沈黙の艦隊 北極海大海戦

映画「沈黙の艦隊 北極海大海戦」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介!

北極海の凍てつく闇に、巨大な鉄の獣たちが息を潜める。聴こえるのはスクリューが刻むわずかな鼓動と、乗組員の喉が鳴る生の気配だけ。――そんな音のない戦場に、邦画では久しく味わえなかった“海の作法”が戻ってきた、というのが第一印象だ。

ただし、手放しで絶賛する気にもなれない。濃密なソナー戦・氷海戦は痺れるのに、政治の描写は時折「急ぎ足で詰め込んだ教科書」みたいに感じる部分もある。とはいえ、劇場で体験した“圧”は確かだ。公開は2025年9月26日。配給は東宝、監督は吉野耕平。主要キャストに大沢たかお、上戸彩、津田健次郎ほかが名を連ねる。シリーズ前作(劇場版)と配信シリーズの続きとして、ベーリング海峡~北極海での一大決戦と国内の政局(通称“やまと選挙”)を描く構えである。

氷点下の海で、息を止める2時間強。結論から言えば、潜水艦アクションは今年有数の出来だ。一方で、地上の政治パートは好みが割れる。だからこそ、“激辛”の名にふさわしく、良いところも気になるところも包み隠さず語っていく。

映画「沈黙の艦隊 北極海大海戦」の個人的評価

評価: ★★★☆☆

映画「沈黙の艦隊 北極海大海戦」の感想・レビュー(ネタバレあり)

まず、戦場の“静寂”の設計が見事だ。海中のやり取りは、派手な爆音よりも“聞き耳”が主役になる。本作の〈やまと〉は、氷板の裏を舐めるように進み、相手原潜の小さなノイズを拾っては姿勢を変える。「沈黙の艦隊 北極海大海戦」は、その沈黙が何層にも重なる“間”をしっかり引き伸ばす。ソナー室の緊張、コントロールルームに漂う汗の匂い、艦内通信の一瞬の躊躇。映像のカット割りが呼吸と同期してくると、観客の鼓動まで指揮下に置かれる感覚がある。

演出は吉野耕平。クローズアップの圧と、中望遠の“密”を織り交ぜ、空間の温度差を映画的に可視化している。機器のパネルや管路の質感、室内の湿度、白い吐息――どれも“潜る”体験に寄与している。戦術の見せ方も良い。「沈黙の艦隊 北極海大海戦」では、定石どおりの“音の罠”と、氷海ならではの地の利を組み合わせる。流氷帯の下を盾にし、氷山の陰影で自己の音紋を紛らす。一見地味だが、艦隊戦の醍醐味はここにある。爆雷や魚雷が海中を走るたび、水圧のうねりを画が伝えてくるのも心地よい。

音響はさらに推したい。低域の使い方が徹底しており、艦体がきしむ“軋み”の音が客席の肋骨まで届く。ソナーの“ピン”音、静音航行の微振動、遠くで崩れる氷壁――それらが層になって、音の地図を描く。「沈黙の艦隊 北極海大海戦」はサウンドで方向感覚を奪い返し、視覚に頼りがちな現代のアクションを逆方向から更新してみせた。

“人間”で言えば、大沢たかお演じる海江田四郎。視線と発声だけで艦内温度を上げ下げできるタイプの艦長像だ。カリスマ性が前面に出る場面では、台詞の語尾の切れ味が指揮系統そのものの強度を裏書きする。対して、艦橋の片隅で交わされる短いやり取り――副長やソナーマンの即応――が、指揮の信頼を地味に補強していく。「沈黙の艦隊 北極海大海戦」は、チームとしての〈やまと〉を上手に描く。“誰の映画か”が艦長だけで完結しないのは好印象だ。

一方で、地上の政治パート。ここは賛否が分かれると書いた。理由は二つ。ひとつは、政局の情報量に対して尺が足りず、台詞での説明が勝ち過ぎる瞬間があること。もうひとつは、やまとをめぐる理念闘争が、キャラクターの具体的な利害や感情に落ち切らない場面があることだ。もちろん、シリーズの縦軸として“やまと選挙”を避けて通れないのは理解している。しかし「沈黙の艦隊 北極海大海戦」は、氷海での戦術設計が繊細なぶん、地上のドラマの粗さがより目立つ。“理念 vs リアリティ”の踏み込みに、もう半歩の厚みがほしかった。

とはいえ、北極海での決戦の設計は、シリーズ随一といっていい。氷層の厚み、海流、塩分濃度、音の屈折――環境のパラメータが戦術の選択肢を縛り、逆に創意を生む。たとえば、敵原潜の後方感知を逆手に取って、自艦のキャビテーションを“囮”に使う場面。あるいは、氷山の“陰”で熱源の立ち上がりを消し込み、敵ソナーの“空白”に滑り込む場面。「沈黙の艦隊 北極海大海戦」は、正攻法と奇策の配合率が上手い。結果、撃ち合いの爆発で盛り上げなくても、背骨に冷や汗が垂れる。

