映画「映画 ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!
本作は天海祐希が不思議な駄菓子屋の店主・紅子を演じるという段階で、すでに異色の香りが漂っている。監督はホラーの名手として名高い中田秀夫でありながら、親子で楽しめる内容に仕上がっているというから驚きである。いわゆる“願いを叶える駄菓子”という設定自体は夢がある一方、“叶えた先”に待ち受ける落とし穴をどう描くかが肝になるわけだ。
実際に鑑賞してみると、ほのぼのとしたシーンと人間の欲望がむき出しになる部分のバランスが意外なほど絶妙で、気を抜けば背筋がゾクッとする不穏さも感じられる。天海祐希の存在感と上白石萌音の怪しい演技が相まって、子どもだけでなく大人の心にも何かを問いかけてくるところが魅力だと思う。
大橋和也演じる新米教師の奮闘や、個性的な子どもたちの物語など、要素がテンコ盛りだが、そのぶん多角的なメッセージを受け取ることができる作品に仕上がっていた。さて、ここからは核心の内容にも踏み込んで書いていこうと思うので、未見の方はご注意いただきたい。
映画「映画 ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」の個人的評価
評価: ★★★☆☆
映画「映画 ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」の感想・レビュー(ネタバレあり)
ここからは物語の重要な部分にも触れるため、鑑賞前の方は読まないほうがよいかもしれない。とはいえ、知っていても十分楽しめる要素が満載なので、あくまで参考のひとつとして読み進めてほしい。
まず、注目すべきは天海祐希が演じる“紅子”の存在感だ。どう考えても天海祐希だとひと目でわかるのに、赤い着物や謎めいた雰囲気で近寄りがたさを醸し出し、そのうえで客を引き寄せてやまない。駄菓子の名称やパッケージ、紅子が口にする言葉の端々に、子ども心をくすぐるだけでなく大人の好奇心までくすぐられるような仕掛けがあるのが面白いところだ。
一方、紅子とは対照的に“たたりめ堂”を営むよどみ(上白石萌音)は、心の奥底にある嫉妬や欲望を材料にしたようなお菓子を提供する。表向きは似たような商売に見えるが、「人を幸せにしたい」のか「人の黒い感情をあぶり出したい」のかで大きく方向性が違う。とはいえ紅子の駄菓子も、うまく使えば幸運をつかめるし、扱いを誤れば不幸に陥るという危うさが常に潜んでいる。“買っただけで夢が叶うわけではない、あくまで最後は本人の選択次第”という構造が、子ども向け作品と思わせない奥深さを与えているのだろう。
さらに、本作には新米教師の等々力小太郎(大橋和也)や、美術予備校に通う妹・まどか(平澤宏々路)、出版社で奮闘する相田陽子(伊原六花)など、多彩なキャラクターが登場する。彼らの悩みや願望は“駄菓子”によって一気に解決しそうに思えるが、それと引き替えに何を失うかが怖いところだ。とりわけ陽子が強力なお菓子を選んでしまう場面は、欲望が増大して心が追いつかなくなる怖さをリアルに表現していた。普通なら“成功”を欲するのは悪いことではないが、度を越すと自分を見失ってしまう。それを鮮やかに映し出しているのが印象的である。
小太郎は昔から正義感が強い少年だったらしく、“堂々ドーナツ”を食べた体験が自分を変えた背景として描かれている。作中では彼自身、その事実をうっすら忘れていたが、実は必要なときにきちんと勇気を出せるようになったのは、あのときの駄菓子がきっかけかもしれないという伏線が回収される。これは象徴的なエピソードだと思う。すなわち、人生の転機は突然訪れるが、それをどうつかむかは本人の意志次第というわけだ。駄菓子が導きのツールとなり、そこからどんな物語を生み出すかを楽しむのがこの作品の醍醐味ではないかと感じた。
また、まどかと如月百合子(伊礼姫奈)の美大受験エピソードも見逃せない。互いに切磋琢磨するはずの友人が、少しずつ競争心をこじらせてしまう姿は、年齢や立場を問わず誰にでも起こり得る話だと思う。まどかが欲したのは「友人を超える」ことではなく、「嫉妬を捨てる」ための手助けだったところが胸を打つ。せっかくの才能も、人間関係のわだかまりで台無しになってしまうことがある。紅子の店で手にした“虹色水あめ”によって、まどかは本当に必要なものを見いだすわけだが、一歩間違えれば百合子のように悪いほうへ流される可能性もあった。そこに作品の怖さと優しさが同居しているように思う。
