映画「アイ・アム まきもと」公式アカウント

映画「アイ・アム まきもと」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

市役所勤務の主人公が、身寄りのないまま亡くなった人々を弔う“おみおくり”という仕事にまっすぐ取り組む姿が印象的である一方、その純粋さ故に周囲との軋轢を生む場面も多々ある。むしろ、そのズレが物語全体に刺激を与えているといえるだろう。古くは人情噺の王道展開を思わせつつ、日本映画らしい細やかな情緒も丁寧に盛り込まれている。

作り手の狙いがやや分かりやすい部分もあり、“いかにも泣かせにかかる”ようなシーンが散見されるのは好みが分かれるところかもしれない。とはいえ不器用な主人公を通じて、孤独や死とどう向き合うのかを問いかける作品に仕上がっていると思う。派手さはなくとも、じわりと染みる要素がいくつも散りばめられ、ちょっと辛辣に語りたい部分もあるが、観終わるとどこか温かみを残す物語だと感じた。

映画「アイ・アム まきもと」の個人的評価

評価:★★★☆☆

映画「アイ・アム まきもと」の感想・レビュー(ネタバレあり)

主人公は市役所の“おみおくり課”というセクションで働く人物で、身寄りのない遺体を仏さんとして送り出す役割を請け負っている。いかにもお涙頂戴な構図に見えるが、本作はそこに一筋縄ではいかない人間ドラマと、ちょっとトゲのある出来事を散りばめている点が特徴的だ。

まず、この“おみおくり課”の存在自体が物語の要になっており、主人公は亡くなった方々のためにできる限り丁寧な葬儀を用意しようと四苦八苦する。ただ、通常業務の範疇を超えてまで遺族を探し回り、少しでも多くの人に参列してもらおうと奮闘する様子は、周囲から見れば「そこまでやる必要はあるのか?」という疑問を抱かせる。物語中盤では、新しくやってきた上司から非効率な存在だと批判を受け、部署ごと廃止の方向へ追い込まれてしまう。

このあたりまでは、主人公が“普通”の論理から外れた働き方をしているがゆえの衝突がメインで、さらに言えば、彼本人は周囲の言葉を汲み取りづらい性格のように描かれている。そのため、世間一般の感覚と、主人公が信じる正しさとの間にある溝が顕著だ。たとえば、遺族が故人を葬る意思をまったく持っていない場合でも、主人公は「何とか気持ちを変えてあげたい」と行動する。事務的な処理を淡々とするほうが役所としては効率的であり、実際にそうした声をあげる関係者もいるが、彼は最後まで「いや、やるべきことなんです」と突き進んでいく。

こうした姿勢を「素晴らしい」と捉えるか、「そこまでするのは押しつけがましい」と感じるかは、人によって評価が分かれるだろう。筆者としては、そこに“現実的には無謀に近い”熱意を感じ、少しだけ応援したくなる気持ちが湧いた反面、当事者の事情をまるで理解できないまま突き進む主人公の危うさも見逃せなかった。現実には、故人と生きている側との感情的なしこりや、葬儀に対する考え方の違いは多種多様で、そこを踏みにじるような言動も含まれる。

しかし、本作は「それでも大事にしたいものがある」という点に主軸を置いているように思う。特に、孤独死してしまった男性(作中では宇崎竜童演じる人物)が、粗野でありながらも誇りを持って生きていたことを、主人公が徐々に知っていく流れは味わい深い。彼の娘(満島ひかり)など、遺族や知人から話を聞くたびに色々な素顔が垣間見える。たとえば「喧嘩っ早く、反発も多い人間だった」という一面がありつつ、その一方では誰かを守ろうとしていたかもしれない側面があったりして、単純な“いい人”とも“ダメ人間”とも言えない複雑さが面白い。

そういった多面性を知っていく過程で、主人公は故人へさらに敬意を持ち、葬送を盛大にやろうとする。ここで衝突を深めるのが、主人公を毛嫌いする上司の存在だ。彼は非常に冷淡に「役所のやることじゃない」「コストがかかるだけの無駄」という考えを表明する。しかも、主人公の働き方を厳しく監視し始め、ときには暴走に近い行動を戒めるどころか、頑なに葬儀の予算を削ろうとすらする。

