映画「教皇選挙」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!
まるで荘厳な儀式の裏に潜む人間模様を白日の下にさらすかのような本作は、宗教の巨大な権威と人間くささが奇妙に共存している点が見どころである。普段は敷居が高いと感じる教会の内部事情が、ぐっと身近に引き寄せられたような感覚がある一方、視点を変えればまさに“濃厚な政治劇”を堪能できる作品でもある。表面的には厳かな雰囲気だが、その実、枢機卿たちの駆け引きや思惑がせめぎ合う姿はどこか生々しく、笑いを誘うような場面も少なくない。まずはそんな“裏舞台”を覗き込むようなつもりで鑑賞すると、より面白みが増すだろう。
今回の文章は核心を含む内容に触れるため、未見の方は要注意である。逆に、どっぷり深読みしながら味わいたい人には絶好の読み物となるはずだ。ではさっそく、ネタバレを回避できない勢いで筆を進めていくことにする。
映画「教皇選挙」の個人的評価
評価:★★★★★
映画「教皇選挙」の感想・レビュー(ネタバレあり)
本作の冒頭は、バチカンという聖域で行われる絶対的な儀式を印象的に描き出す場面から始まる。厳粛な空気の中で、ローマ教皇の逝去が告げられ、新たに選ばれるはずの“最高位の人物”を求めて枢機卿たちが集結するわけだが、この段階で既にただならぬ“波乱”の予感が漂っている。なぜなら、彼らが見据えるのは一つの“椅子”であり、そこに座ればカトリック最大の権威を背負うことになるからだ。どの候補も「自分が選ばれたいわけではない」と言いながら、内心ではおそらく別の思惑を隠している。そんな人間ドラマこそ本作の魅力であり、決して難解ではないのに説得力があるところがすごい。
まず注目したいのは、ローレンス枢機卿という人物の迷いぶりである。彼はかつての教皇を深く尊敬していたが、その教皇が亡くなるや否や、運命的な役割として“次の選挙”を取り仕切る主席枢機卿に収まる。しかも、敬愛する存在が生前に残した“チェスの駒のような布石”を、彼自身が知らぬ間に辿らされる形になるのだ。この構図が本作最大の肝であり、観る側は「これは神の意志か、それとも裏で糸を引く誰かの思惑か?」と頭を悩ませることになる。
さらにドラマを盛り上げるのが、真っ向から立場を異にする枢機卿同士の対立である。保守派、穏健派、改革派といった政治的立ち位置がくっきり表面化しており、それぞれが持つ意地やプライドが火花を散らしている。中でもテデスコ枢機卿のような徹底的な保守観点を貫く人物の言動は、序盤からインパクトが強い。まるで古い体制を復活させたいかのごとく振る舞う様子に、ローレンスたちが辟易してしまうのも無理はない。いっぽう、アフリカ系出身の枢機卿やアメリカからの枢機卿たちは“新風”を吹き込もうと試みる。そうした多様性がぶつかり合う光景は、外部から隔離された会場ながら、現代社会の縮図そのものに映るから不思議だ。
本作のコンクラーベ(教皇選挙)は、観る前はもっと宗教儀式然としたおごそかなムードを想像していたが、実際は相当に“人間くさい政治劇”でもある。何しろ、投票が始まっても決定打が出ず、思惑を隠しきれない枢機卿たちが暗躍するのだ。裏でスキャンダルが飛び出したり、金銭的な不正が発覚したり、さらには過去に抱えている秘密を暴露されそうになったりと、もはや聖人の集まりというより“大人の泥仕合”と表現したくなるほど。その一方、彼らが口にする言葉には、長年宗教界の中枢にいた者ならではの説得力もあり、完全に俗っぽいわけではない。この“表と裏の落差”こそが本作の醍醐味であろう。
特筆すべきは、いわゆる“絶対の正義”や“善玉ヒーロー”を誰も演じていない点である。主人公格のローレンス枢機卿でさえ、内心では信仰の危うさや責任感に押し潰されそうになり、ついには「自分が教皇になったほうが丸く収まるのではないか」と考え始める。これには観ているほうもハラハラさせられるが、実のところ彼は“自分には向いていない”という葛藤を抱えながら行動しているので、一種の切なさも感じられる。だが、物語中盤で起こる爆破騒動というアクシデントが、事態を大きく転換させるきっかけになる。ここが本作随一の山場であり、緊張感と同時に予想外の展開が一気に押し寄せるのだ。
一方で、控えめに見えるベニテス枢機卿の存在感が後半で急激に増してくるのも見逃せないポイントである。彼は戦地での過酷な体験を経て深い慈悲心を獲得し、作中でも強調されるほどに“純粋”な信仰を持っているように描かれる。とはいえ、そんな彼にも重大な秘密があるとわかった時、衝撃を受けない観客はいないだろう。しかも、それを知った上で前教皇が彼をコンクラーベに引き込んだ可能性が高いと示唆されるため、「この計画はいったい誰の意思なのか?」と再び混乱が生まれる。まるで巧妙に配置されたチェスの駒を、枢機卿たちが次々に動かされているようにも見えるわけだ。
