映画「ふれる。」公式サイト

映画「ふれる。」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

本作は、触れ合うだけで相手の気持ちを共有できる不思議な存在を巡る物語である。とはいえ、いわゆるファンタジー色の強い作品と思いきや、人間関係のいびつさや、誰もが抱えがちな本音と建前のズレが非常に生々しく描かれている点が最大の特徴だ。作中では若者らしい衝動と遠慮がないぶつかり合いが何度も展開されるが、それがどこかリアルな痛々しさを醸し出している。と同時に、暴走を繰り返す主人公たちが踏みとどまれるのは、自分の弱さを自覚しつつも何とか現状を変えたいと願う一途さゆえでもある。

あるときは「ちょっとは黙って考えろ!」とツッコミを入れたくなり、またあるときは「そこで相手を殴るって、どうなのよ?」と目を覆いたくもなるが、その青臭さが逆に魅力となっている気がする。目立ちたがり屋のようでいて本音を言えない者や、自分の本心を押し隠して円満さを装う者など、それぞれ抱える不器用さは共感の余地が大いにある。

そして肝心の「ふれる」という存在の能力が、三人の友情の歪さを際立たせる装置として機能している点も興味深い。本音を誤魔化せるならそれでいいのか? いつまでもそれに甘えていては、分かったつもりで何も分かっていないままなのでは? そんな問いかけを突きつけられるため、観る側の胸をチクリと刺してくる。本当に信頼し合うのに近道はない――単純ながら、なかなか難しい現実を突きつける作品だと感じた。

紹介しておいて何だが、この作品は万人ウケする爽快青春映画というより、少々クセのある苦さを楽しめる人に合う一本である。突飛な設定がありつつ、テーマはものすごく人間くさい。口にできない想いを抱えた人間同士が何を得て何を失うのか。ここに注目しながら本編を追うとより深く味わえるだろう。共感できるかは人によって異なるだろうが、作品を見終わったあと、誰かと腹を割って話してみたくなる。そんな刺激をくれる映画だといえる。

映画「ふれる。」の個人的評価

評価:★★★★☆

映画「ふれる。」の感想・レビュー(ネタバレあり)

ここからはより踏み込んだ話を展開していきたい。まず冒頭からして主人公たちの空気感が独特である。幼い頃からともに育った三人は、あたかも一蓮托生の仲間のように見えるのだが、その仲良しぶりは少し歪んでいる。実際のところ、相手のことを理解できているようで理解できていない。そして彼らが飼う(?)謎の生き物「ふれる」の力を借りることで、逆にその歪さが加速していくところが何とも皮肉だ。

「ふれる」の能力は便利極まりない。触れ合えば他人の感情をある程度分かってしまうのだから。よくある作品なら、それによって大きな混乱もなく友情が深まる展開になりそうだ。ところが今作では全然そうならない。分かっている“はず”だからこそ、当人たちは言葉にしないし、すれ違っていることにも気づけない。つまり安心しきってしまって、自分が抱えている違和感をそのまま抑え込み続けるわけだ。

特に主人公の秋は一番の問題児だ。気が短くすぐ手が出るタイプなので、「何やってんだこいつ?」とつい突っ込みたくなる。だが、どこかで共感を誘われるのも事実で、言いたいことを言えずに抱え込み、結果として悪態をつくしかないという不器用さが彼の持ち味でもある。友人の諒と優太は一見すると社交的で柔らかいが、どこか遠慮と甘えが入り混じっていて、彼らもまた腹の内をそのまま出さずに本音を探り合っている。

そんな彼らのもとに、樹里や奈南など新しい風が吹き込む。ふれるを通さずにコミュニケーションを取っている彼女たちは、表面上は天然っぽく見えても言葉を重ねることで関係を築いていくタイプだ。秋ら三人組の暗黙のルールをぶち破り、彼らの凝り固まった結束を少しずつほどいていく。これが後半になって大きな波乱を呼ぶのだが、その波乱が実に見ごたえがある。