一方で、嫌な上司にも一理ある部分はある。公的機関としての役割を考えると、限られた予算・人員で最大効率を追求するのは当然のこと。しかし、本作が問いかけるのは「誰にでも惜しみなく奉仕しようとする主人公の行為は、本当に間違いなのか?」という点だ。多くの人が口先では「人は尊重されるべき」と言っても、実際には故人の境遇や個人的な因縁によって、心から手を差し伸べられないケースもある。そこに踏み込み、誰も救わない結末にはしないのが、この作品の芯だろう。

終盤、主人公は故人の娘や旧知の仲間たちを必死に説得し、なんとか葬儀に参列してもらおうと奔走する。時には個人的な資金を投じ、笑いを誘うような強引な手段にも出るが、それが逆に人々の心を動かす結果を生んでいく。“効率”や“筋”では説明できない熱意が、人間を動かすこともあるのだ。

ところが、ようやく葬儀が実現するかに見えたタイミングで、まさかの出来事が起きる。主人公は交通事故に遭い、そのまま帰らぬ人となってしまうのだ。これはあまりにも不条理で、観る側としては「ここで死んでしまうの?」という戸惑いが大きい。正直に言えば、物語の都合でドラマチックな結末を用意した感は拭えない。

ただ、そのあとで描かれる二つの葬送が大きな対比をなす。故人(宇崎竜童)の葬儀には続々と人が集まり、一方で主人公はまさかの無縁仏扱いでひっそりと収められそうになる。ここで強烈なのは、主人公自身が“見送る側”に回り続けていたのに、いざ自分が亡くなったときに見送ってくれる人がほとんどいなかったという皮肉だ。

ところが、過去に彼が弔いを手伝った人々の思いが、不思議なつながりをもたらす。そうした積み重ねによって「結局、この人の頑張りは無駄じゃなかった」という余韻を残して幕が下りるのだ。と同時に「どうして皆がもう少し早く気づいてくれなかったのか」というモヤモヤも残り、そこがいかにも“激辛”に語りたいポイントかもしれない。

本作は人との距離感を測れない主人公の行動が軸だが、ただの人情物語には終わっていないと感じた。人は勝手な理由で他者を見捨てたり、見捨てられた人が何を思うかを考えないままに人生を送っていることも多い。その現実に対し、主人公は突き刺さるようなストレートさで「もっと寄り添ってあげたら?」と問いかける。そこに理想主義的な甘さもあるけれど、理想を掲げること自体の尊さを肯定しようとしているのが作品のポイントだろう。

一方、終盤の展開はご都合主義的に感じる観客も多いかもしれない。感動を呼ぼうとする演出がいささか露骨だったり、主人公の急逝があまりにも劇的すぎたりするのは、本作の好き嫌いを分ける決定的な要素だ。それでも、作品全体に通底する“孤独死”の重さや、“死者に真正面から向き合う”という主人公の姿勢は、見る者にある程度の説得力をもって届いてくる。

筆者としては、物語の結末に意表をつかれつつも、「主人公がどうやって生き残っていくか」を見たかったという思いも残った。現実なら、あの上司とのバトルはまだ続いたかもしれないし、過去に葬儀に参加してもらった人々との関係も深まっていったかもしれない。そういう未練をあえて断ち切るラストだからこそ、印象が強く残るのかもしれないが、どうにも釈然としない部分もある。

けれど、観終わったあとに「人を見送る行為はどこまで必要か」「死んだ人のために、どこまで頑張る意味があるのか」という普遍的なテーマが頭をぐるぐる巡る点においては、本作は十分に役割を果たしていると言えるだろう。人間はいつか死ぬ以上、他者の葬送は自分の将来とも無縁ではない。そこに思いを馳せさせるだけでも、十分見応えのある作品と感じた。

あと、キャストのアンサンブルが妙に豪華である点にも注目だ。主人公を演じる阿部サダヲのはじけ方は相変わらずで、その一方で脇を固める満島ひかり、宇崎竜童、松尾スズキ、宮沢りえといった面々が、程よくクセのあるキャラクターを表現している。特に宇崎竜童の存在感は大きく、声や立ち居振る舞いに年輪を感じさせながらも、どこかやんちゃな雰囲気を漂わせていた。

