映画「劇場版 アーヤと魔女」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!
ひと目見ただけで「これはいつものスタジオジブリじゃないぞ?」とピンときた人も多いかもしれない本作。原作は「ハウルの動く城」で知られるダイアナ・ウィン・ジョーンズの児童文学だが、監督は宮崎吾朗ということで、親子二代でジブリ作品を支える存在でもある。しかも今回はフル3DCGという新機軸だ。子どもの頃にテレビで「魔女の宅急便」を見て育った身としては、この新しい魔女映画は一体どんな仕上がりなのか興味津々であった。だが観てみたら、どうも“普通のジブリ”とはひと味違う雰囲気が漂っている。もちろん名作を期待する気持ちもあったが、実際のところ評価は千差万別。
とはいえ、ただの子ども向けファンタジーというわけでもなく、奇妙でユーモラスな世界観が独特の魅力を放っているのも事実だ。そんなちょっと風変わりな「劇場版 アーヤと魔女」に興味を持ったなら、ぜひこのレビューを読んでほしい。ここからは容赦なくネタバレしていくので、まだ観ていない方はご注意を。それでも大丈夫という方、もしくはネタバレされてもまったく動じない強靭なメンタルの方々は、どうぞ最後までお付き合い願いたい。
映画「劇場版 アーヤと魔女」の個人的評価
評価: ★★★☆☆
映画「劇場版 アーヤと魔女」の感想・レビュー(ネタバレあり)
「劇場版 アーヤと魔女・の感想を率直に言わせてもらうと、まず目を引くのは3DCGによるキャラクター表現である。ジブリ作品といえば、手描きの美しいアニメーションが伝統芸のように受け継がれてきたが、本作ではその系譜をガラッと変えた。スクリーンに映るアーヤたちのキャラクターがクルクル動くさまは新鮮でありながら、どことなく既存のCGアニメとは違う「ジブリ節」が感じられるのが面白い。たとえば髪の毛の動きや背景美術の雰囲気など、3DCGであってもどこか温かみがある。そこが一番の驚きであり、同時に「なぜ手描きをやめたのだろう?」という疑問を抱かせる点でもあった。
物語の主人公・アーヤは、赤ん坊のときに魔女の母親によって孤児院に預けられ、そのまま元気いっぱいに育った女の子だ。自分の名前が“アーヤ”というのも実は母親がつけた仮の名で、本名は“アーウェン”らしい。最初のシーンで、バイクにまたがった謎の魔女が突如として赤子を捨て置く場面が描かれるが、そのインパクトはなかなかのもの。しかもその魔女を追いかける別の魔女の集団がいて、アーヤの母は何かしらのトラブルに巻き込まれているようなのだが、詳細は後ほど断片的に明かされる。ここで「魔女の世界にもいろいろあるんだな」と、早速不穏な空気が漂うのが本作のスタートである。
その後、アーヤは孤児院でスタッフや他の子どもたちを手玉に取りながら、結構自由奔放に過ごしている。彼女の天真爛漫さは可愛らしいが、ちょっとした食えない性格でもある。何とかして自分の都合のいいように周囲をコントロールしようとする策士っぷりは、いわゆるジブリの主人公らしさとは微妙に違う。往年のジブリ作品の主人公はもっと純朴でひたむきというイメージがあるが、アーヤは良く言えばしたたか、悪く言えばちょっと生意気だ。しかし、その生意気さは逆に愛嬌でもあり、見ていて退屈しないのが面白いところだ。
さて、物語が動き出すのは、ある日アーヤが奇妙な夫婦に引き取られるところから始まる。その夫婦というのが、魔女の“ベラ・ヤーガ”と、そのパートナーである“マンドレーク”だ。ベラ・ヤーガは相当に気難しい魔女で、家に連れて来られたアーヤをいきなり使い魔のようにこき使おうとする。しかも魔法の薬づくりや呪文の材料集めまで押し付け、アーヤにとっては「こんなはずじゃなかった!」と叫びたくなる日々が始まるわけだ。一方でマンドレークは見た目がやけに怖く、しょっちゅう不機嫌そうにふんぞり返っているが、ときどきピアノを弾いている姿などが垣間見えて「実はこの人、ただ者ではないのでは……」と妙に勘ぐりたくなるキャラでもある。