終盤でついに投票の決着を迎える瞬間は、こちらとしても息をのむ。誰が選ばれても一筋縄ではいかない状況ゆえに、「本当にこの人で大丈夫なのか?」といらぬ心配をしてしまうほど。しかし、そのあとに訪れる“最後の衝撃”こそ本作の真骨頂だ。物語の根幹を揺るがすような秘密が明かされると同時に、それをどう受け止めるかが試されるのがローレンス枢機卿である。あれほど規律を重んじていた男が、“神の摂理”という曖昧なものに身を委ねようとする姿に、人間の信仰心が持つ危うさと同時に尊さも感じずにはいられない。
この結末は、宗教や性の多様性にまつわる現実社会の諸問題を意識させると同時に、“真の寛容”が何かを問いかけてくる。ありのままを受け入れるのは、頭で考えるほど簡単ではない。だが、それでも前に進むしかないというメッセージが、本作の奥底に宿っているように思える。バチカンの石造りの回廊や礼拝堂の重厚感を背景に、活躍するのは枢機卿という名の“ただの人間”たちなのだと改めて気づかされるからこそ、そのひとつひとつの行動が強く心に迫ってくる。
とはいえ、決して説教じみた雰囲気に終始していないのが本作の特徴でもある。場面によってはくすりと笑えるやりとりがあったり、予想もしない形で当選競争が転がっていったり、とにかくエンタメ性が高い。真面目に観れば社会批判にもなりうるし、軽妙に捉えれば単純に“次は誰が脱落するんだろう”というわくわく感もある。宗教に詳しくなくても十分楽しめるのだから、見始めてしまえば時間があっという間に経つはずだ。
本作は“神への祈り”と“人間の野心”がせめぎ合う中で、“信じることの難しさ”を浮き彫りにしている。最後に意外な真実が飛び出すあたりは、映画らしい仕掛けとして見応え十分である。しかも、それが説得力を失わずに物語を完結させている点も評価せざるを得ない。世の中には宗教映画というと敬遠する人もいるかもしれないが、本作はむしろ“濃厚な人間ドラマ”というべき一本だ。壮麗なバチカンの風景を映しつつも、観客に突きつけるのは「あなたなら、この秘密をどう扱うか?」という問いかけである。その問いに明確な答えを持っていなくても、きっと何かを感じ取れるはずだ。そういう多層的な面白さをたたえた一本として強く推奨したい。
映画「教皇選挙」はこんな人にオススメ!
実のところ、この作品は厳かで難しいものと思われがちだが、政治色の強いサスペンスや心理戦が好きな人なら絶対に楽しめると断言する。枢機卿たちの間で起こる駆け引きは、議会ドラマや大企業の人事争いさながらだ。さらに、予想外の方向へ転がる展開を追いかけるうちに、つい「この人には裏があるのでは?」「あの行動は何かの布石か?」と推理したくなってくるので、ミステリー好きにもぴったりである。
一方、宗教的なテーマが関わるからこそ、生々しい人間模様を描き出す部分も魅力の一つだ。教会というと清廉なイメージがあるかもしれないが、本作の登場人物たちはどこか普通の人間くささを隠せない。そのリアルさに共感できる人や、逆に聖域の裏側に興味がある人には、まさに打ってつけだろう。
また、性の多様性や伝統にしばられた体制の在り方を正面から取り上げているので、社会派のドラマに惹かれる人にも向いている。ちょっと大袈裟かもしれないが、本作で触れられるテーマは、現代社会のあちこちに通じるものがあると感じるはずだ。カトリック教会の最高峰を舞台としながらも、その内情は決して遠い世界の話ではない。むしろ自分の身近な問題として受け止めることができる人こそ、大いに感銘を受けるのではないだろうか。
まとめ
振り返ると、この映画の魅力は「一つの厳粛な儀式を通して、社会的かつ個人的なドラマを凝縮している」点に尽きると思う。表面は格式ばった選挙でも、中で行われるのは激しい権力闘争や葛藤の連続だ。候補者たちが隠し持つ“爆弾”が次々と暴かれていく展開にハラハラさせられるし、彼らが見せる迷いや狡さに共感しつつも、一方で「それでも信仰を捨てられない」という強さを感じるのだ。
そして、結末に仕込まれた“まさかの仕掛け”が、本作をただのサスペンスに終わらせない力を持っている。宗教組織と性別の問題を大胆に絡めるあたりは、大胆でありながらメッセージ性も高い。もう一度観返せば、新教皇が選ばれる過程の伏線がずっと散りばめられていることに気づくはずだ。深読みする楽しさも味わえて、ひと筋縄ではいかない作品だと断言する。重厚なテーマに彩られながらも、画面の端々にさりげない妙味が詰まっている。見終わったあとに、思わず誰かと語り合いたくなる一本である。