映画「正体」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!
本作は横浜流星が死刑囚という挑戦的な役柄を演じ、監督を務めるのは『新聞記者』や『余命10年』で知られる藤井道人である。何やら衝撃的な脱獄シーンからスタートし、そのまま息つく間もなく逃亡劇が展開するため、冒頭から画面にくぎ付けになってしまった。自分が犯した罪の重さに苦しむのかと思いきや、果たして本当に彼は罪深き殺人犯なのか、それとも冤罪なのか。観客のこちらとしては「逃げるなら理由があるだろうし、でも死刑囚じゃちょっとヤバいのでは?」とハラハラしっぱなしである。
しかも一歩間違えれば社会的にも倫理的にもアウトな緊迫感がありながら、ところどころ人間ドラマの熱さにグッとさせられるのがニクい。果たして横浜流星が見せる“優しさ”と“危うさ”はどこからきているのか。その真実に辿りつくまでの道のりは険しいが、ラストまで突っ走ってくれる娯楽性をしっかり携えた作品だと感じた。
映画「正体」の個人的評価
評価:★★★★☆
映画「正体」の感想・レビュー(ネタバレあり)
本作は、2020年に刊行された染井為人の同名小説を原作とし、社会派作品でも名高い藤井道人監督がメガホンを取った話題作である。主人公は横浜流星演じる鏑木慶一。死刑囚として刑に服す寸前だった鏑木が脱獄に成功し、そこから息つく暇もない逃亡生活を繰り広げていく。大きな事件を起こしたという烙印を押された青年が、なぜわざわざ危険な逃亡に踏み切ったのか。その理由を追っていくうちに、こちらは彼が“ただの殺人犯”には見えなくなってくる。実際、観進めるほど「え、こいつ本当に人殺しなの?」という疑問が強くなっていくのだ。
まず冒頭、鏑木は移送時の隙を突いて脱走する。刑事の又貫(山田孝之)をはじめ、警察組織が総力をあげて追い詰めようとするが、鏑木は顔を変え、名前を変え、次々に潜伏先を転々とする。例えば大阪府住之江区の工事現場では、誰もが使いたがらない危険な足場で黙々と働き、稼ぎを貯めている様子が描かれる。そこで出会う森本慎太郎演じる野々村和也は借金まみれだが、鏑木の不思議な優しさに心を動かされる。だが、ニュースを見て「こいつ指名手配の死刑囚じゃないか…」と気づいた瞬間、恐怖に駆られて通報を試みる場面がある。「そりゃそうだよ、めちゃくちゃ危ない奴じゃん」と思いつつも、鏑木が和也を助ける姿を目にすると、こちらまで「いや、どうなんだ…」と混乱してくる。
続いて東京・新宿区に移動した鏑木は、ライター名義で潜り込んだウェブメディア企業で吉岡里帆扮する安藤沙耶香と出会う。ニュース記事を執筆しながら、自身に関わる一家惨殺事件について調べるあたり、鏑木はどうしても「本当の犯人は他にいる」と証明したいように見える。死刑囚として扱われるのに、やりようによっては普通に仕事ができるスキルを持っているというのも、非常に面白いキャラクター設定だ。しかも沙耶香は、かつて身内が冤罪被害を受けた過去があり、周囲に理解されないまま苦しんでいる立場でもある。だからこそ「無実を信じたい」という思いで鏑木の逃亡を手助けしてしまう。警察に踏み込まれたときも鏑木を逃がすような行動に出るため、「いくらなんでもリスク高すぎ…!」とドキドキが絶えない。しかし、人間にはいろんな思いがある。自分が無実を晴らしたいだけじゃなく、彼女もまた“本当の正しさ”を証明したいのだ。そこに妙な共鳴があり、その行動は危険極まりないけれど、純粋な正義感を帯びているようにも見えてしまう。
そして逃亡先を変えるごとに、鏑木は違う風貌や偽名で生活を始めるが、その土地ごとに助けてくれる人が必ずといっていいほど現れる。和也しかり、沙耶香しかり、長野で出会う人々しかり…。いかに指名手配犯とはいえ「こんないい奴が人を殺すだろうか?」と思わせる優しさと、周囲に次第に伝わっていく誠実さこそが、作品の核になっていると感じた。実は鏑木は何度も言う。「自分はやっていない」「真犯人が別にいる」。とはいえ、本当に彼の言葉を信じていいのかどうかは、映画を観るこちら側にも簡単に断定できない。かといって、かつて捜査を担当した又貫の様子を見ていると、警察内部にも怪しい動きがあったことがじわじわ見えてくる。上司の方針に従う形で鏑木を犯人に仕立て上げたのではないか、という匂わせだ。少年犯罪の厳罰化を世論に示すために、わざわざ彼を犠牲にしたのではないか…そんな不安が、少しずつ膨れ上がっていく。
