映画「渇水」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!
一見すると水道局の職員が主人公という地味な題材かと思いきや、実際には人間の深い葛藤や社会の歪みをこれでもかと描き出した挑戦的な作品である。主演の生田斗真が演じる男は、日照り続きの夏に「停水執行」という仕事を抱えながらも、幼い姉妹と出会うことで自らの心の渇きに気づいていく。その過程があまりにも生々しく、画面からほとばしる情念に胸を締めつけられる人も多いだろう。
しかも監督の高橋正弥は、助監督を務めた過去作からは想像しづらいほど大胆な演出に踏み込んでいる。原作者・河林満の「渇水」をもとに、プロデューサーとして白石和彌が参画。これを聞くだけで「ただの人間ドラマじゃ終わらないぞ」という気合いがひしひしと伝わってくる。
本作はいわば、人間の乾ききった心を水で満たすどころか、むしろその渇望感を浮き彫りにし、観る者の精神を揺さぶる映画なのだ。
映画「渇水」の個人的評価
評価: ★★☆☆☆
映画「渇水」の感想・レビュー(ネタバレあり)
本作は、タイトルの通り「水不足」というシチュエーションを前面に押し出しているが、実際に描かれるのは社会からこぼれ落ちた者たちの苦闘と、そこに差し出されるかもしれない一筋の光だ。水道局で働く岩切俊作(生田斗真)は、水道料金の滞納世帯を訪問して料金徴収し、払わなければ容赦なく水道を止める「停水執行」の仕事をしている。これだけ聞くとヒール役になりそうなものだが、実は彼自身も妻子と別居中という闇を抱え、日々の業務をただこなすことで自分の乾いた心を埋めようとしているように見える。
物語は、日照り続きの夏が舞台で市内には給水制限が発令中。彼にとっての「停水執行」は単なる職務とはいえ、社会のインフラを支える裏方仕事の暗部をえぐり出す格好だ。訪問先の人々はただでさえお金に困窮していたり、トラブルを抱えているので、支払いの督促に来た岩切を疫病神のように扱う者もいる。つまり、彼は世間から嫌われる役回りになりがちなのである。
そんな中で、岩切が出会うのが育児放棄された幼い姉妹。母親はどこかへ行ったまま帰らず、電気も水道も止まりかけという瀬戸際の状況下で必死に生きている。姉妹といってもまだ小さな子どもなので、食べ物やお金がなければ当然万引きに手を染めるシーンもある。公園で夜に水をくんでやり過ごす姿は、見ているだけで胸が締めつけられるほど切ない。しかも本来なら、児童相談所や福祉課に相談する選択肢がありそうなのに、物語の中では行政と市民の接点がうまく機能しないようにも描かれ、ひたすら姉妹が孤立していく暗い現実が強調されるわけだ。
岩切は「自分も家族から距離を置かれている」という共通点からか、その姉妹を放っておけない。かといって、一介の水道局員が勝手に彼女たちを保護することもできない。真面目かつ不器用な岩切は、せめて「水を確保してあげたい」という思いに駆られながら、後輩の木田(磯村勇斗)とともに苦い日常をこなす。水道料金を滞納する世帯は決して一筋縄ではいかず、口汚く罵られることもしょっちゅう。しかも日照りによる水不足が深刻化し、市民は殺気立っていく。まさに心まで干上がっていくような閉塞感が画面を支配している。
そんな危うい均衡が続く中、岩切の感情がある瞬間に爆発する。長く続いた水不足と、姉妹への憐れみ、自分自身の家族崩壊、さらには仕事でのストレスが一挙に襲いかかり、彼は思い切った行動に出る。公園の止水栓をぶっこ抜いて、水を勢いよく撒き散らし、姉妹と一緒に水遊びを始めるのだ。言うまでもなくこんな行為は違法だが、追いつめられた人間が一時でも解放される瞬間としては、あまりにも象徴的である。子どもが大喜びするだけでなく、見る側としても「やっちまったな!」と苦笑交じりに拍手したくなるような場面だ。こうしたハチャメチャな展開は現実離れしているようでいて、本作では不思議と説得力を持っている。というのも、「水道局員が水を止める」という日常の裏側があまりにもシビアだからだ。皆がどうにもならない息苦しさを抱えているからこそ、水を自由に使うことが一種の解放に映るのである。
