映画「コクリコ坂から」公式サイト

映画「コクリコ坂から」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

本作はスタジオジブリ作品の中でも比較的地味な印象を持たれがちであるが、その分、人間関係の繊細な描写や舞台となる昭和の横浜が醸し出す独特のノスタルジーをしっかりと味わえるのが特徴である。とはいえ、そこに潜む甘さややや説明不足に感じる展開など、少々ツッコミどころも豊富だと個人的には思う。なにしろ、恋愛と家族の因縁の入り混じったストーリーに加え、1963年という時代背景がクラシカルなムードを漂わせている一方で、「そこ、もうちょっとスパイスほしいな」という場面も少なくないからだ。まるで古い下宿屋の奥にある親父の隠し酒を探しに行くような感覚で観ると、意外な発見があるかもしれない。

本記事では、そうした本作の魅力と微妙なところを、辛口風味でざっくりと掘り下げていく。果たして「コクリコ坂から」は思春期の淡い恋心を優しく描いた名作なのか、それとも単なる青春のほろ苦い通り道なのか?この記事を読んだあなたが、もう一度じっくりと作品の余韻に浸りたくなるようなレビューをお届けしたいと思う。

映画「コクリコ坂から」の個人的評価

評価: ★★★☆☆

映画「コクリコ坂から」の感想・レビュー(ネタバレあり)

ここからは、評価★★★☆☆に至った理由をぶちまけていこうと思う。まずは作品の基本情報として、舞台は1963年(昭和38年)の横浜。東京オリンピックを翌年に控え、日本中が高度経済成長の波に乗り始めた頃だ。しかし、本作はそうした大きな時代のうねりを背景に置きつつも、登場人物たちの心情や学校での出来事を中心に丁寧に描いているため、見どころは意外と身近な人間ドラマに凝縮されている印象である。

物語の中心人物は、海(本名:松崎海)と俊(風間俊)。海は港が見える丘の下宿屋「コクリコ荘」で暮らす女子高生だ。朝になると旗を揚げ、まだ見ぬ父の船を想っているという健気なキャラクター。一方、俊は同じ高校の新聞部員で、やたらと情熱過剰な行動力が魅力…なのだが、これが時として「ちょっと暑苦しいんじゃないか?」と言いたくなるほどの青春パワーを炸裂させている。自分も10代の頃は割とイケイケゴーゴーだったと思うが、俊ほどのまっすぐさはなかったように思う。そういう意味では、彼の突飛な行動と素直すぎる感情表現は、観ていてこそばゆくなるところだ。

しかし、「コクリコ坂から」というタイトルが示す通り、本作のもう一つの主役は間違いなく“坂”そのものである。横浜の坂道は時代の移ろいを見つめ、登下校という何気ない日常を彩る舞台装置となる。朝陽とともに海が坂を駆け下りる姿は、シンプルだが何とも言えない清涼感があり、その一方で寂しげな夕暮れ時には心にじわりと染み入るような哀愁を感じさせる。スタジオジブリの背景美術には定評があるが、本作でもその伝統はしっかり受け継がれており、ノスタルジックな街並みが丁寧に描かれている。自分が生まれていない昭和の時代であっても、「ああ、こういう下町の雰囲気、実家の押し入れの奥に眠る祖父母のアルバムで見たことある!」という不思議な懐かしさがこみ上げてきた。

物語のキモとなるのは、海と俊の関係を揺るがす“ある疑惑”だ。要するに「もしかして、ふたりは血の繋がった兄妹なんじゃないの?」という衝撃的な展開が中盤に浮上する。ジブリが平然と近親相姦を推奨しているわけではもちろんないけれど、当時の日本で起こりうる社会的事情や孤児問題のリアルさを背景に、これが結構ガチな悩みとして描かれるのだ。ふたりが猛烈に惹かれ合いながらも、真実を知って立ち尽くすシーンは心がざわざわした。とはいえ、結果としてはハッピーエンド方向に着地するので、観ていて不快な後味ばかりが残るわけではないのが救いである。ただ、そのあたりの問題解決がちょっと唐突で、「なんだ、もうちょっと丁寧に紐解いてほしかったな」という気がしなくもない。もう少し焦らしてくれてもいいじゃないか、と思うのは自分だけだろうか。

