映画「エゴイスト」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

本作は鈴木亮平が主演を務める邦画でありながら、恋愛映画としての側面にとどまらない深い味わいをもった作品だ。ゲイである主人公の“愛のかたち”や、自分の欲求を追いかける中で生まれる葛藤がドラマチックに描かれ、観終わった後には胸の奥をぐっと掴まれるような余韻が残る。特に、広い都会で自由に生きているはずの主人公が、思いもよらない人間関係によって人生観を揺さぶられる場面は、見ているこちらの心まで大きく動かされるように感じた。とはいえ全編を通して重苦しいわけではなく、ところどころで舞い込む会話のやりとりや人間同士の和やかな空気が、妙なリアリティを醸し出しているのが妙味である。

「愛って何だ?」とつい突っ込みたくなる局面があれば、「それも愛なのかもしれない」と妙に納得してしまう場面もある。気軽に観るには少し骨太だが、そのぶん鑑賞後の満足感はなかなか高い。そんなわけで、ここから先は核心に触れる話が満載なので、まだ未見の方は自己責任で読み進めてほしい。

映画「エゴイスト」の個人的評価

評価:★★★☆☆

映画「エゴイスト」の感想・レビュー(ネタバレあり)

本作はエッセイスト・高山真の自伝的小説を原作に、「トイレのピエタ」で知られる松永大司監督がメガホンを取った話題作である。鈴木亮平が演じる主人公・浩輔は、東京の出版社でファッション誌の編集者をこなしながら、ゲイとして自由気ままに生きている。自宅は高層階で見晴らしもよく、ファッション感度も高い。地方出身で思春期に母を亡くしたという辛い過去を抱えつつ、それを感じさせないほど堂々と生きているのが一見の特徴である。ただ、いじめや母の死の記憶が完全に消化されたわけではなく、どこか心の奥に小さく寂しい部分を残しているようにも見える。

そんな浩輔にとって大きな転機となるのが、宮沢氷魚演じるパーソナルトレーナーの龍太との出会いだ。初対面のときから龍太の素朴な人柄と繊細な魅力に惹かれ、急速に距離を縮めていく。序盤は「お金持ちの都会男子が、地方出身の苦労人と偶然出会って恋に落ちる」というシンプルな図式に見えなくもないが、本作が奥深いのはここからだ。実は龍太が、家計を支えるために“売り”という仕事をしていると発覚し、浩輔は驚きつつも「だったら自分が支援すればいい」とばかりに月々のお金を渡して、龍太を支えたいと考える。

ただ、ここで問題となるのは、その援助が果たして“純粋な愛”なのか、それとも独占欲を正当化しただけの行為なのかという点である。浩輔自身は「恋人が誰かに身体を売っているのが嫌だから助けたい」という気持ちだが、一方で龍太は「母を支えるために仕方なくやっている」と割り切ってきた部分もある。お互いが良かれと思って進めた決断が、次第にアンバランスを生み始めるのだ。恋愛とは、ときに自己満足と利己心のせめぎ合いでもある。「好きな人のためにやってあげたい」という純粋な思いが、相手にとっては重荷になってしまう瞬間があるのだ。

しかしながら、龍太は“母のために頑張る青年”という一面を持ちながら、実は相手の気持ちに寄り添おうとする優しさもたっぷりだ。よくよく見ると、売りの仕事をしている青年という表向きのイメージとは裏腹に、彼の言動は無垢で優しい光を放っている。そのギャップこそが、浩輔のハートをわしづかみにして離さない最大の要因だろう。しかも鈴木亮平と宮沢氷魚の掛け合いには、妙なぎこちなさがほとんどなく、ごく自然に生まれる温かな空気が映し出されている。カメラワークもドキュメンタリータッチで、観客としては2人の本気度をひしひしと感じ取ることになる。

