映画「フォルトゥナの瞳」公式アカウント

映画「フォルトゥナの瞳」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

本作は死を目前にした人間が透けて見える――という何とも不思議な能力を得てしまった青年が、運命の女性と出会うことで人生の歯車がぐるぐる回り始めるラブストーリーである。とはいえ、単なる恋愛映画と思いきや、命や運命といった大きなテーマにまっすぐ切り込む姿勢はなかなかに攻めている。正直、「おいおい、そんな唐突に能力が授かるってどうなの?」とツッコミどころ満載なのだが、そこは監督のセンスと俳優陣の魅力でゴリゴリ押し通してくれるから不思議だ。神木隆之介の繊細な表情と有村架純のふんわりした存在感が噛み合うと、画面上にほのぼのとした空気が広がりつつも、物語の根底にある“死”の影がじわじわと迫ってくる。このギャップがたまらない。

また、肝心のファンタジー設定が意外としっかり活かされている点も見どころのひとつだ。能力に苦悩しつつも、愛する人を守ろうともがく姿は王道的ではあるが、その王道をしっかり描くからこそ胸に響くものがあるのだろう。途中で「うわ、これ絶対泣かせにかかってるやつだ」と予想がついていても、クライマックスではうっかり涙がこぼれそうになるから困る。そんな激辛スパイスの効いた映画「フォルトゥナの瞳」だが、果たしてあなたは泣くか笑うか、それとも呆れるか。ここからは怒涛のネタバレ込みでレビューしていくので、まだ未見の方はご注意を。

映画「フォルトゥナの瞳」の個人的評価

評価:★★★★☆

映画「フォルトゥナの瞳」の感想・レビュー(ネタバレあり)

運命に挑む主人公・木山慎一郎のビミョーに暗い性格と、ふんわり系女子の桐生葵の組み合わせは、最初こそ「正反対すぎじゃない?」と戸惑わされるが、見続けるうちに「あら、意外とバランスいいかも」と思えてくる。死を目前にした人間が“透けて見える”という能力を得てしまうなんて、もういかにも漫画や小説で使われそうな設定だが、映画「フォルトゥナの瞳」ではその能力を単なるファンタジーで終わらせず、“人生の儚さ”や“選択の重み”を描き出す道具として機能させている点が興味深い。

この作品は恋愛映画の皮を被っているが、本質的には「愛する人の死の運命を知ってしまったとき、人はどう行動するのか?」という問いかけだろう。慎一郎は葵の身体が透けて見えた瞬間、彼女の死が近いことを知る。普通は「そんなの気のせいだろ」とか「いや、もし本当ならどうする?」とパニックになるはずだが、彼は意外とすんなり「何とかして助けなきゃ」と腹をくくる。そのあたりの心境描写はあまり深掘りされないものの、むしろテンポ良く展開していくので、観る側も「細かいことは抜きにして、まずは彼女を救うのだ!」とストーリーに没入できる。

とはいえ、愛を貫くために慎一郎が取る行動の数々は、正直言って危ういところもある。運命を変えるとは一体どういうことなのか。事故のタイミングやすれ違いの偶然など、誰にも予測できない要素だらけの世の中で、たとえ死のビジョンが見えたとしても、本当にそれを回避できるのか? 観ながら思わず「そんな上手くいくの?」とか「いやいや、さすがにそこは無理あるでしょ」とツッコミたくなるシーンもある。しかし、不思議とそれを乗り越えるだけの情熱と愛らしさが、この映画には詰まっている。

特に見どころなのは、やはりクライマックスの展開だ。葵をどうにか救おうと必死になる慎一郎の姿は、もはや“無謀”の域に達している。彼が取る行動は細かく書くと完全ネタバレになるが(もうネタバレしているが)、そこには「愛する人を守りたい」という単純かつ純粋な願いがあるだけだ。それだけで観る者の胸を打つ。現実的には「そんな都合よくいかないでしょ」と苦笑いしつつも、いつの間にか応援してしまうのである。映画の魔法というのはすごい。

また、神木隆之介と有村架純の化学反応も見逃せない。神木のどこか陰を秘めた演技はピュアさと危うさを同時に感じさせるし、有村の天然っぽい柔らかさは、物語に希望の光を落としてくれる。二人の表情だけで感情が伝わってくる瞬間が多く、台詞以上に“目の演技”が印象的だ。監督の三木孝浩は光と影の使い方が上手いことで有名だが、本作でもクライマックスに近づくに従って影が濃くなり、葵の運命を暗示するような映像が続く。そこに救いを与えるかどうかは、慎一郎の行動にかかっているわけで、画面の陰影がそのまま物語の緊張感を支えているのだ。

さらに、音楽や映像美にも注目したい。BGMは繊細かつ切ないメロディが多く、二人のラブシーンを際立たせる役割をしっかり果たしている。映像面では、海や街並みなどをロマンチックに捉えながらも、どこか寂しげな色調を混ぜていて、死の影を感じさせる演出が巧みだ。こういったディテールが作品全体を支えているからこそ、最後にグッと涙を誘われるわけである。