さらにもうひとつ気になるのが、本作におけるカルチェラタン(通称:カルチェ・ラタン)という建物の存在だ。学校の男子生徒たちが部活動の拠点として使っている、いわゆる“文化部の秘密基地”的な古い洋館なのだが、これが取り壊しの危機に瀕しているという問題が物語の後半でクローズアップされる。もちろん、このエピソードには学校の伝統を守り抜こうとする若者たちの熱き思いが詰まっているのだが、恋愛メインで進んでいるはずのストーリーに、急に「カルチェラタン取り壊し阻止大作戦!」みたいな社会派要素がガツンと割り込んでくる。これが良い塩梅でバランスをとっているかというと、若干の違和感も否めない。恋愛ドラマなのか青春群像劇なのか社会問題への提言なのか、やや方向性が散漫に感じられるのだ。ただし、その賑やかさ自体が高校生らしい情熱を象徴しているともいえるので、観ているうちに「まぁ、こういうお祭り騒ぎもいいか」と受け入れられる部分もある。

監督は宮崎吾朗氏であり、あの宮崎駿氏の息子さんである。前作「ゲド戦記」でいろいろと辛口批評を浴びた経験を踏まえたのか、本作ではキャラクターの内面描写を重視し、人物同士の掛け合いに丁寧な演出が施されていると思う。しかし、吾朗監督の独自性といえる部分がそこまで強く打ち出されているかといえば、まだまだ「ジブリの定石の延長線上」という印象が否めない。良くも悪くも守りに入った感じがあり、宮崎駿監督作品によく見られる“ぶっ飛びファンタジー”要素は薄めだ。その分、人間ドラマに集中できるため、観やすさはあるのだが、「ジブリっぽさ=大自然や魔法、冒険活劇」を期待する人には少々物足りないかもしれない。

とはいえ、「ジブリ映画は世界観が壮大すぎて、正直ついていけない」という人にとっては、かえってこういう昭和の恋愛劇の方が入り込みやすい可能性がある。海や俊をはじめ、生徒会のメンバーやカルチェラタンの住人(?)たちがワイワイと騒ぎ合う姿は、どこか懐かしい学園ドラマのようでもある。各キャラクターの濃さはそこそこだが、会話劇が生き生きとしているため、淡々と進む日常のシーンでも飽きにくい工夫がなされていると感じた。一方で、やはり恋愛部分のドラマ性をもっと深掘りしてほしかったというのが正直な意見である。せっかく二人の危うい関係性という爆弾を仕込んでいるのだから、もう少しスリルのある展開を期待したかった。しかしながら、本作があえて淡白なタッチを貫いたのは、もしかすると“古き良き日本の純情”を大切に描きたかったからかもしれない。

作画面については、さすがジブリクオリティと言いたいところだが、本作特有の凄みや衝撃的なビジュアルインパクトは少なめである。繊細な背景美術や昭和のレトロ感は素晴らしく、細部にこだわるジブリらしさも健在だ。例えば、海の家であるコクリコ荘の台所から見える窓の風景や、古い木の床の質感など、一コマ一コマに「職人芸か!」と言いたくなるほどのこだわりが感じられる。ただ、キャラクターの表情や動きに関してはやや平坦な印象を受ける場面もあり、まるでテレビアニメの延長線上のように見えるところもある。これは作風の一貫性と言ってしまえばそれまでだが、もう少し演技の抑揚を絵で見せてくれると、登場人物にさらに魅力が宿っただろう。

音楽については、武部聡志氏が音楽監督を務め、主題歌には手嶌葵氏の「さよならの夏~コクリコ坂から~」が起用されている。この曲がまた昭和的な雰囲気とマッチしており、切なくも優しい旋律が作品のムードをぐっと盛り上げる。エンドロールでこの曲を聴きながら、「青春っていいよな…」としみじみした気持ちになるのは確かである。ここに関しては文句なしのマッチングだと感じた。

さて、ここまで書いてきたように、「コクリコ坂から」は甘酸っぱい青春と家族の因縁、昭和のレトロな風景、そして校舎取り壊し問題など、いろいろな要素が一つの鍋にぶち込まれた作品である。スパイスが多すぎて何の味かわからなくなる手前で、なんとかバランスをとっている印象だ。おかげで突出したインパクトこそ弱いものの、誰にでも受け入れやすい普遍的なテーマが漂っていると言える。人によっては「地味すぎる」「もっとドラマチックに盛り上げてくれ!」と欲求不満になるかもしれないが、逆にこうした穏やかなテイストが好きな人には心地よい余韻を与えてくれるだろう。これが評価★★★☆☆の理由であり、正直言うと、この作品をめちゃくちゃ好きな人とそうでもない人の温度差はかなり大きいのではないかと思う。

ただ、繰り返し観ることでじわじわ味が出るタイプの映画でもある。初見時には物足りなさを覚えたが、二度目、三度目と鑑賞するうちに、登場人物の細やかな表情や背景に散りばめられた小物の意味に気づくようになり、「ああ、これはこれでいいのかもしれない」と思えてくるのが不思議だ。まるで薄味の昆布だしを時間をかけて味わうような感覚である。つまり、「コクリコ坂から」は派手さこそないが、じんわりと心にしみてくる良さがある、そんな作品なのである。

