映画「いま、会いにゆきます」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

本作は、亡くなったはずの妻が“雨の季節に帰ってくる”という不思議設定が印象的な、ファンタジー要素たっぷりの恋愛ドラマである。最愛の人ともう一度会えるって、そりゃあもう涙なくして語れない展開なのに、終盤でまさかの感動オチが連続パンチで襲ってくるので、覚悟を決めて鑑賞したほうがいいだろう。

筆者の場合は、タオルどころか枕までずぶ濡れにしそうな勢いだったが、それはさておき物語には独特のユーモアも潜んでいる。たとえば主人公が家事に四苦八苦している場面では、焦げたパンに突っ込みを入れたくなるし、「オイオイ大丈夫か!」と一人で画面にツッコミを入れてしまった。そんな泣き笑いの世界観こそ、本作の魅力なのだと思う。

とはいえ「激辛!」と銘打つからには、いいところばかりではなく多少の苦言も呈していく所存である。やや説明が多めで、ファンタジーとリアリティの境界線があいまいになりすぎている点など、ツッコミどころも満載。だが、それらを全部ひっくるめても、家族の愛情がずしんと心に響く良作であることは間違いない。

本記事では、そんな映画「いま、会いにゆきます」の魅力や気になる部分を包み隠さず語っていく。ここから先は容赦なくネタバレを含むので、未見の方は注意してほしい。もっとも、結末を知っていても十分に感動できるのが、本作の面白いところではあるのだが。

 

映画「いま、会いにゆきます」の個人的評価

評価:★★★★☆

映画「いま、会いにゆきます」の感想・レビュー(ネタバレあり)

本作「いま、会いにゆきます」は、いわゆる“不思議な現象”を中心に据えた恋愛ドラマである。亡くなったはずの妻が雨の季節に突然戻ってくるなんて、一歩間違えればホラー映画の設定だ。だが本作に漂う空気感は驚くほど優しく、同時に切なさと温かさが入り混じった絶妙なバランスを保っている。個人的には、“どうしてこんな奇跡が起こるの?”なんて野暮なツッコミを超越して、「こんな奇跡、あってもいいじゃない!」と開き直りたくなるのが本作の魔力だと思う。

まず脚本の妙は、“帰ってきた妻・澪が記憶を失っている”というスパイスだ。普通に考えれば、「他界した人が戻ってくるだけでも相当な衝撃なのに、なんでさらに記憶喪失まで抱き合わせ販売!?」と驚かされる。だがこの二重構造によって、妻の再登場が単なる再会の感動劇にとどまらず、“記憶ゼロ”の状態からもう一度恋を始めるというロマンティック要素が加わるわけだ。しかも夫・巧のほうは、“妻の死”というトラウマを背負いながら、「いや、あなたは亡くなっていたんですよ」とは正直に伝えにくい。そんな一触即発の状況にユーモアがふんだんに挟まるのが本作の興味深いところである。

とりわけ主人公・巧のキャラクターはかなり愛嬌たっぷりだ。病気ゆえに物事を把握するのが不得手で、さらに家事スキル皆無ときている。「嫁さんがいなかったら、この人、どうやって生活してるんだ…?」とツッコみたくなるが、その抜けっぷりこそが愛されポイントだろう。一方で、そんな父親にあきれながらも健気に支える息子・佑司はめちゃくちゃ可愛い。母を失った苦しみを抱えつつ、父の手伝いをして日々を過ごす姿は、もうそれだけで心をぎゅっとつかまれる。筆者は「この子、すでにオカンの風格あるんじゃないか?」とニヤけてしまった。

そんな中で、梅雨が訪れるたびに「ママが帰ってくるかも!」と信じる子どもらしい無邪気さが痛々しくもあり、希望でもある。逆さてるてる坊主をわざと作るシーンなんかは微笑ましいやら切ないやらで、心が千切れてしまいそうだ。“ほんとにそんな奇跡が起こるのか?”と半信半疑だった巧も、次第に「いや、起こってほしい」と強く願うようになる。その気持ちとシンクロするかのように、本当に澪が戻ってきてしまうわけだが、ここで視聴者は「おいおい大丈夫か、頭の中で妄想が爆発してないか?」と一瞬疑ってしまう。でもそこは素直に受け取ると、ドラマがぐっと甘美になる。

澪が再登場してからの展開は、一度死んでしまったという事実を隠しつつ、どうやって日常を積み上げていくかが焦点となる。目玉焼きの作り方すら怪しい巧に替わって、澪がちゃっかり料理を担当するあたりは、「そりゃあ本来の妻の役目だから、違和感ないのでは?」なんて思う。だが、当の澪は記憶がないから「自分はいったい何者?」という状態。夫の浮かれ顔をよそに、戸惑う気持ちもあるだろうに、その二人のかみ合わなさがちょっとコメディにも見えるから不思議だ。

