映画「恋は光」公式サイト

映画「恋は光」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

本作は西野七瀬が出演しているだけでも気になる一本だが、そこに加えて恋の光が見えるという奇妙な特性を持った男と、彼をとりまく女性陣のすれ違いが絶妙に描かれている。はじめは「恋をすると光るって何だそれ?」と思うかもしれないが、見進めるうちに変わった恋愛観にじわじわ惹かれていくのが面白い。友情と恋が曖昧に混ざり合いながら進む物語が、ときに笑わせてくれ、ときに考えさせる。地味めな大学生活が舞台にもかかわらず、登場人物の個性が妙にクセになるので、見終わったあとに「ああ、そう来たか」とうなってしまう人もいるはずだ。

神尾楓珠ふんする主人公の西条は、恋心を抱いた女性が光って見えるという不可思議な力を持っている。こんな能力があったら“モテ男”になりそうなものだが、そこは一筋縄ではいかない。本作はその能力が引き起こす複雑な人間模様が見どころであり、特に北代を演じる西野七瀬の微妙な表情変化に注目だ。恋がしたいような、でも踏み出せないような彼女のもどかしさが画面を通してビシビシ伝わってくる。

気軽に観られそうな雰囲気ながら、実際は一癖ある恋愛ドラマが詰め込まれているので、ちょっと独特な“光る恋”を体感したい人にぜひおすすめしたい。ここから先は遠慮なくネタバレを含むので、本作を未見の方は覚悟して読み進めてほしい。

映画「恋は光」の個人的評価

評価: ★★★★☆

映画「恋は光」の感想・レビュー(ネタバレあり)

恋をすると女性が光って見えるという能力を持ってしまった男の物語と聞くと、どうにもSFやファンタジーの匂いを感じるかもしれない。だが実際に観ると、舞台はどこにでもある大学のキャンパスや居酒屋、それに少しの小旅行のような風景が中心で、やたらと日常感が強い。そこに「恋すると光る」という不思議な設定が放り込まれるからこそ、登場人物たちの心情がいっそう際立ってくるように思う。

まず主人公の西条(神尾楓珠)は、幼いころから恋心を抱いている女性が発光して見えるという特性のせいで、恋愛とは縁がないまま過ごしてきた。恋愛に積極的に踏み込めば、周囲には「なにそれ、面白い」と受け止められそうだが、彼の性格は見た目の印象よりも内向きで慎重だ。どうやら自分にとって、この能力は“便利”というより“面倒”に思えてしまうらしい。光るか光らないかが全部わかってしまうと、うかつに気持ちを動かしづらいというのもわかる気がする。

そんな西条にとって、特に大切な存在なのが幼なじみの北代(西野七瀬)だ。彼女は学生時代からずっと一緒にいる仲間のようなもので、気さくに接してくれるばかりか、くだらない話にも付き合ってくれる。しかも恋愛関係には至らずとも、北代はずっと西条に想いを寄せているというやや複雑な事情がある。西条にとっては気楽に話せる友だち以上の存在だが、北代からは「友だち以上になりたい」と思われているわけだ。ただ、彼の目には北代が光っていないという事実があり、「光らない=恋をしていない?」という理屈が気にかかる。お互いに好意を持っているのに噛み合わない微妙な距離感が、本作最大のもどかしさでもある。

さらに物語が進むと、文学少女の東雲(平祐奈)が登場する。恋を知らない文学好きで、交換ノートのやりとりを西条に提案される形で接近していく。読書メモや人生観、恋愛観をノートに書き込み、互いにそれを読み合ううちに、東雲が西条に惹かれ始めるのがわかってくる。やがて東雲は西条の“見えない能力”に気づき、なぜ自分が光るのか、それこそが恋というものなのか、と頭を悩ませる。しかし理屈よりも先に感情が動いてしまい、光るか光らないかより「好きかどうか」の方が重要に思えてくるのが面白い。東雲が「光ってるのかな、でも見えなくても好きなんだけど?」と戸惑う場面では、その“得体の知れない恋”のときめきが画面いっぱいに漂っていた。

