映画「BADBOYS -THE MOVIE-」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!
まず前置きとして、本作は田中宏の不良漫画を基にした最新の実写版で、2025年5月30日に劇場公開された作品だ。監督は西川達郎、配給は東映。主演は豆原一成(JO1)と池﨑理人(INI)。ランタイムは106分で、主題歌はJO1の「Be brave!」。この事実関係を押さえたうえで話を進める。
物語の軸は、裕福な家庭の一人息子・桐木司が家を飛び出し、伝説に憧れて“族の戦国時代”へと踏み込んでいく成長譚だ。彼は最大勢力「陴威窠斗(BEAST)」に入ろうとして門前払いを食い、偶然出会った仲間と「極楽蝶」に合流、広島の「廣島 Night’s」との抗争に巻き込まれていく。要は“テッペン”を目指すための長い助走と初手のつまずきの連続で、汗と油と排気音が画面にうっすら滲むタイプの青春である。
先に結論を言えば、BADBOYS -THE MOVIE-は熱量の出し方にムラがあり、出来としては波だらけだ。ただ、路上でのカット割りや夜景の光量調整は丁寧で、ドライな画の質感は悪くない。群像パートでは“立ち位置の整理”がやや粗いのに、終盤の対立図はちゃんと見えてくる――このアンバランスが、結果として“惜しい”に落ち着くわけだ。
それでも、広島を走る単車の列が橋を渡るショットには、かつての劇場版やドラマ版から連なる“血筋”の高揚が確かに宿る。BADBOYS -THE MOVIE-は、過去の映像化の記憶を呼び起こしつつ、現行アイドル俳優の身体性で“今”を刻もうとする試みだ。その意気込みは買うし、要所の火力はちゃんと伝わる。
映画「BADBOYS -THE MOVIE-」の個人的評価
評価: ★★☆☆☆
映画「BADBOYS -THE MOVIE-」の感想・レビュー(ネタバレあり)
桐木司(豆原一成)の出発点がいい。親の庇護を振り切って、伝説の背中に勝手に憧れ、勢いで飛び出す。BADBOYS -THE MOVIE-は、この“青さ”を隠さない。最初の“門前払い”でガツンとへし折られるあたり、物語の方向性がはっきり決まる。つまりこれは、強くなる物語というより、挫折の扱いを学ぶ物語だ。
そこに池﨑理人が演じるキーマンが絡む。彼の佇まいは、いわゆる“仕切る側”の空気を背負いながら、どこか余白を残す。BADBOYS -THE MOVIE-の画面が一気に締まるのは、彼が視線だけで場を止める瞬間で、ここは確かに見どころである。
チーム「極楽蝶」に潜り込む流れは、心情の接続がもう半拍ほしかった。司が“なぜここでこの選択に振れるのか”が説明トーンに寄りがちで、観客が“自分で掴む”感覚が弱い。BADBOYS -THE MOVIE-は因果の線を真っ直ぐ引くことに熱心で、結果として人物の温度が均一化してしまう。
ただし、ナイトシーンの路面描写は秀逸だ。濡れたアスファルトに街灯が伸びて、排気音が画の奥に引き込まれていく。ここに限っては、BADBOYS -THE MOVIE-の撮り方は“街の呼吸”を掴んでいる。もう少しこの呼吸をドラマ側に流し込めたら、随分景色が変わったはずだ。
抗争の起点となる誤解や挑発の連鎖は、ジャンルのお約束通りで新しさは薄い。しかし、衝突の“段取り”の見せ方に、たまに気の利いた工夫が刺さる。例えば、顔を合わせる前の視線のすれ違いで温度を上げ、真正面からぶつかる直前に一瞬の静止を置く。BADBOYS -THE MOVIE-は、そこで必要最低限の台詞しか置かない。こういう控えめさは美点だ。
アクションは当たり外れがある。近接でのカット割りが細かすぎて、打撃の流れが千切れる場面が散見される一方、ロングで追う乱闘は呼吸が合っている。特に橋上での押し合いのショットは、画の圧が気持ちいい。BADBOYS -THE MOVIE-が“引き”で勝負できる時は、ちゃんと画が強い。
役者の身体の説得力は、世代交代の現在地を映す。豆原一成は“若さの暴走”を背負い、転び方が上手い。立ち上がって前をにらむまでの“間”に、司の浅さと真っ直ぐさが同居する。池﨑理人は“背中で語る側”へ寄せると肝が据わる。BADBOYS -THE MOVIE-が俳優ふたりの体温に最も寄り添うのは、言葉を減らした場面である。
一方で、サブキャラの輪郭が薄い。陽二、寿雄、エイジ、それぞれの傷や矜持が台詞で提示される一方、日常の所作や短いジョークで刻む余白が足りない。BADBOYS -THE MOVIE-は“関係の微妙な温度差”を映すより、“次の展開へ押し出す”ことを優先している。ここが厚み不足の主因だ。
