映画「ある閉ざされた雪の山荘で」公式サイト

映画「ある閉ざされた雪の山荘で」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

重岡大毅が主演し、原作者である東野圭吾の人気小説を基にした本作は、ミステリーとしての緊張感や若手俳優陣のエネルギッシュな演技が見どころである。雪に閉ざされた山荘という古典的な謎解きの構図は、多くの人をわくわくさせる題材だが、本作では舞台設定の入れ子構造がさらにややこしさを引き立てている。劇団オーディションという斬新な仕掛けを組み込んだことで、「演技」と「現実」の境界があやふやになり、視聴者をあれよあれよと惑わせていくので油断ならない。

複数の真相が重なり合った結果、誰が真の仕掛け人なのかを見破るのはなかなか骨が折れるが、だからこそ最後に思わずニヤリとしてしまう展開が用意されているのだ。重岡大毅をはじめ、中条あやみや岡山天音、西野七瀬、堀田真由、戸塚純貴、森川葵、間宮祥太朗らがそれぞれ個性あるキャラクターを生き生きと表現しており、作品全体に華やかな躍動感をもたらしている。一見すると正統派のサスペンスだが、どこか軽妙な雰囲気も漂う、ちょっと不思議な魅力が詰まった一本である。

映画「ある閉ざされた雪の山荘で」の個人的評価

評価: ★★★☆☆

映画「ある閉ざされた雪の山荘で」の感想・レビュー(ネタバレあり)

本作は、劇団オーディションと雪山ミステリーがドッキングした、いささか風変わりなサスペンスだ。そもそも「山荘で連続殺人が起こる」というのは王道中の王道だが、ここに“演じる者たち”という設定が絡むと、話がややこしい方向へと加速していく。実際に殺人事件が起こっているのか、それとも演出の一環なのか、どちらなのだろうと登場人物だけでなく観客までもが戸惑わされるのが、この作品の最大の面白みといえる。

実は、劇団「水滸」の主宰・東郷からの最終オーディション招待状は、本当の仕掛け人からすれば“表向きの計画”に過ぎなかった。山荘に集まった若手俳優たちは、次の舞台で大きなチャンスをつかもうと意気込むが、彼らの背後には別の目的をもつ人物がこっそり潜んでいる。その黒幕とも呼べる存在こそが、過去にオーディションで落選し、さらに不運な事故に巻き込まれた麻倉雅美だ。彼女が抱える復讐心と、その心に寄り添おうとする本多雄一の行動が、事態を複雑にしながらも物語の軸を支えている。

「三重構造」の妙

本編でも繰り返し言及されるが、この事件は三重構造になっている。まず、表向きは劇団主宰が仕掛けた新作オーディション。集まった役者たちは「雪山で起こる殺人事件」を演じるよう指示される。しかし、蓋を開けるとそれは主宰の企みではなく、麻倉雅美が自分を陥れたメンバーを抹殺しようとするために仕組んだ計画だった。けれど、それだけでは終わらない。実はその“殺害”までもが、ある人物たちによって細工された偽装だったというわけだ。

ここで興味深いのは、本作の登場人物の大半が「嘘を演じる仕事」に就いている、という点である。舞台俳優にとって演技は日常なので、彼らが真剣に「死んだふり」をすれば、たいていの人間はコロリと信じてしまう。本当に誰かが殺されたのか、それとも全部演技なのかを見分けるのは至難だ。しかも観客は「たぶん演技なんじゃないか」「いや、さすがに殺人はまずいだろう」とあれこれ疑ってしまうが、その疑念こそが本作の緊張感につながっている。作り物だとわかっていてもドキリとさせられるのが、演じるプロの恐ろしさだ。

復讐を生む事故と、その背景

麻倉雅美は、もともと劇団の顔と言ってもよいほどの女優だったが、あるオーディションで落選してから運命が暗転する。落選に追い討ちをかけるように交通事故に遭い、下半身不随という重い後遺症を負ってしまう。その背景には、彼女を支えに来たはずの仲間たちの無神経な行為があったうえ、運転トラブルまで重なったとあっては、恨みが消えるわけもない。

その後、雅美は自分をこんな目に遭わせたメンバーに“罰”を与えるため、あの手この手を使って連続殺人を実行しようとした。しかし、共犯に見えた本多雄一は、彼女の本気の殺意を食い止めたかった。それでも雅美に舞台へ復帰してもらいたい、そのためには手を汚してほしくないという想いが、本多の行動原理である。結果的に本多は、殺されたように見えた役者たちに「偽装死」を頼み、雅美に「計画は成功した」と思わせる作戦を取ったわけだ。