そこに加わるのが宿木(馬場ふみか)だ。奪う恋が好きと言う、なかなかぶっ飛んだタイプで、他人の好きな相手を横取りする衝動に突き動かされるという危うさが魅力でもある。彼女は北代と東雲が西条を好きだと知ると、あえてその好きな相手を自分のものにしようと突っかかってくる。このキャラクターの存在で物語は一気に混沌としていく。普通の三角関係どころか四角関係のようになり、ときには一緒に飲んだり交換ノートを回したりという妙なグループができあがるのだ。それぞれの持論や想いが錯綜して、ひとくちに「恋」と呼ぶにはややこしい状況が生まれる。そこに西条の「光が見える」という感覚がどこか客観的な視点を持ち込み、誰がどれだけ本気で恋をしているのかを、皮肉なほどにはっきり突きつけるのがおかしい。

このあたりでは北代がなかなか光らないため「実は北代はそこまで好きじゃないのか?」と周囲が勘違いしたり、そもそも西条自身も訳がわからなくなったりする。でも観客からすると、北代こそ一番西条を大切に思っているように見えるし、何より西野七瀬の表情が切ない。本人は「友だちのままでもいい」と割り切ろうとするが、やはり揺れる想いは隠しきれない。いつも笑顔でひょうきんに振る舞いながらも、どこか物寂しそうに視線を外す一瞬が何度かあって、そのたびに胸を締めつけられる。「光らないのに、こんなに好きなのはどういうこと?」と、北代自身が不安になるのも仕方ない。

やがて西条は同じように人の“恋の光”が見えるという女子高生・大洲央(伊東蒼)と出会う。彼女は絵を描く才能に恵まれていて、その絵もまた光を放つような魅力を備えている。西条が感じていた疑問「光の正体とは何か」を、大洲央は淡々と解き明かす。しかも、北代が実はものすごく強い光を放っているという事実を告げるのだ。つまり、西条の目には見えていないだけで、客観的には北代こそ眩しい恋心を抱えているという矛盾が浮かび上がる。これこそが本作の醍醐味で、単純に「好きだから光る」では片づけられない恋愛の複雑さがドラマを盛り上げる。北代が放つ眩しさがいつの間にか周りには伝わっていて、当の西条だけが気づいていないというもどかしさが描かれたときは、目に見えない光の存在がむしろ鮮明に感じられるのが不思議だ。

後半では、北代と東雲、そして宿木がそれぞれ自分の恋をはっきりと自覚し始める。北代はついに自分の気持ちを言葉にして西条にぶつけるし、東雲は吐くほど緊張しながらも告白めいた想いを示す。宿木は宿木で「奪いたい」という気持ちが単なる本能か、それともどこかに純粋な相手への憧れが混じっているのかという葛藤を見せる。西条はそんな混乱の中心に立たされ、東雲の光と宿木の光に惹かれつつ、「北代が放っているかもしれない光」に翻弄されることになる。だが最終的に彼が選ぶのは、幼なじみのようにそばで支え合ってきた北代だった。物語では「光が見えないのに、どうして?」という逆転劇が起きるわけだが、そこには「気づき」のドラマがある。

西条にとっては、恋とは単なる発光現象ではなく、欠かせない存在を心の底から求める行為そのものだったのだろう。光が見えなくても、生涯を通じて大事にしたい人は北代だった、というオチは胸を打つ。ずっと近くにいるがゆえに、その大切さを見落としていたのかもしれない。光が見える相手が“本当に好きな相手”とは限らないという皮肉さが、本作のタイトルをあえて逆説的に捉えさせる。結局のところ、「恋は光」かもしれないが、それだけが全てではないのだ。

北代の魅力を最後にしっかり拾い上げることで、青春恋愛映画としてはひとつのカタルシスが得られる展開になっている。もしこれが東雲エンドや宿木エンドだったら「光のある恋こそ正義」みたいなメッセージを感じるかもしれないが、実際は光っていようがいまいが、人を好きになるということには様々なかたちがあるという柔軟さが描き出されるわけだ。ここにこそ本作の妙味があると感じる。

一方で、映画独自の演出も見どころである。夜釣りのシーンや、四人で交換ノートを回すシーンは笑わせポイントもあるし、大学生の“なんとも言えないノリ”がリアルに伝わってきて面白い。特に北代がビール片手に本音をポロッとこぼす場面は、西野七瀬の自然体な演技がはまっており、友だち感覚なのにどこか切ない雰囲気が漂う。その演技が物語の要所要所で効果的に効いてくるため、終盤での北代の告白は「やっと踏み出してくれた」と感情移入しやすかった。