音楽の使い方は直球で、主題の昂りと画のハイライトが少し被りすぎる。曲の持つ疾走感を信じるなら、画はもう半歩引いても良かった。BADBOYS -THE MOVIE-のトーンは終始“前のめり”で、ラストに向けての加速が単調な直線になってしまう。
それでも、終盤の選択は悪くない。司が“今の自分の器量”を悟り、仲間の背中に手を伸ばす瞬間、画面に小さな静けさが降りる。BADBOYS -THE MOVIE-はここで初めて、勝ち負けの先に“居場所”という言葉を置く。勝負に勝つことではなく、一緒に立つことを選ぶ。ここがいちばん好きだ。
対立勢力「廣島 Night’s」の強度は、見せ場によって凸凹がある。圧の作り方は踏ん張っているが、トップの悪辣さに品を混ぜるアクセントが弱い。結果、BADBOYS -THE MOVIE-の悪役は“記号”の域を出ない。悪に品がないと、主人公側の成長も映えにくいのだ。
画作りに関しては、昼と夜でクオリティが離れる。昼の路上は空がフラットで、奥行きが浅く見える。夜の方が格段に良いのは、照明設計の勝利である。BADBOYS -THE MOVIE-は夜に生まれ、夜で生きる映画だ。ここをもっと徹底しても良かった。
脚本の運びは、事件→対処→次の事件という直列回路で、並列の“心の火種”が少ない。例えば、司が家族と再会する短いシーンがあれば、帰れない道を選んだ重さがもう少し効く。BADBOYS -THE MOVIE-は“走り続ける”ことに自らを縛ってしまい、止まる勇気を持てなかった印象だ。
編集はテンポ重視。だが、重要ショットを引っ張れない時がある。拳を握った手、背中に回った手、膝の泥――それらをもう半秒だけ見せるだけで、熱の質が変わる。BADBOYS -THE MOVIE-の“もったいなさ”は、まさにその半秒の不足だ。
総じて、未熟と熱意が同居する作品である。BADBOYS -THE MOVIE-は、粗さを抱えつつも“勢いで踏み抜く”場面が確かにある。荒削りな若い役者の輝き、夜の路面の湿度、橋の上で揺れる息。ここに反応できるかどうかが、評価の分かれ目になるだろう。
そして最後に一言。過去の映像化の記憶を背に、現役のポップアイコンが肩で風を切る――この試み自体は大歓迎だ。BADBOYS -THE MOVIE-は、次の一歩で化ける土台を持っている。だからこそ、続編があるなら“止まる勇気”と“半秒の粘り”を手に入れてほしい。そうすれば、路地裏の闇がもう一段深くなる。
映画「BADBOYS -THE MOVIE-」はこんな人にオススメ!
若手キャストの身体性を“今の温度”で味わいたい人向けだ。BADBOYS -THE MOVIE-は、完成度の凹凸よりも、立ち上がりの瞬間に宿る熱に価値がある。アイドル出身の二人が、台詞より先に呼吸で場を持たせる場面に反応できる人なら、刺さる。
深夜の路上の湿度が好きな人にも向く。濡れた路面、橋の欄干、遠くの交差点で赤が滲む――BADBOYS -THE MOVIE-は夜の画に表情が出る。都会の煌めきとは違う“郊外の暗さ”に惹かれるタイプには心地よいはずだ。
不良映画の“儀式”を愛している人にもどうぞ。挨拶の角度、拳を握り直す癖、バイクにまたがるまでの段取り――BADBOYS -THE MOVIE-はそこを外さない。王道の手触りを再確認したい人なら、ニヤリとできる。
一方で、濃密な群像劇や緻密な心理劇を求める人には積極的には勧めない。BADBOYS -THE MOVIE-は、関係の編み込みより前進力を優先するため、人物の陰影が浅く見える場面がある。ここは好みが分かれる。
最後に、過去の“BADBOYS”を見てきた世代が“今の世代”の顔で同じ伝説を見直したい時、BADBOYS -THE MOVIE-は悪くない選択だ。粗さ込みで受け止める余裕があるなら、路上の風はちゃんと頬に当たる。
まとめ
良いところははっきりしている。若い身体の勢い、夜景の湿度、引きの画で立ち上がるショット。そこではBADBOYS -THE MOVIE-が確かに呼吸している。
弱点も明快だ。人物の厚みの不足、直線的な脚本、カット割りの細切れ。半秒の粘りがあれば、熱の質は変わったはずだ。
それでも、挫折の扱いを学ぶ物語としての手応えはある。司が選ぶ“居場所”の重さは、真っ直ぐで気持ちがいい。BADBOYS -THE MOVIE-は未熟と熱意の同居だ。
結論、個人的評価は二つ星。ただし“次は化けるかもしれない”という期待を残す作品だ。橋の上に吹く風は、まだ背中を押している。