三人にとっては壊れかけた関係を修復するためのキーが「ふれる」だった。それを使えば楽に分かり合える。だが、それこそが本音と本音のぶつけ合いを避ける原因でもあると、作品の中で何度も強調される。特にクライマックス付近のシーンでは「ほんとに相手の気持ちを知ってるのか?」と問われる場面があり、その問いが彼らの浅い理解を炙り出す。感情を確認する手段があるせいで、本人が言葉にしなくなってしまった。これが三人の致命的な落とし穴だ。

最終盤、暴走状態になった「ふれる」に引きずり込まれるようにして三人の本心が丸裸にされる。このシーンはかなり衝撃的だ。ずっと笑い合ってきたはずの仲間から、ねたみや軽い敵意のような感情が浮かび上がってしまう。これを見て「うわ、最悪」と思う人もいるだろう。だが、そこが一つのリアルだともいえる。互いにどんなに仲が良くたって、100%好意しか持っていないなんてことはまずない。好きの反対は無関心などと言われるように、ある程度近しい相手だからこそ不満も強くなる。それらを見ずにきたから、爆発したときのインパクトが大きくなるわけだ。

しかし面白いのは、そのネガティブな部分がむき出しになった瞬間こそが、彼らにとっての本当のスタートだということである。嫌なところを見ても手を伸ばし合えるかどうか。そこで離れるのか、踏みとどまるのか。秋は途中何度も逃げ腰になったが、最後には自分で言葉を使って相手にぶつかる道を選ぶ。「本当に知りたいから教えてくれ」「自分ももっと思いを伝えたい」という姿勢で三人が手を取り合う場面は、まさに本作屈指の感動ポイントだ。秋がハッキリ口にする「友達になってくれ!」という叫びには、これまで怠ってきたやり取りをもう一度やり直そうという決意がにじむ。

また、「ふれる」に対する秋の想いも見逃せない。人間の感情を伝えるだけでなく、実は秋自身も「ふれる」を正しく理解していなかった事実が終盤で明らかになる。「ふれる」は秋にとって分身のような存在でありながら、当の秋も何を考えているのか分からないという歯がゆさを抱えていたのだ。正体不明の生き物を相棒と呼びながら、実は通じ合っていなかった。この点が示すのは、人間同士の関係性にも通じる部分だろう。長年一緒にいたって、相手のすべてを理解できるとは限らない。むしろ理解できないからこそ、言葉にする努力を続けていかなくてはならないのだ。

そうやって手探りで関係を深めるのが、人間の醍醐味だと本作は主張しているように感じる。子どもから大人への階段を上る過程で、秋たちは逃げていた宿題にやっと向き合うことになる。作中、彼らが繰り返すぶつかり合いは、言葉を省略してきたツケを払う行為であり、それを経てこそ育まれる新たな絆こそが「本物の友情」なのだろう。

とはいえ、作り手の意図としては、ただシリアスなだけでなく妙に軽快なやり取りもバランスよく配置していると感じた。たとえば秋がイライラしながらも隠れて料理を練習している描写には、「おいおい、それも口に出せばいいのに」と笑ってしまう。優太と諒にしても要領よくこなすように見えながら、女性陣に遠慮しているのかロクに反論できなかったりするのがおかしい。彼らのあまのじゃくな姿こそがこの作品の魅力でもあり、同時に応援したくなる要素でもある。

結局のところ、「ふれる」という存在は魔法の解決策ではなく、ただのきっかけに過ぎない。そのことを観客へ思い知らせてくれる点が、今作の大きな肝だろう。本人たちが自分の言葉で語り、自分の足で立ってこそ、本当の成長がある。三人の再出発とともに、「ふれる」との新しい関係性もまた始まるのだ。最終的には「もうこいつ(ふれる)なしではいられない」という依存ではなく、「大事な存在だけど、それがなくても自分たちは前へ進める」という自立の境地へたどり着く。大雑把にまとめると、「誰かときちんと分かり合うのはしんどい、でもその価値は計り知れない」というメッセージが詰まっている作品だといえる。

