映画「チャチャ」の感想・レビューをネタバレ込みで紹介! まず押さえておきたいのは、監督が酒井麻衣、主演が伊藤万理華という座組であること。しかも「(not)HEROINE movies」の流れを汲む第4弾という位置づけで、これだけでも“ヒロインになりきれない等身大の女性像”を推す企画意図が透けて見える。土台が明確だから、観客はどこを味わえばよいか迷わない。企画と主演の方向性がガッチリ噛み合っているのだ。
物語は、デザイン事務所で働くイラストレーターのチャチャ(伊藤万理華)が、屋上で出会った青年・樂(中川大志)に惹かれていくところから始まる。“2人いたらちょうどいい”と信じたくなる甘い予感は、やがて樂の部屋で“あるもの”を見てしまった瞬間から不穏へ傾く。チャチャの同僚・凛(藤間爽子)、キーマンの護(塩野瑛久)、護の恋人ピオニー(ステファニー・アリアン)らが絡み、関係は少しずつ歪んでいく。語り口は軽やかだが、着地点はぬるくない。
公開は2024年10月11日、上映時間は108分。配給はメ~テレ×カルチュア・パブリッシャーズのタッグだ。パッケージとしてはメジャーでも、手触りはインディペンデント寄りの“尖り”が残されている。このバランス感が作品の個性を支える。
主題歌は伊藤万理華自身が歌う「おはようの唄」。さらに撮影は市橋織江が担当しており、絵本を思わせる柔らかな画肌と、主人公の衝動が擦れ合う瞬間の粒立ちを両立させる。音と画の統一感が、チャチャの感情の伸縮を気持ちよく運ぶ。ここが心地よい。
映画「チャチャ」の個人的評価
評価: ★★★☆☆
映画「チャチャ」の感想・レビュー(ネタバレあり)
チャチャは“野良猫系”と評されるが、気ままというより「自分の機嫌を自分で取る」生き方を選び続けている人だ。相手がどう受け止めるかより、自分がどう呼吸できるかを優先する。この頑固さが魅力であり、同時に壁でもある。伊藤万理華は、その“呼吸の間合い”を体温ごと画面に載せてくる。
屋上での邂逅から、チャチャと樂の距離は“斜め”に縮む。真正面から抱き合うのではなく、肩が触れるか触れないかの距離で笑い合い、足元だけが同じ方向を向く。こういう斜めの寄り添いを描くのが「チャチャ」のうまさだ。恋の温度を、言葉ではなく動線で示す。
ただし、樂の部屋で“それ”を見た瞬間、物語はカーブを切る。作品は“それ”の正体を説明しすぎない。観客の想像に委ねる余白があるから、チャチャのざわつきがそのまま胸に伝染してくる。何が危ういのか、明示しないまま危険信号だけを鳴らす按配が心地よく怖い。
「チャチャ」の強みは、善悪の札を急いで配らないことだ。樂も、護も、凛も“都合のいい役割”に収まらない。優しさと不器用さの配合が人それぞれで、誰もがちょっと間違える。だからチャチャの判断も揺れる。人は揺らぎでできている、という視線が貫かれている。
伊藤万理華の佇まいは、声の届き方がいい。明るく言う時も、ふっと弱音が混ざる時も、音の角が丸い。その丸さが、相手の言葉を受け止める“受信感度”と表裏一体で、結果として場の空気を動かす。チャチャという人物の説得力は、台詞量ではなく音の触感で立ち上がる。
中川大志が演じる樂は、余白で攻める。説明的な台詞がなくても“過去に触れられたくない人”の気配を背中で語る。チャチャの直進と樂の回避が噛み合う瞬間、画面に小さな静電気が走る。その微電流が、二人の関係をただの“相性の良さ”で終わらせない。
藤間爽子の凛は、物語の“地面”だ。チャチャの浮遊感を現実につなぎ止め、観客の視線の逃げ場になる。塩野瑛久の護は、逆に風穴である。彼の存在が空気圧を変え、場の音圧が一段上がる。メインの二人の関係が単線でなく、複数の気圧配置で動くのが面白い。
撮影(市橋織江)の“やさしい光”は、可愛いと甘いの間でぴったり止まる。逆光でふくらむ埃、窓辺の植物、街の湿度。どれも“盛らない”。その素直さが、チャチャの自己肯定の浅さと響き合い、画のなかに呼吸のリズムを作る。光が感情のメトロノームになっている。
