さらに、謎めいた女性マネージャーがキリエを世話しつつも、どうも裏がありそうで落ち着かない……。こういった人物が抱える事情が3時間の物語の中で徐々に浮かび上がり、それぞれがどこか疎外感を抱えながら手探りで人生を生きている様子が強烈なリアリティを生む。

ただ、そのぶん「なぜそんな極端な生き方をするのか?」と首をひねりたくなる場面があるのも確かだ。結婚詐欺のような手段を使ってでも生き抜こうとする者や、よかれと思いながらも法的にグレーな行動をとる者など、倫理的にセーフなのかアウトなのか際どいエピソードが頻出する。この雑多さはある意味で現代社会の縮図ともいえるが、人によっては「いくら何でもそこまでしなくても…」と戸惑うかもしれない。だが、本作の持つ“混沌とした群像劇”という魅力を味わうためには、登場人物のやや突飛な行動も含めて「それが彼らの生き方」なのだと受け止める必要があるだろう。

アイナ・ジ・エンドの歌唱力と演技力

主演のアイナ・ジ・エンドは、グループ活動時代から個性的なボーカリストとして知られていたが、本作では“うまくしゃべれないが歌だけは圧倒的”という難役を担っている。これは正直、彼女にとってハマり役といえるだろう。ボソボソとした発声や、一瞬息がつまったような表情がリアルに感じられ、観客は自然に「彼女がどうにかして一歩を踏み出す姿を見たい」と応援したくなる。一方で、演技面に関しては細やかな表現力よりも持ち前の歌声で感情を爆発させるシーンに重きが置かれている印象だ。大衆的な“名セリフ”でグイグイ魅せるというより、声にならない苦しみを歌で吐き出すタイプのキャラクターであり、そこの説得力はなかなかに高い。

もちろん、そこに好みが分かれるのも事実だろう。しゃべりが少ない分、観客としては「まだ言葉が足りないのでは?」と欲張ってしまうかもしれない。だが、そこは岩井監督が意図している“不完全さ”なのだと感じる。言葉で語れないからこそ、音楽の力に頼る。その不器用さがキリエという人物像を印象づけるポイントでもあるのだ。

音楽映画としての魅力と少々の物足りなさ

本作の大きな目玉は、やはり楽曲の存在だ。劇中では路上ライブシーンをはじめ、さまざまな音楽が鳴り響く。しかしながら、思い出されるのは「スワロウテイル」や「リリイ・シュシュのすべて」のような、音楽そのものがもう一人の登場人物として機能する圧倒的な世界観だろう。本作の音楽シーンも十分に魅力的ではあるが、一方で前作らのような強烈さを求めると「もうちょっと突き抜けてほしかった」という歯がゆさがある。主題歌こそ盛り上がるものの、フェスや路上での演奏シーンが警察の介入でバタバタと潰されるなど、あっさり終わってしまう場面がいくつかあり、「絶頂の熱量に浸る前に次の展開へ行ってしまう」感は否めない。

もっとも、それが作品のテーマにもリンクしているともいえる。すなわち、「やりたいことをやりきる前に、社会のルールや現実の壁に阻まれてしまう」という切なさだ。キリエも仲間たちも、最後まで完全に解放されたステージを得られない。それが本作の苦味であり、「それでも歌い続ける」という意思を表すエンディングへの流れになっているのだろう。美しくも報われない結末は、観終わってからもじわじわと心を締め付ける。

“激辛”に見る本作の弱点と、それでも残る余韻

激辛な視点で見るなら、本作には2つの課題があると感じる。まず一点目は、人物関係がやや複雑で無理やり詰め込んでいる感が否めないところだ。あれもこれも描こうとするあまり、結局どのテーマがメインだったのかが曖昧になってしまう瞬間がある。震災、家族の崩壊、孤児問題、社会福祉、結婚詐欺の逃避行、音楽活動、恋愛――これら全部が大混雑を起こしているため、最後にいくつかが置き去りになりやしないかとハラハラした。