しかし、一度死んだ人物が戻ってくる以上、当然ながら“再びいなくなる”可能性もはらんでいる。そもそも梅雨が終われば雨は止むわけで、雨とともにやってきた存在が永遠に留まる保証はない。映画を観進めるほどに「やっぱりこの時間は限りあるものかもしれない」という不安感が高まり、当人たちもそれを感じ取っていく。息子の佑司が親戚から「母の死はお前のせいだ」という心ない声を耳にしてしまったり、巧は巧で「自分が病気なんかだから澪を幸せにできなかった」と苦悩を抱えていたりと、家族それぞれが傷を負いながら過ごす様子は胸に迫る。いくら幻想的な再会とはいえ、問題がまったく解決するわけではない。むしろ一時的に幸せを得たぶん、いつか訪れる“別れ”を想像すると、観ている側もじわじわと切なくなるわけである。

とはいえ、この映画がただただ涙腺を破壊しにくるかといえばそうでもない。記憶をなくした澪が“再び”巧に惹かれていく過程は、筆者にとっては希望に満ちたラブストーリーとして映った。もし本当にたった6週間しか一緒にいられないのだとしても、そこに凝縮された愛情はとてつもなく濃い。おまけに澪には、じつはもう一つの重大な秘密があったりする。この秘密が終盤で明かされるとき、「そんな伏線があったのか!」とちょっとビックリさせられるのだが、まるで良質なパズルが完成していくかのような心地よさがある。本作はファンタジーといえど、ちゃんとロジックが組み込まれている印象を受ける。

ただ、“ファンタジーなのか現実なのか”の線引きが若干あいまいで、「いやそこはどういう理屈でそうなるんだ?」とツッコミたくなる点もある。個人的にはもう少し物語の冒頭で「こんな世界観なんですよ」と提示してくれるとスムーズに入りやすかったかな、と感じる。例えば、亡くなった妻が戻ってくるのを周囲がどう受け止めるのか? 主人公たちが実際に再会した瞬間のリアクションがもう少ししっかり描かれていれば、「この人、幽霊を連れ歩いているわけじゃないよな?」といった野暮な感情を抱かずに済んだかもしれない。そのあたりの演出が少し駆け足に見えるあたりが、激辛ポイントである。

しかし、そういった欠点を上回るほど、家族の再生物語としての感動が強い。なんといっても澪を演じる女優の表現力が見どころだ。生前の笑顔、記憶喪失状態の戸惑い、そして“母としての愛”を最後の最後まで示す姿には心を揺さぶられた。特に息子とのエピソードは、筆者としては悶絶級に涙腺を破壊される場面が多い。あまりにしんみりすると「激辛レビュー」の名に反してしまうが、正直ここは泣かないほうがどうかしている。筆者はひそかに「今日はハンカチでは足りん!」と学習し、バスタオルを完備して鑑賞した。

終盤では、いよいよ梅雨明けが近づき、“再会してからのタイムリミット”が迫ってくる。そこで澪がとった行動や残していくメッセージは、“母”という役割の尊さをまざまざと感じさせるものだ。観ていて「もうちょっと一緒にいさせてあげてくれないか!」とスクリーンに懇願したくなるくらい切ない。しかし本作が描きたかったのは、限られた時間が愛を深めるという事実かもしれない。永遠ではないからこそ、余計にかけがえのない時間となる。人はいつか必ず別れを迎えるが、その間にどれだけ相手のことを思い合えるかが人生の真価だと、この映画は説いているように思う。

そして、最後に日記の存在が大きな意味をもって登場する。これまでのエピソードが総ざらいされるように、時空を超えた恋のつながりが浮き彫りになり、「ああ、運命ってこういう風に仕組まれていたのか」と納得させられる。劇的なサプライズを多用しているわりには筋が通っており、観終わってから思わず余韻にひたってしまう人も少なくないはずだ。

一つの不満を挙げるとすれば、「ちょっと都合よく奇跡が起こりすぎるんじゃ…?」ということだが、それを言ったらこの映画の存在意義が崩壊してしまう。むしろ「こんなこと、現実じゃ起きないからこそいいんだ」と諦めて受け入れるのがおすすめのスタンスだ。ファンタジーとリアリティの狭間で泣き笑いしながら、家族の愛にとことん浸ってほしい。そう思わせるパワーが「いま、会いにゆきます」にはある。

結局のところ、評価としては★★★★☆、つまり5段階評価で4をつけた。ここを満点にしなかったのは、激辛要素を微塵でも入れたい意地ゆえである。やはり物語の始動部分が若干の強引さを感じるし、奇跡が起きる必然性の説得力に関しては説明不足な部分もある。しかし、それらを差し引いても、“限られた時間のなかで本当に大切なものが見えてくる”というテーマを、ここまで優しく哀しく、ときに笑いも交えて描ききった点は素晴らしい。

