映画「天空の城ラピュタ」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!
本作は、スタジオジブリの名匠・宮崎駿監督による冒険活劇の金字塔であるが、ただの子ども向けファンタジーと侮るなかれ。大空を舞台に繰り広げられる壮大なストーリーには、文明批評や自然との共存といった哲学的テーマがしっかりと詰め込まれているのだ。
パズーとシータが見せる純粋な友情、海賊ドーラ一家の豪快な人情、そして謎めいたムスカの狂気を交えながら、テンポよく物語が転がっていく様子は必見である。子どもの頃は空飛ぶ城にワクワクし、大人になってからは人間の欲望と自然の力の衝突にヒヤリとさせられる。そんな二重構造を持つ映画「天空の城ラピュタ」は、今なお多くのファンを虜にする不朽の名作である。
今回の記事では、あえて“激辛”目線を交えつつ、笑いを挟みながら本作の魅力を深堀りしていこうと思う。ネタバレ上等で、最後までガッツリ読み込んでほしい。
映画「天空の城ラピュタ」の個人的評価
評価:★★★★☆
映画「天空の城ラピュタ」の感想・レビュー(ネタバレあり)
ここからは本作をじっくり味わいたい人向けに、遠慮なくネタバレをしていく。まず本作を語るうえで欠かせないのは、少年パズーと少女シータの物語の始まり方だ。空から少女が降ってくるなんて、普通はホラーかコメディでしかありえないが、本作の場合はなんともロマンチックかつドラマチックに仕上がっている。パズーの家の屋根にふわりと舞い降りるシーンは、ジブリ史上でも屈指のインパクトがあるオープニングであろう。
そして二人の間に生まれるのが「無垢な友情」である。パズーは鉱山で働きながらも、空へ飛び立つことを夢見る楽天的な少年。シータは飛行石という特殊な力を持つ一族の末裔で、追っ手に狙われるヒロイン。背負っている運命こそ重いが、その表情や言葉には優しさと強い意志が同居しているのが魅力的だ。二人が力を合わせ、空中海賊ドーラ一家や軍隊、そしてムスカの追撃をかいくぐる冒険活劇は痛快そのものである。しかし、その裏には「古代文明ラピュタ」が持つ巨大な力や、人間の欲望が生み出す悲劇性が潜んでいるから侮れない。
なにしろ本作の真骨頂は、童心に帰れる冒険のわくわく感と、大人でも十分に噛みしめられる深いテーマ性の両立だ。ドーラ一家は一見ただの海賊集団に見えるが、意外にも“義理と人情”に厚いところがユーモラスかつ魅力的。母親的存在のドーラが怪力でパズーたちを殴り飛ばすコメディタッチのシーンも多々あるが、その裏には「自分の身内には優しく接する」「見どころのある若者を放っておけない」という昭和の頑固おやじ(おふくろ?)的な温かみが滲み出ている。これがまた人を惹きつける要因の一つであろう。
一方のムスカは、「紳士的な立ち振る舞いをするインテリ系悪役」の代表格だ。宮崎作品には珍しく、純粋に恐ろしい野心を持った男でもある。彼が終盤、ラピュタの真の力を解放しようとする場面では、「王族の末裔として古代兵器を支配する」という中二病的なカッコよさと、「人命も道徳も踏みにじる狂気」が表裏一体となり、強烈な印象を残す。その狂信的なまでの執着は見ようによってはギャグだが、だからこそ「人間の欲望の行き着く先」の危うさをリアルに感じることができるのだ。
また、本作のドラマを際立たせるのが、スタジオジブリの卓越した作画技術である。大空を飛ぶ飛行艇の描写や、ラピュタの崩壊シーンの迫力には目を見張るものがある。動きの一つひとつが躍動感にあふれており、アニメーション表現の粋を集めたかのようなクオリティだ。背景美術における自然の描き込みや、古代遺跡然としたラピュタ内部の質感は、本当にスクリーンの向こうに存在しているのではないかと思わせるほどにリアル。久石譲の音楽も含めて、映像とサウンドが渾然一体となるため、ラピュタが崩壊するシーンなどは何度見ても鳥肌モノである。
ところで、「バルス!」という滅びの呪文は今や社会現象にまでなった有名フレーズだが、作品の流れを追っていくと、あれが適切なタイミングで発動されるからこその感動とカタルシスがあるのだ。パズーとシータが感情を爆発させて叫ぶバルスは、単なるネタワードではなく、「守るべきもの」と「捨てるべきもの」を天秤にかけた結果としての叫びである。だからこそ、Twitterのサーバーをダウンさせる祭りの元祖であると同時に、物語的にも意味深い決定打になるわけだ。
さらに考えさせられるのは、ラピュタという文明が「自然との共存から外れた結果、文明崩壊へと向かった」という点である。古代のラピュタ人はテクノロジーを究め、大空に浮かぶ島を作り上げるほどの力を得たが、その高度文明が引き起こしたのは傲慢と破滅だった。作中では、その過去を直接描くことはないものの、朽ちていくロボット兵や静まり返った街並みに「かつての栄光と今の惨状」が対比され、より強いインパクトを与えている。これは現代社会にも通じるメッセージとしてよく指摘されるところであり、電力やインターネット、AIなどの発展と共に突き進む我々にも、耳の痛い警鐘となりうるだろう。
