映画「愛のむきだし」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

本作は園子温監督による衝撃作であり、タイトルからしてすでに只者ではない雰囲気を醸し出している。実際にふたを開けてみると、宗教、家族愛、性の衝動など、いろいろな要素がぎゅうぎゅうに詰めこまれたカオスな作品である。しかも4時間近くある上映時間という強烈なボリューム感は、気合を入れてかからねば太刀打ちできない。

とはいえ、その長尺をまったく感じさせないパワーがあるのも事実で、むしろこの時間こそが「愛のむきだし」の真髄を存分に堪能させてくれるのだ。ド派手な展開とコミカルな演出、そして胸を突くような切ない人間ドラマが絶妙に混ざり合うことで、とんでもなく濃い映画体験を味わえる。まさに“激辛カレー”を食べた直後のような汗だく状態にさせられるのだが、不思議と後味はキライじゃない。むしろもう一杯おかわりしたくなるようなクセになる作品だと断言したい。

また、“とっつきやすさ”を期待すると痛い目を見る危険性大なので要注意。笑いあり涙あり、そしてツッコミどころ満載のストーリー展開に、ついついこちらもパワーを奪われがちだ。しかし、それでも最後まで観終わると妙に充実感に包まれるから不思議である。

映画「愛のむきだし」の個人的評価

評価: ★★★☆☆

映画「愛のむきだし」の感想・レビュー(ネタバレあり)

本作「愛のむきだし」は、序盤からとにかく勢いがハンパではない。主人公のユウは、母の死や父の神父就任といった環境の変化によって、思春期のうっぷんを爆発させるかのようにあらゆる“罪作り”に手を染めていく。といっても、ただひたすら悪いことをしようというよりは、父に告解(懺悔)しなければならないという歪な義務感から、仕方なく(?)罪を重ねているという妙な構図だ。普通なら親の前で自分の悪事を隠したがるところを、ユウの場合はむしろ積極的に罪を探しに行くという逆転現象を引き起こしており、「おいおい、そこまでやるかよ」とツッコミたくなるシーンの連続である。しかも最初は些細な万引き程度だったのが、いつの間にかアンダーな領域にまで踏み込み、さらには学校生活もおかしな方向に転がっていくのだから、見ているほうも気が気でない。これがいわゆる“少年の成長物語”なのかと問われると、やはり否定したくなるが、独特のエネルギーが炸裂しているのは間違いない。

さらに物語の中盤あたりから、ユウは“隠し撮りのカリスマ”へと進化を遂げる。女性のスカートの中を写真に収めるという行為は、道徳的には間違いなくアウトである。だが、本作ではあまりにもコミカルに描かれているため、観客としては妙に笑えてしまうのが不思議なところ。いや、笑っていいのかどうかさえ悩ましいが、少なくともユウの一連の行動が徹底的にエスカレートしていくさまは、ブラックジョークとも言えるし、青春の暴走とも言える。しかも、その裏には「父への愛情を取り戻したい」という複雑な思いが隠れているから厄介だ。たとえ社会的には怒られるような行為であっても、ユウには“深刻な理由”があり、それがまた観客の心をざわつかせる。もはや“普通の価値観”でこの映画を追いかけるのは無理があると早々に悟ったほうがいい。

そんなユウのもとに、ある日突然あらわれるのがヨーコというヒロインである。彼女は男勝りの荒っぽい性格を持ちつつも、どこか繊細な部分を抱えている人物だ。映画「愛のむきだし」では、このヨーコとの出会いが物語のターニングポイントとなり、ユウの人生はさらに混沌の渦へと巻き込まれていく。ヨーコ自身も家庭環境がかなり複雑であり、男性不信のような状態に陥っているのだが、そんな彼女に対してユウは“偽りの姿”で近づいてしまう。ここらへんの展開は、俗にいうラブコメ的な騙し合いのテンプレートを踏襲しているようにも見えるが、本作ではそこにカルト宗教やら復讐計画やらが入り混じり、全体像がどんどん怪しい方向へ転がっていく。結果として、普通の三角関係とか片思いとかいうレベルではない、まるで悪夢の遊園地のような恋愛劇が繰り広げられるのだ。