細部への目配りも光る。艦内の照明が段階的に落ちると、乗組員の顔色が一段暗くなる。その暗さに、機器のランプだけが小さく点滅する。ほんの数フレームでも、装置と人間の関係がわかる絵を置く。こうした設計が積み重なるから、観客は“艦の中にいる”と錯覚できるのだ。「沈黙の艦隊 北極海大海戦」は、ここを怠らない。

反面、クライマックス直前の判断の連鎖――政治判断と軍事判断の同期――は、ややご都合に映る。米側の意思決定のプロセスが単線的に進み、日本側の政治も“早回しの編集”で片づく箇所がある。シリーズの積み上げを踏まえれば理解できるが、単体の映画として観たときに“段階を飛ばした”感覚が残るのは惜しい。ここは「沈黙の艦隊 北極海大海戦」の評価を一段上げ切れなかった要因のひとつだ。

映像フォーマット面では、体感型の上映(4DXやScreenX)まで用意され、海中の“揺れ”や“方向感覚の攪乱”を加速させる工夫が見られる。こうした仕掛けは本作の魅力と相性が良い。氷海の幽閉感を“体でわからせる”のは、映画館ならではの利点だ。

さて、物語の芯に戻ろう。「沈黙の艦隊 北極海大海戦」は、海江田という人物の“独立”の根拠を改めて問う。彼は国家から距離を取り、理念の旗を掲げ、艦という閉鎖空間で“新しい共同体”を試みる。この構図は刺激的だが、同時に危うい。艦の中の民主主義は、緊急時にどこまで機能するのか。海江田のカリスマに、異論がどれほど許されるのか。映画はそこを“勝利の余韻”で流しがちで、観客に解釈を委ねる。ここをもう一押し穿ってくれれば、政治パートへの評価は変わったかもしれない。

それでも、北極海決戦の“体験価値”は、劇場に足を運ぶ理由として十分だ。海面の裂け目から吹き込む冷気、氷板を擦る艦体の震え、低周波が客席の骨格を鳴らす瞬間。「沈黙の艦隊 北極海大海戦」は、音と圧で観客の感覚を占領する。そして、その占領が終わったとき――静けさの戻った客席で、自分の呼吸がひどく大きく感じられる。この“気づき”は、良い海戦映画の証だ。

物語の帰結は、シリーズの次章への橋として設計されている。国連へ向かう航路の意味、やまとをめぐる国内世論の揺れ、そして“選挙”という現実のリング。本作は連続する物語の“中間地点”で、氷海の決戦と政局を束ねている。単品としての完結感をもっと欲しがる向きは不満が残るだろうが、シリーズ全体の呼吸としては理解できる落とし所だ。

総じて言えば――「沈黙の艦隊 北極海大海戦」は、海の戦いを“手順と沈黙”で魅せる一本。政治ドラマの圧縮感が足を引っ張る場面はあるが、潜水艦アクションの粘度、音響の深み、艦内の手触りは、今期の邦画アクションでもしっかり強い。次章で政治の筆圧が上がれば、シリーズ全体の評価は一気に跳ねるはずだ。その日を楽しみに、いまは氷海の余韻を噛みしめたい。そして、もう一度大きなスクリーンで――できれば体感型の設備で――音の海に潜りたい。

映画「沈黙の艦隊 北極海大海戦」はこんな人にオススメ!

海上アクションで“静けさの緊張”を求める人。潜水艦映画の作法――聴く、待つ、息を合わせる――が好きな人。そんなあなたには「沈黙の艦隊 北極海大海戦」が合う。

軍事描写における“段取りの気持ちよさ”で興奮したい人。音響で全身を包まれたい人。海中の地形や環境を“戦術のカード”に変える描写にニヤリとできる人。これらの観客は、きっと「沈黙の艦隊 北極海大海戦」の北極海戦を存分に味わえる。

シリーズを追ってきて、〈やまと〉の行く末と“やまと選挙”の決着を見届けたい人。政治パートの詰め込み感も含めて、物語全体の呼吸を楽しめる人。そんな人にこそ、「沈黙の艦隊 北極海大海戦」を勧めたい。

逆に、単発で完璧な起承転結を求める人には、やや物足りないかもしれない。海の“間”よりも地上のドラマを濃く求める人にも、好みの差は出る。だが、氷海の静寂と低周波のうねりに身を預けたい夜があるなら、選ぶ価値は十分。「沈黙の艦隊 北極海大海戦」は、そのためにある。

まとめ

氷と闇と低周波――。「沈黙の艦隊 北極海大海戦」は、潜水艦アクションの醍醐味を“音の設計”で取り戻した快作だ。政治の描写がやや急ぎ足で、人物の感情線がカット割りの外に逃げる瞬間はある。それでも、ベーリング海峡~北極海の戦いがもたらす体験は、劇場でしか得られない手触りを提供してくれる。

結論。戦術の発想、音響の厚み、艦内の温度差――ここが刺さる人にはしっかり刺さる。次章に向けた橋の掛け方も、シリーズの呼吸としては妥当。まずは大画面で一度“潜る”べし。帰り道、自分の足音が妙に大きく聴こえたなら、この映画は勝っている。