二点目は、長い上映時間を使っているにもかかわらず、詳細が語られない部分が多く存在することだ。わざと曖昧にしている設定もあるだろうが、観客としては「もう少し分かりやすい形でヒントを示してほしい」と思う描写が散見される。そこを“余韻”と捉えるか“物足りなさ”と捉えるかは人それぞれだが、ややマニア向けのタッチともいえる。

とはいえ、見終わった後に残る苦くも温かい余韻はさすが岩井俊二の手腕だ。キリエが何度も歌に救われ、何度も裏切られながら、それでも歌い続ける姿には「自分自身を救うのは結局、自分の表現なんだ」という力強いメッセージを感じる。複雑に入り組んだ社会の制約や過去のトラウマがあっても、歌やアートの力でそれを突破しようとする主人公の姿に共鳴できる人は多いはずだ。胸がしめつけられる苦しいシーンも多いが、そのぶん感情が揺さぶられ、最後には「自分の人生も頑張ってみようか」と思える、不思議なパワーが詰まった作品である。

映画「キリエのうた」はこんな人にオススメ!

本作をおすすめしたいのは、まず“歌”がもつエネルギーに魅かれる人だ。主人公は言葉で思いを伝えるのが苦手だが、歌声を響かせるときだけは圧倒的な存在感を発揮する。そこにシンパシーを感じる人は少なくないだろう。音楽が好きで「音の力に救われた経験がある」という人ほど、キリエの姿を応援したくなるのではないか。

次に、社会のルールや周囲の常識から少し外れた場所で生きている、もしくは生きづらさを感じている人にも勧めたい。路上フェスが警察に止められたり、児童福祉制度の隙間に振り回されたりと、作中では“社会の壁”にぶち当たるシーンが多々ある。それでも自分のやりたいことを諦めず突き進む主人公たちの姿は、あらゆる「どうしてもうまく社会に馴染めない」と悩む人の心を後押ししてくれるはずだ。

また、壮大な人間ドラマを好む人にも向いている。3時間という長尺の中で、さまざまなバックグラウンドをもった登場人物たちが複雑に交錯する。恋愛、家族のすれ違い、震災による喪失と再生といった要素が絡み合い、鑑賞後には「人生って何だろう?」と哲学的な問いを投げかけられる感覚さえある。その深みは決して軽やかではないが、考えさせられる分だけ大きな満足感も得られる。

逆に言えば、「シンプルでハッピーな物語」を期待している人にはややハードルが高いかもしれない。メインキャラクターの行動原理も一筋縄ではいかず、どこか人間の奥底をえぐる要素をはらんでいるからだ。だが、少し重たいテーマでも受け止めたいと思う人や、音楽とドラマが融合した作品に興味がある人には是非観てほしい一本である。

まとめ

本作は、震災による喪失と社会の矛盾を浮かび上がらせながら、歌の力で前を向こうとする人々の奮闘を描いた作品だ。一見すると痛々しい過去に支配されているように見える主人公だが、その不器用さこそがリアルであり、観客の胸を締めつける。3時間という長尺の中には、結婚詐欺まがいの話や路上フェスのドタバタ、すれ違う恋人たちなど、さまざまなエピソードが詰め込まれていて情報量は多め。だが、その混沌ぶりこそが本作の持ち味であり、“現実はそう簡単にはいかない”というメッセージに説得力を与えているように思う。

そして何より印象に残るのは、アイナ・ジ・エンドによる圧巻の歌唱シーンだ。言葉にならない感情を歌声に宿し、震災の痛みも社会の壁も振り払いながら、新しい一歩を踏み出そうとする主人公の姿は胸にくるものがある。決して明るいハッピーエンドではないが、そこにこそ現実との接点があり、強く生きるための勇気を観客へ伝えるのではないだろうか。