映画「ショウタイムセブン」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!
いやはや、タイトルに“ショウ”が付くからといって、のんきにポップコーン片手に楽しむだけの娯楽作品かと思ったら大間違いである。阿部寛演じる元国民的キャスターが、爆弾犯との交渉をスタジオから生中継で行うなんて、いくらフィクションとはいえ心臓に悪い。しかも、そのやりとりがほぼリアルタイム進行で描かれるものだから、一瞬たりとも気が抜けない。
視聴率のためなら多少のリスクも厭わないプロデューサーや、過去の闇を抱えた主人公が、まさに放送事故寸前のスリルをどこまで踏み込んでしまうのか。途中まではシリアスさ全開かと思えば、意外にもブラックジョークを散りばめてくるから、見ているこちらの緊張感も変なふうに増幅される。序盤の謎が終盤にどう収束するのか、そして結末は観客の予想を裏切るのか。手に汗握る展開にワクワクしつつも、最後にはどこか複雑な気持ちも残る。
本作はただのサスペンス映画にとどまらず、私たちが普段無意識に眺めているニュース番組や視聴率至上主義のテレビ業界、さらには“それを楽しんでしまう”視聴者側の姿勢までも皮肉る。一度見始めたら、まるで爆弾のスイッチを握られたように目が離せなくなるのは間違いない。
映画「ショウタイムセブン」の個人的評価
評価: ★★★☆☆
映画「ショウタイムセブン」の感想・レビュー(ネタバレあり)
本作「ショウタイムセブン」は、元々2013年製作の韓国映画『テロ,ライブ』を原作としているそうだが、日本版では一筋縄ではいかないアレンジが施されている。もちろん、“元人気キャスターが爆弾犯との交渉を生放送で行う”という骨格はそのままだが、舞台設定や終盤の展開などに日本独自の風刺やメディア批判がうまくブレンドされ、まさに“今”の日本を照らす鏡のような作品に仕上がっていると感じた。ここからはネタバレを含めて、私なりに思うところをあれこれ語っていく。
まず本作で印象的なのは、主人公・折本眞之輔(阿部寛)が絶妙にダメ男である点だろう。かつては国民的ニュース番組「ショウタイム7」のメインキャスターとして視聴者の圧倒的支持を集めていたのに、今やラジオ局に“左遷”され、しかも番組のテーマは「あなたは猫派? 犬派?」といった呑気な雑談レベル。耳にイヤホンを装着しながら、やる気のない声で喋る姿は、その栄光からの転落っぷりを見事に体現している。ただ、この男がいざカメラの前に立ち、プロデューサーや政治家に牙を剥くときの迫力たるや、さすが阿部寛と唸らされる。普段の渋さと、本番でのギラギラした目つきとの落差が妙にリアルで、“あ、この人、本当にかつてはメディアを掌握していたのかも”と思わせる説得力がある。
そんな折本のもとに、ある日一本の電話が入る。自分の番組に届くリスナーからの電話かと思いきや、その正体は謎の爆弾犯。最初は冗談かと鼻で笑い飛ばしていた折本だが、犯人が告げる予告通りに火力発電所が爆破され、スタジオも騒然となる。ここで犯人は、交渉相手として“折本眞之輔”を名指ししてきたのだ。普通なら「なんで自分が…?」と警察に投げるのが自然だが、折本の野心家ぶりはここで火を噴く。爆弾犯との独占交渉を生放送すれば、自分が降板させられた「ショウタイム7」のメインキャスターに返り咲けるかもしれない。視聴率もうなぎ上り。ある意味、危険な賭けでもあり最高のチャンスでもある。こうして彼は自らテレビ局に乗り込んで、番組を牛耳る行動に出るのである。
番組プロデューサー・東海林(吉田鋼太郎)は、視聴率のためなら多少の危険を顧みないタイプ。折本が勝手にスタジオをジャックしても、結果が出るなら黙認する姿勢で、現役キャスターの安積(竜星涼)や新人アナウンサーの結城(生見愛瑠)らはまさに翻弄される形だ。この三人の役どころがまた面白い。安積は一見爽やかで真面目そうなのに、折本に対して強い対抗心を持っているし、結城は新人ゆえの初々しさを装いつつも、どこかずれた発言でスタジオを混乱させる。若手世代とベテランの激突構図は、現実のテレビ界を想像させてちょっと苦笑してしまうが、そこがまた本作の醍醐味でもある。