さらに家の中には謎が満載で、いろんな隠し部屋や怪しい本がゴロゴロしている。アーヤとしては自分を家事手伝い兼見習い魔女のようにこき使うベラ・ヤーガに反発しつつ、なんとかマンドレークを味方につけられないかと策略を巡らせる。ここで見せるアーヤの小悪魔ぶりがまた笑える。「子どもって、こういう変な大人の扱い方を直感で覚えてるんだよな」と思わず感心してしまう。
ただ、アーヤがそれなりに悪知恵を働かせる一方で、ベラ・ヤーガも魔女としてまったく手加減なし。アーヤが勝手に部屋を探ろうとすれば、髪の毛がヘビみたいにうねって襲いかかってきたりと、なかなかホラーなシーンも挟まれる。ここでのベラ・ヤーガのキャラクターデザインは、3DCGならではの不気味さとジブリ的なデフォルメ感の絶妙なバランスがあって、正直ちょっと夢に出てきそうな迫力がある。
ストーリーの根幹としては、アーヤが「自分の力で気に食わない大人を出し抜いてやろう」というモチベーションから、魔女の才能を開花させていく過程が描かれている。しかしながら、これまでのジブリファンが期待する「大きな冒険」や「壮大な旅」はあまりなく、けっこうこぢんまりとした室内劇に近い印象だ。家の中という狭い空間で、アーヤとベラ・ヤーガ、そしてマンドレークの三者が繰り広げる駆け引きがメイン。途中でアーヤはベラ・ヤーガの魔法の道具を使って、料理やお掃除の苦労を一発で解決しようとしたり、マンドレークが気分を害して家の壁をぶち抜いていく派手なシーンもあったりするが、大筋で言えば「家族の物語」であると感じる。
物語の中盤以降になると、アーヤが母親に関する手がかりを少しずつ掴み始める。実はベラ・ヤーガとマンドレーク、そしてアーヤの母親は昔同じバンドで活動していたという驚きの過去が判明するのだ。ここら辺の“元ロックバンドの魔女たち”という設定はかなりぶっ飛んでいて、筆者は最初「いったいどういう話だ?」と首をひねったが、徐々に回想シーンなどで説明されていくうちに「なるほど、音楽で魔力を増幅していたのか」と納得できる。逆に言えば、このバンド設定をもっと大々的に活かしてくれれば、かなり面白い作品になったのではないかと感じる部分もある。劇中でもバンドシーンが少し流れるが、これが案外カッコいいのだ。
ただ、そうこうしているうちにクライマックスが近づいてきても、いわゆる大団円的な盛り上がりは薄めで、気づいたらエンディングに突入している印象を受ける。最終的にベラ・ヤーガやマンドレークと和解というか、ある程度うまく共存できそうな雰囲気になったところで、スッと物語が終わる。そのタイミングでアーヤの母親がひょっこり登場して「おいおい、ここからが一番面白くなるんじゃ?」と思わせるところで幕引きだ。エンドロール後に何かサプライズがあるかと待ってみたが、特に続きはなく、まさに「消化不良を狙っているのか?」と思うような締め方だった。これはある意味、視聴者に続編への期待や想像を煽る手法かもしれないが、正直「ここで終わるの?」と肩透かし感は否めない。
「劇場版 アーヤと魔女」としてのポイントをまとめると、やはり物語のボリューム不足と中途半端な終わり方は大きい。ジブリが初めて本格的に3DCGを使ったという話題性が先行してしまい、結局大きな山場や感動的なクライマックスがないままストンと終わるため、人によっては「これはテレビシリーズのパイロット版か何か?」と思うだろう。事実、本作はもともとTV用に制作され、その後に「劇場版」として公開された経緯があるため、映画としての尺や構成にやや無理が生じているのは否めない。