もちろん、東雲が放つ文学少女らしいまっすぐな目線も良いし、宿木のぶっ飛んだ略奪精神が持つギャップも魅力である。だが最終的に心を持っていかれるのは北代であり、西野七瀬の存在感にほれぼれしてしまう。全編を通して各キャラの視点がほどよく混ざっているが、観終わると「結局、北代が主役だったのでは?」と思ってしまうほど印象的だ。

恋愛映画としてはもちろん、青春群像劇的な見方をするのもおすすめである。光る恋にこだわりすぎると見逃してしまう、本当に大切な相手。その価値に気づくまでの時間の長さこそが、人間のめんどうくささでもあり愛おしさでもある。肩肘張らずに観ていれば、自然にそうしたテーマが浮かび上がってくるように作られている点が素晴らしい。

観終わったあとには、きっと「自分にとっての光って何だろう?」と考える人も多いだろう。恋愛の正解というものは千差万別だが、本作はその多面性を肯定してくれる。しかも西野七瀬が演じる北代が放つ優しい雰囲気と、神尾楓珠演じる主人公の不思議な能力が掛け合わさり、奇妙でやさしい余韻を残してくれる。刺激的な恋愛映画ではないのに、なぜか深く心に残る。そんな不思議な魅力を味わいたい人には、うってつけの一本である。

こちらの記事もいかがですか?

伊東蒼さんの出演映画はこちら

映画「恋は光」はこんな人にオススメ!

恋愛映画を観ると胸が苦しくなるくらい感情移入してしまう人や、逆に「どうせ王道のパターンでしょ?」と少し冷めた目でいる人のどちらにも向いていると感じる。なぜなら本作は、“光る恋”という設定がロマンチックなのに、その実態はかなりリアルな人間模様が描かれるからだ。

主人公の能力は現実離れしているが、登場人物の悩みや行動は「あるある」とうなずける部分が多い。特に、相手の気持ちがわからず悶々としたり、長年の友だちポジションを脱却できずにもどかしさを抱えたりするところは、恋の経験があるなら一度は感じたことがあるだろう。それゆえ、恋愛をこじらせたことがある人ほど「わかる!」と思わずニヤリとしてしまうはずだ。

それと同時に、「自分はまだ本当の恋を知らないかも」という気持ちがある人にも響くはずだ。東雲のように、淡々と生きていたはずなのに突然大波がやってくるかもしれない。そのとき、頭で考えるよりも先に身体が動いてしまったり、思わぬ嫉妬に襲われたりする。そういう一筋縄ではいかないのが恋愛の醍醐味なのだと、本作はさりげなく教えてくれる。

また、誰かの“光”をうらやましいと思った経験がある人にとっても、本作は強い共感を呼ぶだろう。北代のように「私が抱えている気持ちは本物なのに、なぜ光らないんだ?」と考えたことのある人もいるはずだ。本作はそんな葛藤を代弁し、最終的には「光らなくても、そこに確かな想いがある」という答えを見せてくれる。

要するに、王道の恋愛映画が好きな人から、少しひねった青春群像劇を求める人、さらには自己肯定感が揺らぎがちな人まで幅広く楽しめるというわけだ。気取らずに観られるが、あとからじんわり沁みてくる味わいがある作品なので、恋の形に悩んだことがあるすべての人におすすめしたい。

こちらの記事もいかがですか?

神尾楓珠さんの出演映画はこちら

まとめ

本作は「恋の光」という不思議な設定を軸にしながら、実は誰の身にも起こりうる恋のすれ違いや、不器用さを描き出しているところが妙に生々しい。光っていれば正解、光らなければ不正解という単純な結論にはせず、光って見えようが見えまいが、人を好きになる行為自体が尊く、しかも面倒で楽しいものだと示してくれる。

何といっても西野七瀬演じる北代が印象的だ。明るい笑顔と隠しきれない切なさのコントラストが強烈で、最後まで観たあとには北代の心情に深く共感する人も多いだろう。ほかのキャラクターたちの存在もバランスよく活かされ、ラストシーンまで誰に感情移入するか分からなくなるのも面白さの一つだ。

結局、「恋とは何なのか?」という難問に対して、本作はストレートな答えを用意していない。しかしそこが魅力でもあり、観終わったあとに自分なりの答えを探したくなる。独特の余韻と愛しさが残る作品である。

こちらの記事もいかがですか?

馬場ふみかさんの出演映画はこちら