映画「かがみの孤城」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!
まず最初に断っておくが、この映画は一筋縄ではいかない。いじめや不登校といった重たいテーマを扱いつつも、どこか童話めいたファンタジー要素が香り、ミステリー仕立ての展開にグイグイ引き込まれる作品だ。しかも、原恵一監督の名前を聞くだけで「もう泣かされるんじゃないか」「でも期待しちゃうぞ」という気分になるのは、筆者だけではないはず。
そうは言いつつ、本作に対して甘い評価はしない。なにしろ「激辛」と銘打っている以上、心を鬼にして語っていく覚悟だ。
もっとも映画好きの性分としては、ツッコミどころも含めて惜しみなく愛でてしまうところがあるが、そのあたりは笑って読み流してほしい。ともあれ、ここから先はネタバレ前提。未視聴の方は自己責任で読み進めてほしいが、勇気ある諸氏はぜひ一緒に“かがみの世界”を覗いてみよう。
映画「かがみの孤城」の個人的評価
評価: ★★★★☆
映画「かがみの孤城」の感想・レビュー(ネタバレあり)
ここからはネタバレ全開で映画「かがみの孤城」の魅力とやや苦い裏側を語っていく。とにかく本作は“不登校・いじめ”というシビアな題材に、壮大なファンタジーとグリム童話モチーフを大胆に掛け合わせた混沌の物語だ。だが、その混沌が嫌味なく仕上がっているあたり、さすが原監督の手腕だと唸らされる。
まず作品全体の基調になっているのは、“学校へ行きたいのに行けない子どもたち”が時代も境遇も異なったまま不思議な城に集められる、という設定である。お城は朝9時から夕方5時までしか使えず、ルールを破れば狼の仮面を被った「オオカミさま」に食べられるというペナルティまで存在する。まるで現実世界の“下校時間”や“社会の営業時間”になぞらえた仕掛けだ。ここが最初のポイントで、あまりにも規則が現実味を帯びているからこそ、ただのファンタジーになりすぎず、逆に観客の身近な不安や息苦しさを想起させる。これは相当巧妙な演出だと思う。
次に、物語の大きな推進力となる“鍵”と“願いの部屋”の要素。要は「この城には願いを叶える鍵が隠されているぞ。見つけたら好きな願いが叶うぞ」という、少年少女の心をくすぐるお約束要素だ。だが、一方で「鍵を見つけても、仲間全員の記憶が消えてしまう」という副作用がつきまとう。いわゆる“願いの対価”だ。これにより、観客は「せっかく生まれた仲間意識を捨ててでも願いを叶えるのか? あるいは仲間の思い出を取るのか?」という葛藤を通じてキャラクターたちに共感し、かつ自らの価値観を試されることになる。舞台装置として非常に優秀な仕掛けだと感じた。
では、この仲間たちがどういう過程で信頼を築くかといえば、それぞれ抱えた辛い事情を少しずつ吐露し合うところにポイントがある。いじめによる不登校、家族関係の不和、ピアノのプレッシャー、嘘つき呼ばわりされる苦しみ、果ては親族の死など、とにかく皆がリアルな痛みを抱えているのだ。こう書くとめちゃくちゃ重そうだが、映画は絶妙な塩梅で明るい会話やコミカルな言動を差し込み、鑑賞者が「もう観てられない……」と鬱屈する寸前で軽やかに仕切り直してくれる。これがファンタジー要素とシビアなテーマの両立を成功させている理由ではないかと思う。
具体的な山場としては、リオンの姉が実は“1999年”の不登校生徒にあたる「オオカミさま」その人だった、という衝撃の真相である。時を超えて集められた子どもたちの中で唯一空席だった1999年枠。それを埋める形で、狼の面を被った姉が病室から城を作り出していたという事実には、正直ガツンとやられた。序盤から「どうしてリオンはハワイ暮らしなのにこの城に?」とか「そもそも姉ちゃんは何者?」みたいな違和感を匂わせる伏線が幾重にも張り巡らされているが、その回収が一気にラストで噴出するため、一見ゆったりしたストーリーに感じながらも終盤は雪崩のように展開が加速する。
そして、象徴的なのは「死」や「大人の象徴」として位置づけられる“オオカミ”の存在だ。あのグリム童話「オオカミと七匹の子ヤギ」から着想された謎のバツ印が城の各所に散りばめられ、“子どもたち=子ヤギ”が見つからないように隠れる場所を示唆していた。時計の中から鍵が見つかるシーンは、まさに童話が現実に浸食してくる妙味があった。また、時間オーバーで城に居座ると“連帯責任”で食べられてしまうルールは、単に子どもの危機というだけでなく、社会的リミットを連想させる暗喩にも思える。17時を過ぎれば消灯、外泊禁止、みたいなルールがある施設もあるし、大人になれば仕事の納期や営業時間が迫るあの感じ、といった捉え方もできる。子どもが抱く死への恐怖と、大人社会の制約が二重写しになっているわけだ。
