映画「千と千尋の神隠し」公式サイト

映画「千と千尋の神隠し」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

本作といえば、「日本アニメ史における金字塔」との呼び声も高い一方で、やたらと評判が良すぎるせいで「本当にそんなに面白いのか?」と逆に構えてしまう人もいるだろう。筆者も初めて観たときは、美麗な作画や奥深いテーマ性に感銘を受けつつ、「親が豚に変えられるってどんな悪夢だよ」とツッコミつつ視聴したものだ。

もっとも、これだけ人気がある作品ゆえ、過去に何度も鑑賞した人もいれば、まだ未見だけど「タイトルだけは知っている」という人も多いに違いない。そんな超有名作に対してあえて激辛の姿勢を貫こうとしたところ、意外とツッコミどころが少なくて困るのが正直なところだ。しかし、だからといって盲目的に絶賛するだけではない。妖怪大集合かと思いきや、実は現代社会への風刺が見え隠れする作風に「宮崎駿監督、ただ者ではないな…」と気づかされるし、少年ハクの正体にまつわるエピソードも興味深い。とはいえ、ちょっと長いと感じるシーンもあるし、謎だらけのキャラクターたちに「結局コイツら何者?」と肩をすくめる場面もある。

本記事では、この超有名アニメ映画「千と千尋の神隠し」の魅力と微妙なポイントを余すことなく暴露しつつ、一歩踏み込んだ視点を提供していきたい。

映画「千と千尋の神隠し」の個人的評価

評価:★★★★☆

映画「千と千尋の神隠し」の感想・レビュー(ネタバレあり)

ここから先は、本作を未視聴の人には手厳しいネタバレが含まれるため、自己責任で読み進めてほしい。まずはストーリーの大枠を確認すると、主人公の荻野千尋が両親とともに引っ越し中、謎のトンネルを見つけたことから騒動が始まる。両親は図々しくも勝手に食べ物を食らい、あっという間に豚に変身。「おいおい、海外のホラー映画でもここまで無防備じゃないぞ」と思わずツッコミたくなる導入であるが、これこそが「欲に溺れると痛い目を見る」という教訓を子どもにも分かりやすく示す仕掛けでもあるのだろう。

この後、千尋は湯屋(油屋)と呼ばれる神様専用の温泉施設で働く羽目になるわけだが、この湯屋が実にクセモノ揃いである。経営者の湯婆婆は外見こそ派手なおばあちゃんだが、魔女としてのパワーもさることながら金儲け主義の権化でもある。客の神様たちも、どこか人間の醜さをデフォルメしたような姿形で登場する。川の神様がヘドロまみれで現れたり、カオナシと呼ばれる得体の知れない存在が湯屋に入り浸ったり、挙句の果てには口から大金を吐き出して店員を買収しようとしたりと、やりたい放題。ここには間違いなく、現代社会の「金にモノを言わせる風潮」や「欲望との付き合い方」への皮肉が込められているように思われる。

とはいえ、千尋もただやられっぱなしではない。最初は泣き虫で頼りなさ全開だが、カエルっぽい番頭やリン、釜爺らと関わりながら着実に成長していく姿が微笑ましい。筆者としては、最初に湯屋で働くことを決めるシーンでの「意外と度胸あるじゃん、千尋!」という一面が印象的だった。また、少年ハクの助けも大きい。彼は湯屋の番台を務めながら、実は川の神であるという設定だが、名前を湯婆婆に奪われているため苦しんでいる。名前を取り戻すという展開はファンタジー作品あるあるだが、そこに自然破壊へのアンチテーゼやアイデンティティの喪失といった深いテーマを盛り込むあたり、なかなか侮れない。

一方で、このあたりから「結構お説教臭いのでは?」と思う瞬間もある。汚れた川の神様が洗われて大量のゴミや自転車が出てくるシーンなど、「環境問題はいかんぞ!」とダイレクトに訴えてくるようで、ちょっと説教くさいと感じる人もいるかもしれない。しかし、この作品が優れているのは、そうした社会的メッセージを単なるお堅いお勉強ではなく、エンタメとしてしっかり成立させているところだ。千尋がゴミの山から川の神様を解放するシーンは痛快だし、見終わった後には妙な達成感がある。また、「豚にされた両親の救出」というメインの目標がブレないため、どんなに騒がしい展開になってもストーリーが破綻しないのは素晴らしい構成力だと感じる。

そして、忘れてはならないのがカオナシだ。最初はモジモジと千尋を追いかけてきただけの地味な存在かと思ったら、湯屋で金をバラまき、豚を丸呑みし、歯止めの利かない怪物へと変貌してしまう。ここで湯屋の店員たちが金につられてヘコヘコする様子は、「人間とはかくも愚かしいものだ」というテーマを象徴しているようで痛烈だ。また、カオナシ自身も自らの欲求を満たす術を知らず、孤独に苦しんでいるというのが悲しくも切ない。結局のところ、カオナシは欲望を持て余して暴走しただけの迷える存在で、千尋が最後に彼を連れて銭婆のもとへ向かうシーンでは、人と人ならぬ者とが互いに歩み寄っていく可能性を示しているように感じる。