久我和幸という “外部” の存在

そんな劇団員ばかりの中に、一人だけ外部から来た久我和幸(重岡大毅)の存在が大きく物語をかき回す。彼は劇団「水滸」に属していないので、人間関係のわだかまりを知らない代わりに、イレギュラーな動きで周囲をかく乱してしまう。演技が殺人かもしれない、と疑い始めたメンバーから真っ先に疑われるのも当然だ。しかし、実はこの男こそが最終的に謎を解き明かし、真相を確かめようとする探偵役を担っている。いわば彼は外部者であるがゆえに客観的に状況を眺め、自分の推理で事態を整理しやすい立場でもあるのだ。

もっとも、久我自身にも野心がある。劇団の枠にとらわれず、「自分こそが次の舞台を担う人材だ」と証明しようとする思いは強い。その人間臭さが、ふとした場面でぽろりと表情に出てしまうところが重岡大毅の演技の妙だ。彼は明朗快活なイメージもあるが、今回はどこか影のある雰囲気を漂わせており、作品全体のトーンを絶妙に支えていると感じた。

若手俳優陣の化学反応

キャストは豪華で、それぞれに見せ場が用意されているのが嬉しいところ。中条あやみは華やかな存在感で場を引き締め、岡山天音は独特のクセを発揮して一筋縄ではいかない空気をつくっている。西野七瀬はか弱そうに見えながらも芯のある女性をしっかり体現し、堀田真由は繊細な感情の揺れをきっちり伝える。戸塚純貴はコミカルな表情をチラつかせながらもサスペンスの一員として溶け込み、森川葵は重い苦しみを背負いつつも清らかな演技力で観客の胸を締め付ける存在感を放つ。間宮祥太朗は全体を俯瞰する“参謀”のような役どころをしっかり盛り立てていた。こうした各人の個性が衝突し合い、芝居をさらに際立たせているのが見どころである。

特に終盤の演劇ステージシーンでは、劇団全員が「本当の舞台」に立った姿が映し出される。あの瞬間に、これまでの山荘での出来事すら「さらに上の演出だったのではないか」という錯覚を起こしてしまう人もいるだろう。観客は最後までどこからどこまでが現実なのかを測りかねるわけだが、そうした境界のあいまいさこそが本作のおかしみでもある。真相を知った後でも「いや、ひょっとしてあれも仕込みだったのでは?」と勘繰りたくなってしまう。

作品全体のテンポと惜しい部分

テンポに関してはかなり小気味よく進む一方、複雑な仕掛けが次々に登場するため、一度でもストーリーを聞き流すと置いていかれる恐れがある。特に三重構造の正体がわかるくだりは一瞬のセリフや回想シーンに集約されるので、観る側としては集中力が求められる。もし「なんだか話が頭に入ってこないな」と感じたら、ちょっと巻き戻して再確認してもいいかもしれない。

惜しい点としては、あまりにも器用に演者全員が騙し合いを成功させるので、現実的に考えると「いくらなんでもそれは無理だろう」とツッコミたくなる部分もあることだ。山荘に仕掛けたカメラや盗聴器のセッティング、そして殺されたように見せかける演出など、かなり手間のかかる大規模トリックが、大きな破綻もなく実行されるのはご都合が過ぎるかもしれない。だが、サスペンスの面白さというのは、ある程度そうしたフィクションの“ノリ”を許容できるかどうかにかかっているともいえる。自分はむしろ、その突き抜け感を楽しませてもらった。

エンディングと“救済”のかたち

映画版では、最終的に舞台上で麻倉雅美と他のメンバーが共演している姿が示唆される。下半身不随のままかどうかはっきりわからないが、彼女は表舞台へ戻り、かつての悲しみを振り切るようにして再出発を遂げる。一度は命を絶とうとした彼女を、周囲が必死に引き止めたことで、結果的に「すべてが演技」というかたちになり、現実の被害者は出ずに済んだ。その展開を「ご都合すぎる」という向きもあろうが、個人的には“後味の良いエンディング”が欲しかったので、この着地はありだと思う。

さらに深読みをすれば、あの舞台シーン自体が最初から最後まで「芝居」だった可能性を示唆する演出もある。冒頭に登場したペンションでの合宿そのものが、本多と久我が書いた脚本なのではないか? 観客が観ていたのは映画ではなく劇中劇だったのではないか? などなど、見方によっては四重にも五重にもトリックが広がりそうだ。ここまで来ると答えはあえて明かされていない領域であり、深く考え始めると際限がない。だからこそ鑑賞後に「あそこはどう解釈した?」と誰かと語り合う楽しみが生まれるのだと思う。