最大のキーパーソンとも言えるのが、謎めいたカルト宗教団体「ゼロ教会」の女幹部・コイケである。彼女は胡散臭い笑みを浮かべながら、ユウやヨーコの人生を翻弄していくわけだが、その絶妙にイラッとするキャラクター造形は見事としか言いようがない。まるで自分の傷を埋めるかのように他者を操り、人々の心の隙間にするりと入り込んで洗脳してしまう様子は、まさに怪物的な魅力を放っている。観客としては「コイツ、やめてくれ!」と思いながらも、その存在感に釘付けになる。しかも終盤になるにつれ、コイケの狂気はさらにエスカレートし、ユウとヨーコを手玉にとるだけではなく、周囲の人間関係までもズタズタにしていくのだからタチが悪い。いやはや、こんな強烈な敵役はなかなかお目にかれないという意味では、非常に忘れがたいキャラクターだと思う。

物語も後半に差し掛かると、ユウの家族関係は崩壊寸前。父親は神父としての立場と人間としての悩みの板挟みに苦しみ、ユウとの絆はめちゃくちゃにギクシャクする。ヨーコとの愛も、嘘から始まったがゆえに真実が見えにくくなり、さらにコイケの陰謀によって引き裂かれそうになる。宗教的なテーマが全面に押し出されているだけに、普通のラブストーリーのようなスッキリ感は皆無に近い。むしろ救いのない展開が連続し、観ているこっちが内臓をグリグリえぐられるような気分になることもしばしばだ。そう考えると、この映画は単なるエンタメ作品ではない。宗教と家族愛、セクシュアリティ、そして人間が持つ根源的な欲望を、これでもかというほど露悪的にさらけ出すことで、観客に“問い”を突きつけているかのようなのだ。

一方で、ギリギリのところでコミカルさを保つ演出は見事である。例えば、ユウが真剣な顔で不純な下着写真撮影に邁進する様子は、道徳的には絶対アウトなのだが、演出のテンポの良さと役者の振り切った演技のおかげで笑いが生まれる。これがまた“愛のむきだし”という作品世界の妙味であり、もし演出がひとつでもズレていれば、ただの不快な映画で終わってしまったかもしれない。そこを思い切りの良さとユーモアで包み込み、なおかつキャラクター同士のドラマをドラマティックに深化させることで、作品全体が破綻せずに成立している。これは園子温監督ならではのバランス感覚と言えるだろう。

実は、この映画の上映時間は4時間近い。普通の感覚なら「長すぎるだろ!」と突っ込みたくなるが、ここまでストーリーが奔放に暴れ回ると、逆にこの長さがちょうどいいとすら思えてくるから怖い。実際、途中で飽きるどころか、「え、このシーンってもっと続かないの?」とさえ感じる部分もある。たとえばユウが隠し撮りの世界で名をはせていく様子や、ヨーコとの微妙な距離感の変化などは、もっと見ていたいとさえ思わせる。もちろん、だからといって冗長でいいわけではないが、この映画に限っては“長尺こそ正義”みたいなところがあると感じる。むしろ短くまとめられてしまったら、この混沌の魅力が半減してしまうのではないかと思うのだ。

ここまで散々カオスと笑いと暴走の嵐が描かれてきたが、クライマックスではやはり涙なしには観られないような切ない場面が待ち受けている。ユウが必死に守ろうとするもの、ヨーコが求め続けているもの、そしてコイケが破壊したがっているものが、最後の最後で思わぬ形で交差していくのだ。観終わったあとに感じるのは、単なるスッキリ感でも後味の悪さだけでもない。「愛のむきだし」のエネルギーを浴びきった結果としての妙な解放感と、“この世はなんとめんどくさい愛と欲望に満ちあふれているのだろう”という複雑な実感だ。ここまで観客を振り回す映画もそうそうないが、そのぶん観終わったときのインパクトは格別である。

ところで、「愛のむきだし 感想」をネットで検索すると、「とにかくすごい映画だった」「圧倒された」「もう一度観たい!」という声が多い。確かに、本作はいわゆる万人ウケとは程遠いが、一部の人にはドはまりする強烈な魅力を放っている。好き嫌いがハッキリ分かれやすいタイプの作品ではあるが、映画としてのエネルギーや物語の意外性、キャラクターの振り切り具合を重視する人にとっては、たまらないご馳走だと思う。それこそ「愛のむきだし レビュー」をいくつか読み比べてみても、その評価の振り幅は大きく、10点満点をつけている人もいれば「なんだこれは!」と酷評している人もいる。要するに、琴線に触れるかどうかが極端に分かれやすいのだろう。