そして、犯人との交渉が始まると作品は一気にサスペンス色を強めていく。犯人は単に「爆破してやるぞ」と脅すだけでなく、政府や電力会社への恨み、そして折本自身の過去の闇を暴こうとする。中盤までの展開は、犯人の正体や目的が小出しにされ、観客としても「ここからどう転がるのか?」とずっとハラハラしっぱなしだ。さらに警察や政治家、電力会社の社長など、あらゆる人物が動員されることで現場はカオスに陥る。しかし一方で、視聴率は爆上がり。放送を見る国民は、大事故の危機や人質の存在を知っていながら、まるでショーを見るかのごとくテレビに釘付けになる。
本作が浮き彫りにするテーマは、まさに「メディアの暴力性」と「それを消費する視聴者の姿勢」だろう。爆発に怯えつつも、一部のスタッフは「視聴率がヤバいほど伸びてる!」とテンションが上がるし、折本自身も「これで俺の華々しい復活ができる」と心のどこかで楽しんでいるフシがある。人命や社会的混乱という深刻な状況下でも、彼らの頭には“視聴率”や“自己保身”という欲望が入り込んでいるのだ。これ、現実のワイドショーでも起こりうることではないだろうか。大事故や事件は、無数の人の命や生活に関わる重大事である一方、視聴者にとっては一種のエンターテインメントとして消費されてしまう。本作はその皮肉をとことん突きつけてくるから、見ていて背筋が寒くなるのである。
物語が進むにつれ、犯人の正体や折本が過去に隠していた秘密、さらには電力会社と政府の癒着といった闇が次々と明るみに出る。折本は決して一方的な被害者ではなく、自分の出世のために真実を握りつぶした過去があり、それによって誰かの人生が大きく狂わされたのだ。“報道の正義”に反した行為をキャスター自らが働いていたなんて、もう最悪である。しかし、それと同時に“真実を報じなければ追い出される”というテレビ業界の闇にも触れられている。スポンサーや政治家の圧力、局の上層部の意向など、“報道”の名を冠しながら、その実どれだけ忖度や大人の事情が詰まっているのか。どこかで聞いたような話だが、それは本作がフィクションと現実とのギリギリの境界線を攻めている証拠でもある。
終盤にかけては、犯人の本当の目的が明かされ、折本との直接対決のシーンが最大の山場になるのだが、ここがじつに“ぞくっと”する展開だ。犯人は社会への復讐だけでなく、実は折本に全てを暴露させることこそ狙いだったわけで、さらに折本がそれをどこか快感として受け入れているフシが見え隠れする。「自分の罪を白日の下に晒すことで、視聴率が跳ねるならそれもショウとしてアリなんじゃないか」という倒錯した境地に達しているようにも見えるから恐ろしい。観ているこちらも「まさか、そこまでいっちゃうの?」とヒヤヒヤするほかない。
ラストの展開は、一度観ただけでは解釈が分かれるような描き方になっている。折本が最後に爆弾スイッチを押したのかどうか、そしてスタジオや犯人、周辺人物の運命はどうなったのか。さらには突如挟まれる海外テロのニュース速報が、その瞬間にあらゆる国内の出来事を塗りつぶすという皮肉な現実。結局、人間は“新しい刺激”や“大きな事件”へ目を向けてしまうのだ。ある番組でどれだけ大惨事が起きようと、翌日にはまったく別のニュースやバラエティ番組に視線を奪われる。そこにメディアの危うさ、そしてそれを欲望し享受する大衆の本音が透けて見える。まさに“ショウタイム”は続いていく、というメッセージを突きつけられたようで、見終わった後に何とも言えない苦味が残る。
ただし、個人的には結末に若干モヤっとした部分も否めない。序盤から積み上げられたサスペンスとミステリー要素がかなり盛り上がっただけに、最後はもっとカタルシスのあるまとめ方を見せてほしかった気もする。折本のイカれっぷりがインパクト強すぎて、犯人との緊迫したやり取りの果てに行き着く先が少しあっけなく映る向きもあるだろう。ただし、このモヤモヤこそが本作の狙いなのかもしれない。“結局、エンタメとして楽しんでいただろう?”と観客を突き放すようなラストには、製作陣の批評意識が感じられる。観終わって「なんかスッキリしない…でも観ちゃったんだよな…」という感情こそ、本作のテーマを体で受け止めた証拠でもある。
