映画「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

本作は「わずか30日で終わる恋」というキャッチーな設定ながらも、ちょっぴり頭をひねらせるSF要素を加味したラブストーリーである。といっても難解すぎるわけではなく、むしろ高校入試レベルの国語力(あるいは算数力?)でも十分に理解できる範囲だと思う。

とはいえ、観終わってから思わず「本当の初対面はいつなんだ…」「未来が過去で過去が未来なら、きみとオレの間には何が残るんだ…」と、青春の甘酸っぱさとは違う角度で悶々としてしまった。

恋愛映画でほっこりしたはずが、気づいたらエクセルか何かでタイムラインを整理しようとしている自分に驚く人も少なくないだろう。そう、これはファンタジー系ラブストーリーの皮をかぶった時間逆行ムービーなのである。

筆者はこの“時間の反転”を活かした切なすぎる別れの演出にやられてしまい、気がつけば泣き笑い状態だった。そんな本作の魅力をズケズケ語ってみようと思う。

 

映画「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」の個人的評価

評価:★★★★☆

映画「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」の感想・レビュー(ネタバレあり)

ここから先はがっつりネタバレを含むので、未視聴の方はお手元にハンカチと覚悟を用意してほしい。映画「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」は、そのタイトルだけで「一体どういうこと!?」という疑問を呼び起こす。実際に鑑賞すれば「なるほど、そう来るか…」と舌を巻く設定が次々に繰り出され、タイムリープ作品に慣れている人ですら一瞬混乱すること間違いなしである。

本作では南山高寿という美大生が、電車で福寿愛美に一目惚れしたことをきっかけに物語が動き出す。普通なら「おいおい、こんなドラマみたいなナンパ成功あるかよ…」とツッコみたくもなるが、高寿の行動力は称賛に値する。むしろ恋に落ちてしまえば電車を飛び出すくらいの勢いを持ってこそ若さではないか、とこちらもニヤリとするところだ。

しかし、この二人の出会いは単なる運命などではなく、どこか“仕組まれていた感”がプンプンする。いざ一緒に過ごすようになると、愛美は妙に未来を知っているそぶりを見せるし、どこか懐かしそうに泣き笑いする場面も多い。「いやいや、初デートであんなに号泣されたら困惑してしまうだろ…」というのが高寿の本音だろうが、愛美には愛美の理由があるのだ。

ネタバレで核心に触れるが、愛美は“未来から過去へ”時間が流れる世界の住人である。一方、高寿は我々と同じ“過去から未来へ”進む世界の人間。二人が同じ時間軸で一緒にいられるのは限られた30日間のみ。しかも「高寿にとっての明日は、愛美にとっての昨日」という、まさにタイトルどおりの逆転現象が起きてしまうのだから厄介だ。

では、なぜ二人が巡り合ったかというと、子どもの頃にお互いが命を救い合ったことが発端となっている。高寿が5歳の頃に溺れかけたのを助けたのは35歳の愛美であり、愛美が5歳の頃に花火大会の爆発事故で救われたのは35歳の高寿。年齢を考慮すれば「未来のお前と過去のあたしがドッキングしてる!」と頭が沸騰しそうになるが、そこが本作の妙味である。

こうした時間のねじれを象徴するのが、出会う順番の不一致だ。例えば高寿にとっては“初めて会った日”が愛美にとっては“最後の日”となる。愛美側は「すでに別れを知った上で始める恋」を歩んでいるわけで、そりゃ涙の一つや二つで済むわけがない。観ている側としては「こんなにも好きなのに、思い出がどんどん薄れていくの?」というもどかしさで胸が締め付けられる。

それでも二人は、その限られた30日間をめいっぱい愛そうとする。高寿は「一体こいつ、なんで先のことを全部知ってるんだ?」と最初は混乱するが、真実を知ってからは彼女を守りたい想いが一層強まっていく。一方で愛美にとっては“初めての出来事”こそがすでに“高寿から聞いたストーリー”になっており、感動の瞬間すら「やっぱりこうなるんだ」という複雑な切なさが付きまとう。

それでも二人が寄り添う姿は微笑ましく、どこか儚い。例えばデートのシーンや美術の授業で一緒に描く場面など、普通の恋人なら「なんてことない幸せ時間」を送っているはずなのに、本作ではそこに「あと◯日で終わってしまう」という期限が重くのしかかる。「好きになればなるほど、別れが怖い」という感情をビジュアル的に極限まで拡大したのがこの映画だと思う。