個人的には、最初に観たときはそのエネルギーに押し流されて「なんだかすごいもん観ちゃったな」という感想しか出てこなかった。だが、時間をおいてもう一度観返してみると、家族愛や人との繋がりを求める気持ちの切実さが、よりクリアに見えてきた。あれほどぶっ飛んだ行動ばかり取るユウだが、根底には父を愛しているがゆえの苦悩や、ヨーコとどうにか心を通わせたいという純粋な思いがある。その部分を意識しながら再鑑賞すると、コイケの狡猾さやヨーコの内なる傷もいっそう浮かび上がってきて、ただのトンデモ映画ではなく「人間ってこんなにも複雑な存在なんだなあ」と感慨深くなるのである。

笑えるシーンの裏にはシリアスな闇があり、怒りが爆発する場面の裏には歪んだ愛が潜んでいる。しかもそこには神や信仰といった大きなテーマが重なり合い、全体を覆う重苦しさと一種の神秘性が生まれている。おそらく園子温監督は、人間の“むきだし”の部分を描くにあたって、宗教の存在は避けて通れないと考えたのだろう。だって、我々の倫理観や社会規範は、多かれ少なかれ宗教的価値観や道徳観に影響されているのだから。その大前提をひっくり返してみるとどうなるのか、という問いかけが本作には潜んでいるように思う。だからこそ、下手に道徳を振りかざして「これはよくない映画だ」と片付けるのはもったいない。むしろ、この混沌の中から何を感じ取るかこそが重要なのだろう。

とはいえ、どんなに面白いと感じる人がいても、この映画に耐えられない人がいるのも十分理解できる。暴力的な描写や性的なテーマ、宗教を扱う際の扇情的な演出など、人によっては不快感を覚えるポイントが多々あるのは事実だ。そこはもう相性の問題なので、「とにかく変わった映画が観たい」「人間の裏側や闇を覗き込みたい」という好奇心がある人でなければ、途中リタイアしてしまうかもしれない。しかし、そのハードルを超えた先には、映画体験としての驚きと興奮、そして苦くも切ない余韻が用意されているのだ。それを味わえたならば、本作を観たことが人生のどこかで思いがけない影響をもたらしてくれるかもしれない。あまり映画に期待しすぎるのもどうかとは思うが、「愛のむきだし」ほど人生の彩りにガツンと刺激を与えてくれる作品は、そうそう存在しないのではないかと思う。

まあ、ある意味“お腹いっぱい”どころか“胸焼け”を引き起こすレベルの濃厚さなので、あえて誰にでも勧めたい作品ではない。だが、ひとたびこの世界観にハマってしまうと、二度三度とおかわりをしたくなる魔力があるのも確かだ。罪と愛、信仰と欲望、そして笑いと涙が、ここまで奔放に入り混じった作品はそうそうお目にかかれない。映画の枠を超えた体験として心に焼きつくことは間違いないと思う。そういうわけで、「愛のむきだし」の感想・レビュー(ネタバレあり)としては、やはり何とも形容しがたい混沌と衝撃が詰まった4時間という結論になる。これが“神の愛”なのか、それとも“人間のむきだしの欲望”なのか――その答えを探しに、ぜひ一度はこの映画を体感してみてほしい。

余談だが、本作には監督の過去の実体験から着想を得たエピソードが随所に散りばめられていると語られている。もちろん脚色やフィクションの部分も多々あるだろうが、人間の業や愛の行方をあそこまで大胆に描けるのは、園子温監督が自らの魂を切り売りしているからこそとも言える。だからこそ観ている側も「ここまでやるの!?」と驚きつつ、どこか止まらない好奇心に駆られてしまうのだろう。この映画に真正面から向き合うのは骨が折れるかもしれないが、その濃さこそが強烈な印象を残す源になっているのは間違いない。もし未見なら、ぜひ覚悟を決めて一度味わってみることをおすすめする。観終わった後、あなたもユウやヨーコ、そしてコイケの狂騒に振り回されながらも、なぜか心のどこかがざわつくような体験をするかもしれない。そう、これはただのエンタメではなく、人生の一端を切り取った壮絶なドラマなのだ。

