映画「ゲド戦記」公式サイト

映画「ゲド戦記」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

スタジオジブリ作品というと、どうしても宮崎駿監督のイメージが強烈である。しかしながら、本作「ゲド戦記」は宮崎吾朗監督が初メガホンを取ったことで話題になった一作だ。原作はファンタジー小説の名作「地海(ゲド戦記)」シリーズであり、壮大な世界観や深遠なテーマが魅力――のはずなのだが、公開当時から賛否両論が渦巻いていたのも事実である。これだけビッグネームが集まったら、普通は何が何でも最高傑作に仕上がりそうなものだが、なぜか「よくわからない」「消化不良」などの声が少なくなかった。

そんな「ゲド戦記」に、今改めて向き合ったとき、果たしてどう映るのか。わざわざ昔の記憶をほじくり返すような気もしつつ、今回はあえて激辛の視点を忘れずに観賞してみた。結果、やはりツッコミどころ満載。だが、その中にも隠し味はある…のかもしれない。というわけで、ここからはネタバレを交えながら本作の見どころ(?)と難点を包み隠さず語っていこうと思う次第である。

映画「ゲド戦記」の個人的評価

評価:★★☆☆☆

映画「ゲド戦記」の感想・レビュー(ネタバレあり)

評価は星2つ。なんとも渋い数字ではあるが、ここではそんな辛口評価の理由を思う存分述べさせてもらうとしよう。正直なところ、本作「ゲド戦記」を初めて観たときは「ストーリーがよくわからない」という印象が強烈だった。ジブリ作品のファンタジーといえば、見た目の可愛らしさやワクワク感が前面にあって、観客を夢の世界へ誘う魔法がかかっていることが多い。ところが本作では、どうにも暗い雰囲気や説明不足感が漂い、観る側が「あれ? これどこへ向かってるんだ?」と手探り状態になってしまうのだ。

物語は、いきなりアレン(王子)が父親である国王を刺し殺して逃走するところから始まる。最初からかなりショッキングな展開で、「これはただ事じゃない…!」と気合を入れて画面に向かうわけだが、その後のアレンの行動や心の変化がどうにも腑に落ちない。彼がなぜ父を殺したのか、その動機は何なのか、フラッシュバックで描かれる闇の正体はどこから来たのか…。もちろん、行間を読めばそれなりに解釈はできるのだけれど、映画として見たときにもう少し丁寧に描いてくれてもいいのではないかと思うわけだ。どうやら原作のエッセンスを詰め込みすぎたせいか、むしろ全体像がぼんやりしてしまったように感じる。

さらに、主人公という位置づけにあるはずのハイタカ(ゲド)の存在感がやや薄いのも気になる。原作「ゲド戦記」シリーズの主役といえばゲド(ハイタカ)で、彼の成長や魔法世界の冒険が物語の軸になっている。しかし本作では、なぜかアレンの葛藤に多くの焦点が当たっており、ハイタカは「世渡り上手だけど状況を静観しているおじさん」的ポジションにとどまっているように見える。いや、ハイタカもけっこう頑張ってはいるのだが、どうにも視聴者の期待値が高すぎるのか、「あれ、もっとゲドが活躍するんじゃないの?」と肩透かしを食らってしまう。せっかくの大魔法使いが、どこか控えめな印象なのだ。

それから、この作品のテーマとしてよく語られる「命の大切さ」や「生と死の問題」も、やはり表現がストレートすぎるように感じる。ジブリらしいメッセージ性の強さといえば聞こえは良いが、本作ではそのメッセージが単純にセリフで語られがちで、「説教くささ」が先行してしまう感が否めない。たとえば映画の後半で登場するテナーやクモとのやりとりには、もう少しファンタジー的な暗喩や映像表現があれば、メッセージが自然に伝わったのではと思う。子どもに見せるにはやや重々しく、大人にとっては物足りない不思議なバランスになってしまっているのがもどかしい。

とはいえ、本作にも魅力的な要素はある。たとえば背景美術や世界観のデザインは、さすがジブリという感じで、ファンタジーらしい壮大な風景や伝統的な家屋の雰囲気が絵として美しく描かれている。荒野を行くハイタカとアレンの旅路、朽ち果てた街並み、草原に広がる夕暮れ空など、ジブリ作品ならではのロマンを感じるシーンは多々ある。また、主題歌「時の歌」は耳に残る名曲で、作品の世界観にしっとりとした深みを加えている。このあたりは「いいじゃないか!」と思わせる部分であり、映画を最後まで見続ける原動力になってくれるはずだ。