しかし、当然ながらそれで全部がハッピーになるわけではない。岩切は捕まって拘置所送りになり、職場にも戻りづらくなる。姉妹は児童福祉の保護下に入る道が開かれ、なんとか未来へ進む光が見えそうではあるものの、母親との関係は修復不能に近い。岩切自身も、すぐに妻子のもとへ帰れるわけでもない。だが、この一連の「水遊びテロ」(といっていいかは微妙だが)が引き金となって、これまで乾いていた人間関係がわずかに潤い始めるようにも見えるのだ。雨の降らない夏の街に、降雨が訪れるシーンはまるで奇跡のようで、観客はそこでようやく一息つける。
登場人物たちが心に抱える乾きは、物語全体を通じて執拗に描かれている。姉妹は母に捨てられたという空虚を、岩切は家族に置いて行かれた罪悪感と孤独を、それぞれ抱えながら自分だけの水を探し求める。だからこそ「渇水」という言葉が単なる天候やインフラ上の問題ではなく、「人間関係の干上がり」を表すメタファーとなっているわけだ。これを甘っちょろい感傷だけに終わらせず、最後の最後で少しだけ光を射す構成に仕上げたところが、本作の尖った魅力だと思う。
また、白石和彌プロデューサーが関わっていることもあり、台詞回しや演出には硬派な要素が随所に盛り込まれている。姉妹役の子どもたちが見せるリアリティは眼を見張るものがあるし、木田の軽妙な後輩キャラは空気をほぐす潤滑油としてかなり効いている。とはいえ、どこか荒削りで「雑に感じる」と思う向きもあるかもしれない。ラストの母親の扱いは省略気味で、「もうちょい突っ込んで描いてくれ!」と歯がゆさを覚える。けれど、このちぐはぐ感こそが「誰もが苦しみを抱えたまま動いている」というリアルさを表現しているようにも思える。完璧に整合性のとれた善行に仕上げるのではなく、中途半端に爆発してしまう人間模様にこそ真実味がある。
主演の生田斗真は、普段のイケメン路線をかなぐり捨て、くたびれた中年サラリーマンに全力で化けているのが印象的だ。笑顔で水道を止める嫌な職員かと思えば、自分の中にある正義感や paternal 愛情が暴走するときは豪快に振り切る。そのギャップが「この人、マジでいろいろ限界なんだな」と感じさせる。地味な表情の演技ひとつでも、「心が枯れそうだが、どこかに一滴の水が残っている」みたいな雰囲気を醸し出していて、見ていて息苦しくも目が離せない。
ストーリー面で評価すると、確かに人によっては「もっとドラマティックに救済があっていいのに」とか「もっと社会問題をガッツリ掘り下げてほしい」と思うかもしれない。実際、児童ネグレクトや貧困、行政対応の不備など、社会派な題材を広く盛り込んでいる分、やや中途半端な描写に感じる部分が散見される。しかし本作は、そこをきちんと救うことよりも、「やるせない状態にぽんと石を投げ込み、少しだけ変化させる」という方向を目指しているようだ。その象徴が岩切の暴挙であり、公園での大水撒きである。自分ひとりではどうにもならない現実と戦うために、ちっぽけな男が起こした大きな騒動と捉えると、その突拍子のなさもなぜか胸に残る。
映画としては好き嫌いが分かれるかもしれない。陰鬱な描写やしょっぱさが目立つため、「重たいものは勘弁」と言う人には厳しいだろう。だが、一歩踏み込んで観れば、心が乾ききったときにこそ必要な一杯の水のような、救いを感じる瞬間がある。生田斗真の熱演や子役たちのリアリティ、白石和彌作品らしい社会性と不器用な熱量が絶妙に混ざり合った味わい深い一本である。自分としては好きな点も多いが、全体的には「評価:★★☆☆☆」くらいの辛口をつけたくなるのも確かだ。なぜなら、本作を鑑賞後に湧き上がる「もっと救いが欲しい」「もっと徹底的に抉ってほしい」という欲求が強く、それらが宙ぶらりんになっている感じが否めないからである。とはいえ、その未完成感こそ「渇水」の魅力だと思う人もいるに違いない。作品の外にいる我々が安易に割り切れない領域があるからこそ、見終わったあとに妙な余韻が生まれるわけだ。
総じて言えば、本作は「社会からはじき出された人々の姿が、どうしようもなく切なく、それでも人間を捨てきれない」という苦い味の人間ドラマである。観賞後に何とも言えない脱力感を味わうが、その隙間にふとした希望のしずくが落ちるのを感じる。そう思うなら、ぜひ最後まで付き合ってみるといいだろう。たまには理屈じゃないムチャクチャさが、命を潤すかもしれないのだから。
映画「渇水」はこんな人にオススメ!