重岡大毅の魅力と作品の新鮮味

何と言っても主演を務める重岡大毅は、本作をさらに活気づけている。もともと歌やバラエティで見せる明るい一面が強いイメージだが、今回は外部から来た役者としての“どう立ち回るか”を絶妙に表現し、スリリングな物語を盛り上げていた。彼の持ち味である軽快な受け答えや、時折のぞく鋭い眼差しが、久我という謎めいたキャラクターにぴったりハマっているように思う。

また、この作品において「演者は嘘をつく仕事」というテーマが所々で強調されるのも興味深い。自分の魅力をアピールするためには騙しの技術も必要かもしれないし、嘘をバレずに通す度胸も試される。それは現実のショービジネスにも通じる話だろう。そう考えると、本作は単なる雪山ミステリーというだけでなく、「役者というものは何なのか」を問いかけるメタ的な要素も含まれていると感じる。

総括

本作はサスペンス好きだけでなく、演技や舞台裏のドラマに興味のある人にとっても十二分に楽しめる内容だ。古典的な“密室殺人”のようでありながら、一歩踏み込むと「いや、これ全部演技じゃない?」と疑い始め、さらに奥まで踏み込めば「いやいや、実はそれも含めて脚本でした~」と返される。観客は振り回されるが、その予想外の展開が最後まで飽きさせない秘訣である。たとえ細かいツッコミどころがあっても、終盤まで観ていると「まあ、これはこういう世界なんだな」と納得するくらいには引き込まれてしまうから不思議だ。

ミステリーと演劇が融合した刺激的な作品を求める人や、若手俳優陣の魅力をたっぷりと味わいたい人にとってはうってつけだろう。重岡大毅主演の映画に外れはないと信じるファンも多いと思うが、本作を観終わるころには、その思いがより強まるのではないか。いずれにせよ、観る人によって解釈や好みが分かれやすい作品であるため、賛否はあるかもしれない。だが、そこがまた“あとを引く”ポイントと言えそうだ。

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映画「ある閉ざされた雪の山荘で」はこんな人にオススメ!

舞台や映画など演者の裏側に興味を持つ人にはぴったりだ。劇中の殺人が実は芝居なのか、それとも本物の悲劇なのかという疑いを通じて、「役者ってすごいな」と改めて感じる瞬間が幾度もある。普通のサスペンスだと被害者や犯人の正体を追うスリルがポイントになるが、本作では加えて「俳優たちの演技力」が本物なのかどうか、観客自身も試されている気分になるから面白い。

複雑な仕掛けをワイワイ考察するのが好きな人には最高の題材だろう。三重構造と言われるだけあり、途中で「あれ、これって結局どういうこと?」と混乱してしまう可能性がある。だが、そうした謎を解き明かす手応えを得たい人には、まさに打ってつけの歯ごたえだ。友人や家族と一緒に鑑賞して、観終わった後で「どこからが芝居なのか」「あのキャラクターは本気で動いていたのか」などを語り合うのも醍醐味ではないか。

さらに、若手俳優陣の競演を満喫したい人にもオススメである。重岡大毅をはじめ、中条あやみや岡山天音、西野七瀬、堀田真由、戸塚純貴、森川葵、間宮祥太朗といった顔ぶれは、それぞれがテレビドラマや映画で注目を浴びている面々だ。そんな彼らが同じステージに立ち、作品を彩る姿は非常に見応えがある。誰がどのように場を引っ張っていくのか、思わぬ化学反応が起こる瞬間に出会えるかもしれない。サスペンスらしい緊迫した雰囲気のなかで、俳優陣が全力でぶつかり合って生み出すエネルギーは、画面越しでも十分伝わってくるはずだ。

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まとめ

本作は、雪に閉ざされた山荘で繰り広げられる事件を軸にしながら、劇団オーディションという設定を盛り込んだことで、二転三転する展開が楽しめる一品である。演技なのか現実なのか、真の犯人は誰なのか、その構造をひも解くうちに、自然と引き込まれてしまうのが面白いところだ。重岡大毅をはじめ、才能豊かな若手俳優たちが一人ひとり存在感を放ち、独特の群像劇を成立させている点も魅力的だろう。

ただし、やや無理筋な仕掛けも多いので、あまり細部のリアリティにこだわるよりは「こんな大胆なトリックがあるのか!」と大らかに受け止めたほうが楽しめる。最後に見せる舞台のシーンは、ここまでの出来事をさらに別の角度から照らし出すようで、観客の考察意欲をいい意味でかき立てる。もし観る機会があるなら、ぜひ先入観を捨て、役者たちの巧みな“嘘”とその背景にある人間模様に浸ってみてほしい。きっと独特の後味を感じながらエンドロールを見つめることになるだろう。

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