ちなみに、もしこの作品が苦手だと思った場合でも、ぜひ原作漫画(高橋千鶴×佐山哲郎)を読んでみるのも一興だ。映画と微妙に設定やエピソードが異なるため、「あ、ここは映画で削られたんだな」「このキャラ、こんなに活躍してたのか!」と発見することがある。そうして原作との違いを楽しむのも、ジブリ作品鑑賞の醍醐味のひとつではないだろうか。

総じて言えば、「コクリコ坂から」は大人になってから振り返ると、ちょっと恥ずかしくなるような甘酸っぱい青春を思い出させてくれる映画だ。そこに時代背景としての昭和の香りが混ざることで、現代とは違うゆるやかな時間の流れが感じられる。ストーリー構成の不安定さや、一部のキャラクターの掘り下げ不足にはツッコミを入れたくもなるが、最終的には「まあ、これも含めて青春ってやつか」と妙に納得させられてしまう。不完全さこそが本作の魅力の一部になっている気がするのだ。

もちろん、ここで紹介した感想はあくまで個人的な見解であり、映画の受け取り方は千差万別だろう。しかし、もしあなたが、まだこの映画を一度も観ていないなら、まずは気軽に一度鑑賞してみてほしい。こってり系のジブリ作品に胃もたれを感じることがある人でも、本作のライトな味わいは案外すんなりと胃に落ちるかもしれないからだ。いずれにせよ、昭和の香りをまとった青春群像劇の良さと、微妙にモヤモヤする展開を合わせ持つ「コクリコ坂から」は、あなたの中にあるかもしれない“淡い恋の記憶”を刺激してくれるはずである。

映画「コクリコ坂から」はこんな人にオススメ!

まずは、しっとりとした青春ドラマが好きな人にオススメだ。とにかく爆発的なファンタジー要素や魔法の世界を期待するのであれば、他のジブリ作品を当たったほうがいいかもしれない。だが、淡い恋や家族の秘密、そして高校生ならではの微妙なすれ違いなど、ほろ苦いエッセンスがちりばめられた作品を求めるなら「コクリコ坂から」は最適といえる。昭和のレトロな雰囲気を味わいながら、ちょっと昔の日本にタイムスリップした気分を味わえるのもポイントが高い。

さらに、カルチェラタンの取り壊し問題をめぐる学生たちの騒動は、若者ならではの情熱と、当時の社会的背景を垣間見せてくれる刺激的なエピソードだ。青春の甘酸っぱさもありつつ、社会問題にも少し触れられるというお得感を味わいたい人にはちょうどいい。逆に言えば、ド派手なアクションや劇的な超展開が欲しい人にはあまり向かないかもしれない。また、スタジオジブリの作品が好きでも、「千と千尋の神隠し」や「もののけ姫」のような大自然や神秘的な世界観をイメージしている人には拍子抜けする可能性がある。

とはいえ、じんわり心にしみる青春映画を求めているのなら、この作品はあなたの心をほっこりさせてくれるはずだ。「昭和の横浜ってどんな感じなんだろう?」と興味がある人や、「恋愛ものはちょっと苦手だけど、ジブリ作品としては気になる」という好奇心を持った人も、ぜひ一度お試しあれ。海と俊の二人に待ち受けるややこしい家族問題を目にしたとき、意外にもあなたの中で眠っていた青春の火がメラメラと燃え上がるかもしれない。

まとめ

「コクリコ坂から」は、1963年の横浜を舞台にした淡くてちょっぴり苦い青春ストーリーだ。兄妹疑惑という衝撃の展開を差し込むことで盛り上げつつも、全体的には古き良き昭和の香りを大切にした穏やかなテイストが印象的である。恋愛だけでなく、カルチェラタンの取り壊し問題など、学生らしい情熱あふれるサブエピソードが物語を彩るが、そのぶん焦点が散漫になりがちという欠点もあるのは正直否めない。しかし、これらのエピソードを通して感じられる“青春の多面性”こそが、本作の魅力ではないだろうか。

作画はジブリらしい丁寧さが光り、音楽のハーモニーも昭和のレトロな世界観を引き立てる。派手なアクションや強烈なメッセージ性を求める人にはやや物足りないかもしれないが、逆に言えば、ほどよいぬるま湯感が心地よいという人も多いはずだ。評価をつけるならば★3つだが、一度観て「ん?」と思った場合でも、2度3度と繰り返し鑑賞すると意外な味わいがじわじわと湧いてくるタイプの映画だと言えよう。