映画「ババンババンバンバンパイア」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!
深夜の街を駆け抜ける鼓動みたいな題名にまず笑ってしまったが、中身はただの悪ノリではない。吸血鬼譚の古い定番を一度バラし、現代の孤独と承認欲求を噛み直してみせる、妙に胸に残る快作である。
物語は、夜勤配達員の青年が偶然噛まれて“半端な”吸血鬼になるところから始まる。太陽光は弱点だが日傘で耐えられるし、ニンニクは嫌だが食べられなくもない。その中途半端さが主人公の人生観と重なり、笑いと痛みが同居する。
演出は軽妙、だが芯は硬い。テンポは小気味よく、ギャグを投げた次のカットで急に心臓を握る。カメラは近く、夜の路地の湿度と蛍光灯の青さをしっかり拾う。音も良い。鼓動、雨、電車のブレーキ音が同じ拍で鳴る仕掛けが気持ちいい。
総じて、タイトルのバカさ加減を入り口に、愛と食欲と承認の「噛み方」を問う映画だ。軽い気分で観に行ったら、帰り道に自分の“渇き”と向き合わされる。そんな一作である。
映画「ババンババンバンバンパイア」の個人的評価
評価: ★★★★☆
映画「ババンババンバンバンパイア」の感想・レビュー(ネタバレあり)
主人公は夜勤配達員の慎。映画「ババンババンバンバンパイア」は、彼が路地裏で謎の女に軽く噛まれたところからダッシュで始まる。致命傷ではないのに、体質が微妙に変わる。日中は少しフラつく、コーヒーがやたら苦い、鏡に映る自分の目が時々ピントを外す。どれも「ちょっとだけ不便」。この“ちょっとだけ”が物語全体の設計思想だ。
吸血衝動も“ちょっとだけ”。慎は人を襲うほどではないが、深夜のコンビニでパックの豚レバーを手に取ってしまう自分に引く。映画「ババンババンバンバンパイア」は、恐怖を日常の照明の下に置き、笑っていいのか悩む距離感で見せる。ここがまず巧い。
転機は、配達先の廃ビルで出会う地下コミュニティだ。そこには「完全な」吸血鬼たちがルールを作って暮らしている。彼らは“人を噛まない”と決め、献血センターから廃棄される血液を合法的に回してもらう仕組みを作っている。映画「ババンババンバンバンパイア」は、吸血鬼社会を滑稽に見せつつ、弱者の自治やサバイブの知恵を真面目に描く。
彼らのリーダー・綺羅(きら)は古参の吸血鬼で、慎の“半端さ”を歓迎する。「境界にいる者は、世界の両側を見渡せる」。この台詞が、本作のテーマを軽やかに射抜く。映画「ババンババンバンバンパイア」は、完全であることへの執着を手放し、グラデーションの豊かさを擁護する物語だ。
敵役は「純血」を掲げる過激派の吸血鬼集団。彼らは夜を聖域にしようとし、半端者を“濁り”として排除しようとする。つまり、物語はコミュニティの内戦である。映画「ババンババンバンバンパイア」は、異形の争いを借りて、人間社会に普遍な分断を鏡にかける。
中盤のベストシーンは、廃ビルの屋上での“夜明け訓練”。日傘、UVパーカー、サングラス、反射材の装備で東の空に挑む一団。朝焼けが強くなるほど、彼らの足取りは遅くなる。だがそこで慎だけが「もう一歩」進める。映画「ババンババンバンバンパイア」は、弱さを補助輪で乗り越える所作を称える。無理はしない、でも諦めもしない。
恋愛線も良い。慎は献血ルームの看護師・日菜と出会い、正体を明かすかどうかで揺れる。正体を語れば受け入れられるかもしれないが、語らなければ守れる日常もある。その逡巡が生活の手触りで積まれていく。映画「ババンババンバンバンパイア」は、“秘密の扱い方”を雑にしない。
クラブシーンの使い方も気が利いている。鼓動のビートで踊る人間たちの中に、鼓動がややズレた慎が混じる。ライトが当たるたびに影が薄くなり、当たらないと濃くなる。彼の存在がリズムと光で語られる。映画「ババンババンバンバンパイア」は、説明を減らし、身体感覚で伝える場面設計が冴えている。
