映画「本心」公式サイト

映画「本心」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

突然ながら、この作品を観終えてまず思ったのは「近未来が舞台のはずなのに、なんだかやけにリアルに感じる」ことである。自由死やリアルアバター、さらにVF(ヴァーチャルフィギュア)という設定が次々登場し、最初は「こんな世界、ちょっと荒唐無稽じゃないのか?」と構えてしまう。しかし、じわじわと生活に浸透していく技術や、人間関係を取り巻く変化がやけに生々しく描かれ、観ているこちらは「あれ、実はもうこんな日常ってすぐそこまで来ているんじゃないか?」などと不安と興味を掻き立てられた。主演の池松壮亮は陰のある青年をリアルに演じ、周囲を取り巻く人物たちもまた、どこか息苦しさや切なさを抱えながら生きている。それが全体に独特の空気感をもたらし、始まりからすぐに引き込まれた。

さらに、AIによって愛する人の人格を再現するという設定は、一見ロマンチックで救いがあるようでいて、実際は突きつけられる現実が重い。もしかしたら過去の秘密を知ってしまうかもしれない、誰かの知らなかった一面にショックを受けるかもしれない。そういう「怖さ」がリアルに伝わってくる点も、大きな見どころである。本作は最初から最後まで軽やかには進まないが、その重厚さこそが観る者の胸を揺さぶってやまない。終盤の展開で押し寄せる感情の波に、自分自身の大切な人や家族への想いを重ねてしまった人は多いだろう。技術が発達した時代、果たして人は何を得て何を失うのか——そんな問いが心にじんわり残る作品である。

映画「本心」の個人的評価

評価:★★★☆☆

映画「本心」の感想・レビュー(ネタバレあり)

本作は、池松壮亮演じる石川朔也が、濁流に流された母を救おうとして自らも昏睡状態に陥り、目覚めたときには世界が大きく変わっていたところから始まる。リアルアバターやVFといった技術が当たり前に受け入れられるようになった世の中だが、その便利さの裏には不穏な影がちらついている。まず、作品冒頭の「自由死」という制度からして衝撃である。死を自ら選べる制度が法的に整備された社会というだけで一気に近未来的な雰囲気を漂わせるが、同時に現実世界でも議論になりつつあるテーマを連想させるため、まったく突飛とも言い切れない。

母・秋子(田中裕子)がなぜ「自由死」を選んでいたのか、それは本当に自殺と呼べるものだったのか。朔也は母の死の真相を知りたいあまり、AIで母の人格を再現するVFを作ることを決意する。しかし、その作業の過程で母が抱えていた秘密を知ってしまい、朔也自身も大きな衝撃を受けることになる。生前は気づかなかった相手の一面を、テクノロジーによって知ることの重さ。そこには「知ってしまったがゆえにさらに傷つく」という皮肉がある。

この「知りたくなかった事実」と向き合う苦しさが本作の大きなモチーフになっているように感じた。実際、朔也は母のVFを通じて母の恋愛観や自分の生い立ちを知らされ、激しく動揺する。「知らないほうが良かったんじゃないか」と思う瞬間が何度もある。その一方で、過去を知ることで生じる痛みこそが、母への理解、そして自分自身の本心を見つめ直すきっかけともなる。本作は、そうした複雑なプロセスをじっくりと描いているので、観る者にも「本当のところ、自分は大切な人についてどこまで知りたいのか」という疑問を突きつけてくる。

さらに、作中に登場する「リアルアバター」の仕事が極めて興味深い。依頼主が行きたくない場所へ代わりに行き、代わりに体験する。VR機器を装着すれば、依頼主は朔也が感じる感覚をリアルタイムで追体験できる。便利そうに思えるが、朔也のような下請け側に回ると、理不尽な要求で振り回され、評価が悪ければあっけなく契約打ち切りにされる。この冷たいシステムは、現代における宅配サービスや請負労働の問題を拡張したようなものだ。「人間が直接動かなくても、労力をお金で簡単に買える」仕組みの先にあるのは、便利さよりも“人を物のように扱う”社会の恐ろしさかもしれない。作中の朔也は炎天下をひた走り、クライアントに振り回され、そしてある出来事がきっかけでさらにやっかいな状況へ巻き込まれていく。

そんな過酷な日々の中で朔也が出会うのが、三好彩花(三吉彩花)だ。災害による避難所生活を余儀なくされていた彼女と朔也の奇妙な同居生活は、本作に一瞬だけ優しい時間をもたらす。とはいえ、2人が心を通わせかけてもすれ違いが重なり、その隙間を突くように朔也の周囲の環境も悪化していく。特に、仲野太賀演じるイフィーというアバターデザイナーが登場してからは、一気に朔也の立場が浮足立つ感じになり、物語は混沌としていく。イフィーは才能のある人物として描かれるが、そのキャラクターは不思議な強引さを持ち、朔也と三好の関係をぐちゃぐちゃにする。