もう一つの大きなテーマは“記憶”である。城を離れると仲間との出来事を一切忘れてしまう。そんな絶望的な設定なのに、リオンが「善処してくれ」と姉に頼み込んだ結果、彼だけは記憶を保ったらしいという希望をもってエンディングへ向かう。この“都合の良い魔法”をご都合主義と呼ぶか、それとも愛の奇跡と呼ぶかは意見が分かれるかもしれない。だが、そもそも“誰かの必死の願い”が形になった世界なので、少々甘めでも物語としては妥当だろう。それに、こころが最後にリオンに再会した瞬間、“縁がある相手とは巡り会う”というメッセージをしっかりと視覚化してくれるので、視聴後には温かい気持ちになること請け合いである。
ただ、いくつか気になる点も挙げたい。まず、映画的に駆け足だと感じる部分が多い。登場人物が多い割に、掘り下げシーンはダイジェストに留まりがちだ。これは物語の性質上仕方ないが、「もっと一人ひとりの背景がじっくり見たい」と思う人もいるだろう。原作ファンの中には「あの名シーンが削られている」と歯がゆく思うことがあるかもしれない。また、いじめ描写は作品世界でやや大人しめに扱われているため、現実の凄惨さを知っている視聴者からすれば物足りない面もある。ただし、これはエンタメとして“観やすく”している配慮と捉えれば納得できるだろう。
一方で、筆者が最も評価したいのは“ファンタジーと現実の絶妙な融合”だ。不登校やいじめを扱った作品は山ほどあるが、こんなにも軽妙に、かつ真摯に希望を描く映画はあまり多くない。決して甘ったるい夢物語ではなく、ちゃんと苦しみを認めたうえで「それでも救いがある」と言い切ってくれる。この丁寧かつ力強い姿勢が、多くの観客の胸を打つのだと感じた。
「かがみの孤城」の感想を一言でまとめるなら、“ファンタジーと現実の合間で揺れる青春群像劇”とでも言おうか。すっきり片づけられない思春期特有の不条理や孤独感に向き合いつつ、最後には温かい灯火を見せてくれる。辛口を交えながらも、筆者は胸を張っておすすめしたい作品だ。
映画「かがみの孤城」はこんな人にオススメ!
本作を全力で推したい人は主に以下のタイプだ。まずは「いじめや不登校のリアルを作品で知りたい」という方。現実世界の苦しみをダイレクトに追体験する作品ではないが、少なくとも“学校に行けない”子どもたちの心情を想像する手がかりにはなるはずだ。次に「ファンタジーとミステリーの融合が好き」な人。城や鍵、童話のモチーフを使った謎解き要素が盛りこまれており、ちょっとした宝探しゲームのようなワクワク感がある。結果的に胸を締めつけるような切なさがドーンと襲ってくるが、それも含めての醍醐味だろう。
さらに「原恵一監督ファン」なら迷わずチェックすべきだ。やはり氏の作品には独特の温かみと“人の弱さを肯定する”視点があり、本作でも随所にその真骨頂が発揮されている。そして最後は「今ちょっとだけしんどい」と思っている人たちだ。現実ではどうしようもない孤独や不安があっても、この映画が終わる頃には「それでもまだ大丈夫かもしれない」と、少し前向きになれるかもしれない。そう思えること自体が、本作の何よりの救いであると感じている。要するに、もやもやした心にそっと灯火をともしたい人、そしてラストにカタルシスを味わいたい人にはピッタリの一本である。
まとめ
映画「かがみの孤城」は、いじめや不登校の問題を正面から扱いながら、童話的な仕掛けで物語を彩った良質ファンタジーだ。
鍵探しや時間制限、オオカミのお面など、子ども心を刺激する要素が満載でありながら、実際には容赦ない現実が顔を出す。それでも、キャラクターたちの素直な思いや相互扶助によって、一筋の光が見えてくる構造がなんとも優しい。
もちろんテーマがテーマだけに楽観視できる話ではないが、苦しみの裏側には仲間がいるかもしれない、少なくとも誰かが手を差し伸べてくれるかもしれない、そんな希望を感じさせてくれる。心が少しささくれているときに観ると、思いの外ぐっと胸に響く作品だと思う。