怖さといえば、よどみが集める“悪意”の描写はなかなか衝撃的である。ホラー演出で定評のある中田秀夫だけあって、子ども向けとはいえトラウマになりそうなシーンもちらほら。だが、それが単なる“お化け”や“怪奇”のような表現とは一線を画しているのがおもしろい。人の中にある攻撃性や嫉妬心が“黒い煙”や“不幸虫”となって吹き出していく様は、誰しも心当たりがある負の感情を具現化しているためリアルに映るのだ。結果的に、表向きはファンタジーなのに内面をえぐるような鋭さがある作品に仕上がっている。
物語後半、よどみが大きな悪意をぶつけようとしたとき、紅子が“瞬間冷糖”を投げ込んで凍りつかせる展開は、まさに「やられた!」と感じたシーンだ。駄菓子という可愛い響きと、一瞬で相手を凍結させるという容赦のなさの対比に、不気味なおかしさがある。そこからよどみがどうなったかは、実際に映像を見て確かめてほしいが、“大量に食べ過ぎると凍りつく”という制約は、やはり駄菓子ならではの設定だと感心した。
メインキャストの演技も語っておきたい。天海祐希の紅子は言わずもがなだが、大橋和也の新米教師っぷりが意外によくハマっている。生徒との距離が近く、少し頼りなく見えても熱い心を持っている点が“教師として必要な資質”をわかりやすく体現していたのではないだろうか。子役たちも個性がはっきりしており、誰がどんな駄菓子を使うのかに注目しているうちに、あっという間にクライマックスへと突き進んでいく。中田監督のホラー要素が控えめかと思いきや、ところどころ恐怖演出をしっかり盛り込むことで作品にスパイスを効かせているのも見どころだ。
結局のところ、本作は駄菓子という甘美なアイテムを使って、人間の欲望や思いやりをあぶり出していく物語だといえる。どんなに素晴らしいアイテムがあっても、手にする人間の在り方によって結果は天国にも地獄にもなる。その重みを感じつつ、鮮やかに彩られた駄菓子の数々や痛快なファンタジー演出を堪能できるのだから、意外にも深くて楽しい時間を過ごせる作品だと思う。怖さ、楽しさ、そして少しの切なさが混ざり合い、観終わった後に不思議な余韻が残る。そういう意味で、タイトル通り“ふしぎ”な映画体験を味わいたい人には一度チェックしてほしい。
映画「映画 ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」はこんな人にオススメ!
この作品は、いわゆる“子ども向け”の枠を超えた要素が詰まっているため、大人も子どもも楽しめる仕上がりだ。まず、天海祐希のミステリアスな存在感や上白石萌音の妖しげな雰囲気に惹かれる人なら、間違いなく観る価値があるだろう。加えて、ファンタジーと現実の境界が絶妙に揺れ動く作風が好きな人にも向いている。駄菓子と聞くと懐かしく感じる層も多いはずだが、ただ懐かしむだけでなく「もし本当に夢を叶える駄菓子があったらどうなるか」という想像力をかき立てられる点が特徴的だ。
また、ホラーやサスペンスを少し味わいたいが、本格的すぎると胃に重いという人にも程よい“ゾクッ”とした感を楽しめるのがいいところ。監督が中田秀夫ということもあって、「ちょっと怖いけど、子どもたちがわいわいしながら乗り越えていく姿も見たい」という欲張りな要望にも応えてくれる。子どもの純真さや大人の欲望が交差する物語なので、親子そろって観れば会話のきっかけになるかもしれない。
競争や嫉妬、自己肯定感の低下など、人間関係で悩む人にも学びがあるはずだ。本編では、願いを叶えるかどうかだけではなく、その過程で失うものや取り返しのつかない事態をどう防ぐかが描かれている。意外と現実的なテーマでもあり、“幸せは自力でつかむほうがいい”というメッセージをさりげなく受け取ることができる。このあたりは子どもにこそ伝えたいし、大人も改めて思い知らされる部分である。駄菓子好きやファンタジー好きだけでなく、ちょっとした人生のヒントを得たい人にもオススメだ。そんな幅広い層が一緒に楽しめるのが、本作最大の強みだろう。
まとめ
映画「映画 ふしぎ駄菓子屋 銭天堂」は“駄菓子”をキーワードにしたファンタジーと思いきや、人間の本音が露わになる一種の欲望劇でもあった。紅子の駄菓子は悪用すれば恐ろしい結果を招くし、正しく使えば人生を変えるほどの力になる。よどみの店である“たたりめ堂”がかき集める悪意も強烈で、子ども向けとは思えないほどの生々しさを感じた。ただ、最後は希望を見出せる展開が用意されているので、後味が悪くならない点も良かった。
観終わったあと、自分ならどんな駄菓子を選ぶだろうかと想像してみると、これまたおかしみがある。願いが叶うのはうれしいが、その先でどんな落とし穴が待ち受けているか。その危うさを思うほど、いっそう作品世界が奥深く感じられる。天海祐希の凄味、子役たちの奮闘、中田秀夫監督らしいぞわっとしたシーンが合わさった妙味を味わいたい人は、ぜひ足を運んでみてはいかがだろうか。