ここで重要なのは、どれほど高性能なAIを使っても、人間が抱える“曖昧さ”や“わだかまり”を完全に救うことはできないという点だ。朔也は母のVFから本心を聞き出そうと躍起になるが、その情報や台詞だって本当に“母のもの”とは言い切れない。AIが収集した生前のデータと、そこに後から追加される会話やイメージが組み合わさっているだけなのだ。もしかしたら、誰かの都合で改ざんされたプログラムが混じっているかもしれない。実際に作中では、VFの開発者の娘が「バックドア」を見つけたと話し、理論上は自在に書き換えができる可能性を示唆している。

こうした設定があることで、物語には常に「この母のVFが話していることは本物なのか?」という疑問がつきまとう。朔也の母はレズビアンであった、精子提供によって朔也を出産した、そういった事実も本当に母の記憶から生まれているのか、不透明な部分があるのだ。観客は「真実かどうかわからない言葉」に翻弄される朔也を見守るが、その過程で「人の心とはいったい誰が決めるのか?」というテーマに向き合うことになる。

しかしながら、朔也が母のVFを通じて聞きたかったことは、実はごくシンプルだった。最後の会話で母が伝えようとしていた大切な言葉、それだけがどうしても知りたかったのだ。結果として朔也は自分の出自や母の秘密を知ってしまい、心をかき乱されるが、最終的には「母の愛情」という決定的な“安らぎ”にたどり着く。それが母の真実だったのかどうかさえ、本当は定かではない。だが、少なくとも朔也の心には「母は自分を愛していた」という確信が残った。そこが本作最大の救いであり、カタルシスでもある。

同時に、本作の大きな見せ場は「技術の進歩」と「人間の尊厳」が対立する部分にあるように感じた。便利さを追求するあまり、誰かを傷つけることも辞さない社会が映し出される。地球温暖化が進んで気温が上昇し、外に出歩くのもしんどい環境では「リアルアバター」を雇うのが当たり前。AIがなんでも推定してくれるからこそ、倫理観やモラルが置き去りにされていく。そんな世界観の暗さがじわじわと迫ってきて、観る者としては居心地の悪さを禁じ得ない。

朔也の暴力衝動の件も、ただのケンカ好きという次元ではない。誰かを守るためやむにやまれず暴力を振るう場面があり、それが動画サイトに切り取られて“ヒーロー扱い”されてしまうのも象徴的だ。SNSや動画投稿サイトでは情報が切り貼りされ、誤解されたまま一瞬で拡散してしまう現代の闇を、少し先の未来という形で提示している。便利さと不確かさが混在する世界は、一歩間違えると恐ろしい結末へ転げ落ちるかもしれない。

そして終盤で明らかになる、母が死に至った本当の背景は予想外に素朴なものだ。母は川辺で苦しむ猫を助けようとしただけなのだ。それは、母のVFでは再現されていない。要するに、AIでいくら個人情報を集めても、現場で起きていた些細な事情までは掬い上げられない場合があるということ。人を再現しようとしても、その人が生前に本当に感じていた何かまでは完璧にはわからない。これは観客に「結局、人間の心はどれほどのデータを駆使しても正確には把握しきれない」という問いを突きつける。

結局のところ、本作は「分かったつもりでいても人の本当の気持ちは見えない」という当たり前のようで深いテーマを扱っている。母の死の真相がVFからは得られないという事実は、なんとも言えない切なさを伴うが、同時にそれが“人間の尊さ”を感じさせる要因でもある。人の心をどれほどAIが学習しようと、完全な複製は不可能なのだ。

映画「本心」は、未来を舞台にしながらも人間の生々しい感情を丁寧に描き、観客の心をえぐる。技術進歩が人々の幸せを支える一方で、不可避なほころびや新たな差別・搾取も生む可能性がある。その狭間で必死にもがく朔也の姿には、どこか自分自身の姿を重ねざるを得ない。人生の中で何が一番大事か、誰とどう向き合うか。物語の終盤で朔也が泣き崩れる場面を見れば、思わず自分も「大切な人の本当の気持ちを知りたい」「でも、それを知る覚悟はあるのか」と考え込んでしまうだろう。