極め付けはラスト付近の切り替え演出だろう。高寿側の視点で観ていたストーリーが、終盤では愛美側の視点にひっくり返る。今まで一見ミステリアスだった愛美の言動が、実はどれほど彼女を苦しめ、そしてどれほど彼女自身が“幸せな恋人”でいたかったかを痛感させる。とくに「自分のことをどんどん忘れていく恋人を見守る」という状況は、「いやいや、そんなにつらいなら逃げ出したくもなるだろ…」とこちらが泣きそうになるほど辛い。

しかし愛美は逃げない。それどころか、一生分の思い出を30日に凝縮してでも、高寿と愛し合う道を選んだ。現代っ子であれば「LINE既読スルーしたくなるくらいの辛さ」では済まされない。本気で自分が消えていくのを受け入れるというのは想像を絶する苦悩だ。だからこそ、ラストシーンの別れでは容赦なく涙腺が爆発する。ここでは「それでも、明日はやってくる」という、ある種のポジティブさすら感じさせてくれる。

観終わったあとに改めて「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」を振り返ると、本作は単なる泣き映画ではなく、「時の不可逆」を最大限に利用した“運命”と“選択”の物語だと思えてくる。人は時間を巻き戻すことはできないけれど、愛美と高寿は「互いの時間の歯車」を奇跡的にかみ合わせ、一瞬だけ同じカレンダーをめくり合った。そこには純愛、運命、そしてどうしようもない非合理さが同居している。

筆者としては、結末に救いがないようでいて、実は強いメッセージを感じた。今を最大限に愛することこそが人生を輝かせる鍵なのだ、と。本作はそのわずか30日を圧縮した形で見せつけてくるわけで、観る人によっては「今すぐ推しや大切な人に連絡しなきゃ!」と衝動的に思い立つかもしれない。恋の賞味期限をある程度意識せざるを得ない全人類にとって、こんなに切なくも愛おしい作品はない。

もし途中で「頭が混乱してきた」という人は、各シーンを時系列で整理しながら観ると理解が進むはず。あるいは「もう理屈はいいから、二人の純情に浸りたいんだ!」という人は、むしろ説明を省いて直感で楽しんでもOKだ。いずれにせよ、見終わったあとに「あれはどういうことだった?」と誰かに話したくなる映画であることは間違いない。

 

映画「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」はこんな人にオススメ!

本作の世界観は甘酸っぱい恋愛にとどまらず、時間が逆行するSFっぽさが加わるため「純然たるラブストーリーが苦手」という人でも案外楽しめる。また、主人公たちが大学生という設定からも分かるとおり、青春期のキラキラ感が存分に味わえるのが魅力だ。若者の恋愛模様に遠ざかって久しい人でも、自分の初恋を思い出して「あのころは勢いだけで突っ走ったなあ…」とノスタルジックに浸れるだろう。

さらに「タイムリープものや時空を超えた運命的な作品が好き」というSF・ファンタジーファンにもオススメである。理屈で考えれば頭が爆発しそうな要素を、映画は情緒的な映像美でふんわりと包んでくれる。だからこそ、「難しいことは考えたくないんだよね」というタイプでも、純粋にヒロインと主人公の行く末に心を委ねられるのだ。

また「日常生活にマンネリ化を感じている人」にとっても、本作は刺激的な一作だ。あと◯日で恋人との時間が終わるかもしれない—そんな緊迫感のなかで描かれる恋には、思わず「今の生活を大事にしなければ…」とハッとさせられる効果がある。意外な形で自分の人生観をアップデートさせてくれる、そんな力を秘めた映画である。

 

まとめ

映画「ぼくは明日、昨日のきみとデートする」は、可愛い恋愛シーンでニヤニヤさせつつ、「ちょっと待て、その時間逆転はどういうことだ?」と頭をかきむしらせる絶妙なエンタメ作品である。泣ける恋愛映画と思いきや、時間のパズル要素を織り交ぜているため、観終わったあとにストーリーを整理しながら余韻を楽しみたくなる人が続出しそうだ。

本作が提示するメッセージは「たとえ短くても、限られた時間を全力で愛することの尊さ」であるように感じる。過去が未来で未来が過去なら、何が本当の今なのか…と考えてしまうが、結局は「今」の愛が大事なのだ。そう思えば、この作品は甘酸っぱさだけでなく、人生全般における“尊い気づき”を与えてくれる。胸キュンして泣きたい人も、頭をフル回転させて悶々としたい人も、ぜひお試しあれ。