とりわけ印象深いのは、鏑木が最後にたどり着く介護施設でのシーンだ。そこには事件の生き残りとして、精神的ショックを引きずる被害者遺族(原日出子)が入居している。鏑木はなぜここまでリスキーな場所で潜伏しているのか。そこには明確な目的がある。どうしても「事件の真相を思い出してほしい」。それは即ち「鏑木はやっていない」ことを証明する唯一の手がかりとなる。だからこそ彼は関わらずにはいられない。しかも、ふだんは物静かな彼がこの場面で見せる焦燥と執着はすさまじい。武器を手に立てこもりという極端な状況にまで追い込まれるが、その背景には「警察のずさんな捜査」があったのではないか、という示唆が感じられてならない。
ここで強烈なのが刑事・又貫の葛藤である。最初は「脱獄犯を捕まえて手柄を立てねば」という使命感が前面にある。ところが鏑木の行動を追うほどに、どうも筋が通っているし、かつての捜査で疑問が残っていた部分がはっきりしてくる。上司(松重豊)が仕事の都合や世間体を優先させ、「これ以上は捜査しなくていい」と無理やり結論を出したことを思い出すにつれ、「もしかして鏑木は本当に無実じゃないのか」と迷いが生まれるわけだ。この“揺れ動く刑事”の姿を山田孝之が見事に表現している。逮捕か、それとも真相解明か。ラストまでその気持ちがグラついているのが伝わるからこそ、観ている方としては一層ドラマ性を感じるのである。
そして物語のクライマックス。介護施設での立てこもり中、鏑木は必死に真相を暴こうとする。SNS配信の力を借りて広く訴えかけるなど、時代を反映したやり方が印象的だ。実際、「テレビや新聞では真実が歪められるかもしれない。でも自分の声ならダイレクトに世間へ届けられるはずだ」という思いがあるのだろう。かといって、あまりに無茶な手段なので「警察突入したら一巻の終わりだろ…!」とハラハラは最高潮になる。結果的に鏑木は逮捕され、再度法廷の場に立つが、そこから見えてくるのは警察と司法のあり方への痛烈な問いかけだ。「証拠は捏造されないか」「権力者の都合で裁きが歪められないか」。それらの懸念を突き付けるように、映画はハードなテーマを正面から放り投げてくる。
ラストシーンでは再審の結果が無音で示されるが、鏑木の表情、そして傍聴に駆けつけた人々の様子から結末は明確に想像できる。法廷に響く拍手の雰囲気と、こみ上げる感動がダイレクトに伝わってきて、「これがもし冤罪だったならば、鏑木の若い時間はなんだったんだろう」と複雑な思いが残る。しかし同時に「それでも世の中を信じて戦う人がいる」という、ほのかな希望も感じさせてくれる。地味に救いがあるエンディングだ。
さらに、鏑木が逃亡生活のなかで出会った人たちにも注目したい。和也は自分が通報したことを深く後悔し、資格勉強に励み始める。沙耶香は「鏑木がこんなに必死に社会を信じているなら、自分もそれに賭けてみたい」という思いを行動に移し、署名活動や世論へ訴えかける運動に取り組む。山田杏奈が演じる酒井舞も、自分のコンプレックスに向き合い始め、地元の中で踏み出せる一歩を見つける。こうして鏑木に出会った人々が少しずつ自分の人生を変えていくのは、本作の大きな魅力だと感じる。もしも彼が本当に殺人犯だったら、こんな“善意の連鎖”は起こり得ないし、観客も共感しにくいだろう。だからこそ「善意を大切にする男」という真の姿が、彼の“正体”として描かれているわけだ。
総じて、本作は社会派ドラマと逃亡サスペンスが融合した良作である。死刑制度に対する問題提起や、捜査の公正さへの疑義も含め、なかなか骨太なテーマに踏み込んでいる。その一方で、一人の若者があらゆる仮面をつけて各地を渡り歩きながら成長していくロードムービー的な味わいもある。横浜流星の表情は場面によってガラリと変わり、「絶対こいつ悪人じゃん」と見えたり「いや、めちゃくちゃ善人では」と見えたり。その揺れ動きこそが本編の見どころだ。気分としてはジェットコースターに乗ったまま、社会の暗部を覗き込み、最後に希望をひとかけら感じる…そんな刺激的な二時間となっている。
ただし、細かい突っ込みどころはある。逃亡の割に随分身元を隠すのが雑だったり、わりと運良く危機をすり抜けていたり、警察がなかなか来ないご都合も感じなくはない。しかし、そこをリアリティよりも“人間ドラマとサスペンスのエンタメ性”に振り切ったのが本作の魅力なのだと思う。描きたいのは“人間を信じること”や“組織の闇”を暴くこと、そして主人公が得る人生の再スタートであり、多少の荒唐無稽はむしろ物語をスリリングに盛り上げるスパイスになっているといえる。