しかし、だからといって本作がまったく楽しめないかといえばそうでもない。アーヤのやんちゃでちょっと憎たらしいキャラクターや、ベラ・ヤーガの意外と抜けている部分、マンドレークの不気味さと哀愁など、キャラ立ちはしっかりしているし、何より3DCGならではのコミカルな動きは見どころ十分である。特にアーヤと黒猫のトーマスが部屋中を走り回るシーンや、魔法の薬をかき混ぜるときの素材の質感など、映像面での新鮮味は大いに評価できる。
また、作品全体を貫くちょっと“毒のある”ユーモアは、従来のジブリファンにとって新鮮だと感じられるはずだ。例えば、アーヤが相手を煙に巻くような嘘や策略を思いついては失敗したり成功したりするあたり、そこまで悪意は感じないが「子どもってこんなふうに大人をかき回すよね」と苦笑してしまう。さらに、マンドレークがピアノを弾く場面では突然激しいロック調になったりと、なんともシュールな展開が続く。この「なんだこりゃ」感がツボにはまる人もいるだろうし、逆に「ジブリらしさを期待したのに何だこれ」となる人もいるだろう。ここが本作の分かれ道かもしれない。
音楽面では、エンディングテーマに手嶌葵の優しい歌声が流れ、「やっぱりジブリといえば手嶌葵だな」とある種の安心感を抱く。その一方で、物語にもっと音楽を絡めてもよかったのではないかとも思う。前述の通り、実はアーヤの母親とベラ・ヤーガ、マンドレークはバンド仲間だったわけで、魔法と音楽がどう融合していたか、もっと深く描かれていれば一層ファンタジックな世界が広がったのではないだろうか。そこが惜しい部分でもある。
そもそも主人公アーヤには「私が一番偉い」という子どもらしい傲慢さがあり、それが魔法の世界に引き込まれることでどんな成長を見せるかが鍵になると思いきや、意外とそこまで劇的な変化はない。むしろ彼女の図太さが最後まで貫かれている感じが強い。たとえば昔のジブリ主人公なら、苦難を乗り越えて心身ともに大きく成長するのがお約束だったが、本作では「いや、アーヤの性格はそう簡単に変わらんだろう」というリアルさが前面に出ている。それをどう受け取るかで、好き嫌いが大きく分かれそうだ。
「劇場版 アーヤと魔女」の感想をまとめるならば、「これはジブリの新しい試みと割り切って観る作品」である。従来のジブリが積み上げてきた手描きアニメの技法や感動の文法を期待すると肩透かしを食らうし、逆に「子どもが主人公のちょっと意地悪なコメディ」を観るくらいの軽い気持ちで挑めば意外と楽しめる。今後、この物語の続きを描く機会があるのなら、本作が第一弾としての序章になる可能性も秘めている。そういう意味で、「次はどうなるんだろう?」と期待を残す仕掛けでもあるのかもしれない。
ただ、やはり劇場版として鑑賞した場合は、「もっと盛り上がるシーンや結末がほしかった」というのが正直なところ。特に、ラストでアーヤの母親が突然登場するあたりは、「ここからが本番スタートだ!」と思わせるのに、映画が終わってしまうという拍子抜け。続編を視野に入れた意図的な演出なのかもしれないが、一作完結の作品としては物足りなさが残る。もっとも、そのモヤモヤが妙にクセになるという見方もあるので、一概にマイナスとは言えない。
最後にもう一度強調しておくが、本作は子ども向けのシンプルなファンタジーに見えて、実は大人が観てもなかなか味わい深い部分がある。アーヤが繰り広げる「大人の扱い術」は半ば社会性の風刺ともとれなくはないし、ベラ・ヤーガとマンドレークが抱える過去や秘密も、もっと掘り下げれば人間ドラマとして見応えがあったはずだ。そうした“可能性”をたくさん含んでいるのに、尺の短さやテレビ放映向けの構成上、すべてを出し切れていないように思う。