しかし、本作の基調に流れるのは、あくまで「純粋な希望」と「人間同士の絆」だ。世界がどう荒廃していようとも、目の前にある善意を信じて行動するパズーのような心こそが大切なのだというメッセージを感じる。だからこそ、多くの視聴者が大人になってもこの作品を繰り返し観たくなるのだろう。子どもの頃には冒険ロマンとして楽しみ、大人になってからは人間のエゴと自然の摂理というテーマを噛みしめ、さらには人生の応援歌としての一面にも気づく。まさに何度観ても発見のある作品であり、エンタメと社会派のバランスが絶妙なのだ。
一方、激辛視点であえて突っ込むとすれば、ムスカのような優秀な悪役がどうしてあそこまで慢心してしまうのか、もう少し説得力のある描写があってもよかったかもしれない。あと、終盤のロボット兵が涙を誘う場面も、泣かせに来ているのが分かりやすすぎて、少しあざといと感じる向きもあるだろう。とはいえ、これらの批判も「天空の城ラピュタ」の完成度が高すぎるがゆえに生まれる贅沢な悩みだと言える。
映画「天空の城ラピュタ」は冒険活劇としての爽快感、キャラクターの魅力、そして文明批評や環境破壊への警鐘など、豊富なテーマを美しいアニメ表現でまとめ上げた作品だ。四半世紀以上経っても色あせず、新たな視聴者を惹きつけ続ける力は本物である。むしろ時代が進むにつれ、作品が投げかける問いの重みは増している気さえする。ジブリの代表作の一つとして、いや、日本アニメーション史を語るうえでも外せない逸品であることは疑いようがない。
映画「天空の城ラピュタ」はこんな人にオススメ!
大空を舞台にした冒険活劇が好きな人や、宮崎駿監督の他作品を愛するジブリファンには言わずもがなおすすめである。しかし、それだけではなく「昔のアニメ映画は子ども向けでしょ?」と敬遠しがちな人にもこそ観てほしい一作だ。むしろちょっとシニカルに物事を見がちな大人ほど、パズーとシータの真っ直ぐな瞳にハッとさせられるのではないかと思う。さらに、歴史や文明、環境問題といった社会性のあるテーマに興味を持っている人にもドンピシャで響くはずだ。実は本作、子どもが見ても大いに楽しめるが、年齢を重ねるほどに「え、こんなに深いことを語っていたの?」と再発見がある映画なのである。
また、映画の冒頭5分やクライマックスの「バルス!」で興奮したい人、いわゆる“お祭り感”を味わいたい方にもおすすめだ。SNSで盛り上がる“バルス祭り”に参戦したことがないなら、一度は生放送のタイミングに合わせて視聴してみると面白いだろう。さらに、ドーラ一家のように豪快な生き方に憧れるタイプや、ムスカのようなインテリ悪役に興奮するタイプも要チェックである。クスッと笑えるギャグも随所にちりばめられているので、気負わずにエンタメとして楽しみたい人にも打ってつけだ。
本作は、ジブリ作品の中でも特に「世界観とメッセージ性の融合」が際立っている。ロボット兵や飛行石といったファンタジー要素をきっかけに、キャラ同士の人間ドラマや、自然と人間の関係性を掘り下げていく流れは、SFやファンタジー好きにも受けがいい。要するに、子どもから大人、ライト層から考察好きまで、幅広くアピールできる一作なのだ。そんな幅広い魅力を持つからこそ、今でも毎年のようにテレビ放送されるたび高視聴率を叩き出すのだろう。まだ観ていない人はもちろん、最後に観たのが何年も前という人も、この機会にぜひ改めて視聴してほしい。
まとめ
映画「天空の城ラピュタ」は、一見すれば少年少女が繰り広げる冒険活劇に見えるが、その実態は文明批評や自然破壊への警告を巧みに織り交ぜた奥深い作品である。パズーとシータの出会いから始まる大空の旅は、無邪気なワクワク感だけでなく、人間の欲望がどこへ行き着くのかというシリアスなテーマまでも提示してくるから驚きだ。いわゆる「バルス祭り」のようなSNS現象によって若い世代にもどんどん浸透し、今や日本のアニメ文化を代表する伝説的作品の一つになったと言っても過言ではない。
とはいえ真面目なメッセージばかりではなく、ドーラ一家の賑やかさやムスカの独特な悪役ぶりなど、見どころたっぷりのキャラクター陣が彩りを添えてくれるのが嬉しい。絶妙なバランスで入り混じるギャグやロマン、恐怖や希望のエッセンスが、本作を「何度観ても飽きない映画」へと昇華しているのだ。そんなわけで、初見の人はもちろん、久しぶりに再視聴する人もぜひ「天空の城ラピュタ」に思う存分浸かってほしい。時代が移り変わっても色あせない、あの飛行石の輝きとともに、新たな発見や感動がきっと待っているはずだ。