観終わって感じるのは、もし自分が鏑木だったらどう動くだろう、という問いだ。無実を叫んでも誰も信じてくれない。証拠は捏造されている。そんな圧倒的に不利な状況で、しかも死刑が確定しかかっているのなら、いっそ逃げるしかないのかもしれない。でもその逃亡が新たな犯罪行為とされる危険性もあるわけで、結局は社会をどう信じるかの問題に行き着く。本作を観れば、その壮絶さに圧倒されると同時に、「信じることで得られるものもある」というメッセージを受け取れるのではないかと感じた。
横浜流星の身体能力を活かした激しいアクションも見どころだが、それ以上に“目”の芝居が素晴らしく、「自分はやっていない」という叫びが瞳からあふれ出ている。また、山田孝之の鬼気迫る刑事っぷりは、後半に向かうにつれ「何を背負ってるんだ、この男は…」と興味が深まる。藤井道人監督の演出は、社会問題を前面に提示しながらもエンタメ性を損なわない巧みさがあって、終盤まで一気に没入してしまった。作品全体のトーンは重厚だが、登場人物たちの絆が希望を灯してくれるため、観終わった後に暗い気持ちばかりが残らないのが良い。
最終的に鏑木がもたらすのは「信じる力」。警察であれ司法であれ、間違いは起こりうるが、それでも人は正しさを求め続けるし、他人のために立ち上がることができる。そんなメッセージが、作中にちりばめられているように思う。社会派ドラマや逃亡劇が好きな人はもちろん、エモーショナルな人間関係に胸を打たれたい人にもおすすめしたい作品だ。決して軽いノリでは語れない問題提起をはらんでいるが、どこか切なくもあたたかい余韻を残してくれる。不条理な世界の中でこそ、人を信じる大切さが光るという事実を、改めて痛感させられる映画である。
映画「正体」はこんな人にオススメ!
まず、社会問題に興味がある人には刺さると思う。警察の捜査ミスや冤罪の可能性、死刑制度といった重いテーマが正面から描かれるため、考えさせられる要素が満載だ。また、サスペンス作品が好きな方も楽しめるはずだ。指名手配犯となった主人公が逃げ回る展開には常に危険が潜んでおり、いつ捕まるか分からないスリルに手に汗を握る。さらに、ただの犯罪劇に終わらず、人間ドラマの魅力も存分に詰まっている点が大きな特徴である。
登場人物たちがそれぞれ悩みを抱えながらも、逃亡犯である鏑木と向き合い、やがては「もしかしたらこいつは悪人じゃないかもしれない」と揺れ動く過程は見ごたえたっぷりだ。人を信じたい気持ちと、世間の目や常識の狭間で揺れ動く心理が丁寧に描かれているので、恋愛映画ばかり観てきた人でもこの人間模様に惹き込まれるだろう。キャストの演技力も高く、感情移入しやすいので、映画を通してどっぷり物語世界へ浸りたい方にうってつけだ。
また、何かを信じることに迷いや不安を感じている人にもオススメだ。「絶対に勝ち目がない」「誰も助けてくれない」そんな絶望の状況でも、人間同士が手を取り合えば奇跡が起こるかもしれない、という希望が示されているからだ。ネガティブになりがちな現実を見据えながらも、希望を持つことの大切さを描くこの作品には、観る人の心を少しだけ前向きにしてくれる力があると思う。
まとめ
総括すると、映画「正体」はサスペンスと社会派ドラマ、そして人間同士のつながりを熱く描き出した力作である。横浜流星の多面的な演技はもちろん、山田孝之や吉岡里帆ら実力派キャスト陣が作品を大いに盛り上げている。死刑囚として逃げ続ける主人公を通して「何が真実か」「人を信じるとはどういうことか」を深く考えさせられた。しかも観終わった後には、予想外に清々しい希望を感じられるのだから驚きである。
ただの逃亡劇では終わらない背景には、冤罪問題や警察組織の闇など、一筋縄ではいかないテーマが存在する。そのぶん観客としてはハラハラと心が痛む場面も多いが、最後には「やはり人間同士の信頼が大切なんだ」と気づかされる。きっと、この作品を観た後には自分自身や社会を改めて見つめ直す時間を持てるだろう。硬派な題材を扱いながらも、キャラクターの魅力とストーリー展開が相まってグイグイ引き込まれる。ぜひ心の準備をしてから挑んでほしい一本だ。