物語が中盤に差しかかると、龍太が母親と暮らすアパートに浩輔が招かれるシーンが登場する。母親役の阿川佐和子が作る家庭料理で、浩輔は優しい母のぬくもりを久々に感じることになるが、同時に「自分は14歳で母を亡くした」という悲しい出来事を再認識させられる。これによって、浩輔の母親への思慕と、龍太母子への愛情が重なり合うという構図が生まれるのである。2人の恋愛感情が深まれば深まるほど、浩輔の中で「母への後悔」や「守れなかった過去」への思いが強くなるという皮肉な展開が、作品に独特の切なさを与えている。

さらに、物語後半では龍太が不測の事態でこの世を去ってしまい、浩輔は大きな失意と罪悪感に襲われる。月々の支援を続けさせた結果、龍太が売り専業から足を洗った代わりに昼夜バイトに追われ、疲労が限界に達していたのではないか――そう思うと、浩輔の愛がまるで彼を追い詰めたかのような錯覚に陥る。それがいわゆる“エゴ”と言われてしまえば身も蓋もないが、本作のすごいところは、その“エゴ”を一方的に否定しない点にある。むしろ「そこにこそ人間が必死に生きる姿が凝縮されている」と言わんばかりに描き切っているのだ。

龍太の死後、浩輔は彼の母親との交流を深めることになる。このエピソードがまた、ただの悲恋物語で終わらせないスパイスになっている。恋人を喪った主人公と、息子を失った母親が支え合っていく姿は、生半可なきれい事では済まない複雑さを孕む。お金を出す側と受け取る側、それを通してしか関係を維持できないのなら、それはやはり歪んだ愛なのだろうか……と悩む浩輔。しかし龍太の母は「あなたに息子を救ってもらえたと私は感じている」といった趣旨の言葉を投げかける。受け取り方次第で、それは間違いなく“愛”でもあるのだ。

本編では、金銭的サポートも含めて様々な利害関係が錯綜するが、単純に「金持ちが正しい」「貧乏が不幸」という図式には落ちていない。むしろ、人間関係の中で発生するエゴや依存が、互いを救う要素にもなるという事実をあぶり出している。この辺りがタイトル「エゴイスト」の真髄であり、本来ネガティブな印象を抱きがちな“エゴ”に、意外な肯定を与えてくれる要素となっているのだ。

鈴木亮平の演技は、筋肉質で骨太な見た目とは裏腹に繊細な感情を表現することに定評があるが、本作でも存分に発揮されている。特に龍太を見つめるときのまなざしは、まるで子どもが大切な宝物を守ろうとするかのような純粋さであり、「これが大人の男の素顔か」と妙な説得力を感じるほどだ。そして相手役の宮沢氷魚は、儚く透明感のある佇まいを見事に演じきり、観ている側が「こんな青年なら全力で愛したくなるだろうな」と納得できる魅力を放っている。実際、2人の絡みは映像としての美しさと、生々しい体温が同居する貴重なシーンに仕上がっている。

演出面においては、日常的な会話や風景を丹念に追うことで、リアリティとドラマ性の両立を図っている印象だ。照明や色彩は派手すぎず、ややナチュラルに寄せていて、まるでカメラが2人の生活に溶け込んでいるかのような錯覚がある。このドキュメンタリータッチのおかげで、ドラマ特有の“わざとらしさ”が薄まり、登場人物たちが実在しているように感じられる効果を上げている。

また、「父親との確執」や「いじめを受けた思春期の記憶」など、過去の描写も直接的に語りすぎず、断片的にほのめかされるにとどまっている。これが作品全体の奥行きを深め、観客の想像力を刺激する仕掛けとなっているのだ。そうした背景を踏まえれば踏まえるほど、浩輔が惚れ込んだ龍太という存在が、どれほど大きな救いであったかが身に染みてわかるようになる。

クライマックスでは、龍太の急逝に続いて母親にも大きな出来事が起こるが、それでも浩輔は懸命に手を差し伸べる。この姿は、ありきたりなヒロイズムで語るにはあまりにも切実で、正直言って泣ける。お金のやり取りという表面的な事柄を越え、そこに芽生えたのは「お互いを失うことへの恐れ」や「他者を本気で思うがゆえの愛情」だからだろう。人間関係の綺麗ごとだけではない真実が、画面から滲み出ている。