登場キャラクターについては、やはりアレンの内面描写がもう少し丁寧であれば説得力が増した気がする。彼が抱えるトラウマや罪の意識があまりにも唐突に感じられるため、観客として「どうしてそうなるの?」と首をかしげることもしばしば。テナーに関しては、優しくも芯の強い少女というイメージで好感が持てるものの、ストーリー全体の軸とはややズレたポジションにいるせいか、作品内での立ち位置が微妙にふわっとしている印象が否めない。そこがかえって不思議な魅力にもなっているが、もう少し物語の本筋に絡んでくれれば盛り上がったかもしれない。

そしてラスボス的存在であるクモ。彼(彼女?)の目的は「永遠の命を手に入れること」なのだが、そのためにアレンを利用しようという筋書きがいささか強引で、気づけば物語が強引にクライマックスに突入していた感がある。最終的な対決シーンも、盛り上がる前に「あれ、もう終わり?」となってしまうほどあっけない。映画としてのカタルシスが弱いので、観終わったあとに「これは一体なんだったんだ…」と呆然としてしまうのも無理はないと思われる。

原作ファンの間では、「ゲド戦記」というタイトルを使うなら、もう少し原作のテーマやキャラクターを深く描いてほしかったという声が多い。確かに原作は奥が深く、魔法や闇、死生観などが非常に哲学的に描かれているシリーズだ。映画として2時間弱にまとめるのは至難の業だとしても、世界的に有名なジブリのブランドで作る以上、期待値は嫌でも上がる。そのハードルを越えられなかったことが、評価を低くしている大きな要因かもしれない。

また、宮崎吾朗監督の初監督作品という点も、本作の評価を複雑にしている。ある意味「ジブリのサラブレッド」でありながら、「父親(宮崎駿監督)の影」が常につきまとう状況で映画を作るというのは、想像を絶するプレッシャーだっただろう。そういう意味では、「よくこのクオリティで完成させた」と評価する声もある。だが、ジブリ作品として一般公開される以上、やはり観客は厳しい目で見るし、どうしてもかつての「ナウシカ」や「ラピュタ」と比較してしまうのだ。そう考えると、よほどの斬新な要素やエンタメ要素がないと、ジブリファンを納得させるのは難しかったのだろう。

もっとも、そこまで容赦なく辛口になるほど、作品自体に全く価値がないわけではない。上でも触れたように、風景や音楽には心惹かれる部分があり、物語の中に散りばめられた「死と再生」のメッセージも興味深いものがある。むしろ複雑で混沌とした世界観こそ、ファンタジーの醍醐味といえるかもしれない。もしかすると、この混沌さが将来的に「実は名作だったのでは?」と再評価される可能性もゼロではないと思う。ただし、現時点でフラットに見たとき、どうしてもストーリーとキャラクター描写の不足が目立つため、全体としては「惜しい」仕上がりであると感じざるを得ない。

あと、本作を語る上で忘れてはならないのが、「これジブリなのにキャラクターがあんまり動かない!」という点だ。もちろん、アクションシーンやドラゴンの飛行シーンなどはあるのだが、全体的に動きが少なく、セリフ劇に近い印象を受ける。ジブリのダイナミックなアニメーションを期待していた人には肩透かしだろう。特に、ファンタジー世界でドラゴンが舞い踊るシーンを想像していた身としては、「あ、思ったより出番少ない…」と少々寂しくなる。ドラゴンが登場するカットは確かに印象的なのだが、物語に緊迫感をもたらす重要な存在かといえば、そういうわけでもなく、「結局ドラゴンって何だったの?」と思ってしまう面があるのも否めない。

声優陣の演技も、豪華キャストながら妙にセリフ回しが硬かったり、キャラクター像と声がかみ合っていなかったりするシーンが見受けられる。これは監督の演出方針もあるのかもしれないが、どうしてもキャラの個性を際立たせるよりも、ナレーションめいた台詞が多いせいか、のめり込みにくい印象だ。例えばアレンの声には若さと闇を抱えた複雑なニュアンスが求められるはずだが、そこがやや単調に聞こえる瞬間がある。もっと感情の起伏を強調しても面白かったのではないか、と感じてしまう。

