映画「Starting Over」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!
古びた木造アパートの一室に流れ着いたフリーター・太田茂樹(勇翔)。そこへ前の住人・小菅陽二が“地縛霊”として現れ、敷金・礼金をめぐる攻防と“未練”の成仏がごちゃ混ぜになる──このワンシチュエーションの仕掛けは作品の骨格であり、監督は森川圭だ。設定はシンプルだが、人と幽霊が互いの“やり残し”を清算しようともがく物語として立ち上がる。公開は愛知先行(2023年11月17日〜)ののち東京(12月15日〜)と続いた。
「Starting Over」は、極小空間での会話の出入りと“見えないものを見せる”演出が推進力だ。勇翔が演じる茂樹の焦り、不動産屋の鈍感さ、そして小菅の未練が、部屋の引き戸と玄関という限られた導線で交差していく。登場人物の関係は、前に進みたい者と過去に縛られた者の綱引きで、そこに元カノ・艶子(山下リオ)の影が差す。
舞台劇的な“間”を映画に移植するときの難しさはテンポの揺れに出るが、本作は序盤の立ち上がりで勝ちを拾う。勇翔は振り上げた手を振り下ろしきれない男の“気の小ささ”を軽やかに担ぎ、柳川るいの小菅は皮肉と寂しさを同居させる。その軽妙さが物語の後半、復讐条件や過去の清算へとナチュラルにギアを入れる働きをしている。
とはいえ、“再出発”の題が示す通り、焦点は結局のところ人間の歩き直しだ。ミクロな部屋の中でマクロな人生が押し縮められ、笑いと未練と生活苦が一皿に盛られる。ここから先は遠慮なく踏み込む。あなたの再起と、幽霊の区切り、その二つが同時に成り立つのか――映画館の薄闇より少しだけ辛口で語っていく。
映画「Starting Over」の個人的評価
評価: ★★★☆☆
映画「Starting Over」の感想・レビュー(ネタバレあり)
まず「Starting Over」の核を一言で言えば、“玄関一本勝負”の人間劇だ。空間制約を盾にとり、台詞の応酬と小道具の出入りでメリハリを作る戦い方である。いい意味でセコい。つまり制作リソースの限界を語りの必然へと転化するやり口で、ここは潔い。引き戸がスパッと閉まり、沈黙が数拍置かれ、聞き耳を立てる足音がにゅっと伸びてくる。そのリズムだけで観客の前のめりをつくる。
勇翔の茂樹は、意地と弱腰が同居する“微妙な大人”だ。見栄も張る、でも度胸はない、しかし背に腹は代えられない。敷金・礼金の重さに胃がキリキリして、彼は幽霊の力を利用するという妙案にすがる。この“卑小な正直さ”が作品を支える。彼が大声を張り上げるのではなく、ため息まじりに言い訳を重ね、じわっと腹を括る流れが、「Starting Over」の体温を決めている。
小菅陽二という地縛霊は、いわゆる“お助け幽霊”の裏返しだ。成仏条件が面倒くさい。元カノ・艶子への復讐を要求するが、その中身は俗っぽく、どこか未練の匂いが濃い。つまり彼の条件は“愛の残骸の処理”であり、笑えるが刺さる。茂樹が「いや、それは違うだろ」と突っ込むたび、観客は二人のズレの奥に人間の矛盾を見てしまう。こういうズレの積み重ねが「Starting Over」の味である。
森川圭の演出は、台詞の速度と間の圧に敏感だ。視線の高さを合わせないまま投げ合う言葉、ドア越しの声の滲み、画外の気配の置き方。派手なカメラワークに頼らず、音とリズムで場を温め冷ます。とりわけ不動産屋が“絶対に見えないもの”に鈍感であり続けるシークエンスは、演出上の小さな実験場になっている。見えないからこそ、観客の脳内で像が勝手に輪郭を得る。
一方で弱点も明確だ。中盤、条件闘争が同じ地点を回ってしまい、ネタの変奏が薄まる時間帯がある。敷金・礼金ネタ、未練の検証、幽霊の存在証明――この三つを縦横に組み替える工夫は見えるが、もう半歩だけ“事態を別の地平に蹴り上げる”意外打が欲しかった。たとえば第三者の乱入や、物理的なトラブルの挿入など、空間の“安定”を崩すカードが切れたら、さらに勢いがついたはずだ。
「Starting Over」は笑いの温度を、感情の揺れに直結させている。小菅の皮肉は、茂樹のしょぼさを可視化し、やがて彼の“選ばないといけない瞬間”を引き寄せる。笑っているうちに、彼が何ひとつ“自分の言葉”で話していない事実が露わになるのだ。強がりの殻を剝ぐのは、大仰な演説ではなく、小さな謝罪や小さな告白。そこに本作の真面目さが宿る。
元カノ・艶子の配置も効いている。彼女は物語の内圧を上げる触媒だ。復讐という言葉が一人歩きしそうなところで、彼女の生活感や傷の履歴が、復讐の正当性を宙づりにする。茂樹も小菅も、自分勝手な筋書きに他人をはめ込みがちだが、艶子の具体が出るほど、その筋書きは壊れる。つまり「Starting Over」は、復讐“ごっこ”の嘘くささを、生活の湿度で洗い流す。
ここでタイトルの意味が腹に落ちる。再出発は、過去をゼロに戻すことではない。未練の所在を見つけ、その重さを背負ったまま別の道に足を出すことだ。茂樹はよくも悪くも“楽”を選びがちで、小菅は過去から目を逸らせない。二人の歩幅がずれたまま、同じ玄関で靴ひもを結び直す。この“ずれた同期”が、「Starting Over」のラストをしみじみさせる。