特に池松壮亮の演技が光っていて、台詞量が多くない場面でも、その無言の表情だけで朔也の葛藤や悲しみが痛いほど伝わる。母を失った息子の苦悩だけでなく、過去に暴力に走ってしまった自分自身の影を引きずる姿も鮮烈だ。周囲を取り巻く俳優陣も実力派がそろい、三吉彩花の存在感や仲野太賀のクセのあるキャラクターぶり、水上恒司の友人役としての頼もしさと危うさ、そして田中裕子の温かさとミステリアスさが見事に混ざり合う。

こうして物語を振り返ると「母のVFを作り、本心を知る」というプロットが軸になりつつも、そこにリアルアバターの労働問題やAI技術の倫理観など、さまざまなトピックが詰め込まれていることが分かる。あれもこれもてんこ盛りかと思いきや、きちんとまとまりがあるのは監督・石井裕也のバランス感覚によるものだろう。少し暗い陰を落としつつも、ところどころに人間らしい温もりが見えるのが印象的であり、この独特の雰囲気こそが本作を際立たせている。

ラストシーンで朔也が母のVFと向き合い、どこか吹っ切れたように涙をこぼす姿には、「本心って何だろう」という大きな疑問と同時に「たとえAIに作られた人格でも、そこに温かい言葉をもらえば救われることもあるのかもしれない」という希望も感じられる。技術がいくら進んでも、最終的にその価値を決めるのは人間の想いであり、人間の弱さや強さである。そんな余韻を残して物語は幕を閉じる。

決して気軽に観られる娯楽大作ではないが、AIやVRといった最先端の要素と、人間の生々しい感情が丁寧に描かれた物語が絶妙に融合しているため、観終わる頃には独特の充実感があるはずだ。観客によって評価が分かれる作品かもしれないが、自分がどう感じ、何を受け取るかを考えるきっかけとしては申し分ない一作である。技術革新に戸惑いながらも「人とは何か」を突き詰めていくテーマに興味がある人なら、ぜひ一度は体験してほしいと言える。

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映画「本心」はこんな人にオススメ!

まず、近未来を舞台にした物語が好きな人には外せないだろう。作中に登場するリアルアバターやVFは、まさに「そう遠くない将来に実現しそうな技術」でありながら、人間が見落としがちな倫理観や人権問題に切り込んでいく要素も含んでいる。SF的なガジェットに興味がある人だけでなく、社会派ドラマを好む人も満足できるはずである。

さらに、家族や親子の絆をテーマにした作品を求めている人にもおすすめだ。朔也は亡き母のVFを作ることで、母が本当に何を考えていたのかを知ろうとする。そこには「生きているうちにもっと話をしておけばよかった」という後悔や、「本当の愛情がどこにあったのかを確かめたい」という切実な想いがある。実際に、この物語を観て「もし自分の大切な人がVFになって戻ってきたら?」と想像すれば、現実の人間関係をもう一度見直すきっかけになるかもしれない。

また、社会の歪みに翻弄されながらも必死に生きる若者たちの姿に共感したい人にもうってつけである。アルバイトの延長線上のように思われる「リアルアバター」の仕事が、いかに過酷で報われないか。まるで現代の労働問題を凝縮したような設定は、生々しい臨場感を放っている。そんな過酷な環境の中でも、希望を見出そうともがく登場人物たちを見れば、自分自身の境遇と重ねてしまう人も多いだろう。

要するに、近未来の技術と人の心が交錯する物語に惹かれる人、大切な家族との絆を再確認したい人、そして不安定な社会を懸命に生きる若者たちに心を寄せられる人であれば、この作品はきっと刺さるはずだと思う。

まとめ

本作は、技術が発達しつつも人間の根源的な悩みは消えない社会をリアルに描き、観る者の心を大いに揺さぶる。母の死をめぐる謎とAIの力に振り回される朔也の姿は、まさしく「便利さ」と「人間らしさ」のはざまで苦悩する現代人の象徴のようでもある。たとえAIが膨大なデータから故人のVFを作り出そうとも、本当の思いは本人ですら言葉にしきれないものだ。そこにこそ人間の美しさや切なさが詰まっているのだと、本作は教えてくれるように感じた。

結局のところ、この物語が突きつけるのは「人間の心はどこまで再現できるのか」という問いだけではない。「人は自分自身の本当の気持ちをどこまで理解しているのか」という問いでもある。朔也が母と向き合い、そして自分の中にある痛みや優しさを再認識していく過程を観ていると、自分自身の中にも答えきれないモヤモヤがあることに気づかされる。そこまで気づかせてくれるからこそ、この映画は観たあとにも強い余韻が残るのだと思う。