まず、社会問題に敏感な人にはぜひ勧めたい。ネグレクトや生活苦など、テレビのニュースでしか聞いたことがない話が、ここでは生々しく映し出されるからだ。といっても、ひたすら重苦しいだけではなく、思わず「そこまでやるか!」とツッコミたくなる展開が飛び出す。普通の人間が一線を越えたとき、社会ルールとどう衝突するか、そのドラマはある意味スリリングでもある。
また、「水道局の仕事なんて全く想像がつかない」という人にもお薦めだ。普段は何気なく蛇口をひねって使っている水が、実はどれほど大切なインフラで、未納するとどうなるのか、という現実を厳しく突きつけてくる。だが単なるお役所仕事の告発ではなく、そこに生きる人間の弱さや熱さがしっかり描かれている。だからこそ、観終わったあと「自分ならどうするだろう?」と考えさせられるのがポイントだ。
さらに、主演の生田斗真が好きな方、あるいは「この人の真骨頂はシリアスな演技にある」と感じているファンにも向いている作品だと思う。地に足が着いたような、くたびれた男を全力で演じる様子は新鮮だし、子役とのやりとりは何ともいえない破壊力がある。ほろ苦い現実に挑む物語とはいえ、ちょっとした笑いを誘うシーンも潜んでいるから、意外と観やすいのではないかと感じた。
まとめると、「社会の暗部に目を背けたくない人」「人間ドラマを深く味わいたい人」「水やインフラの重要さを改めて考えたい人」にうってつけの映画である。派手なアクションやハッピーエンド至上主義を求める人には少々辛いかもしれないが、体験後に自分なりの何かが変わる予感がある。実際、渇ききった心に一滴でも水が落ちれば、そこに新しい芽が出るかもしれない。
まとめ
本作は「生きるうえで欠かせない水」が失われつつある世界を背景に、人々の心の渇きが浮き彫りになる物語だ。主人公である水道局員の奮闘や、見捨てられた姉妹の姿は辛辣でありながらも、終盤に見せるちょっとした暴走がかえって魅力を際立たせている。ドラマチックな大団円があるわけではないが、わずかに差し込む光が救いでもあり、「人間って捨てたもんじゃないかも」と思わせてくれる。前半は地味ながらも徹底的に陰鬱な空気が流れるため、耐えられない人もいるだろう。だが、そこを乗り越えてこそ味わえるカタルシスが本作の真髄だと感じた。
もちろん、描写のあちこちに荒削りな部分や説明不足が見受けられるし、インフラをめぐる問題にもっと踏み込めるはずではとモヤモヤする人もいるだろう。とはいえ、そんなモヤモヤがこそばゆく残り続けるからこそ、この映画の後味は独特だ。主人公が流れを変えようとし、子どもたちがかすかな希望を手にする結末には、不器用ながらも人間が踏み出す小さな一歩の重みがある。決して爽快ではないが、自分の心を見つめ直すきっかけになる一本である。