本作「ゲド戦記」は、ジブリ作品としては異色の存在であり、名作と呼ぶには厳しいが、全く観る価値がないわけでもない不思議な作品だ。監督の初挑戦作というメタ的な背景や、原作ファン・ジブリファン双方からの熱い視線など、様々な要素が複雑に絡み合った結果、生まれた一作だと言えるだろう。ファンタジーとして見るには要素不足だし、ドラマとして見るには心理描写が足りない。だが、そのギクシャクした部分が逆に「一度は観ておきたい」と思わせる魅力を漂わせているのも事実である。つまりは、何ともツッコミどころ満載でありながら、なんだか放っておけない作品なのだ。そんな不可思議な余韻を残す映画だからこそ、辛口評価と知りつつも、ついついもう一度観たくなる――そんなジレンマを抱えているのが、この「ゲド戦記」なのだ。

映画「ゲド戦記」はこんな人にオススメ!

まず、原作の「地海(ゲド戦記)」シリーズが大好きで、どんな形であれ映像化作品をチェックしたいという熱心なファンタジーファンには一度観てみる価値があると思う。なにしろジブリの手によるアニメ化なので、世界観のビジュアル再現度は高めだ。背景の描写は丁寧で、異世界ファンタジーの空気感がそこそこ感じられるし、主題歌「時の歌」には独特の叙情性があって耳に優しく残る。そういう細部の味わいを楽しめる人にとっては、意外にじわじわくる作品かもしれない。

また、ストーリーの破綻や説明不足などに対して、むしろ「その混沌っぷりがクセになる」というタイプには向いている。映画としてまとまりが悪いのは事実だが、そのぶん考察の余地もある。なぜアレンはあそこまで追い詰められたのか、クモの狙いは本当にただの不老不死だけなのか、ドラゴンの象徴するものは何だったのか。伏線と言えそうなカットがいくつかあるので、そういった細かい部分を見逃さずにツッコミを入れながら観る人には、逆に楽しみどころが増えるはずだ。

さらに、宮崎吾朗監督のデビュー作として歴史的に押さえておきたいという映画マニアにもオススメである。やはりジブリという大きな看板の中で、あの宮崎駿監督の息子がどういう作品を作ったのかを知ることは、日本アニメ史を語る上で重要なポイントだ。そこを踏まえてみると、本作の苦戦や迷走ぶりも含めて「なるほど、デビュー作ってやっぱり大変なんだな」と興味深く見られるだろう。

あとは純粋に「ジブリ作品は全部観たい」というコンプリート精神旺盛な人にも推したい。名作ばかりがジブリじゃない、という意味で、本作のように評価が分かれる作品こそ観ておくと、スタジオの多面的な魅力がより理解できると思う。大人も子どもも一緒に楽しめるかどうかは怪しいが、あえて家族で観て、「これどう思う?」と意見を交わすのも一興である。作品をどう捉えるかは人それぞれだが、考察や感想をみんなでワイワイ言い合う時間を作れるのは、ある意味ジブリ作品の醍醐味かもしれない。

まとめ

ジブリの「ゲド戦記」は、宮崎駿監督の偉大な影に隠れがちな宮崎吾朗監督の初挑戦作であり、原作ファンや映画ファンの期待値が猛烈に高かっただけに、辛口評価を受けやすい作品である。ストーリーの構成やキャラクターの描写が不足しているのは確かで、観る側が「?」となる場面もしばしば。それでも背景美術や音楽の美しさ、そして不思議な空気感には一見の価値がある。

従来のジブリ作品からすると異色の仕上がりだが、その違和感こそが本作の「愛すべきやっかいな魅力」でもある。映画としては「満点」とは言いがたいものの、観て損をしたとも言い切れない、何とも評価が難しい作品だ。だからこそ、好奇心をくすぐられたならば実際に視聴してみてほしい。ツッコミや批判があっても、きっと頭の中に「ゲド戦記」という名前がしばらく居座ることになるはずだ。そういう意味で、本作はやはりジブリの一角を担う存在として語り継がれる運命にあるのだろう。