総合的に見ると、「劇場版 アーヤと魔女」の評価は先に述べたように星3つ。新しいチャレンジ精神と中途半端な物語展開が相まって、この評価に落ち着いた。もっと続きが見たい、もっとキャラクターの関係性を深く知りたいと思わせる点では、ある種成功しているとも言えるが、一方で映画単体としての完成度はやや物足りない。もしあなたがジブリの新しいスタイルを見てみたい、あるいはアーヤの生意気キャラにハマるか確かめたいなら、一度観てみる価値は大いにあるだろう。逆に「王道のジブリ作品」を求める人は拍子抜けするかもしれない。
いずれにせよ、スタジオジブリが今後どのように3DCG技法を磨いていくのか、あるいは再び手描きアニメに戻るのか、といった意味でも注目すべき1本であることは間違いない。アーヤやベラ・ヤーガ、マンドレークの奇妙な三角関係(?)を楽しみつつ、続編を妄想しながら観るのも一興だろう。今後の展開があるなら、ぜひ「バンド活動」パートをもっと思い切り描いてほしいものだ。あの魔女ロックバンドの全貌を、もっとガッツリ堪能してみたいではないか。
映画「劇場版 アーヤと魔女」はこんな人にオススメ!
正直なところ、「劇場版 アーヤと魔女」をフル3DCGのスタイリッシュなジブリアニメと期待している人には、やや肩透かしの部分も多いかもしれない。だが、何が何でも手描きジブリでなければ嫌だ、というコテコテの人でなければ、一度観て損はしないだろう。本作をオススメしたいのは、まずは「新しいもの好き」「好奇心旺盛で、未知のジブリの可能性を見たい」という人だ。ジブリが積み重ねてきた伝統とまったく異なる手法に挑戦しているわけだから、その試みを見届けたいという探究心があるなら間違いなく楽しめると思う。
また、アーヤがある意味“反抗期の子ども代表”みたいな性格をしているため、「ちょっとひねくれた主人公でも愛せる」人にはぜひ観てほしい。いわゆる“いい子”ではない彼女の行動は、時として笑いを誘うし、大人の視点から見れば「おいおい、それはやりすぎだろ」とツッコミたくもなる。だが、そのやんちゃぶりに共感できる人や、あるいはかつての自分を思い出して苦笑いしてしまうような人には、意外とツボにはまるかもしれない。そして、魔女というキーワードから想像するような大きな冒険やファンタジーを期待するというよりは、「小さな家の中でのドタバタ劇」を楽しむくらいの心構えのほうが、本作の魅力を素直に受け取れるのではないかと思う。
さらに、ちょっとダーク寄りのユーモアが好きな人、奇妙な雰囲気の登場人物に魅力を感じる人にとっては、その独特の世界観がクセになるはず。とにかく真面目に考えすぎずに「これはジブリ発の実験的ファンタジーなんだ」と開き直って鑑賞すると、案外じわじわとハマっていくのではないだろうか。
まとめ
以上、激辛な視点も交えながら「劇場版 アーヤと魔女」の感想・レビューをお届けした。本作はジブリ作品といえども、従来の手描きの美しさやドラマティックな冒険を期待すると拍子抜けするかもしれない。しかし、3DCGを採用した大胆なチャレンジ精神や、ちょっと風変わりなアーヤのキャラクターには独特の魅力がある。
また、ラストシーンで母親が登場したり、魔女のバンド設定があったりと、続きが気になる仕掛けが盛りだくさんなのも事実だ。そのため、もし「ジブリがどうやって新境地を切り開くか見てみたい」という人や、「狭い家の中でのドタバタ魔女コメディが好き」という人にとっては、ぜひチェックすべき作品である。どうせなら、次回作があるなら思い切りぶっ飛んだ魔女ロックフェスでもやってくれないかな、というのが正直な本音だ。そういう無茶振りこそ、ジブリの意外性をより輝かせる鍵かもしれない。
とにもかくにも、アーヤの生意気ぶりにツッコミを入れながら観るのが、本作を楽しむコツではないだろうか。