人によっては、「こんなの泣かせにきてるやん!」と突っ込みたくなるくらい泣かせる要素がテンコ盛りだが、素直に泣ける映画というのは貴重である。最近では涙を流す機会も少ないという人は、本作を観てしっかりとデトックスしてみてはいかがだろう。きっと観終わった後は、家族や大切な人に対して、「ありがとう」「また会おう」という気持ちがより一層強くなるだろう。

映画「いま、会いにゆきます」はファンタジー×家族愛×青春の甘酸っぱさ、そして哀愁を添えた作品として、長く心に残る名作のひとつだと感じた。ついでに言えば、「いま、会いにゆきます 感想」や「いま、会いにゆきます レビュー」でネットを検索すると、多くの人がボロボロに泣いていることがわかる。だが、涙だけでなく意外にクスッと笑える要素もあるので、感傷の中にもどこか救いのある物語を楽しみたい方にはうってつけである。

泣きすぎると翌日、目が腫れて大変になるが、それを承知で臨む価値がある。そう断言できる、切なく温かい映画体験をくれるのが「いま、会いにゆきます」だ。気が向いたら、あなたもぜひ梅雨入りのニュースにあわせて鑑賞してみてはいかがだろう。雨がこんなに愛おしく感じられることは、そうそうないはずである。

 

映画「いま、会いにゆきます」はこんな人にオススメ!

本作「いま、会いにゆきます」は、「家族の絆」とか「愛する人との再会」といった、心にダイレクトに訴えかけるテーマに弱い人に断然オススメである。特に、「ファンタジーは苦手だけど、せつない系のラブストーリーには惹かれる」という人には絶好の一作だ。亡くなったはずの妻が戻ってくるという設定は、現実離れしているようでいて、実際に観ると“もし自分の大切な人が戻ってきたら…”と自然に想像してしまう。そうした“たられば”の世界観を素直に受け入れられる人こそ、この映画を最大限に楽しめるのではないか。

加えて、「いつの間にか日常がマンネリ化して、家族やパートナーにきちんと感謝できてないな」という人にもいい刺激になると思う。映画を通して、当たり前のように隣にいる人が実はどれだけ大切な存在かを痛感するはずだ。そして、「泣きたいけど、ただお涙ちょうだいだけでは物足りない」という人にもピッタリだろう。なにしろ本作には、適度な笑いとサプライズ展開がちりばめられている。家族そろって観たら、「こんな奇跡が起きてもいいよね」とワイワイ議論しながらエンディングを迎えられそうな雰囲気がある。

さらに言えば、「雨の日をポジティブに楽しみたい」タイプにも打ってつけだ。梅雨と聞くとジメジメして気分が沈むものだが、本作を観た後は「雨が降れば誰かに会えるかも?」なんてちょっぴりワクワクできるかもしれない。単に泣きたい人から、家族愛を再認識したい人、そして雨の季節に憂鬱を感じる人まで、幅広く刺さる作品であると思う。筆者も「もう泣きたくない!」といいながら、毎年梅雨が来るとつい本作を観返してしまう。つまり中毒性があるのだ。

どこか懐かしく、温かく、涙をガッツリ誘うけれども不思議と後味が悪くない。観終わったあとには、やさしい気持ちで「また明日も頑張ろう」と思えるのが魅力だ。そんな空気感に浸りたい全ての人へオススメしたい一本だ。

まとめ

以上が映画「いま、会いにゆきます」の感想・レビュー(ネタバレあり)である。本作は、奇跡という言葉がぴったりのファンタジー要素を取り入れながらも、あくまで家族の愛や夫婦の絆というリアルなテーマを丁寧に描ききっている。確かにファンタジーであるからこその強引さはあるが、その分心をわしづかみにするエモーショナルな展開が満載で、終盤はもう涙の海にダイブするしかない。それでも後味は意外と悪くなく、むしろ「雨の季節っていいかも…」と感じさせられるから不思議だ。

観終わったあとには、思わず大切な家族やパートナーのもとへ駆け寄り、「いつもありがとう」と伝えたくなる。もしそう思えたなら、本作の価値は十分すぎるほど発揮されているといえよう。記憶を失った妻と、心に傷を抱えた夫と子どもが紡ぐ再会の物語は、涙を流しながらもどこか温かい笑いを誘う。その独特のバランスこそが本作の醍醐味だ。奇跡なんてそうそう起きないとわかっていても、起きたっていいじゃないかと信じたくなる。そんな気持ちにさせてくれる映画である。