編集はテンポを急がない。引きで空間の関係を見せ、寄りで感情の皺を拾う。特に沈黙の挟み方がいい。言い切らない終わり方のショットが積み重なり、観客の頭の中に“補完作業”が残る。映画館を出たあとも、ちょっとだけ思考が続くタイプのやり口だ。
音の設計は、生活音と主題歌の距離感が巧い。ラストに向けて「おはようの唄」が聞こえてくるとき、これは単なる“挿入曲”ではなく、チャチャが自分にかける再起動の呪文に聞こえる。物語の外へ一歩踏み出すための“明るい朝の合図”だ。曲名のシンプルさも効いている。
「チャチャ」は恋愛映画であると同時に、自意識の取り扱い説明書でもある。他人からどう見えるかが気になる現代において、“自分の見え方”を整えすぎない勇気を推す。それでいて説教臭くならないのは、登場人物が誰も正解を持っていないからだ。正解なき世界の優しさ。
ネタバレ域の話をもう少し。チャチャが“あるもの”を見て以降、彼女は一度、相手の部屋から距離を取る。ここで映画は彼女を責めない。むしろ“距離を取る技術”を肯定する。会いに行く、寄り添う、だけが前進ではないと示す。この姿勢に共感した。
とはいえ、すべてが上手くいくわけではない。衝動は時に人を傷つけるし、正直さは時に鈍器になる。チャチャも例外ではない。失敗したあとにどう謝るか、どう笑い合うか。映画はそこを丁寧に描く。ラブストーリーの肝は“仲直りの作法”だと再確認させられた。
画づくりの話をもうひとつ。小道具のチョイスが物語を支えている。部屋の配置、机の上の乱れ、壁の色。その些細な差異が、チャチャと樂の“好きの違い”を語る。言語化せずに価値観のズレを見せるから、終盤の選択に納得が生まれる。画面をよく見ている作品だ。
総じて、「チャチャ」は尖りと優しさの配分が“3:7”。そこが良さであり、同時に物足りなさにも映るかもしれない。もっと突き刺してほしい観客には“甘い”と映るだろうし、日常の温度のまま恋を見たい人には“ちょうどいい”。その中庸感ゆえに★3を置いた、というのが今回の結論である。
最後に、タイトル「チャチャ」について。軽やかな響きに反して、やっていることは結構タフだ。ごまかさない、言い切らない、でも前に進む。映画館を出たあと、いつもの交差点の色が少しだけ明るく見える。そんな効き目が残る作品である。
映画「チャチャ」はこんな人にオススメ!
まず、キャラクターの呼吸や距離感の変化を楽しめる人。台詞の名言より、間と仕草のニュアンスに惹かれるタイプには「チャチャ」は刺さる。派手な山場より、小さな波を積んでいく語り口が性に合うはずだ。
次に、恋愛映画に“正解”を求めない人。白黒はっきりさせる決着より、グレーの温度差を味わいたいなら「チャチャ」が向く。好きと怖いが同居する瞬間を、少し俯瞰で見られる人は楽しめる。
三つ目は、画の手触りが好きな人。市橋織江の光と色の設計は、目に優しく心に残る。説明過多な作品に疲れている人ほど、視覚から物語を受け取る感覚が気持ちいいだろう。「チャチャ」は映像の温度で語る。
四つ目は、等身大の自意識と付き合っている最中の人。自分を好きになりたいけど、好きになりきれない。そんな揺らぎを抱える人にとって、「チャチャ」は“今の自分でも前に進める”という小さな勇気をくれる。
最後に、音楽と物語の関係が気になる人。伊藤万理華が歌う主題歌の効き方は、エンドロールの余韻をふくよかにする。歌が“説明”にならず、物語の外に橋を架ける感じが心地よい。歌を聴きながら、もう一歩だけ日常を頑張れる、そんな人に勧めたい。
まとめ
「チャチャ」は、恋の初速より、その後の減速と加速の仕方が面白い映画だ。人は揺らぐし、恋は曲がる。その当たり前を、やわらかな光と静かな音で描き切る。
演技の芯は伊藤万理華。受けと発の切り替えが自然で、チャチャという人物が“今を生きる普通の人”として目の前に立ち上がる。相手役の中川大志との距離の取り方も良い塩梅だ。
画は飾りすぎない。部屋、手触り、小道具の配置が語る。言葉の量を絞ったぶん、観客の想像が働く設計で、見終えてからの“余韻タイム”が長い。
尖りと優しさの配分が作品の性格を決め、好みは分かれる。ただ、その“ほどよさ”が日常へ橋をかけるのも事実。だからこその★3。気になったら、静かな夜にどうぞ。