視聴後は「もっと素直にいい話として見ればいいのに」と突っ込まれそうだが、個人的にはやはり終盤の展開が引っかかる。とはいえ、主人公の行動を通じて見えてくる社会の盲点や、あまり語られないまま隠されている孤独死の背景を考えるきっかけにはなる作品だと感じる。社会性とドラマ性を両立させようとするチャレンジ精神があるだけに、ひねくれた目線も含めて議論し甲斐はあるだろう。

本作は決して万人向けの大ヒット娯楽作というわけではないが、心に引っかかるシーンが多く、優しさと痛みが入り混じった世界観を味わいたい人なら観る価値はあると思う。どうしても作り手の“泣いてください”という意図が透けて見える部分はあるが、そうしたお約束ごとも含めて受け取るかどうかで評価が変わるはずだ。あえて辛口で語りたいなら「もう少しナチュラルな展開でもよかったのでは?」と言いたい一方で、これくらい派手に振り切っているからこそインパクトが強いとも言える。

結果的に、主人公が最後に迎える無念さを「かわいそう」だと感じるか、「美しくまとめた結末」だと受け取るかは、観る人の人生観に依存するだろう。個人的には、もう少し地に足の着いたラストを見たかったが、本作の構造上、あの展開こそが核心なのだと納得するしかないようにも思う。

いずれにせよ、ただのお涙頂戴では終わらない“激辛”感を備えた一作ではあった。それが良くも悪くも強く印象に残り、人によっては「つい周りに語りたくなる」作品になっているのではないだろうか。長い人生の中でいつか自分自身が見送られる立場になるかもしれないことを思えば、この作品は自分の生き方を見直すきっかけにもなり得ると感じた次第である。

映画「アイ・アム まきもと」はこんな人にオススメ!

まず、人生の儚さや孤独に真正面から向き合う物語を好む人には刺さる要素が多いと感じる。あえて重たいテーマに踏み込みながらも、途中に散りばめられたやりとりがほっこりさせる場面もあって、硬派一辺倒にはなっていない。そのため、社会問題としての孤独死や無縁仏の現実を学びたいというよりは、もう少し人情の機微を味わいたい人に向いているのではないかと思う。

また、阿部サダヲが演じる不器用な役柄に魅力を感じる人にもオススメである。彼の演じる主人公は周囲の都合をお構いなしに突っ走るが、それがかえってまっすぐな愛嬌を放ち、一歩間違えばトラブル製造機になりかねないところを、強引な行動力でなんとか突破していく。実際、こうしたキャラクターを観ていると、理屈じゃなくて感情を大切にする人にこそ刺さるんじゃないかと思う。

さらに、地味でも心に残る作品を好む人にもぴったりだ。派手なアクションや大規模な特撮といった要素は一切なく、ストーリーの軸となるのはあくまで“人をどう送るのか”という一点。表向きは暗く地味に見えても、人を失った悲しみや、そこに付随する思い出を一緒に救い上げるような感覚を味わえる作品なので、感受性豊かな人ならば何かしら琴線に触れるものがあるはずである。

反対に、エンタメ要素を全力で楽しみたい人や、あまりにも重苦しいテーマに心が揺さぶられるのが苦手な人には合わないかもしれない。とはいえ、全体的には希望を感じさせる部分もあり、単に沈んだ気持ちになるだけで終わる作品ではない。あえて言うなら、日常のぬるま湯から少し踏み出して“死”や“孤独”について考えてみたい人には、ちょうどよい刺激と温かみを同時に味わえる一作であると思う。

まとめ

本作は、人知れず亡くなる人々を見送る主人公の奮闘を通じて、人間関係や社会の片隅で見落とされがちな存在に目を向けさせる物語だと感じた。序盤から、「そこまでやる必要ある?」とツッコミたくなるほど突き進む主人公の姿には、理屈の通らない一途さがあって、観る側の心を揺さぶる力がある。終盤で発生する衝撃的な展開は、確かに賛否を呼びそうだが、それすら含めて作品のメッセージを強烈に印象づけていると思う。

もしも自分が見送る側、あるいは見送られる側だったらどうだろうか――。そんな問いを突きつけられたとき、主人公のような存在がいてくれたら心強いと感じるだろうか、それとも余計なお世話と感じるだろうか。その答えは人によって様々だが、この作品はそうした多角的な視点を自然に想像させてくれる。観終わったあとに余韻が残る一作として、心に引っかかった部分をじっくり味わう価値があるだろう。