「エゴイスト」は愛や自己中心性をめぐる深い問いを投げかける作品だ。自分の欲求と相手の幸せの境界線はどこにあるのか。そして、それは外から見ればエゴに映ったとしても、本人たちにとっては何よりも大切な愛かもしれない……。答えは一つではないが、鑑賞後には心が熱くなって、「誰かを本気で愛するって悪くない」と感じさせてくれる。だからこそ評価は星3つだが、この星3は単なる及第点ではなく「強い余韻を伴った3」であると付け加えたい。完全に万人受けするタイプではないが、刺さる人にはがっつり刺さるだろうし、観る人によって味わい方が全然違うはずだ。

映画「エゴイスト」はこんな人にオススメ!

まず、恋愛映画に求めるものが「イチャイチャ」や「幸せムード一色」という単純な要素だけではない人に向いていると思う。本作は、恋愛の光の部分と同時に、影や痛みもリアルに映し出しているからだ。シンプルに言えば「甘いだけの物語では物足りない、もう少し踏み込んだドラマを見たい」という人にはもってこいである。

次に、考えさせられるストーリー展開が好みの方にも推したい。愛や欲、過去のトラウマ、家族への思い……そうした要素が複雑に混じり合って、誰一人として“完全に正しい人”も“完全に間違った人”もいない。そこが人間ドラマの醍醐味でもあるし、観終わった後に「もし自分が同じ立場ならどうするか?」と考えずにはいられないはずだ。頭と心が両方刺激される作品を求めるのであれば、外せない一本になるだろう。

もちろん、主演の2人の演技をしっかり堪能したいという人にも嬉しい内容だ。鈴木亮平の感情の振れ幅は秀逸で、表情の緩急が激しくも自然。宮沢氷魚の落ち着いた雰囲気や澄んだ声にも引き寄せられるだろう。画面のテンションが派手に盛り上がるというより、しみじみと胸に染みてくるタイプの演技合戦が好きな人にはたまらない。

そして、社会的マイノリティの恋愛や家族観に関心のある方にとっては、見逃せない題材といえる。本作はゲイの主人公が中心に据えられているが、単なる“マイノリティもの”にとどまらない普遍性を持っている。性的指向にかかわらず、「本当の自分を受け入れてくれる相手」を求める人間の真理が垣間見えるからだ。共感できる部分があれば、自身の生き方や人付き合いのあり方に少し変化が起こるかもしれない。

結局のところ、「喜怒哀楽をひとしきり味わいながら、深みのある人間模様を見届けたい人」に最適だと思う。激辛なテーマもあるが、そこには確かな温もりが潜んでおり、それが観る者を引きつけてやまない。優しくて切なくて、ちょっぴり複雑なラブストーリーを望むなら、この映画を選んで損はないはずだ。

まとめ

本作は決して分かりやすい“純愛映画”とは言えないし、後味が最高にハッピーとも言い難い。だが、心に訴えかける力は相当なものである。主人公が抱える孤独、恋人やその母親との出会い、そして訪れる試練の数々……それらを通じて浮かび上がるのは、「誰かを思う気持ち」が一筋縄ではいかないという真実だ。言い換えるなら、人が本気で愛するときは、どうしても自分本位になる部分があるし、そこに救いや苦しみが同居する。

作中のキャラクターは、いずれも自己中心的な部分と優しさを兼ね備えており、それが“人間らしさ”を感じさせる一番の理由だろう。観終わったあと、自分自身のエゴや他人への依存を見つめ直すきっかけになるかもしれないが、それは決してマイナスばかりではない。むしろ「愛することの重み」を改めてかみしめられる点で、この作品は記憶に残る価値がある。胸の奥を切なく刺激されたい気分なら、一度踏み込んでみるのも悪くないと感じた。