最終的に、この「愛のむきだし」を名作と呼ぶかどうかは、人それぞれの価値観に委ねられるだろう。ただ、作品としてのパワーは尋常ではなく、観る者に何らかの爪痕を残すのは確かだ。面白いか否か、好きか嫌いかといった次元を超えて、心の底をグラグラ揺さぶってくる。そこには確かに、生々しい“むきだし”の人間ドラマがあるのだ。

だからこそ、本作を観終えたあとの感情は一言では片付けられない。不快もあれば感動もあるし、バカバカしさに笑いが込み上げる瞬間もある。それらが同時に押し寄せてきて、なんとも言えないカオスな余韻を残すのが「愛のむきだし」という作品なのだ。もしあらゆる常識や倫理をぶっ壊して、新しい映画体験を求めているのならば、ぜひ挑戦してみる価値があると断言できる。

映画「愛のむきだし」はこんな人にオススメ!

本作「愛のむきだし」は、万人に手放しでオススメできる作品ではない。むしろ、特異な世界観と宗教、性、暴力、家族愛など、重たいテーマをギュウギュウに詰め込んだ作品ゆえに、観る側にもある程度の覚悟が必要だ。とはいえ、「世の中には一筋縄ではいかない映画があるんだ」「心をグラグラ揺さぶられるような体験をしたいんだ」という好奇心旺盛な映画ファンには、まさにうってつけである。普通のドラマでは満足できない人、いわゆる“刺激を求める人”には、これほどまでに強烈な刺激を与えてくれる映画はそうそうないだろう。

さらに、キャラクターの“むきだし”の感情表現に魅力を感じる人にもオススメしたい。ユウの暴走っぷりやヨーコの激しい反抗心、コイケの歪んだ愛情表現などは、一歩間違えると不快感しか残らない危うさを孕んでいる。だが、本作では彼らがそれぞれ抱えている傷や本音が、容赦なく暴かれていく。そこに目を向けると、人間の根源的な欲望や愛憎が浮き彫りになり、「ああ、こんなドロドロした部分を私たちは胸の奥底に秘めているのかもしれない」と気づかされるのだ。

このように「愛のむきだし」は、言ってしまえば“エログロナンセンス”と“青春ドラマ”が同居するような超絶カオス映画である。一筋縄ではいかないものを求める人や、人間の裏側を覗き見るのが好きな人、あるいは自分自身の欲望や愛の在り方を見つめ直したい人には、ドンピシャでハマる可能性大だ。まさに“激辛料理”を好む冒険心旺盛な人向けのメニューと言えるだろう。

逆に、映画は手軽な娯楽であってほしいという人や、道徳的にきれいな作品を好む人にとっては、衝撃が強すぎるかもしれない。そのあたりは自分の“許容範囲”を考慮しつつ、観るかどうかを判断するといいだろう。しかしながら、思わぬ発見や刺激に飢えているならば、この作品が呼び起こす濃厚な感情のうねりは、一見の価値があると断言できる。

まとめ

まとめとして、映画「愛のむきだし」は全編を通して圧倒的なエネルギーで観る者の度肝を抜く一作だと言える。宗教や家族愛、さらには下世話なスパイスまで投入して混ぜ合わせることで、他に類を見ない怪作へと仕上がっている。そのぶん、観る側にもある程度の“覚悟”と“耐久力”が求められるが、ここを乗り越えれば極上の映画体験が待っているのも事実だ。笑いながら引きつり、鼻で笑ったかと思えば涙し、そして「人間ってなんだろう?」という深い問いが湧き上がる。こんな映画、そうそうないと断言できる。もし未視聴なら、ぜひ勇気を出して挑戦してほしい。愛と欲望、そして信仰までひっくるめた、痛快にして切ない“むきだし”の世界があなたを待っている。

ただし、先に言っておくと、この映画は万人受けするような“気軽に観られる”タイプではない。むしろ、人生のいろんな局面で溜め込んだドロドロを一気に爆発させたいときにこそ、その火力を借りる価値がある作品かもしれない。そんな危うさと魅力を秘めた「愛のむきだし」を、あなたもぜひ体感してみてはいかがだろう。きっと観終わったころには、笑いや驚き、困惑など、さまざまな思いが入り混じったカオスな感情が生まれているはずだ。