一方で、過激派のリーダー・朱鷺(とき)の造形は単色ではない。彼もまたかつて人間を愛し、失い、夜に籠った者だ。彼の演説は怖いが理がある。「完全であることは孤独を減らす」と信じている。その誤認が暴力に転ぶ。映画「ババンババンバンバンパイア」は、悪を“論理の暴走”として描く。
クライマックスは、地下コミュニティの襲撃。非常灯の赤が断続的に点滅し、鼓動とシンクロした編集で戦闘が刻まれる。慎は噛まずに戦う方法を選ぶ。反射光で敵の視界を奪い、点滅のリズムで相手の動きを遅らせる。映画「ババンババンバンバンパイア」は、暴力の中でさえ“選び方”を問う。
決着は、朱鷺が朝日を前にして自爆的に飛び込もうとするのを、慎が日傘で止める場面だ。「完全でなくていい」。その一言に、彼が歩んだ半端の肯定が宿る。映画「ババンババンバンバンパイア」は、救いを大上段から振り下ろさない。傘一本で差し出す。
余韻の付け方が上手い。慎は日菜に全てを話し、「じゃあ一緒に夜型で行こう」と笑われる。二人は献血ボランティアの啓発動画を作ることになる。映画「ババンババンバンバンパイア」は、社会との接続をおどけながら回復する。説教臭くならないのは、日常の小道具の運びが軽やかだからだ。
技術面では、夜景の粒立てが見事。濡れた路面の反射、駅のホームの蛍光の揺れ、コンビニ冷蔵ケースの白い息。色温度の設計が物語の転調と呼応する。映画「ババンババンバンバンパイア」は、視覚をリズムに従属させるタイプの絵作りで、音との同期が心地よい。
音楽は鼓動を模した反復が軸。ときに3拍子に崩れ、慎の不安定を映す。過激派の登場時には意図的に無音にして、物音だけを強調。対立の硬さが耳から入る。映画「ババンババンバンバンパイア」は、サウンドデザインで“夜の密度”を高める。
弱点もある。サブキャラの背景がやや薄く、地下コミュニティの一部は記号的に流れる。とはいえ、物語の中心である“半端の肯定”はブレず、ラストの傘の一撃で全部つながる。映画「ババンババンバンバンパイア」は、テーマの回収がとても気持ちいい。
最後に題名について。ふざけているようでいて、「ババンバ」は鼓動、「バンパイア」は異物の自己規定。つまり“ズレた鼓動で生きる者”の宣言だ。映画「ババンババンバンバンパイア」は、笑わせつつ、胸のど真ん中に手を置いてくる。こういうバランス感覚、好きである。
映画「ババンババンバンバンパイア」はこんな人にオススメ!
まず、完全主義でしんどくなっている人。映画「ババンババンバンバンパイア」は“半端でも前に進める”という体温高めのメッセージを、押しつけずに届けてくれる。肩の力が抜ける。
次に、夜型生活者。仕事や趣味で夜を歩く人に、この映画の湿度とネオンは刺さる。映画「ババンババンバンバンパイア」の夜景は、疲れた目に優しい陰影でできている。
三つ目は、吸血鬼ものの定番を見尽くした通好み。宗教アイコンや銀の弾丸の扱いに新機軸があるし、コミュニティの自治という社会的な角度も楽しい。
四つ目は、恋愛劇の“秘密”が好きな人。告白のタイミング、黙って守る選択、二人で世界にルールをつくる喜びが丁寧に描かれる。映画「ババンババンバンバンパイア」は甘さとしょっぱさの配合が絶妙だ。
最後に、音とリズムに敏感な観客。鼓動と編集の同期が気持ちよく、劇伴の控えめな高鳴りが耳に残る。ヘッドホンで反芻する楽しみがある。
まとめ
軽いノリで始まって、終わるころには胸の真ん中を温めている。映画「ババンババンバンバンパイア」は、半端と共存するための優しい戦い方を教えてくれる一作だ。
演出は軽快、画と音の同期が妙。恋と共同体のドラマは小ぶりだが粒が立つ。サブキャラの薄さは課題だが、テーマ回収の気持ちよさが上回る。
“完全じゃなくていい”という当たり前を、こんな楽しい角度で言い切ったのが収穫。傘一本で世界を少し歩きやすくする物語である。
結論、観る価値あり。夜に効く一本として、ふと思い出したときにまた噛みたくなる味だ。