演者たちの迫真の演技も高く評価したい。阿部寛の重厚感は言わずもがな、吉田鋼太郎の怪演が光り、竜星涼や生見愛瑠の若手コンビも“イマドキのテレビ局”を象徴するような雰囲気をよく出している。井川遥が演じるジャーナリスト役も絶妙な存在感を放つし、全体的に豪華キャストを生かした熱演が勢揃い。テレビとネット、そして政治と企業が複雑に絡み合う日本社会の縮図を、これ以上ない濃度で見せつけられるような感覚がある。
「ショウタイムセブン」は、リアルタイムサスペンスとして十分スリリングかつエッジの効いた社会風刺映画であると言える。ラストの「視聴者よ、あなたはどちらを選ぶ?」的な問いかけは、テレビの前で傍観するだけの私たちへの挑戦にも等しい。観終わってからしばらく考え込んでしまう映画が好きな人には、まさにもってこいだろう。逆に“スッキリ解決”や“勧善懲悪”を期待する向きには、少々刺激が強いかもしれない。
しかし、想像以上にブラックユーモアが散りばめられており、ピリピリした空気の中にも時折クスッと笑える瞬間があるのが不思議と魅力的だ。怖いもの見たさで覗き見たら、いつの間にか自分もその“ショウ”にハマっている——そんな恐ろしさと面白さが同居する稀有な作品である。
映画「ショウタイムセブン」はこんな人にオススメ!
まず、社会派のサスペンスが好きな人にとっては必見である。爆発やテロといったエクストリームな設定の裏で、メディア批判や視聴者の心理、さらには企業と政府の癒着などが赤裸々に描かれている。そもそもワイドショーという舞台は、現実でも視聴率至上主義や報道倫理のギリギリを攻めるシーンが多いだけに、本作を通じて「もし本当にこんな事件が起きたら、自分はどこまでそれを“楽しんで”しまうのだろう?」と考えさせられるだろう。
加えて、キャストの化学反応を堪能したい人にもおすすめだ。阿部寛×吉田鋼太郎という“おじさん最強タッグ”に加え、竜星涼や生見愛瑠といった若手の組み合わせが意外にも刺激的。しかもみんな役柄が濃厚だから、各キャラのぶつかり合いを見るだけでも十分お腹いっぱいになる。ドラマ性も高く、各人物が抱える葛藤や裏事情が小出しで判明していく展開は、2時間があっという間に過ぎるほどの緊迫感をもたらす。
一方で、ストレス発散としてのカタルシスを期待する人にはやや注意が必要だ。どちらかというと、終盤まで視聴者を引っ張っておきながら、最後に「あなたたちはこの結末をどう受け止める?」と突き放すようなスタイルである。そこが魅力でもあるのだが、“悪をやっつけてスッキリ大団円!”を求める向きには少し合わないかもしれない。
それでも、現代社会におけるメディアの在り方や、事件を消費する私たち視聴者の姿勢を考察したい人には強く推したい。エンタメの形をとりながらも、しっかりと批判精神や問題提起が込められているからだ。何気なく見ているニュース番組やSNSの情報も、実は裏にどんな駆け引きがあるのか分からない。そんな“不気味さ”をエンターテインメントとして味わいたい人こそ、本作「ショウタイムセブン」は外せない。映画を見終わった後、きっとあなたはテレビのリモコンを握る手が少し重く感じるだろう。
まとめ
「ショウタイムセブン」は、一見サスペンスの枠に収まりきらない作品だ。元人気キャスターが爆弾犯と生放送で丁々発止やり合うという設定だけでも派手だが、それを通して浮かび上がるのは、政治や企業、そしてメディアが複雑に癒着した社会構造の闇である。
さらに、その闇を結果的に“ショー”として消費してしまう私たち視聴者の姿勢も、強烈に揶揄されている。最後の最後まで続く緊張感と、予想を裏切る結末には、もやもやとした感情を抱くかもしれないが、それこそが作品の狙いだろう。
視聴率や注目度のために、どこまで現実の事件をエンタメ化してしまうのか。そもそもメディアが報じる“真実”とは何なのか。そして、それを「面白い」と見つめているのは誰なのか。観終わって考え込むほど、本作の作り手からのメッセージがズシリと刺さる。
ちょっとブラックな笑いを交えつつ、胸ぐらを掴まれるような緊張感を味わえるのが「ショウタイムセブン」の醍醐味である。