もちろん好みは分かれるだろう。アクションやロマンチックな展開を期待すると、思ったより素朴な青春ドラマなので拍子抜けするかもしれない。しかし、一筋縄ではいかないリアルな衝突と和解の過程が見たいなら、かなり琴線に触れるはずだ。主人公たちの振る舞いにイラッとしつつも、いつの間にか「これ、ちょっとわかるなあ」と思えてしまう瞬間がきっとある。多少苦い要素も含まれているからこそ、ラストで味わえる小さな救いが鮮烈に胸に残るのではないか。

自分の本音を相手に伝えるには、言葉にしなくちゃいけない。その大変さと尊さが、本作のコアテーマであると感じた。バカ騒ぎして衝突して泣きそうになりながら、それでももう一度手を取り合う彼らの姿は、ある意味で真っすぐな人間ドラマを象徴している。仲間同士で笑い合う瞬間の輝きは、遠回りをしてこそ得られるものなのだろう。最後にようやく心が通い合った感覚を味わうとき、こちらの心もじんわり温まる。そんな不思議な魅力にあふれた映画である。

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映画「ふれる。」はこんな人にオススメ!

ここまで読んで興味が湧いたら、以下のタイプに当てはまる人は特に楽しめるだろう。まずは、人間同士のすれ違いや誤解が発生する展開に強く共感してしまう方。何か悩みがあって「本当はこう言いたいんだけど、うまく言えないんだよな」という体験があるなら、秋たちの迷走ぶりを「わかる」と感じるかもしれない。正直、主人公の行動にはイライラする部分もあるが、そこがリアルでもあるのだ。

また、ファンタジー的な設定を持ちつつも骨太なヒューマンドラマを求める方にもうってつけだ。気持ちをそのまま共有できてしまう「ふれる」という存在は、普通なら憧れの道具になりそうなものだが、今作では逆に危険性や人間関係をこじらせる要因にもなっている。そのもどかしさがたまらなく好きだという人にはしっくりくるはず。

さらに、大きな事件や派手なアクションよりも、登場人物たちの感情の起伏を丹念に描いた作品が好きな人にはたまらない。三人の心の動きが丁寧に描かれるからこそ、小さなきっかけで暴発するシーンが重く響く。もしも「言葉足らずなせいで友達や恋人とトラブルになったことがある」という記憶があるなら、一層のめり込めることだろう。

とはいえ、気軽に笑いながら観るというよりは、やや苦い気持ちになりつつ深くうなずきながら眺めるタイプの映画だと思う。だからこそ、じっくり向き合って「こんな風にぶつかるのもありかもな」とか「人の気持ちを理解するのって難しいんだな」と考えたい人に向いている。心の揺れ動きをしっかり描いてくれる物語が好みの人にぴったりではないだろうか。
要するに、一瞬の共感や熱さより、長い余韻がほしい人にこそ推したい一本である。

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まとめ

以上が映画「ふれる。」をめぐる一連の感想だが、根底には「言葉を尽くすのは大変だけど、そこから逃げるとろくなことにならない」というテーマが流れていると感じた。口下手でも、腹の中に何かがくすぶっていても、そのままでは何も始まらない。正直、秋たちの三人組にはもっと早く気づいてほしかったが、私たち自身も彼らのように目をそらし続けることがあるのではないだろうか。

とはいえ、グダグダと遠回りしてもいいから、最後にきちんと自分の言葉で相手に向き合う覚悟さえあれば新しい景色が開ける。そんな前向きなメッセージが輝く作品だと思う。幻想的な力で何もかも解決しそうなのに、結局は生身の人間同士が努力しなきゃ始まらないところが面白い。そこを「面倒だなあ」と思うか「だからこそ面白い」と思うかで、この映画の印象は大きく変わるはずだ。

一筋縄ではいかないコミュニケーションの面倒くささが逆に魅力を放つこの作品。いろいろ迷い込んだ人が観ると、意外な共感とちょっとした救いを感じ取れるかもしれない。もし興味があれば、気軽に劇場へ足を運んでみてはいかがだろうか。