映画「ベルサイユのばら」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!
本作は池田理代子氏による不朽の名作を、2025年にまさかの劇場アニメ化で蘇らせた一作である。原作の圧倒的な人気を背景に、宝塚歌劇やTVアニメなど多彩なメディアミックスが存在するが、今回の劇場版は監督・吉村愛、脚本・金春智子という布陣で挑んだ。
個人的には「もう知り尽くした」と思っていたはずなのに、スクリーンに映るオスカルやアンドレの姿を観た途端、なぜか新鮮な気持ちで感涙してしまったのが正直なところだ。
革命の動乱と宮廷の華やかさが同時に押し寄せる展開の中、約113分にぎゅっと詰まった壮麗なドラマと主題歌・絢香の美声によるミュージカルテイストの演出が楽しめる。とはいえ原作ファンだからこそ「ここを削るか…!」と唸った部分もあり、激辛レビューにふさわしいツッコミどころも満載である。
本記事では、物語の最重要ポイントから作画の美しさ、声優陣の熱演、そして評価の真相に至るまで、たっぷりネタバレ全開で語り尽くしていく。
映画「ベルサイユのばら」の個人的評価
評価:★★★☆☆
映画「ベルサイユのばら」の感想・レビュー(ネタバレあり)
ここからは映画の核心にもズバズバ切り込んでいく。先に断っておくが、本作を未見の方はネタバレ御免という気概で読み進めていただきたい。筆者自身、長年の原作ファンでありながら「映像になるとこうなるのか」と良くも悪くも驚かされた部分が多いのだ。では、感想をじっくりと述べていこう。
まず気になったのは、冒頭で描かれるマリー・アントワネットの青年期に関する描写だ。原作では幼いアントワネットがオーストリアから嫁いでくる際の複雑な国際事情や、実母マリア・テレジアの存在が強調されていた。しかし劇場版では、この導入部分が大胆にカットされている。いきなり「さあ、ヴェルサイユへようこそ!」みたいな華やかさで始まるため、いままでのベルばら知識をフル稼働させておかないと「えっ、もう嫁いだの?」と置いてきぼりを食らう可能性がある。だがここは映画としての割り切りだろう。本作は約2時間の尺で原作全9巻分を走り抜けるので、尺の都合を考えればむしろスマートなスタートかもしれない。
一方、オスカル・フランソワ・ド・ジャルジェの登場シーンは早々に用意されており、そこに関しては原作ファンとしても「待ってました!」と拍手を送りたい。やはりオスカルが馬を駆る姿と衛兵隊を率いる佇まいこそ、ベルばらの華だ。さらにマリー・アントワネットとフェルゼンが出会う舞踏会では、弦楽器をふんだんに使った荘厳なBGMとともに、ちょっとミュージカル仕立ての演出が挟まれている。賛否はあるかもしれないが、この“突然歌い出す感”が本作のエンタメ性を高める仕掛けになっているのは間違いないと感じた。なにせ監督の吉村愛は、音楽的表現に定評がある作品を手がけてきた人物。こういうメリハリのつけ方はお手の物なのだろう。
ただし、このミュージカル的アプローチについては気になる点もある。作中で何度も入る挿入歌はそれぞれクオリティが高いのだが、あまりに「ここも歌か…」と立て続けになるため、後半になるとやや慣れてしまって盛り上がりが落ち着く瞬間があった。宝塚のように視覚的・舞台的な迫力を直に浴びるのとは違い、映画だと「はいはい、もう一曲ね」的な感じになりがちなリスクがある。もちろんシーンごとに曲調は変化していて澤野弘之らしさ全開なのだが、観客の中には「ややミュージカル要素は抑えめでも良かったかも」と思う方もいるかもしれない。
とはいえ中盤から後半にかけての盛り上がりは、さすがベルばらと言える熱量がある。特に「オスカルは女性として生まれながらも、父に男として育てられ、貴族であるがゆえに自由とは名ばかりの人生を送っていた」という核心的テーマを、映画はわりとストレートに打ち出している。原作だとオスカルの葛藤はもっとじっくり描かれたが、本作では尺の限界もあって台詞やカット割りでテンポよく理解させる工夫が盛り込まれていた。アンドレとの関係にしても、フェルゼンを想う気持ちとアンドレへの愛がいつどのように変化していくかを、可視化された表情やささやきでグッと端的に伝えてくれる。自室でアンドレと結ばれるシーンは、宝塚版にも負けず劣らずの耽美さがありつつ、あまりに過剰に耽溺しすぎない絶妙な“PG12”加減がありがたい。正直、お色気全開の濃厚シーンを所望していた人もいるかもしれないが、これぐらいがバランスよく万人が観やすい落としどころだと思う。