言い方は悪いが、本作は小さくてうまい。小道具の扱い、音の抜き差し、台詞の圧――どれもが“このサイズの映画”で最も効く場所に置かれている。たとえば、空室の冷えた空気を、夜の虫の鳴きと冷蔵庫の微振動で埋めるような手つき。そこへ人間のスケールの小ささ(しかし親密さ)を重ねる。映画館の椅子で思わず浅く座り直す、あの居心地の良い窮屈さがある。
勇翔について。彼はアイドル出身の看板を背負うが、「Starting Over」ではそれを武器にも盾にもしていない。むしろ“好感の出し入れ”を絶妙にコントロールし、場当たりの嘘と小さな誠意の振幅を可視化する。涙も怒号も少ないが、逃げた後に戻ってくる足取りの重さで感情を語る。この役は派手にやれば簡単に浮くが、彼はずっと床の軋みの上に立っている。
柳川るいの地縛霊は、よく喋るのにどこか疲れている。その疲労が笑いの後味を変える。彼の“やりたいことリスト”は、面白いが痛い。やり直したいのは生者だけじゃない、というフレーズが頭をよぎるたび、画面が少し冷える。彼が条件を突きつけるたび、こちらは「それ、ほんとにやりたいこと?」と問いたくなる。この問いが、物語の芯に火をつける。
構成面では、サイドの人物の使い方が控えめだ。だからこそ芯が締まる半面、世界の広がりが限定される。ここは好みが分かれる。自分は、もう一人、外から“現実の圧”を運んでくる存在(たとえば大家の家族や別の入居者)が入れば、物語の対流がさらに起きたのではないかと感じた。とはいえ、密室の均衡を崩しすぎると看板のワンシチュエーション性が揺らぐジレンマもある。
ラストについて触れる(ネタバレ注意)。小菅の未練が完全にゼロにはならないまま、茂樹は“背負って進む”選択をする。この“持ち越しの肯定”が正解だ。人は立ち直るとき、きれいさっぱりとはいかない。謝りきれなかった言葉、返せなかった礼、折り合いの悪い過去。それらは少し形を変え、同行者になる。タイトル通り「Starting Over」は、前に進むのと同時に、過去と一緒に歩くことを選ぶ。
総じて、好きな点は明快だ。サイズと企みが合っていること。勇翔と柳川るいの間合いがいいこと。部屋という“舞台”を映画的に見せる工夫があること。一方で、もう一段の意外打と中盤のテンポ調整があれば、一気に“記憶に残る一作”ラインまで跳ねた可能性がある。だから星3。物足りなさはあるが、誠実に作られた小粒の快作だ。
「Starting Over」は、予定外に長居してしまう映画だ。観終わってからふと、玄関に置きっぱなしの靴や、冷蔵庫の奥のゼリーや、返しそびれた合鍵のことを思い出してしまう。小さな生活の気配が、あなたの部屋の温度を一度だけ下げる。そこで息を吸い直す。“よし、やり直すか”。そんな独り言が、廊下にこぼれる。それで十分だと思える人にこそ、この映画は届く。
映画「Starting Over」はこんな人にオススメ!
ミニマルな設計の映画が好きな人。場所も登場人物も絞った“会話の間合い”と“音の気配”で幸福を感じるタイプには「Starting Over」が刺さる。舞台劇的な濃密さと映画的な抜けの折衷を楽しめるなら相性がいい。
アイドル出身俳優の“生身”を見たい人。勇翔の抑えた佇まいと、逃げ腰からの踏み直しを、過度な見せ場に頼らず描く。追い風の中で勝つのではなく、向かい風に肩を入れて一歩進む。その歩幅が「Starting Over」の見どころだ。
“やり直し”の物語に弱い人。過去を消すのではなく、持ち越すことで整える――この視点にうなずけるなら、終盤の静かな手触りに救われるはずだ。「Starting Over」は、綺麗なリセットを約束しないが、明日の足取りを軽くする。
邦画の軽やかな怪談テイストが好きな人。怖すぎないけれど生活感の湿り気はある、そんな味がちょうどいい。地縛霊の“面倒くささ”と可笑しさの同居は、日本の怪談文化を知っているほどツボに入る。
敷金・礼金で現実に打ちのめされた経験がある人。お金と未練、どちらも厄介だが、片方だけでは片づかない。それを汗ばむ手のひらサイズで描くのが「Starting Over」。部屋探しで疲れた週末に、温かい飲み物と一緒にどうぞ。
まとめ
「Starting Over」は、古いアパート一室という制約を物語の推進力に変えた小粒の快作だ。人と幽霊の“持ち越した感情”を部屋の温度で語り、笑っているうちに胸の奥が静かに締まる。
勇翔の手触りの良い存在感、柳川るいの疲れを帯びた軽口。二人の間に流れる“ずれた同期”が作品の体温を決める。サイズと企みが噛み合っているのが好印象である。
中盤のネタの反復と意外打の不足は惜しいが、終盤の“背負って進む”選択がしみじみ効く。リセットではなくリビルド。それを玄関先でやってのけるのが「Starting Over」だ。
まとめると星3。強く推す前に一呼吸置くタイプの“好き”。背中を押しすぎない優しさがあり、日曜の夕方に見て、月曜の朝に少しだけ救われる。そんな立ち位置の映画である。