クライマックスでは、ハクの正体がかつて千尋が落ちかけた「コハク川」の守り神であったと判明する。ここで千尋の記憶が繋がり、ハクも名前を取り戻して自由になる流れは王道ではあるが、やはり胸が熱くなる展開だ。また、湯婆婆の「最後の試練」で千尋が「両親はこの豚の中にいない」と見抜く場面は、千尋の成長を象徴する見せ場といえるだろう。とはいえ、この試練シーンはややあっさりクリアしすぎのようにも思う。もっと手に汗握る頭脳戦を期待していたところではあるが、子ども向けアニメ作品の範疇として考えれば、まあ妥当な落としどころかもしれない。

一方、激辛視点であえてイチャモンをつけるなら、全体的にテンポがゆったりしていて、一部の場面が長すぎると感じる点だ。たとえば、湯屋に初めて来客する神様の世話をするシーンや、カオナシが湯屋を荒らし始めるあたりは、もう少しテンポアップしても良かったかもしれない。とはいえ、それこそが本作の独特な空気感を醸成しているとも言えるため、一概に欠点とはいえないジレンマがある。そして、ミステリアスな設定や謎が多く、最後まで明かされない部分も多い。これを「補完不足」と見るか、「観る人それぞれが想像する余地が残されている」と好意的に解釈するかは意見の分かれるところだ。

総じて、映画「千と千尋の神隠し」は映像や音楽の完成度が高く、登場人物の個性も多彩なため、一度観ただけでも十分に楽しめる作品だ。だが、二度目、三度目と観るうちに、欲や成長、社会風刺、環境問題など、さまざまなテーマが浮かび上がってきて面白い。筆者としては、やや「持ち上げられすぎでは?」と思っていたが、実際に何度も観返すことで「この評価の高さも仕方ないな」と納得してしまう部分がある。とはいえ、完璧超人ならぬ完璧超映画というわけでもないので、「ちょっと説教臭い」だの「ペースが遅い」だのと感じる点はあるだろう。それらも含めて、一度は観ておく価値のある作品だと断言したい。名作というのは、賛否や多面的な評価を巻き込みながら語り継がれていくものなのである。

映画「千と千尋の神隠し」はこんな人にオススメ!

まず「子ども向けアニメは卒業した」と思い込んでいる大人にこそ観てほしい。むしろ、本作は大人になったからこそ刺さるメッセージが盛りだくさんだ。カオナシの孤独っぷりや、湯婆婆の守銭奴ぶりは、一歩職場や社会に足を踏み入れた人ならば「うわ、うちの上司そっくり…」などと思わず身につまされるかもしれない。また、忙しい日常で「なんか疲れたなあ」と感じるとき、湯屋の豪華な内装や色とりどりのキャラクターたちが繰り広げるドタバタを見ると、奇妙な癒しを得られるのも魅力だ。一方で、ストーリーの根底には「成長」や「自分探し」という要素があり、これから社会に飛び込もうとしている学生や若い人々にとって、千尋の奮闘ぶりは共感の宝庫となるはずだ。

さらに、ファンタジー好きにもおすすめだ。あり得ない世界観が次から次へと登場するので、非現実的な冒険に身を投じるワクワク感を味わえる。一方、キャラクターをデフォルメしながらも現代社会の縮図を映し出す深いテーマに触れたい人にもうってつけである。環境問題や欲望、アイデンティティの喪失などがさりげなく取り込まれているため、「見た目は子ども向け、内容は大人向け」という絶妙なバランスが魅力といえよう。また、映像美も圧巻なので、美術やアニメ技術に興味のある人にも刺さるだろう。要するに、先入観を捨てて素直に楽しめる人や、何度も観て新たな発見をしたい人には、とことんおすすめできる一本だ。

まとめ

映画「千と千尋の神隠し」は、日本アニメ界の超有名作品でありながら、何度観ても「そうきたか!」と新鮮な発見がある点が大きな強みだ。その一方で、少し強引な教訓めいた演出や、長尺ゆえの間延び感など、欠点もそれなりに存在する。しかし、その欠点すらも「魅力のうち」と思わせる作り込みの深さこそが、宮崎駿監督の恐ろしさといえるだろう。

湯屋での騒動や豚にされた両親の救出劇を通じて、人間の欲望や自然破壊、さらにはアイデンティティや成長といった多彩なテーマを詰め込んでいるので、観る人それぞれが違った角度で楽しめるのも大きい。激辛視点で言えば、「やはり巷で騒がれるほどの神作か?」とフラットに疑ってかかったにもかかわらず、結局のところ筆者はしっかり魅了されてしまった。

つまり、この作品が日本中で愛され続ける理由は伊達ではないのだ。そんなわけで、本作にまだ触れたことのない人はもちろん、以前に観たきりで記憶が曖昧になっている人も、ぜひ改めて湯屋の世界に飛び込んでみてほしい。