そして何といっても激動のフランス革命パート。マリー・アントワネットの贅沢三昧が憎まれ、ルイ16世の優柔不断さが国を混迷に陥らせる流れは、原作同様に早足ではある。しかし本作ならではの工夫として、アントワネットが母としての愛を表すシーンを丁寧に見せたり、オスカルが衛兵隊の面々に訴える場面で“民の苦しみ”をリアルに描き出したりする描写を挟んでいる。勢いで革命が成功するという単純な話ではなく、貴族と平民との断絶、王家の苦しみ、そして貴族でありながら民へと寄り添っていくオスカル自身の選択が静かに重みを増していく。とりわけバスティーユ襲撃のシーンは、本作のクライマックスにふさわしく迫力満点だった。銃撃と砲撃が交錯する暴動の中で、オスカルがアンドレとの想いを胸に最後まで戦い抜く姿は、涙なしには観られない。ここはやはり大スクリーンで観るべきだと感じた。
ところで、そのバスティーユ襲撃後の“あの演出”については、原作至上主義のファンがどう受け止めるかで評価が割れるかもしれない。宝塚版のように死後、オスカルとアンドレが静かに再会する“天上の場面”を挿入しているのだが、個人的には「おお、ここまでやるか!」という驚きと「ロザリーの叫びはどこいった?」という物足りなさがないわけではない。しかし、映画を観終わった後の余韻としては幸福感が漂い、観客としては救われる思いでもある。あくまで映像作品として一つの締めくくりを目指したのだろう。どちらが正解かは、各人の好みによると思う。
声優の演技については、オスカル役の沢城みゆきが特筆ものだ。力強くも、ふとした瞬間に女性らしさを覗かせる声の艶やかさでありつつ、革新的な軍人としての凛とした姿勢が同時に感じられる。アンドレ役の豊永利行は落ち着いたトーンをベースに、アンドレの内面に秘めた激しい情熱がほとばしる瞬間がしっかり伝わる絶妙なバランスを持っていた。また、アントワネット役の平野綾は若かりし無垢な王妃から母としての深みへと変わる様を、声色だけでしっかり表現していたのはさすがである。フェルゼン役の加藤和樹は元々ミュージカル畑でも活躍しており、まさに歌って踊れるフェルゼンという印象だ。主題歌を担当する絢香の圧巻の声量は言うまでもなく、ラストシーンとの相乗効果でかなり胸に迫る。
ただ、声のイメージといえば、オスカルの父・ジャルジェ将軍が銀河万丈というところに感動しつつ「やっぱり渋カッコいい声だな」と敬意を表したい。どうしても原作や過去アニメのイメージが先行しがちな作品だが、新キャスト陣それぞれが“これぞ令和のベルばら”という独自のニュアンスを出そうと奮闘している姿勢が伝わるのが好印象だった。
作画面ではMAPPAらしい精緻な背景美術が素晴らしい。ヴェルサイユ宮殿のきらびやかな装飾や、庭園の奥行き、プチ・トリアノンの自然豊かな風景など、息を呑むレベルの描き込みが多々ある。歴史資料をしっかり調べ上げたのだろうと推測させる緻密さであり、特に光の表現が秀逸だ。午後の陽ざしの下でオスカルとジェローデルが言葉を交わすシーンなどは、まるで現地にトリップしたかのような空気感を覚えた。一方で、人物作画はやや控えめなときもあり「もっと作画パワーを人物にも注ぎ込んでくれ!」と思う場面もちらほらあったが、総じて及第点以上のクオリティをキープしているので大きな不満はない。
ストーリー面での突っ込みどころとしては、「原作のあのエピソードがごっそりないじゃないか!」という声も当然出ると思う。例えば黒い騎士やロザリー周辺の要素は大幅に削られ、フェルゼンにまつわる後日談的な部分もだいぶ端折り気味になっている。だが、映画という限られたフォーマットでフランス革命までを描き切るためには仕方ない判断といえる。原作ファンとしては「うむ、今回はこうまとめたか」と受け入れるしかない。しかし初見の方も、これで物足りないと思ったなら、すかさず漫画を手に取ってほしい。「ベルばら沼」にハマれば、さらに深くあの世界を堪能できるはずだ。
つまり本作は「原作が好きで、あのシーンがどう映像化されるか気になる人」「ミュージカルっぽい演出が好きな人」「宝塚版もかなり観てきたけれど、新しいベルばらを観たい人」には、かなり楽しめる出来だと思う。一方で、むしろ古典的な少女漫画表現や、都合のいい“恋愛至上主義”な流れが苦手な方にとっては「やはり時代を感じる」と思うかもしれない。いずれにせよ“愛と革命”という原作の核が色あせることなく伝わってくる点において、本作の作り手の熱意とこだわりは見事である。
筆者の激辛視点から言えば、思い切りくさす部分がもっと多いかと期待していたが、実際は「まあ…これはこれでアリか」と思わせる仕上がりだった。それこそがベルばらの懐の深さなのかもしれない。もう何度も映像化されてきた名作を、ミュージカル要素を絡めてあえて映画という形にまとめ上げた企画力と演出力に拍手を送りたい。
映画「ベルサイユのばら」はこんな人にオススメ!