とはいえ、辛口視点で見れば、「そもそも原作の結末を変えるのはどうなの?」と感じる人もいるだろう。原作ファンにとっては“あの結末”こそが作品の切なさの要だったわけで、「映画版はちょっと甘めに仕上がってるよね」と賛否が分かれるのは仕方ない。けれど、この映画「フォルトゥナの瞳」が提示しているのは、「絶望的な運命でも変えようとする人間の意志」であり、そこにある種のファンタジー的希望を乗せることで、より多くの観客が共感しやすい作品になっているとも言える。残酷な結末を迎えても余韻に浸れるのが原作の強みなら、映画は映画で“救いのある物語”を提示することで別の魅力を提供しているのだ。

最後に、個人的には「ぶっちゃけご都合主義じゃない?」という思いがないわけでもない。しかし、それをも飲み込めるくらい、キャストの演技と演出のきらめきが勝っている。エンタメとは、時に現実離れしていても良いものだ。涙を流してハンカチを取り出したとき、「ああ、自分は今この映画にどっぷり浸ってたんだな」と気づく瞬間がある。それがこの映画「フォルトゥナの瞳」の持つ魔力である。ファンタジー設定が苦手な人も、一度観れば意外とハマる可能性が高い。愛する人を失いたくない――そんな想いを胸に抱く全人類にとって、死と愛の物語は古今東西ずっと受け継がれてきたテーマなのだから。

映画「フォルトゥナの瞳」は多少のツッコミどころを含みながらも、その分“純度の高い愛”を描ききった作品だと感じる。むしろ「ここまで徹底してやるならアリかも」と思わせてくれる熱量がある。死の予兆が見える能力をあえてロマンチックな方向に活かすこの大胆さこそが、本作の魅力の根源ではないだろうか。どこか現実に疲れているとき、こうした少しの奇跡と大きな愛の物語は、心に染み込むスパイスになるはずだ。泣きたい人、胸キュンしたい人、人生の儚さを噛みしめたい人にとって、まさにうってつけの映画である。

映画「フォルトゥナの瞳」はこんな人にオススメ!

まず、恋愛映画を観て「うわ〜、こういう純愛ってやっぱいいな!」と素直に思える人にオススメだ。特にファンタジー設定に抵抗がないタイプは、どっぷり感情移入できるはずである。死の運命を見通すなんていう重たい要素があるが、それを支えるのが神木隆之介と有村架純のキラキラ感。二人の空気感を堪能したい人なら、必ずや楽しめるだろう。

また、「運命」をテーマにした物語が好きな方には見逃せない作品である。人が運命に抗う姿は王道的ながらも、やはり熱いしグッとくる。少しでも泣ける映画が観たいなら、この作品は外せない。涙腺ゆるゆる派の人は、タオルを用意して挑むのがベターだ。

一方で、「ファンタジー的な設定は苦手だけど、感動はしたい」という人にも意外と合うかもしれない。実は本作、能力の説明を細かく深堀りするよりは、キャラクターの想いを前面に打ち出すストーリー展開になっている。そのため、リアリティを云々考えるより先に、キャストの演技や映像の美しさに目を奪われてしまうのだ。「いかにも作り話だな」と思いつつも、そのままグイグイ引き込まれるので、そこまで構えて観る必要はない。

さらに、日頃から「もしも大切な人の死を事前に知ったらどうするんだろう?」なんて想像するのが好きな人にも刺さる作品だ。実際にそんな力が手に入るわけはないが、もし仮にそうなった場合、人はどこまで自分を犠牲にできるのかを問いかけてくる。そういった心理的葛藤が好きな人には、鑑賞後の語りがいがあるだろう。

ロマンチックな恋愛ものが好きな人、あるいは運命に立ち向かうドラマが見たい人、ついでに神木&有村ペアの共演を楽しみたい人など、多彩な層にオススメできる。気分が沈んでいるとき、ちょっと泣いて心をリセットしたいときにもピッタリだ。観終わった後には「ああ、自分の周りにいる人をもっと大切にしよう」と思えるはずである。

まとめ

映画「フォルトゥナの瞳」は、愛と死と運命という重厚なテーマを扱いつつも、どこかポジティブな“希望”を感じさせてくれる作品である。原作の結末とは異なるアプローチが取られているが、それが逆に「観終わった後の救い」を際立たせているのだろう。仮にご都合主義な展開だとしても、その純粋な愛と熱量には心を動かされること間違いなしである。

主人公が得た能力によって暗示される死の影は確かに重いが、だからこそ二人の愛が輝くという構図が何ともニクい。ファンタジー要素が苦手な人でも意外とハマるかもしれないし、恋愛映画をあまり観ない人でも「こんなピュアな想いもあるんだな」と発見があるだろう。最終的には「やっぱ愛ってすごいよね」と胸を打たれる、このギャップこそが本作最大の魅力なのかもしれない。

もし少しでも興味が湧いたら、ぜひ映画「フォルトゥナの瞳」を手にとってほしい。あなたの中の大切な人への想いが、きっとほんの少しだけ強くなるはずだ。