映画「ベルサイユのばら」は、まず“何を求めるか”によって楽しみ方が変わる作品である。貴族社会のドロドロしたお家事情が好きな人もいれば、オスカルとアンドレの禁断のラブロマンスに浸りたい人もいるだろう。あるいは「宝塚版が好きで台詞を脳内再生しながら楽しみたい」「いやいや、原作漫画のギュッと詰まった名シーン総ざらいを味わいたい」という方も多いはずだ。そんな多種多様な視聴動機に応えるだけの懐の深さこそ、ベルばら最大の魅力といえる。
特にオスカルのような“男として育てられた女性キャラ”が好きな人や、ジェンダーの垣根を軽々と超える破天荒キャラに胸を熱くする人にはたまらない作品である。しかも本作の映画版は、オスカルの内面を歌とビジュアルでダイナミックに表現しているため、一層カタルシスを味わいやすい。フェルゼンとオスカル、そしてアンドレの三角関係はやや駆け足ながらも綺麗にまとまっており、恋愛ドラマ好きにもオススメだ。
また「歴史モノは苦手」という方こそ、この映画が良い入門編になると思う。歴史の授業で名前だけ知っているフランス革命が、メロドラマと音楽の力で一気に身近に感じられるのだ。普段は硬い史劇に尻込みしがちな人も、キャッチーな絵とミュージカル仕立ての演出でスッと世界観に入り込めるだろう。
一方で宝塚やクラシカルなアニメ版など、ベルばらに長年触れてきた“通”の人には「映画独自の補完部分やオリジナル演出をどう受け止めるか」が楽しみのポイントとなるはず。「ああ、そこはこうまとめたか」という発見と同時に、演出家の狙いに対するツッコミなど、思い思いに語り合える余地が残っている。そういった“観た人同士のアフタートーク”を楽しめるのも、本作の醍醐味ではないだろうか。とにかく“ベルばら”というブランドに少しでも興味を惹かれたら、まずはこの映画を観てみることをオススメしたい。きっと、華麗なる革命の舞台があなたを待っている。
まとめ
映画「ベルサイユのばら」は、50年以上もの時を経てなお色あせない原作の魅力と、令和的な演出のコラボレーションを存分に楽しめる一作である。約2時間という制約上、あの壮大な人間模様を全て描き切るのは不可能に思えるが、監督・吉村愛のミュージカル的アプローチや脚本・金春智子の大胆な取捨選択によって、しっかり“ベルばら”らしさを保ちつつ新鮮な息吹を吹き込んでいるのが印象的だ。
もちろん原作を熟知するファンにとっては「え、あの場面がない!?」「あのキャラの見せ場は!?」とモヤモヤする部分もあるだろう。だが、それさえ含めて受け止める度量を持ってこそ“ベルばらファン”なのではないかと思う。また、今回の映画から初めてベルばらに触れる人も、オスカルやアンドレ、マリー・アントワネットに魅せられて「こんな大河ドラマ、知らなかった!」と新たな世界が開けるかもしれない。
なんにせよ、観る者の胸を熱くさせる“愛と革命”の物語は今も健在である。華麗な衣装にうっとりしながら、思い切り革命の嵐に巻き込まれてほしい。